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47.君のために(前世編・後編)
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それからジミールは、家庭教師からも訓練からも逃げまわり、庭の木の上で寝ていることが多くなった。
声をかければ、獣のように逃げてしまうため、居場所がわかっていても、誰も声をかけることができなかった。
そんなある日のことだった。
ジミールがマルストール侯爵家の庭園を歩いていると、義父と同じような衣装の——騎士服に身を包んだ少年にぶつかった。
「……君は何?」
おっとりとして、騎士とは思えないほど美しい佇まいの少年に、ジミールは目を瞬かせる。
「あんたこそなんだよ」
「俺はこれでも貴族だけど?」
「お、俺は……」
「もしかして君、団長の?」
「団長?」
「マルストール侯爵の養子?」
「そうだけど」
「そっか。団長が選んだ人なら、きっといい人だね」
「はあ?」
「ねえ、よかったら少し話さない?」
「……いいけど」
「俺はテナ・リオンドイル。爵位は一応子爵だよ」
「ふうん。俺は……」
「ジミール令息でしょ。マルストール卿の息子になれて良かったね」
「俺は養子になりたくてなったわけじゃ」
「でも、衣食住を保障してもらえるなら、いいことじゃないか」
「あんたに何がわかるっていうんだよ」
「わかるよ。俺は貧乏貴族だから、こうやって騎士をしてなんとか使用人を養っているんだ」
「騎士って儲かるのか?」
「そうだね。これでも騎士団の幹部だから」
「へぇ」
「君は従士?」
「従士になるつもりはないよ」
「どうして?」
「俺は平和にスリをして生きたいんだ」
「そんなの、一瞬で捕まって終わりだよ」
「そんなことない。俺はこれでも捕まったことがないから」
「団長に捕まってるじゃん」
「それはそうだけど」
それからジミールは、テナとよく喋るようになった。
相変わらず訓練からは逃げてばかりだったが、友達が出来て毎日を楽しく過ごせるようになった。
そんな風に、ジミールが侯爵家に暮らし始めて、一ヶ月ほど経ったある日。
「ねぇ、お願いだから許してよ、テナ兄さん」
その日は、エジンという小さな少年を、テナが侯爵家の訓練所で鍛錬していた。
エジンは十二歳という若さで騎士になったという。
騎士団の騎士は、団長——つまりジミールの義父であるマルストール侯爵が選抜するというが、ジミールにはその基準がさっぱりわからなかった。
子供ながらに泣くエジンを見ていると、可哀想にさえ思えてくる。
だがテナは、そんなエジンにも容赦しなかった。
「ダメだ。お前はもっと強くならないといけない」
「テナは厳しいな」
二人の鍛錬を眺めていたジミールが指摘すると、テナは厳しい面持ちで告げる。
「騎士は甘やかしてはいけないから」
「へぇ、貴族とは思えないな」
「君は、貴族に対して良いイメージを持っていないんだな」
「当たり前だろ。貴族はふんぞり返ってるだけで飯が食えるんだから」
「そんなことはない。少なくとも俺は、騎士の仕事を誇りに思ってる」
「ふうん」
「君こそなんだよ。何もしないくせに、文句を言ってばかりだね」
「ああ、俺は面倒なことは嫌いだから、部屋に戻るよ」
テナの一生懸命な姿を見ていると、なんとなく居づらくなったジミールは、その場を去ろうと踵を返すが——ちょうどその時、大きな手提げ籠を持った少女が、やってくる。
「テナ!」
小麦色の肌をした素朴な少女は可憐で、思わずジミールは目を奪われる。
すると、テナは見たこともないような笑顔で、少女に声をかけた。
「メアリア」
「誰だ?」
首を傾げるジミールに、テナは呆れたように笑う。
「何を言ってるんだ、団長の妹だろ」
「団長にこんな妹がいたのか? 全然似てねぇ」
ジミールが目を丸くしていると、メアリアと呼ばれた少女は小さく笑った。
「あなた、ジミールよね」
「そうだけど」
「兄はあなたのことを褒めていたわ」
「はあ?」
