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第三章
54.王子様の気持ち
しおりを挟むグクイエ王子が孤児院に再び訪れるようになって、五ヶ月が経った頃。
秋も深まり、孤児院はさらに忙しくなった。
木から集めた甘い樹液を煮詰めて濾過する——そうやってシロップを作るのが子供たちの仕事だった。
シロップは高値で売れるから、孤児院の運営費用を稼ぐのに一躍買っていた。
そして今日も森の木から樹液を抽出し終えて、これから煮出しに向かおうとした時、後ろにいた十才のルビーがいないことに気づく。
それだけじゃない。気づけば、周りにいた子供たちが次々と音もなくいなくなっていた。
怖くなった私は、ママに報告するため孤児院に向かった。すると、ママたちは仕事が終わったから隠れんぼでもしているのでしょう、と真面目に受け取ってくれなかった。
仕方なく私はゴリランを呼んで再び森の中へと入っていった。すると、やはり森で樹液をとっていた子供たちは私以外一人も残っていなかった。
そんな中、ふと寒気のようなものがして、隣にいたゴリランの手をぎゅっと握った。ゴリランも同じように何かを感じ取ったらしく、震えた声で口を開いた。
「……アコリーヌ、この場所を離れよう」
「う、うん」
けど、その時だった。
突然、三歩先の地面が真っ黒な円を描いたかと思えば、黒く染まった土の下から幾つもの木の枝のようなものが生えてきた。
瞬く間に地面を埋め尽くす枝を見て、私は震え上がる。
それは昔見た悪夢だった。
グクイエ王子とともに飲み込まれたのは、十才の頃だった。暗い穴のような場所に閉じ込められた時のことを思い出すと、震えが止まらなくなる。
あの時はどうやって暗闇を脱出したのか、うっすらとしか覚えていなかったけど、あまりの恐ろしさに、思い出さないようにしていた記憶だった。
おそらく一緒にいたルビーたちはこの暗闇に飲み込まれたのだろう。そんなことを思っている間にも、地面から生えてきた長い枝が私やゴリランの体に巻きついてきて、ひきずり込もうとした。
私は必死に抗うけれど、どんどん体が地面に沈んでいった。そしてもう少しで完全に飲み込まれそうになった時。
「光よ!」
声がした。
途端に、黒い穴から私やゴリランが吐き出され、黒い地面が波打った。そして獣の咆哮のようなものをあげながら、黒い穴はみるまに小さくなって消えた。
心臓が耳につくほどバクバクする中、私が呆然としていると、そのうち誰かが私の頬を軽く叩いた。
「アコリーヌ、しっかりして。もう大丈夫だから」
「その声……グクイエ殿下?」
気づいたら、すぐ近くにグクイエ王子の顔があった。
化け物が消えた事で安心した私は、思わずグクイエ王子に縋りつく。震える体でしがみついていたら、そのうちグクイエ王子が私の背中を優しく撫でてくれた。
「怖かった? もう大丈夫だよ」
「でも、どうやって?」
ようやく気持ちが落ち着いたところで、周囲をあらためて見回すと、そこらじゅうに孤児院の子供たちが倒れていた。
みんなゆっくりと起き上がっては、何事かというように辺りを見回していた。
すると、グクイエ王子は胸を張って告げる。
「僕が魔法を使ったんだ」
「魔法?」
「そうだよ。あの日以来、僕は魔王に打ち勝つべく、あらゆる魔法を学んだから」
「でも、あの時は大人が何人いてもダメだったのに」
「あの時は、魔王の配下に対抗できるだけの人材がいなかっただけの話だよ。だから言ったでしょ? 僕は魔王と戦う勇者になるんだって。でも僕は魔力があまりないから、やはり剣で倒すしかないけどね」
「よくわからないけど……さっきの黒い穴は、結局なんだったの?」
「さっきのは、魔王の手先だよ」
「さっきのが魔王? 魔王は国の最北に住んでいるんじゃないの?」
「魔王じゃないよ。魔王の手先。それに、魔王の配下は国じゅうにいると聞くよ」
「そうなんだ……でもよかった。みんな無事で」
「大丈夫だよ、アコリーヌ。これからは僕が君を守るから」
「え?」
それからだった。グクイエ王子の猛烈なアプローチが始まったのは。またあんな魔物が出てはいけないからと言って、グクイエ王子は孤児院によく来るようになった。
魔物を退けた一件以来、孤児院のママたちは喜んでいたけど、私は心配だった。もっと強い魔物が出た時、果たしてグクイエ王子が勝てるのかと。
グクイエ王子は一国の王子様だというのに、傭兵みたいなことをして良いとは思えなかった。
けど、国王陛下は何を思っているのか、グクイエ王子が孤児院に通うのを止めたりはしなかった。もともと国王陛下も武でのしあがった王なので、グクイエ王子が強くなりたいというのを止めたりはしないと言う。
だからって、国にとって大事な人が、孤児院に頻繁に顔を出すのはどうかと——私は思うんだよね。
そしてグクイエ王子は孤児院に来るたび、なぜかゴリランと睨みあった。
***
「アコリーヌ、一緒に森の中を歩こう」
いつものように樹液を採集するため、森に向かおうとしていた私に、グクイエ王子が声をかけてくる。
けど、私もやるべきことがたくさんあるので、あまりグクイエ王子に構うわけにもいかず。
「仕事中です」
冷たくあしらうと、ママに叱られた。
「こら、アコリーヌ。王子様に対して礼を欠いた態度はいけません」
「でも、ママ。私は本当に仕事中なんですけど」
「だったら、他の子に代わってもらいなさい。王子様は孤児院を救ってくださった御方なんですから」
「……はい」
ママは王子様に甘かった。小さい頃から遊びに来ている王子様のことを、ママも自分の子供のように思っているみたいで、王子様が言ったことは絶対だった。
だから私も仕方なくグクイエ王子と森の中を散歩した。本当はゴリランも来たかったみたいだけど、ゴリランは街に行く用事があるとかで、恨めしげな目を向けながらも、しぶしぶ院長先生と一緒に出かけていった。
そして少し肌寒くなった森の中で赤紫に染まった木々を眺めつつ、私はグクイエ王子に告げる。
「グクイエ殿下。あまり私に構うのは良くないですよ」
「どうして?」
「一国の王子様が特定の女の子と遊んでばかりいるなんて、変な噂が立ってしまいます」
「それでもいいよ」
「私は良くないです!」
「でも僕はずっとアコリーヌのそばにいたいよ」
そう告げたグクイエ王子の顔は、いつになく真面目だった。そして私に「左手を出して」と告げると、ポケットから何やら指輪を出して見せた。
その意味がなんとなくわかったので、私は慌てて手を引っ込めようとするけど、グクイエ王子は手を離してくれなくて。されるがまま、指輪を薬指に嵌められた。
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