夏の秘密

yuuki

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イカサマ

1話

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8月16日。
湿気を帯びた暑さに立ちくらみでも起こしそうで、ぐい、とペットボトルを傾ける。最後の一口だった水が喉を通ったところで、ヘッドホンから流れる曲が丁度終わりをむかえた。
パッ、と隣を見ると、広井さんが僕に何か話しかけてきている様子だったから、片耳だけヘッドホンをずらした。

「遅いね、みんな」
「う、うん……そだね……」

時刻は午前11時を回っている。待ち合わせ時間から1時間が過ぎようとしているということだ。
真夏の田無駅前。大型スーパーやレストランが立ち並ぶ駅だけあり、人通りはそれなりにあるけれど、こんなにも長時間この場所に突っ立っているのは、すぐそこで街頭ティッシュ配りをしているおじさんと、この僕らだけだと思う。

「桐ちゃん、良かったら使って? ウエットティッシュ」

そう言いながら広井さんが手渡してきたウエットティッシュの包みには「運転免許取るなら!ひばり教習所」という派手な色合いの広告が載っていた。ああ、そこの街頭ティッシュ配りのおじさんから貰ったものか。おじさん、これと同じ教習所の名前がプリントされたTシャツを着ているし。僕らは17歳でまだ自動車免許は取れない身分なのに、こうして宣伝の品を渡して、ここの教習所はウエットティッシュ1つ分の経費を無駄にしたんだな。なんて思った。
ありがとう……と広井さんにお礼を言ってウエットティッシュを1枚取り出し、首に当てる。夏の外気で生ぬるくなったそれでは、蓄積された体の熱を冷ますのに役不足だけど、なにもしないよりはマシな気がした。

「普通のティッシュじゃなくて、ウエットティッシュを配ってるなんてさぁ、この教習所、気前良いよね! ね! 桐ちゃん」
「えっ……あ……あ、うん……そうだね……」

この状況に広井さんも大分くたびれているのだろう。それを払拭するかのように、無理に明るく話しかけくる姿が辛い。
僕は音楽プレーヤーから次のアルバムを選択し、音量を上げて、ヘッドホンを耳にかけ直す。くるくるくる。ひたすら、ヘッドホンのコードを指に巻いては離して、を繰り返すしかなかった。

……勘弁してよ。
この約1時間、そんなことを思っていた。

僕は人と話すのが苦手だ。
正確に言えば、自分の家族と、親友の「ハル」を除いた人物とコミュニケーションを取るのが苦手なのだ。それは物心ついたときから、高校2年生の現在に至るまで、ずっと。
隣にいる「広井ほのり(ひろい ほのり)」さんは、ただのクラスメートだ。それ以上でもそれ以下でもない。今年の春にクラス替えで同じクラスになってから今日まで、ろくな接点もなかった。
しかも、どんくさい上きてクラスの不良からイジメられている冴えない僕とは真逆で、見た目も可愛らしく、いつも周りに仲間がいてキラキラした、陽の当たる女子。
僕がもっとも苦手なジャンルの人だ。
そんな広井さんと長時間2人っきりでいることは、夏の暑さなんかよりも、酷く辛い時間に感じるのだ。

ハルのやつ、いったい何してるんだよ……。

広井さんとの気まづさは僕の中で苛立ちに変わり、その矛先は、親友のハルへと向う。

ハルの自宅での、14日間の夏合宿。

ハルの思いつきで実行されることになったそれは、メンバーの盛大な遅刻によって、まだ始まってもいないのにいきなりだらしない展開をむかえている。
夏合宿と言っても、夏休みの宿題を一緒にやったり、遊んだりするだけの、クラスメートの集まりだ。夏休みに暇を持て余したハルの暇つぶしの為に開催されたような会である。
……そんな良く分からない夏合宿。人付き合いな苦手な僕があらゆる気まづさを想定してまで、参加を決めた理由は1つだけ。

「っ、あ! ハル!」

視界の先には、駅の階段を降りてくる人の波。その中に、待ちわびていた男子の姿を発見し、僕は思わず今日1番の叫び声を上げてしまった。広井さんとの気まづさをなんとかしてくれる救世主の登場だ。
ヘッドホンを耳から外して首にかけるが、プレーヤーから音楽は流れ続けていたため、漏れだす音がまだ小さく聞こえている。そんな音をかき消すように横から広井さんが口にした名前に、どきりと心臓が跳ね上がった。