「だってあなた、贅の限りを尽くせる状況にもかかわらず、質素な食事しかとらないんでしょう?」
「俺の胃は、豪華な食事を受け付けないんだよ」
「でも感心していたわ、召使いに対して優しい人だって」
「気持ち悪いこと言うなよ。俺が優しいだなんて」
マルストール侯爵の評価を素直に受け取れないジミールは、むずがゆい気持ちでいっぱいだったが、そんなジミールを見てテナも微笑む。
「ジミールは優しいよ」
「はあ?」
「やっぱり、そうよね」
テナとメアリアは顔を見合わせて笑う。
その甘い雰囲気に、ジミールは目を瞬かせた。
どうやらテナとメアリアは恋仲のようだった。
だが騎士たちには内緒にしているようで、こっそり会っているという。
それをどうして教えてくれるのか、ジミールにはわからなかったが、かいかぶりすぎだと思った。
それからテナとメアリアの逢瀬をよく見かけるようになったジミールだが、なんとなくくすぐったい気持ちで見守っていた。
「——テナとメアリアってお似合いだよね」
いつものようにジミールが木の上で寝ていると、声をかけられる。
木の根元に視線を落とすと、エジンが嬉しそうな顔をして座っていた。
「僕もあんな風に恋ができるかな」
「マセガキ」
ジミールはそう言って笑うが、心の中では確かにお似合いだと思っていた。
そして獣のように暮らす日々が続く中——ジミールに転機がやってくる。
きっかけは、メアリアとの買い物だった。
メアリアが市場に行きたいというので、ジミールが護衛をすることになった。
本来はテナの役目だが、彼は仕事で遠征しているとのことで、メアリアにどうしてもと頼まれたのだった。
またジミールも頼まれて悪い気はせず、ついていったのだが……。
「市場ってすごい人よね」
「うん、だからスリには気をつけた方がいい」
「ふふ、わかったわ」
「まあ、俺がいれば大丈夫だと思うけど……何が見たいの?」
「実は、テナにプレゼントがしたくて」
「だったら、召使いに頼めば良かったのに。しかも馬車を置いてくるなんて」
「それじゃあ、ダメなの。私が選びたいの」
「お嬢様の考えることはわからないな」
「私の考えが筒抜けだったら困るわ」
そんな風に他愛のない話をしながら歩いていた——その時。
「おい、お前——メアリア嬢だな?」
突然、七人ほどの白い外衣を纏った輩が、ジミールやメアリアを囲んだ。
その物々しい様子に、ジミールが動揺する傍ら、周囲の人間は遠ざかってゆく。
市場にいる民衆は危険を察知したのだろう。屋台の店主すら逃げてしまい、気づくとジミールとメアリアは孤立していた。
そして人が少なくなった市場の中心で、白い外衣を纏った一人が、メアリアの腕を掴んだ。
「お前、ちょっとこっちに来い」
「やめて! 離して——」
「おい! やめろよ!」
ジミールは慌てて白い外衣の腕を掴むが、軽く振り払われてしまう。
「ジミール!」
そのままジミールが捕まる中、メアリアは白い外衣の輩たちに、連れ去られそうになるが——ジミールは咄嗟に、相手の腕に噛みついて、メアリアの手を引いた。
「逃げるよ!」
「待って、ジミール」
ジミールはその軽い足で、メアリアを連れて逃げた。
走り慣れないメアリアを連れているので、何度も転びそうになるが——それでもなんとかメアリアもジミールについていった。
人混みの中、逃げることを得意とするジミールは、そのまま白い外衣の輩たちをまくことに成功するが、ちょうどその時——。
「メアリア? それにジミール?」
マルストール侯爵家の屋敷を前にしたところで、テナの馬車に遭遇した。
どうやらテナは遠征から戻ってきたらしい。
息を切らすジミールとメアリアを見て、目を丸くするテナだったが、慌ててメアリアが声を上げた。
「テナ! 兄さんを呼んでちょうだい」
「させるか!」
その低い声に、ハッとしてジミールは振り返る。
気づくと、白い外衣たちがすぐ後ろに迫っていた。そしてジミールやメアリアを囲むと——じりじりと詰め寄った。
「もう逃げられないぞ」
白い外衣の一人が、ジミールを地面に押さえつけ、別の輩がメアリアの手を引いた。
暴れたメアリアの頬が打たれるのを見て、ジミールの目の前がカッと赤くなる。
