闇鍋という名の短編集

悠木全(#zen)

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願いの小箱

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「あなたとは、どうしてこうも考えが合わないのかしら」

 妻の口癖だった。僕のほうこそ、そう思っているのに、先に言ってしまわれるのも癪だった。

「子供は放っておいても育つと言うだろう? 何も今から英才教育なんてしなくてもいいじゃないか」

「何を言ってるのよ。子供の時間なんてあっという間に終わってしまうのよ? 何事も早くからやっておいて損することなんてないのよ」

「まだ掛け算もわからない子供に、教育を押し付けてどうするんだ。そういうのは本人がやりたくなった時にさせてあげたらいいじゃないか」

「何事もやってみて、やりたいかどうかわかるものよ。何もしないで何かしたいなんて、思わないわよ」

「僕はいつかすずが興味を持ったことを全力でサポートしてあげるのが親の役目だと思うよ」

「やっぱり、あなたとは考え方が合わないわ。少し時間を置いて、もう一度話し合いましょう」

 僕と妻は、いつもこうやって娘の鈴について話し合うが、教育方針が合ったためしがなかった。結婚する前は、自分と違う考え方を持つ裕子ゆうこが魅力的に思えたが、ここまで考え方が違うと、今では鬱陶しいとさえ思えた。
 鈴はまだ五歳だというのに、教育教育とうるさくはないだろうか?

 それ以外にも、僕らは価値観の合わない場面にしばしば遭遇した。食べ物の好みも違うし、かといって趣味も合わない。バイクが好きな僕とは違って、彼女は家で本ばかり読んでいる。たまには外に出ようと誘っても、面倒くさいの一点張りだ。これでは、夫婦の交流もあったもんじゃない。

 そんなある日のことだった。

 妻や娘へのクリスマスプレゼントを物色するために、百貨店を彷徨っていた。大きなツリーを妻も見にくればいいのに、と思ったが、子供がいると何かと面倒だとやはり断られた。百貨店の屋上ではイルミネーションだってあるのに、日々を楽しむことができない嫁である。子供連れだと大変なのは仕方のないことだが、こういう時くらい頼ってくれてもいいと思う。
 だが、「あなたに任せたら心配なのよ」と言って、彼女は子供の面倒を一身に背負おうとした。どうしてそんなに頑ななのか……僕はそんなに頼りにならないのだろうか? などと思っていると、百貨店のおもちゃ売り場の隅に小さな箱を見つけた。

 どんな願いも叶える箱と書いてあった。おそらく、これも百貨店のイベントなのだろう。箱の傍には紙とペンがあった。どうやら紙に書いた願いを箱に投函するらしい。僕はこういう夢のある催しは嫌いじゃなかった。だから自分の密かな願いを紙切れに書いて、箱に入れた。なんとなく手を合わせて「お願いします」と言うと、その日は娘の知育玩具と、妻へのセーターを買って帰った。僕の趣味は好きじゃないと言われるが、僕はどうもプレゼントを選ぶのが得意じゃなくて、悩んだ末に買ったセーターだった。



「ただいま」

 帰宅すると、玄関に鈴を連れた妻がやってくる。その顔は何か良いことがあったのか、とても清々しい笑顔をしていた。

「裕子、今日は何か良いことでもあったのか?」

 訊ねると、妻は「とくに何も」と答えた。
 それから妻が夕食の支度をしている間、僕が鈴を見ていた。鈴もまた、とても機嫌が良かった。僕が鈴を抱き上げて飛行機の真似をしていると、妻がやってくる。
 アクロバティックな遊びが嫌いな妻に怒られるかと思ったが、そうじゃなかった。

「今日はあなたの好きなハンバーグを作ったわ」

「え? 珍しいね。健康管理に厳しい君が」

「たまにはいいじゃない。美味しいものが食べたい時だってあるわ」

 妙に機嫌の良い妻を不思議に思いながらも、その時の僕は言葉通りに受け取っていた。だが、妻の様子がおかしいのはその時だけではなかった。あれだけ鈴に英語をさせたがっていた妻が、延期にしようと言ったのである。それだけではない。たまには外に出たいと言って、ショッピングモールに行くことになった。その間、鈴も始終機嫌が良かった。単純に、母親が機嫌が良いから、娘も自然と明るくなったのだろう。

 それからは喧嘩をすることがほとんどなくなった。彼女は僕の言うこと全てを肯定して、寄り添うばかりだった。嬉しいことであるはずだが、むしろ恐ろしいと思った僕は、そこであることを思い出した。

 百貨店の小箱に入れた願い事だった。
 そこには〝嫁の機嫌がずっと良いものでありますように〟と書いたのだ。
 まさかあれのせいなのだろうか? などと思っても確証はない。しかもそんなファンタジーみたいなことが本当に起きるとも思わず。その後も様子を見ていたが、やはり妻は機嫌が良いままだった。

 とうとう怖くなった僕はついこの間訪れた百貨店に向かった。
 だが小箱は撤去されており、近くの店員に聞いたところ——なんと、そんなものは最初からなかったと言われたのだ。
 これは一大事だと思った僕は、家に帰って妻の顔を見るなり、土下座した。

「すまない! 裕子」

「いったい、どうしたの?」

「実は……」

 僕が事情を話すと、妻は笑った。しかも僕のポカンとした顔を見て、ますます大きな声で笑った。そして言った。

「馬鹿ねぇ、私が変わったのは、あなたの願い事のせいじゃないわよ」

「……そうなのか?」

「そうよ。あなたの会社の社内報を見たのよ。そしたら、あなたってば、私のことを『誰よりも素敵な奥さん』だなんて書いていたから、なんだか嬉しくなっちゃって。ちょっとだけあなたの機嫌をとっていただけよ」

「それにしたって、極端じゃないか? 鈴の英語も延期にするって言うし」

「それは、実家の母に言われたのよ。『あなたにも英語を習わせたけど、何も変わらなかった』ってね」

「そうだったのか……」

「そんなに私、あなたに対して厳しかったのかしら?」

「いや、厳しいというか……もういい。君はいつものままが一番だよ」

「まあ、あなたったら」

「意見の衝突があるのは、本音で話し合えている証拠なんだと思う」

「そうかもしれないわね」

 それから僕たちは、やはり衝突することが多かったけど、それでも以前よりも歩み寄ることも多くなったのだった。
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