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43.好きのしるし(3)
しおりを挟む「人と付き合うのは、こうも疲れるものなのか……?」
「どうしたの? 彩弓。今日はなんだか元気がないね」
今日は千枝と会う日ということで、私——彩弓は学校帰りに病院へ来ていた。
なんだか最近、元気に見える千枝とは違い、やや暗い気持ちの私は、来客用のパイプ椅子に座りながら大きな息を吐いた。
「実は伊利亜に嫌われてしまったんだ……」
私が狼狽え気味に告げると、ベッドに座る千枝は嬉しそうな顔をする。
「え? 本当に? じゃあ、霧生兄さんにもチャンスがあるってこと?」
「いや、それが……」
私が伊利亜に怒られた経緯を話すと、千枝が珍しく怒りの形相になる。
「私、彩弓はもっと誠実な人だと思ってた」
「誠実?」
「そうだよ。伊利亜さんがいるのに、尚人さんとデートした挙句、付き合うようになるなんて……ひどいよ」
「尚人とはデートしたと言っても、サシで勝負しただけだぞ? どうして怒るんだ? それに本当に付き合っているわけではない」
「誰だって怒るよ。デートはデートだし……彩弓にはガッカリだよ。そんな風に恋人を試すような人に、やっぱり兄さんは渡せないよ」
「そうか……私が悪いのか」
「考えてもみてよ。伊利亜さんが他の女の子とデートしたら嫌でしょ?」
「伊利亜はうちの姉とよく二人で会っているが」
「彩弓のお姉さんと? なんで? 彩弓のお姉さんも伊利亜くんが好きなの?」
「いや、何かの修行だと言っていた」
「じゃあ、伊利亜くんもお互い様ってことだね」
「そうなのか?」
「だって、伊利亜くんもお姉さんとデートしてるんでしょ? 修行とか言って、何してるのかな」
「それは私も気になってはいるが、姉さんは教えてくれないんだ」
「ふうん。それは彩弓も不安になるね」
「私が不安?」
「そうでしょ? 彩弓のお姉さん、とっても綺麗だし……」
「そうだな。姉さんに何かあったら、いくら伊利亜でも許せないな」
「そっち!?」
「どっちだ?」
「彩弓はお姉さんが心配なの?」
「当たり前だ。大事な家族だからな」
「彩弓はヤキモチを妬いたりはしないの?」
「しょぼい団長じゃないからな」
「ダメだ……彩弓と話してたら頭痛くなってきたかも」
「大丈夫か? 千枝」
「私のことはいいの。それより、二人ともちゃんと向き合った方がいいと思うよ。それで、ルールも決めた方がいいと思う」
「ルール?」
「そうだよ。お互いが大切なら、自由ではいられないと思うよ。私も甚十さんと婚約したことで、たくさんルールを決めたよ」
「たとえばどんな?」
「たとえば……そうだね。どんなに忙しくても、一緒にいる時間を作るとか……あとは、相手を嫌な気持ちにさせるようなことはしない……とか?」
「それは当然のことだろう?」
「でも彩弓は、尚人さんとデートすることで、伊利亜くんを嫌な気持ちにさせたんだよ?」
「そうなのか? 友達と一緒にいることで、伊利亜は嫌な気持ちになるのか?」
「少なくとも、自分に好意がある人と一緒にいるのは良くないと思うよ」
「……好意がある人」
「尚人さんは彩弓のことが好きなんでしょ?」
「そう言っていた」
「なら、もう近づかない方がいいよ」
「尚人から距離をとれば、伊利亜は許してくれるのか?」
「うん。これから他の人と二人きりにならないって約束すれば、きっと許してくれるよ」
「そうか……そうなのか」
「頑張ってね、彩弓」
「ああ、頑張る!」
私が今度こそ伊利亜と仲直りしようと意気込んでいたその時、個室のドアがガラガラと開いた。
やってきたのは、両手にショッピングバックを下げた甚十だった。
「千枝!」
「甚十さん」
「今日は彩弓と一緒なんだね。可愛い二人はどんな話をしていたのかな」
「もう、甚十さん……恥ずかしいから外でそういうこと言うのはやめて」
「何が恥ずかしいの? 俺は本当のことしか言わないからね」
などと、甚十と千枝が良い雰囲気で見つめ合う中、またもや病室のドアが勢いよく開かれる。
今度は両手にショッピングバックを下げた霧生だった。
「千枝」
「あ、兄さん」
「大丈夫か? 千枝。この色ボケに何かされてないか?」
「兄さんは何を心配しているの?」
「俺はお前が心配なんだ……やっぱり、こんな男との婚約を許すんじゃなかった」
