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46.君のために(前世編・前編)
しおりを挟む「今日は王族の生誕記念行進の日か。これは稼ぎ時だな」
身の丈三倍ほどの建物が立ち並ぶ街角。
赤髪に切れ長の瞳をした少年は、路地裏から大通りに視線をやる。
その顔は煤汚れており、まるで愛らしい顔立ちを隠しているかのようだった。
すると、同じく路地裏で控えていた小汚い格好をした青年が、拳サイズの果実をかじりながら指摘する。
「気をつけろよ、衛兵や従士がうろうろしているからな」
衛兵とは、主に警備を司る兵士のことだが、従士とは、王国騎士団に仕える使用人や兵士のことだった。
戦時に騎士の補佐として活躍する従士は、普段は警備の手伝いも担っていた。
「大丈夫だよ。今までだって捕まったことなかったんだから」
赤髪の少年は、従士の鎧を見て、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
だが彼よりも少し大人びた青年は、不安そうな顔をしていた。
「これから捕まる可能性だってあるだろ」
「俺は永遠に捕まらないよ」
「ジミール、お前ってやつは……」
「はいはい、気をつけるって」
ジミールと呼ばれた少年は、軽い口調で答えると、市場の人混みに身を投じた。
彼——ジミールが、親もなく身ひとつながらも平民なみの暮らしを送ってこれたのは、盗みを行っていたからだ。
「へへ、こういう時は頭の悪そうなやつを狙って……お、財布発見」
本来は、一般人が好き好んでやる仕事ではないのだが、彼は自分の技術に絶対的な自信を持っており——おかげでまっとうに生きられない自分を嘆いたりはしていなかった。
「よし、これで三つ目」
ジミールは通りすがりの男の腰をちらりとうかがう。そして紐でくくりつけてある革の袋を見つけるなり、ナイフで掠めとった。
皆、王族の派手なパレードに夢中なせいで、身の回りの物に注意している様子はない。
なので、普段よりも幾分、仕事がやりやすかった。
「これだからやめられないんだよな」
ジミールが次から次へと財布を盗む中、そのうち岩のような筋肉の男に遭遇する。
ひときわ身なりの良い男を、標的にしたジミールは、手際よくナイフで革袋の紐を切り取ると、素知らぬ顔でその場を立ち去った。
去り際に、男の目が光ったことを知らずに——。
————翌朝。
ジミールは何もないあばら屋のベッドで寝返りを打つが、ふいに馬車の音が聞こえて目を覚ました。
貧民窟に馬車の音がする時は、たいてい罪を犯した者を迎えに来た時だ。
ジミールの心臓が縮こまった瞬間だった。
危機を察知したジミールは逃げる算段をしながら、盗んだ財布をかき集めて窓に手をかける。だが、窓から逃げる前に、ドアが豪快に開いた。
現れたのは、岩のような筋肉の男だった。
髭に覆われた顔から、年齢は判別しにくかったが、ジミールの倍は生きているだろう。
男の顔を見た瞬間、ジミールの顔が引き攣った。
「私はマルストール侯爵だ、お前の名前を教えろ」
「は?」
「おい、お前の名前はなんだと聞いている」
「じ、ジミール」
部屋の中にまでやってきた男に、ジミールは完全に怖気づいていた。
相手がやってきた理由は考えるまでもなく。おそらく、盗みを働いたのがバレたに違いない。
この国では、窃盗は死罪——まではいかないとしても、牢屋で長く生活することになるのは間違いないだろう。
ジミールは今さらながら、自分の出自を嘆いた。貧乏な家に生まれていなければ、こんなことにはならなかっただろう。
そして男は、大きな手を差し出すと、その姿に似つかわしくない美声で告げた。
「さあ、私についてこい!」
「え? ちょっと、ごめんなさい! 連れていかないで!」
慌てて逃げようとするジミールを、男が軽く肩に抱えた。岩のような筋肉は伊達ではなかった。
まるで小動物を捕まえるような気軽さに、ジミールは今度こそ恐怖を覚えた。
「ははははは、逃さないぞ」
「ちょ! ごめんなさい!」
それからジミールは馬車に乗せられた。どこに連れていかれるのかは、明白だったが、髭の男は何も言わずにジミールを見ながら笑っていた。それが一番怖かった。
そして連れて行かれたのは、裁きを受ける王城——ではなく、とてつもなく大きな屋敷だった。
貧民窟がすっぽりと入ってしまいそうな屋敷の敷地内で、馬車から下ろされたジミールは、またもや男に担いで連れて行かれた。
綺麗に剪定された花園の道を移動する男に、ジミールは思わず声をかける。
「こ、ここはどこだよ!」
「うちだ」
「は!?」
「これからはお前のうちでもあるがな!」
「どういうこと!?」
幽閉される場所が決まっているということなのだろうか。
この先に暗い牢屋が待っているのかと思うとゾッとしたが、ジミールが運ばれた場所は、意外なことに美しい部屋だった。
「おい誰か、この臭いをどうにかしてやってくれ」
見たこともない繊細な模様の壁紙に、豪奢な調度品を見て、何事かと目を見開くジミールだったが——そこに使用人らしき人間が何人もやってきて、ジミールを湯槽に放り込んだ。
