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第一章
1.木を弄ぶ少女
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————六年後。
ノグレント王国の属国、ギルネシアは春を迎えていた。
穀物の栽培が盛んなギルネシアでは、春になると収穫が始まる。収穫後は豊穣の女神を祀って祝う——豊穣祭というものがある。
それはアサイ村も例外ではなく、今年も豊作の喜びを女神に届けるため、村人たちは祭の準備を行っていた。
祭では主に地元の酒や食べ物が振る舞われ、そして火を囲んで歌い踊るのだ。
伝統的な祭であり、村人にとっては一大イベントだった。
そんな大仕事を前に、女も男も子供でさえも目まぐるしく動いていた最中、彼女——キリア・ウィズラだけは、仕事も手伝わずに森の中を歩いていた。
忙しいからこそ、自分のことなど忘れられているだろう、そう思ってのことだった。
「よし、今日はあの木を相手にしよう」
エプロン付きの簡素なワンピースを着たキリアは、長い銀髪を一つに結ぶと、藍色の目を一本の大木に向ける。相手はなんの変哲もない、大木だった。
だがキリアがひとたび呪文を唱えれば、大木はまるで人のように動き始める。
土から引っこ抜いた根を、足のように動かす大木は、葉を茂らせた枝を手のように振った。
幹には大きな丸い二つの目があった。その目は動揺したように揺れている。今にも泣きそうな目をしていた。これから何が起きるのか、わかっているからだ。
「じゃあ、私の稽古につきあってちょうだいね」
美の女神と称されるキリアが笑みを向ければ、たいていの男はひとたまりもないのだが、相手は木ということで通じず。むしろ大木は恐怖の色さえ見せて、小刻みに震えた。
だがキリアは大木の恐怖など知らず、問答無用で斬りつけた。
その目は野生動物のように鈍い光を帯びていたが、本人は気づいておらず。大木だけがキリアの目に怯えながら、剣を枝で受け止めた。
剣を受け止めた瞬間、枝にヒビが入り、大木の目から涙がこぼれ落ちる。
喋ることができない大木は、恐ろしさのあまり逃げることもできず、ただ震えながらキリアの剣を受け止め続けた。
だがそのうち、徐々に枝を削がれていった大木には——もはや受け止められる枝は残っておらず。受け止められるのはその幹のみとなる。
追い詰められた大木は大粒の涙をこぼしながら森の片隅でただただ震えた。
キリアが不敵な笑みを浮かべながらにじり寄る中、大木は怯えた目をキリアに向けた。もう見逃してくれと懇願しているようなものだった。
それでも歩みをやめないキリアに、大木も自分の死を悟っていた。
————が、その時だった。
「キリア!」
大木を斬ろうとした剣を、別の剣が弾いた。
見れば、キリアよりも頭二つ背の高い黒髪の青年が、キリアの剣を剣で受け止めていた。
「弱いものいじめはやめろ、キリア」
「弱いものいじめ? なんのこと? 私はそこの大木で稽古していただけだけど?」
「よく見ろ、そいつの顔を。泣いてるだろ。あれほど森の木をいじめるなと言っただろうが」
「……だって、クロイが稽古つけてくれないし」
キリアが口を膨らませると、クロイは呆れた顔でため息を吐く。
勇者の娘であるキリアは、剣が好きでクロイに稽古をつけてもらうのが日課だった。
だが豊穣祭で忙しいこともあり、クロイに稽古を後回しにされたことで、キリアは憂さ晴らしのように木を痛めつけていたのだ。
魔法使いの母を持つキリアは、植物に意思を吹き込む魔法を得意としているので、稽古と称してよく木を標的にした。
キリアが木を無駄に伐採するので、勇者である父親も手を焼いているようだった。クロイがいなければ森はなくなっていただろう。
だがクロイの言うことだけは大抵聞くため、父のゾロフもクロイには頭が上がらなかった。
「豊穣祭の手伝いくらいしろよ」
「私の仕事はもう終わったもの」
「なら、俺の仕事を手伝え。早く終われば、稽古をつけてやるから」
「うん! わかった」
十六にもかかわらず、まるで子供のようなキリアに、クロイは顔を綻ばせる。
その横で、命拾いをした大木は、枝のない大木として元に戻っていたのだった。
「——ねぇ、クロイ。豊穣祭の最後は、私と踊ってくれる?」
「お前なら、誰でも喜んで相手をするだろう」
巨大な焚き火を作るため、薪を建物のように組んでいたキリアは、少しだけ怒った顔をする。
だが、そんなキリアの気持ちになど気づかないクロイは、淡々と告げた。
「女神の微笑みで、誰でも誘えばいい。俺を男避けに使うな」
「男避けじゃないわよ! 私は——」
途中まで言って、キリアは言葉をのみこんだ。
本当はクロイのことが大好きだった。
悪さをすれば構ってくれることも知っている。だから、わざと気の弱そうな木を選んで稽古相手にするのだ。
そうすればクロイが駆けつけることがわかっていたのだ。
だがそんなキリアの気持ちなど、クロイが知るはずもなく。
ただの子供だと思われていることを——キリアは知っている。
本当はクロイへの気持ちが、誰にも負けないくらい育っていることを告げたいもの、どうしても自分からは言い出せなかった。
言ったところで、子供だからと一笑されそうで怖かった。