ジミールはせめてメアリアだけでも逃そうと暴れるが——そこで白い外衣の一人が剣を抜いた。
「こんな往来で人を斬れば、死罪は免れないよ」
ジミールは指摘するが、白い外衣の男は余裕の表情を浮かべていた。
上流貴族に対して、微塵も迷わない様子に、ジミールは疑問を覚えるが——メアリアの悲鳴で意識を戻される。
「こ、来ないで!」
「メアリア!」
直後、メアリアに剣が迫る——が、人影が白い外衣の男を遮った。
ドサリ、と音を立てて倒れた白い外衣の輩を見て、ジミールは唖然とする。
白い外衣を斬り捨てたのは、テナだった。
「許さない……メアリアに手を出す奴は、俺が許さない」
「テナ?」
テナの燃えるような目の色を見て、ジミールはぞくりとする。
最初はざわついていた白い外衣たちだが——そのうち彼らはテナに斬りかかる。
だがテナは強かった。白い外衣に隙を見せることなく、次々と斬りつけては、悲鳴が上がった。その目を覆うような状況に、ジミールはごくりと固唾を飲んだ。
しかもテナの剣は、白い外衣たちを一掃したにもかかわらず、止まることなく。
動かなくなった白い外衣の輩たちに向かって、さらにテナは剣を高く掲げた。
止めを刺すつもりなのだろう。ジミールは慌てて止めようとするもの、テナに蹴り飛ばされる。
「ねぇ、テナ! 私はもう大丈夫だから、もうやめて!」
「許さない……許さない!」
「テナ!」
メアリアの声は届かず、テナは剣を離さなかった。
ジミールは咄嗟にテナを背中から羽交い締めにするが、すぐにふりほどかれて——その狂気のような目がジミールに向いた。
「テナ?」
「邪魔をするなら、お前も斬る」
「やめて! テナ!」
その時だった。
「おいテナ、こっちだ」
「え?」
ジミールの背後に、マルストール侯爵が現れた。
侯爵は現れるなり、テナの額に頭突きをお見舞いすると——テナはその場に倒れたのだった。
***
——それから数日が過ぎた頃。
テナが謹慎になったこともあり、暇を持て余したジミールは、久しぶりに従士の訓練に顔を覗かせた。
すると、従士たちは、テナの話題で持ちきりだった。
暴漢を皆殺しにし、平民まで傷つけようとしたなど——とんでもない言われ様だったが、誰もテナをかばうことはなかった。
そこで初めて、ジミールはテナの孤独を知った。
「テナ、元気か?」
「なんで……ジミール」
マルストール侯爵の名を使って、テナの屋敷に訪れたジミールは、誰にも咎められることなく、テナと面会することが出来た。
どうやらテナには両親も兄弟もいないらしい。領地を一人で治めているテナは本当に孤独だった。
ジミールの部屋よりもはるかに質素な部屋にいたテナは泣き腫らした顔をしていた。テナはその衝動のせいで、悩みを抱えているのは明らかだった。
「なんでって、友達だから、見舞いにくらいくるだろ」
「友達?」
「そうだよ、友達」
「でも、俺はもう少しで君を……っ」
「そういうこともあるだろ」
「ジミール……でもいつか俺は、君を殺してしまうかもしれない」
「大丈夫だ。俺にはあのマルストール侯爵だっているし」
「……俺は……本当は、暴れたくなんかないんだ」
「そうか」
「でも大切な人に何かあると、すぐカッとなって……どうしよう、俺がいつか大切な人まで殺してしまったら」
「大丈夫、その時は俺が止める」
「……え?」
「俺もこれからきっと強くなるから」
ジミールが笑って見せると、テナは心底驚いた顔をしていた。
***
「あれから本気で騎士を目指したけど、結局……騎士になっても、テナを止めることはできなかったんだよね」
テナを止められるのは、前世も今世も、団長だけだった。
「その団長が伊利亜のものになった今、誰がテナを止めるんだろうな」
大学生になり、すっかり大人しくなった尚人だが、いつ爆発するのかは健にもわからなかった。
「健、どうかした?」
ふいに、桜並木道で、尚人が振り返る。その姿が、相変わらずテナに瓜二つで、複雑な気持ちになる。
「僕が頑張るしかないんだよね」
「え?」
「ややこしい友達を持って、僕も大変だよ」