そして隅々まで綺麗にされたあと、貴族が着るような服を着せられたジミールは——今度は食堂らしき部屋に連れてこられた。
途方もなく長い食卓テーブルについたジミールは、目の前に用意されたご馳走にごくりと喉を鳴らした。
「もしかして、この食事が最後になるのか? なら、全部食べるしかないじゃん」
泣きながら食事をとるジミールを見て、なぜか使用人たちは嬉しそうな顔をしていた。
***
夜になり、ジミールは美しい衣装に着替えさせられたかと思えば、屋敷で一番大きな扉の前に立たされた。
「これから裁きを受けるんですか?」
エスコートするかのように手を繋ぐ髭の男に訊ねると、男は豪快に笑った。
「ははは! 今にわかる」
そして大きな扉が開かれると、そこはまるで夢のような——色とりどりのドレスを着た貴婦人や、紳士たちが踊るホールへと繋がっていた。
ジミールが目を丸くする中、男は半ば引きずるようにしてジミールを中央の踊り場へと連れていった。
それから男は何度か手を叩いて注目を集めると、腹の底から大きな声で告げる。
「こいつは俺の養子だ! 皆、顔を覚えておいてくれ」
「え?」
ざわめくホールで、戸惑いの声が響いた。中には嘲笑する声も聞こえて、ジミールはよくわからないながらも、気まずい気持ちになる。
公開処刑ということだろうか。〝ようし〟の意味はわからなかったが、きっとこれからここで殺されるのだろう。そんな気がしてならなかった。
それでも怖くてたまらない足を奮い立たせて、ジミールは男に確認する。
「これはどういうことだよ」
「何がだ?」
「〝ようし〟ってなんだ?」
「お前はこれから私の息子だ」
「息子?」
「そうだ。私はお前が気に入ったんだ」
「なんで……俺は盗みを働いたんだぞ?」
「その技術を買ったんだ。お前なら、良い騎士になれるとピンときたんだ」
「バカな大人だとは思ってたけど……本当にバカなの?」
「親をバカと言うな」
「親じゃない」
「お前はもう私の養子だ」
そう言って、男は書類を見せる。
全部の文字が読めるわけではないが、雰囲気でその男が嘘をついていないことがわかった。
「冗談! 俺は貴族になんかなりたくない」
「でもなったからにはしょうがない。盗みをした罰だ」
「罰なら、俺を裁いてくれ」
「本当に裁いてほしいのか? 一生牢屋から出られないぞ。お前は盗みを働きすぎた。部屋にあった財布は、持ち主に返すからな」
「……」
「まあ、お前にも悪い話じゃないはずだ」
「でも」
「とにかく、明日から従士見習いとして訓練に参加しろ」
「従士って何をするんだよ」
「そうか、お前には教養も必要そうだな。お前には毎日、私が勉強を——教えることはできないから、家庭教師もつけよう」
「嘘だろ」
「逃げたら私が世界の果てまで追いかけるからな」
***
「冗談じゃない。なんで俺が従士なんかに」
さっそく従士の訓練所に放りこまれたジミールは、注目の的だった。
愛らしい容姿から、揶揄いの言葉を投げられることもあり、それに関しては慣れているので無視すれば良い話だが——。
「おいマルストール卿のところの……」
「ジミールだ」
とある貴族の少年に声をかけられて、ジミールは仕方なしに答えた。スリをしていたジミールは相手の身分を当てるのが得意だった。
それは職業病ともいえるが——そのため、声をかけてきた少年が、無下に扱ってはいけない類の貴族だということに気づいてしまったのだ。
「お前、練習相手になれ」
「なんだと」
「下賤の身に、俺が貴族のルールを叩き込んでやるよ」
それからジミールは片手剣を投げつけられて、決闘を余儀なくされた。
身分が上の者から仕掛けられた場合、断ることができないわけだが——自分の方が上の身分だという意識のないジミールは、否応なしに相手をするしかなかった。
「なになに? 何が始まるんだ?」
「決闘だって!」
「あいつの実力がわかるな」
集まってくる野次馬に、やれやれとため息を吐きながら、ジミールは仕掛けてきた少年と向き合う。相手は、ジミールと同じ年くらいの少年だった。
「お前が英雄の息子だなんて、誰が認めるものか!」
「は?」
相手が何を言っているのかはわからなかったが、敵視されていることはわかった。
それからジミールは使い慣れないレイピアを持って逃げ回るが、相手は訓練を受けた従士見習いなだけあって、隙を与えてはくれず。ひたすら逃げ回ることが続いていた。
それでもなんとか傷を負わずにすんでいたわけだが、そのうちジミールは思いついたように笑みを浮かべる。
「逃げるな!」
「だったら、ほい」
「はあ!?」
そしてジミールはレイピアを放り出すと、相手の懐を通り過ぎて去っていった。
場が静まる中、従士見習いの少年が叫ぶ。
「あいつ! 財布をスリやがった!」
そのまま逃げたジミールは一人爆笑しながら屋敷の部屋に戻ると、窓から財布を放り投げたのだった。
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