だからキリアは気持ちを隠していた。いつかクロイが大人の女として認めてくれることを信じて、待つしかなかった。
ノグレント王国の属国、ギルネシアは春を迎えていた。
穀物の栽培が盛んなギルネシアでは、春になると収穫が始まる。収穫後は豊穣の女神を祀って祝う——豊穣祭というものがある。
それはアサイ村も例外ではなく、今年も豊作の喜びを女神に届けるため、村人たちは祭の準備を行っていた。
祭では主に地元の酒や食べ物が振る舞われ、そして火を囲んで歌い踊るのだ。
伝統的な祭であり、村人にとっては一大イベントだった。
そんな大仕事を前に、女も男も子供でさえも目まぐるしく動いていた最中、彼女——キリア・ウィズラだけは、仕事も手伝わずに森の中を歩いていた。
忙しいからこそ、自分のことなど忘れられているだろう、そう思ってのことだった。
「よし、今日はあの木を相手にしよう」
エプロン付きの簡素なワンピースを着たキリアは、長い銀髪を一つに結ぶと、藍色の目を一本の大木に向ける。相手はなんの変哲もない、大木だった。
だがキリアがひとたび呪文を唱えれば、大木はまるで人のように動き始める。
土から引っこ抜いた根を、足のように動かす大木は、葉を茂らせた枝を手のように振った。
幹には大きな丸い二つの目があった。その目は動揺したように揺れている。今にも泣きそうな目をしていた。これから何が起きるのか、わかっているからだ。
「じゃあ、私の稽古につきあってちょうだいね」
美の女神と称されるキリアが笑みを向ければ、たいていの男はひとたまりもないのだが、相手は木ということで通じず。むしろ大木は恐怖の色さえ見せて、小刻みに震えた。
だがキリアは大木の恐怖など知らず、問答無用で斬りつけた。
その目は野生動物のように鈍い光を帯びていたが、本人は気づいておらず。大木だけがキリアの目に怯えながら、剣を枝で受け止めた。
剣を受け止めた瞬間、枝にヒビが入り、大木の目から涙がこぼれ落ちる。
喋ることができない大木は、恐ろしさのあまり逃げることもできず、ただ震えながらキリアの剣を受け止め続けた。
だがそのうち、徐々に枝を削がれていった大木には——もはや受け止められる枝は残っておらず。受け止められるのはその幹のみとなる。
追い詰められた大木は大粒の涙をこぼしながら森の片隅でただただ震えた。
キリアが不敵な笑みを浮かべながらにじり寄る中、大木は怯えた目をキリアに向けた。もう見逃してくれと懇願しているようなものだった。
それでも歩みをやめないキリアに、大木も自分の死を悟っていた。
————が、その時だった。
「キリア!」
大木を斬ろうとした剣を、別の剣が弾いた。
見れば、キリアよりも頭二つ背の高い黒髪の青年が、キリアの剣を剣で受け止めていた。
「弱いものいじめはやめろ、キリア」
「弱いものいじめ? なんのこと? 私はそこの大木で稽古していただけだけど?」
「よく見ろ、そいつの顔を。泣いてるだろ。あれほど森の木をいじめるなと言っただろうが」
「……だって、クロイが稽古つけてくれないし」
キリアが口を膨らませると、クロイは呆れた顔でため息を吐く。
勇者の娘であるキリアは、剣が好きでクロイに稽古をつけてもらうのが日課だった。
だが豊穣祭で忙しいこともあり、クロイに稽古を後回しにされたことで、キリアは憂さ晴らしのように木を痛めつけていたのだ。
魔法使いの母を持つキリアは、植物に意思を吹き込む魔法を得意としているので、稽古と称してよく木を標的にした。
キリアが木を無駄に伐採するので、勇者である父親も手を焼いているようだった。クロイがいなければ森はなくなっていただろう。
だがクロイの言うことだけは大抵聞くため、父のゾロフもクロイには頭が上がらなかった。
「豊穣祭の手伝いくらいしろよ」
「私の仕事はもう終わったもの」
「なら、俺の仕事を手伝え。早く終われば、稽古をつけてやるから」
「うん! わかった」
十六にもかかわらず、まるで子供のようなキリアに、クロイは顔を綻ばせる。
その横で、命拾いをした大木は、枝のない大木として元に戻っていたのだった。
「——ねぇ、クロイ。豊穣祭の最後は、私と踊ってくれる?」
「お前なら、誰でも喜んで相手をするだろう」
巨大な焚き火を作るため、薪を建物のように組んでいたキリアは、少しだけ怒った顔をする。
だが、そんなキリアの気持ちになど気づかないクロイは、淡々と告げた。
「女神の微笑みで、誰でも誘えばいい。俺を男避けに使うな」
「男避けじゃないわよ! 私は——」
途中まで言って、キリアは言葉をのみこんだ。
本当はクロイのことが大好きだった。
悪さをすれば構ってくれることも知っている。だから、わざと気の弱そうな木を選んで稽古相手にするのだ。
そうすればクロイが駆けつけることがわかっていたのだ。
だがそんなキリアの気持ちなど、クロイが知るはずもなく。
ただの子供だと思われていることを——キリアは知っている。
本当はクロイへの気持ちが、誰にも負けないくらい育っていることを告げたいもの、どうしても自分からは言い出せなかった。
言ったところで、子供だからと一笑されそうで怖かった。
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