そう言った健は、苦笑しながらも尚人から離れようとは思っていなかった。
声をかければ、獣のように逃げてしまうため、居場所がわかっていても、誰も声をかけることができなかった。
そんなある日のことだった。
ジミールがマルストール侯爵家の庭園を歩いていると、義父と同じような衣装の——騎士服に身を包んだ少年にぶつかった。
「……君は何?」
おっとりとして、騎士とは思えないほど美しい佇まいの少年に、ジミールは目を瞬かせる。
「あんたこそなんだよ」
「俺はこれでも貴族だけど?」
「お、俺は……」
「もしかして君、団長の?」
「団長?」
「マルストール侯爵の養子?」
「そうだけど」
「そっか。団長が選んだ人なら、きっといい人だね」
「はあ?」
「ねえ、よかったら少し話さない?」
「……いいけど」
「俺はテナ・リオンドイル。爵位は一応子爵だよ」
「ふうん。俺は……」
「ジミール令息でしょ。マルストール卿の息子になれて良かったね」
「俺は養子になりたくてなったわけじゃ」
「でも、衣食住を保障してもらえるなら、いいことじゃないか」
「あんたに何がわかるっていうんだよ」
「わかるよ。俺は貧乏貴族だから、こうやって騎士をしてなんとか使用人を養っているんだ」
「騎士って儲かるのか?」
「そうだね。これでも騎士団の幹部だから」
「へぇ」
「君は従士?」
「従士になるつもりはないよ」
「どうして?」
「俺は平和にスリをして生きたいんだ」
「そんなの、一瞬で捕まって終わりだよ」
「そんなことない。俺はこれでも捕まったことがないから」
「団長に捕まってるじゃん」
「それはそうだけど」
それからジミールは、テナとよく喋るようになった。
相変わらず訓練からは逃げてばかりだったが、友達が出来て毎日を楽しく過ごせるようになった。
そんな風に、ジミールが侯爵家に暮らし始めて、一ヶ月ほど経ったある日。
「ねぇ、お願いだから許してよ、テナ兄さん」
その日は、エジンという小さな少年を、テナが侯爵家の訓練所で鍛錬していた。
エジンは十二歳という若さで騎士になったという。
騎士団の騎士は、団長——つまりジミールの義父であるマルストール侯爵が選抜するというが、ジミールにはその基準がさっぱりわからなかった。
子供ながらに泣くエジンを見ていると、可哀想にさえ思えてくる。
だがテナは、そんなエジンにも容赦しなかった。
「ダメだ。お前はもっと強くならないといけない」
「テナは厳しいな」
二人の鍛錬を眺めていたジミールが指摘すると、テナは厳しい面持ちで告げる。
「騎士は甘やかしてはいけないから」
「へぇ、貴族とは思えないな」
「君は、貴族に対して良いイメージを持っていないんだな」
「当たり前だろ。貴族はふんぞり返ってるだけで飯が食えるんだから」
「そんなことはない。少なくとも俺は、騎士の仕事を誇りに思ってる」
「ふうん」
「君こそなんだよ。何もしないくせに、文句を言ってばかりだね」
「ああ、俺は面倒なことは嫌いだから、部屋に戻るよ」
テナの一生懸命な姿を見ていると、なんとなく居づらくなったジミールは、その場を去ろうと踵を返すが——ちょうどその時、大きな手提げ籠を持った少女が、やってくる。
「テナ!」
小麦色の肌をした素朴な少女は可憐で、思わずジミールは目を奪われる。
すると、テナは見たこともないような笑顔で、少女に声をかけた。
「メアリア」
「誰だ?」
首を傾げるジミールに、テナは呆れたように笑う。
「何を言ってるんだ、団長の妹だろ」
「団長にこんな妹がいたのか? 全然似てねぇ」
ジミールが目を丸くしていると、メアリアと呼ばれた少女は小さく笑った。
「あなた、ジミールよね」
「そうだけど」
「兄はあなたのことを褒めていたわ」
「はあ?」
「だってあなた、贅の限りを尽くせる状況にもかかわらず、質素な食事しかとらないんでしょう?」
「俺の胃は、豪華な食事を受け付けないんだよ」
「でも感心していたわ、召使いに対して優しい人だって」
「気持ち悪いこと言うなよ。俺が優しいだなんて」
マルストール侯爵の評価を素直に受け取れないジミールは、むずがゆい気持ちでいっぱいだったが、そんなジミールを見てテナも微笑む。