霧生が苦々しく吐き捨てるのを見て、甚十が苦笑混じりに口を挟む。
「ひどいなぁ、お義兄さんは……俺ってそんなに信用ない?」
「信用があるわけないだろう?」
「俺は千枝一筋なのに……」
「お前の言うことなんて、あてになるか!」
「じゃあ、千枝のことがどれだけ好きか、お見せしますね」
言うなり、甚十はベッドに手をついて、千枝に口付けて見せた。
「お、お前!」
霧生が噴火しそうになる中、甚十は満足そうにため息をついた。
「千枝は最高だよ」
「じ、甚十さん」
真っ赤になって俯く千枝。
すっかり蚊帳の外にいる私が目を丸くする中、霧生の目がつり上がる。
「甚十さん……殺す」
「えー、こんなことで俺は殺されるの? これからもっとすごいことするのに」
「絶対に許さん!」
それから霧生は甚十を追いかけ回したが、元気な甚十は全く捕まる様子もなく、笑いながら逃げ回った。
そしてしばらくすると、看護師さんに一喝されて二人は大人しくなった。
「ご、ごめんね。彩弓……変なところ見せちゃって。甚十さん、すぐああいうことするから…」
「最初は私も心配だったが……やはり騎士団のメンバーはいいやつばかりだ」
……きっと、ああすることで、千枝を安心させたいのだろう。
私は甚十のことを全て理解しているわけではないが、なんとなく甚十の気持ちがわかったような気がした。
看護師さんに叱られても睨み合いを続ける甚十と霧生先輩に、私は思わずほくそ笑む。
「なんだか私も伊利亜に会いたくなってきたが……会うのは少しだけ怖いな」
「彩弓……とにかく、尚人さんと付き合うふりなんて、しない方がいいよ。きっと今も不安だと思うし」
「そうか……そうだな。私はいつの間にか、伊利亜を不安にさせていたんだな」
***
「というわけで尚人、私はお前と付き合っているふりはしないことにした」
——翌朝。
早々に登校した私は、三階の空き教室に尚人を呼び出すなり、宣言した。
「急に呼び出されたかと思えば、どうしてそんなこと言うの?」
やはり簡単には納得してもらえないようだ。一度決めたことを曲げるのが嫌いなのは、騎士たち皆同じらしい。
不服そうな目で見られて、私も困ってしまう。
「どうしてと言われても、私は伊利亜を不安にさせたくないからだ」
「でも、伊利亜は彩弓と距離を置きたいって言ったんでしょ?」
「だが、はっきりと別れるとは言われてないから……まだ間に合うはずだ」
「どうかな」
「とにかく、尚人とはこれから二人きりにはならないことにする」
「嫌だよ」
「嫌だと言っても、私が決めたことだ」
「俺は彩弓が好きだって言ったよね? 絶対に諦めないから」
「だが私には伊利亜がいるんだ」
「もう聞きたくないよ」
言って、尚人は私は抱きしめる。相変わらず腕の力が強くて、私は息をするのがやっとだった。
「こら! くっつくな!」
「どうして伊利亜なの?」
「え?」
「俺だってこんなに好きなのに」
「尚人、いい加減に——」
「あ、伊利亜!」
尚人の声にハッとして、私はゆっくりと振り返る。
するとそこには、険しい顔をした伊利亜の姿があった。
「……お前の答えはそうか」
「え? 私の答え? ちょっと、離れろ尚人」
「嫌だ。伊利亜と別れて俺と付き合うって言ったでしょ?」
「そんなことは言ってない」
「彩弓はひどいね。あんなに愛しあったのに」
「よくわからないが、誤解だ! 伊利亜!」
叫んでも、伊利亜は聞いているのかいないのか、去ってしまった。
「あーあ、行っちゃったね。伊利亜の気持ちはその程度だったってことだね……ん? 彩弓? 泣いてるの?」
「おい」
「え?」
「尚人はいつからそんな卑怯な人間になったんだ?」
私は握った拳を震わせながら尚人を睨みつける。
だが尚人は一歩も退かなかった。
「俺は彩弓が欲しいんだ」
「尚人はもっといいやつだと思っていた」
「俺はもともとこういうやつだよ。前世で団長の妹と婚約を決めた時も、多くの男たちを蹴散らしたし」
「私は騎士道に反することは許していない」
「でも俺たちはもう、騎士でもなんでもないし」
「たとえ騎士ではなくとも、私は友達としてお前に言いたい。自分のために他人を傷つけることは許せないことだ」
「恋って、自分勝手なものだよ」
「私は伊利亜を尊敬しているし、幸せになってほしいと願っている。どんなに苦しい選択でも、それこそが本物の愛だ」
「じゃあ、彩弓の幸せはどうなるの?」
「は?」
