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第三章
46.いや〜な予感
しおりを挟む「……ケイラ」
目覚めてすぐに飛び込んできたのは、上品で端正な顔立ちだった。
寝起きのぼんやりとした頭で、ゆっくりと状況を把握した私——高平景こと、ケイラ・エノール・ジェルドノラは、目の前の美形に向かってにっこりと微笑みかける。
現代日本で車に轢かれた後、なぜか小説の中に転生した夢を見ている私は、グレープ王国で聖女になったわけだけど。
大きすぎる力を持つゆえに、神の使いであるジンテールに、命を狙われたこともあった。
けど、どうしても私を殺せないジンテールのために、私はゴリラン大司教にお願いして力を封印してもらったのである。
それから普通の生活に戻った私たちは、甘い日々を送っていた。
クイーンサイズのベッドを覗き込んできたのは、相変わらず王子のふりをしているジンテールだった。その首に私が腕を絡めると、ジンテール王子は悪い笑みを浮かべて退いた。
「ちょっと、そこはキスの一つや二つするところでしょ!?」
「悪いが、これから仕事があるんでな」
そう言ったジンテール王子は、派手な軍服に身を包んでいた。
いつものチュニックにホーズの姿も悪くないけど、やっぱり正装に身を包む王子様ってカッコいいのよね。
……って、うっかりジンテール王子を眺め倒してしまったけど、そうじゃなかった!
「あなた何しに来たのよ!?」
「お前がちゃんと生きているかどうか確認しに来ただけだ」
「それってどういう意味?」
「なんでもない。俺は公務に行く」
「え? ちょっと!」
二人は想いが通じ合ってめでたしめでたし、のはずなのに、なかなか進展しないのはなぜだろう。
それでも以前よりもぐっと近くなったこの雰囲気は、長年独り身だった私にはじゅうぶん甘いわけで、私は幸せを噛み締めるようにして、ベッドの上で枕に顔を埋めた。
「初めての彼氏が王子様なんて、素敵じゃない? 夢の中だけど」
「まだ、ケイラ様はこの世界を夢だとお思いなのですか?」
ジンテール王子と入れ違いで私の部屋に現れた従僕のゴォフに、私はうんざりした息を吐く。
神出鬼没の私の〝鍵〟は、どうやら常に私の側にいるらしい。
ジンテール王子と一緒にいるためとはいえ、ゴォフと切っても切れない間柄になったのは、嬉しいはずもなく。
私は持っていた枕をマッシュショートのもっさい顔面に投げつけた。
「ぼふっ、何をなさるんですか!?」
「あんた、いつも同じことしか言わなくない?」
「ケイラ様がしつこいからですよ。いつになったらこの世界を現実と受け止めるんですか?」
「こんなこと、現実に起こり得るはずないじゃない! だって、イケメン王子様が彼氏なのよ? これが現実だったら、阿波踊り踊ってやるわよ」
「阿波踊りなんて踊れるんですか? アワアワするだけじゃないですか?」
「アワアワでもフワフワでもいいのよ。とにかく、これは私の思い通りになる幸せな物語なんだから、邪魔しないでよね」
「ケイラ様がそれでよろしいなら、私もこれ以上は何も申しません」
「わかればよろしい」
「それで、今日はどうなさるんですか?」
「そうね。ゴリラン大司教のところにでも行こうかと思って」
「ゴリラン大司教ですか?」
「ええ。あの人にはたくさんお世話になったから、何か手土産でも持って挨拶にでも行こうかな、と。今後のゴォフのメンテナンスもお願いしているし」
「意外とケイラ様は義理堅い方なのですね」
「当然っしょ」
「では、さっそく馬車を用意してきますね」
「助かるわ」
それから私は、王城を出ると、馬車で森を抜けて大司教のいる神殿へと向かった。
相変わらず綺麗に整えられた道に感動する傍ら、私はふと違和感を覚える。
いつもの道だから慣れているはずだけど、いつもと違う感じがするのは気のせいだろうか?
私は途中で馬車を止めるよう御者に伝えて、なんとなく森の道に降りてみた。
すると、やはりなんだか嫌な気配がした。辺り一帯の空気は澱んでいて、視界は黒く濁っていた。
「これ、どういうこと? 魔王がいた場所でもここまでひどくなかったわよ?」
「……これは本物の魔王が干渉しているのでしょうか」
「本物の魔王? どういうこと?」
「あ、いえ……」
「ねぇ、ゴォフはいったい、この世界の何を知っているというの?」
「それは、ここが小説『王子にざまぁしてラブメテオな悪役令嬢♡』の世界で……」
「それだけじゃないわよね? ジンテール殿下といい、ゴォフといい、何かを隠しているようにしか思えないのよ——とにかく、ゴリラン大司教のところに急ぎましょう!」
「この状態で、引き返さないんですか?」
「もちろんよ。もし魔王が蘇ったとしたら、なんとかできるのは私しかいないはずでしょう?」
有無を言わさずゴォフを連れて馬車に戻った私は、ゴリラン大司教の神殿へと急いだ。
そして神殿へと進むにつれて、空気はますます澱むようになって、息苦しさすら感じるようになっていった。
「なに? なんなの!? もしかして、この悪い空気は神殿の方から?」
それから神殿の前に到着するなり、私は絶句する。
あれほど白く美しかった神殿が、真っ黒に汚れていたからだ。
まるで焼け焦げたクッキーみたいにボロボロの神殿を見て、私は真っ先に中へと飛び込んでいった。
「ケイラ様! お待ちください!」
後ろでゴォフが叫ぶ中、私は神殿内へと足を踏み入れる。
すると、神殿内を流れる川も真っ黒に濁っていて、まるで石油のようだった。
私は苦しい息を弾ませながらも、川に沿って神殿の奥へと進んだ。
走るだけ走って神殿の最奥に辿り着いた私は、人の姿を見つけてほっと息を吐く。
ひきずるほど長い髪の後ろ姿は、ゴリラン大司教だろう。すぐにわかったけど——でもいつもと違うその様子に、私は思わず手荷物を捨てて駆け寄った。
「ゴリラン大司教、大丈夫ですか!?」
「……ケイ…ラ様?」
「そうよ! わかる? 私よ、ケイラよ!」
「私に……近づかないで……ください」
ふらふらで、今にも倒れそうなゴリラン大司教の肩を支えようとすると、なぜかゴリラン大司教は私の手を振り払って後ずさった。
「どうしたの? 何があったの?」
「魔王が……私を蝕んでいるのです……」
「魔王? 魔王は私とグクイエ王子が封印したんじゃなかったの?」
「……そうではありません。外の世界の……本物の魔王です」
「外の世界? どういうこと?」
「お願いです……ケイラ様……私を殺してください」
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