「ジミールは優しいよ」
「はあ?」
「やっぱり、そうよね」
テナとメアリアは顔を見合わせて笑う。
その甘い雰囲気に、ジミールは目を瞬かせた。
どうやらテナとメアリアは恋仲のようだった。
だが騎士たちには内緒にしているようで、こっそり会っているという。
それをどうして教えてくれるのか、ジミールにはわからなかったが、かいかぶりすぎだと思った。
それからテナとメアリアの逢瀬をよく見かけるようになったジミールだが、なんとなくくすぐったい気持ちで見守っていた。
「——テナとメアリアってお似合いだよね」
いつものようにジミールが木の上で寝ていると、声をかけられる。
木の根元に視線を落とすと、エジンが嬉しそうな顔をして座っていた。
「僕もあんな風に恋ができるかな」
「マセガキ」
ジミールはそう言って笑うが、心の中では確かにお似合いだと思っていた。
そして獣のように暮らす日々が続く中——ジミールに転機がやってくる。
きっかけは、メアリアとの買い物だった。
メアリアが市場に行きたいというので、ジミールが護衛をすることになった。
本来はテナの役目だが、彼は仕事で遠征しているとのことで、メアリアにどうしてもと頼まれたのだった。
またジミールも頼まれて悪い気はせず、ついていったのだが……。
「市場ってすごい人よね」
「うん、だからスリには気をつけた方がいい」
「ふふ、わかったわ」
「まあ、俺がいれば大丈夫だと思うけど……何が見たいの?」
「実は、テナにプレゼントがしたくて」
「だったら、召使いに頼めば良かったのに。しかも馬車を置いてくるなんて」
「それじゃあ、ダメなの。私が選びたいの」
「お嬢様の考えることはわからないな」
「私の考えが筒抜けだったら困るわ」
そんな風に他愛のない話をしながら歩いていた——その時。
「おい、お前——メアリア嬢だな?」
突然、七人ほどの白い外衣を纏った輩が、ジミールやメアリアを囲んだ。
その物々しい様子に、ジミールが動揺する傍ら、周囲の人間は遠ざかってゆく。
市場にいる民衆は危険を察知したのだろう。屋台の店主すら逃げてしまい、気づくとジミールとメアリアは孤立していた。
そして人が少なくなった市場の中心で、白い外衣を纏った一人が、メアリアの腕を掴んだ。
「お前、ちょっとこっちに来い」
「やめて! 離して——」
「おい! やめろよ!」
ジミールは慌てて白い外衣の腕を掴むが、軽く振り払われてしまう。
「ジミール!」
そのままジミールが捕まる中、メアリアは白い外衣の輩たちに、連れ去られそうになるが——ジミールは咄嗟に、相手の腕に噛みついて、メアリアの手を引いた。
「逃げるよ!」
「待って、ジミール」
ジミールはその軽い足で、メアリアを連れて逃げた。
走り慣れないメアリアを連れているので、何度も転びそうになるが——それでもなんとかメアリアもジミールについていった。
人混みの中、逃げることを得意とするジミールは、そのまま白い外衣の輩たちをまくことに成功するが、ちょうどその時——。
「メアリア? それにジミール?」
マルストール侯爵家の屋敷を前にしたところで、テナの馬車に遭遇した。
どうやらテナは遠征から戻ってきたらしい。
息を切らすジミールとメアリアを見て、目を丸くするテナだったが、慌ててメアリアが声を上げた。
「テナ! 兄さんを呼んでちょうだい」
「させるか!」
その低い声に、ハッとしてジミールは振り返る。
気づくと、白い外衣たちがすぐ後ろに迫っていた。そしてジミールやメアリアを囲むと——じりじりと詰め寄った。
「もう逃げられないぞ」
白い外衣の一人が、ジミールを地面に押さえつけ、別の輩がメアリアの手を引いた。
暴れたメアリアの頬が打たれるのを見て、ジミールの目の前がカッと赤くなる。
ジミールはせめてメアリアだけでも逃そうと暴れるが——そこで白い外衣の一人が剣を抜いた。
「こんな往来で人を斬れば、死罪は免れないよ」
ジミールは指摘するが、白い外衣の男は余裕の表情を浮かべていた。