「相手のことばかり考えても、きっと幸せにはなれないよ」
「そんなことはない!」
「だったら、俺に本物の愛を教えてよ」
「なんだと……?」
「伊利亜のことが本当に好きなら、俺を諦めさせてみせてよ」
***
「むむむ…」
結局、尚人のことを伊利亜に弁解することができないまま帰宅した私は、リビングでひたすら唸っていた。
すると、早くに帰ってきた姉の友梨香が、ソファに座る私の顔を覗きこんだ。
「どうしたの? 彩弓ちゃん。変な顔して」
「……実はちょっとしたトラブルがあったんだ」
「トラブル? 水道の蛇口が壊れたとか? だったら、早く業者さんを呼ばないと」
「違う! そういうことじゃなくて、尚人に手を焼いてるんだ」
「尚人くんって、彩弓ちゃんのことを好きな子ね」
「姉さんまで知っているのか?」
「健くんから聞いているわ。邪魔をするかもしれないけど、ごめんなさいって言われたのよ。それで、尚人くんがどうしたの? キスでもされたの?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「その反応、されたのね。彩弓ちゃんはすぐ隙を見せるんだから。そういうのはよくないわよ」
「姉さんはまるで現場を見たような口ぶりだな」
「見なくてもなんとなくわかるわよ。あの子、したたかな雰囲気があるもの。それで、彩弓ちゃんはどうするの?」
「どうすると言われても……本物の愛を見せると言った以上、伊利亜との絆を見せつけなければ……」
「伊利亜くんとは仲直りしたの?」
「私が伊利亜に距離を置かれていること、なんで姉さんが知っているんだ!?」
「私は彩弓ちゃんのお姉さんだから、そのくらいは把握してるわよ。それより、このまま尚人くんといれば、伊利亜くんの気持ちが離れてしまうかもしれないわよ」
「千枝も同じようなことを言っていた。やはり、そうなんだな……どうしよう……伊利亜に会いたいのに、会いたくないんだ」
「彩弓ちゃんも、後ろめたいという気持ちを覚えたのね」
「そうか。これが後ろめたいという気持ちなのか」
「でも、彩弓ちゃんだけが悪いわけじゃないわね」
「?」
「彩弓ちゃんのことをしっかりと守らないといけないのに、距離を置くなんてとんでもないわ」
「姉さん?」
「これはちょっと、なんとかしないといけないわね」
***
「お呼びですか」
彩弓が住むマンションの屋上に、呼び出された伊利亜は、給水タンク以外何もない殺風景な場所で静かに膝をつく。
すると、伊利亜を呼び出した女性——友梨香は、腰に手を置いて伊利亜を見下ろした。
「ああ。どうだ? あれから修行は進んでいるか?」
「陛下がおっしゃる通り、例の術の習得に励んでおります」
「そうか。なら良いが……それより、彩弓ちゃんのことなんだけど」
友梨香は尊大な態度をやめて、両手を合わせて伊利亜に詰め寄る。
その禁句とも言える彩弓という名前に、伊利亜は片眉を上げた。
「……」
「あなたに振られて、とても落ち込んでいるわ」
「……」
「このままだと、尚人くんに取られてしまうわよ」
「あいつがそれで幸せなら、俺からは何も言うことはありません」
「あなたがそれでいいなら、いいけど。彩弓ちゃんを幸せにできるのは、彩弓ちゃん自身なのよ。それと同じく、あなたを幸せにできるのは、あなた自身だということを忘れないで」
「何が言いたいんですか?」
「彩弓ちゃんは今もあなたのことが好きなのよ」
「それはどうでしょうか」
「私は彩弓ちゃんを幸せにしてくれるなら、尚人くんでも構わないと思ってるけど——あとはあなた次第よ」
「俺はもう、あいつと距離を置くと決めたんです」
「なら、彩弓ちゃんに何があっても、絶対に手を出さないでちょうだい」
「……」
「尚人くんのことだから、これから彩弓ちゃんに何をするかわからないわよ。でも、絶対に助けたりしないで」
「……」
「彩弓ちゃんを守りたいと思うなら、生涯かけて守ってあげて。中途半端に優しくされても、きっと彩弓ちゃんは喜ばないと思うから」
「……話はそれだけですか?」
「ええ」
友梨香が言うだけ言うと、伊利亜は無表情を装ってその場を足早に立ち去った。
「これで少しは何かが変わるかしら?」
誰もいなくなった屋上で、友梨香は気持ちよさそうに伸びをした。
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