上流貴族に対して、微塵も迷わない様子に、ジミールは疑問を覚えるが——メアリアの悲鳴で意識を戻される。
「こ、来ないで!」
「メアリア!」
直後、メアリアに剣が迫る——が、人影が白い外衣の男を遮った。
ドサリ、と音を立てて倒れた白い外衣の輩を見て、ジミールは唖然とする。
白い外衣を斬り捨てたのは、テナだった。
「許さない……メアリアに手を出す奴は、俺が許さない」
「テナ?」
テナの燃えるような目の色を見て、ジミールはぞくりとする。
最初はざわついていた白い外衣たちだが——そのうち彼らはテナに斬りかかる。
だがテナは強かった。白い外衣に隙を見せることなく、次々と斬りつけては、悲鳴が上がった。その目を覆うような状況に、ジミールはごくりと固唾を飲んだ。
しかもテナの剣は、白い外衣たちを一掃したにもかかわらず、止まることなく。
動かなくなった白い外衣の輩たちに向かって、さらにテナは剣を高く掲げた。
止めを刺すつもりなのだろう。ジミールは慌てて止めようとするもの、テナに蹴り飛ばされる。
「ねぇ、テナ! 私はもう大丈夫だから、もうやめて!」
「許さない……許さない!」
「テナ!」
メアリアの声は届かず、テナは剣を離さなかった。
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「テナ?」
「邪魔をするなら、お前も斬る」
「やめて! テナ!」
その時だった。
「おいテナ、こっちだ」
「え?」
ジミールの背後に、マルストール侯爵が現れた。
侯爵は現れるなり、テナの額に頭突きをお見舞いすると——テナはその場に倒れたのだった。
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——それから数日が過ぎた頃。
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すると、従士たちは、テナの話題で持ちきりだった。
暴漢を皆殺しにし、平民まで傷つけようとしたなど——とんでもない言われ様だったが、誰もテナをかばうことはなかった。
そこで初めて、ジミールはテナの孤独を知った。
「テナ、元気か?」
「なんで……ジミール」
マルストール侯爵の名を使って、テナの屋敷に訪れたジミールは、誰にも咎められることなく、テナと面会することが出来た。
どうやらテナには両親も兄弟もいないらしい。領地を一人で治めているテナは本当に孤独だった。
ジミールの部屋よりもはるかに質素な部屋にいたテナは泣き腫らした顔をしていた。テナはその衝動のせいで、悩みを抱えているのは明らかだった。
「なんでって、友達だから、見舞いにくらいくるだろ」
「友達?」
「そうだよ、友達」
「でも、俺はもう少しで君を……っ」
「そういうこともあるだろ」
「ジミール……でもいつか俺は、君を殺してしまうかもしれない」
「大丈夫だ。俺にはあのマルストール侯爵だっているし」
「……俺は……本当は、暴れたくなんかないんだ」
「そうか」
「でも大切な人に何かあると、すぐカッとなって……どうしよう、俺がいつか大切な人まで殺してしまったら」
「大丈夫、その時は俺が止める」
「……え?」
「俺もこれからきっと強くなるから」
ジミールが笑って見せると、テナは心底驚いた顔をしていた。
***
「あれから本気で騎士を目指したけど、結局……騎士になっても、テナを止めることはできなかったんだよね」
テナを止められるのは、前世も今世も、団長だけだった。
「その団長が伊利亜のものになった今、誰がテナを止めるんだろうな」
大学生になり、すっかり大人しくなった尚人だが、いつ爆発するのかは健にもわからなかった。
「健、どうかした?」
ふいに、桜並木道で、尚人が振り返る。その姿が、相変わらずテナに瓜二つで、複雑な気持ちになる。
「僕が頑張るしかないんだよね」
「え?」
「ややこしい友達を持って、僕も大変だよ」
そう言った健は、苦笑しながらも尚人から離れようとは思っていなかった。
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