「蓮香!」

僕の親友、ハルこと「柚野春哉(ゆずの しゅんや)」と並んで階段を降りてきたのは、クラスメートの「前田蓮香(まえだ れんか)」さん。
肩までの明るい茶髪を1つに結わいた広井さんと違って、背中まである焦げ茶の猫っ毛をふわっと靡かせた前田さんが、颯爽とこちらへ近づいてくる。
その姿は僕にとって、夏の暑さなんて、広井さんとの気まづさなんて、いや、そんな低次元の話ではなく、あらゆる全ての不条理を一瞬にして浄化させてしまうような、素晴らしい光景に見えた。
前田さん。その名前を思うだけで、体中がむず痒くなってくるくらい、そわそわする。
学校では僕の隣の席の前田さん。そんなに話したことはないけれど、僕は彼女のことが、大好きだ。
もちろん、僕がこの合宿への参加を決めたのも、前田さんが来ると言うから。前田さんを自分のモノにしたいなんて滅相もないけれど、気弱な僕「桐岡 学(きりおか まなぶ)」は、ただひっそり、前田さんを見ていることができるのが幸せなのだ。

「悪いな! 学、ほのり! ちょっと遅くなって!」
「いいのよ、別に。ねっ、桐ちゃん」

前田さんに見とれている中、広井さんに突然名前を挙げられ、ハッとする。
この遅刻は、ちょっと遅くなった、どころではない。それはハルも分かっているはず。それなのに、平然と、いや平然とどころかヘラヘラ笑っているハルには心底呆れたけど、ハルの遅刻癖は今に始まったことではないから、別段今更、深く追求する気も起きなかった。

「今日から合宿だろ? 気合い入れて早起きしたのに、学校の机に宿題のプリント入れっぱなしだったの朝になって思い出してよ! 急いで取りに行ったら、やっぱり慣れない早起きしたせいで眠くなっちゃって。図書室で10分だけ仮眠しよーかなーって思ったら、本の安眠効果って凄いのな、仮眠どころか爆睡しちゃったわけよ! んで、コイツに本の背表紙で殴られて起こされたときには、もう待ち合わせの時間過ぎてたのな、ハッハッハ」

前田さんを親指で指しながらコイツ呼ばわりするハルに僕は内心カチンときつつ、「相変わらずハルくんって聞いてもいないのにマシンガントークだよね」とヒソヒソと話しかけてきた広井さんに、こくりと1度頷いた。

「でも蓮香も同罪だぜ? 俺と一緒に来たってことは、遅刻だもんな」
「あたしは敢えてだから。柚野くんと一緒にしないでくれる? あんたは学校でも毎日遅刻してるし、今日も数時間は遅刻してくるだろうと思ってわざと時間を潰してたの。暑い中、誰かさん達みたいにバカ正直に外で待ってたら熱中症になっちゃうじゃない。あたしがたまたま図書室に行ったらあんたがバカみたいに寝てたんでしょ。あたしが起こしてあげたからこそ1時間の遅刻で済んだんだから、感謝しなさいよ」

気だるげに前髪を掻き上げる前田さんに、相変わらず辛口だなお前、と苦笑いするハル。そんな2人を、まぁまぁ、なんて宥める広井さん。
僕は輪に入ることができず、ぼうっとその光景を眺めているだけだった。そんな風にぼうっとしていたせいで、歩いてくる通行人に気が付かず、すれ違い際に、バン、と鞄をぶつけられ、舌打ちをされた。そんな僕の姿は、3人には見えていないようだった。

学校で、ハルの隣の席である広井さん。
最初にハルから合宿の話をもちかけられたのは彼女だ。そして次にその誘いは、彼と仲の良かった僕に回ってきた。そんなワケの分からない合宿に参加なんかしたくなかったけど、ハルの勧誘が僕の隣の席の前田さんにまで伝染したとき、180度、僕の気は変わった。まさか、あの誰とも群れない孤高の前田さんが、首を縦に振るとは。イジメられてハル以外誰にも相手にしてもらえない僕とは違い、自分の意思で独りを選んでいる美しい前田さんが、ハルなんかの誘いに乗るなんて。
どんな形であれ、前田さんが来ることには変わらない。僕の心は天にのぼるほど舞い上がっていた。
そこまでは良かったけど、ハルは、最後にもう1人、余計な人を誘ってしまったんだ。

「で、斉藤くんはまだなの?」

前田さんが苛立った口調でその名前を口にしたとき、呼びました? なんて、声が背後から聞こえてきて、くるりと振り返る。

「待ち合わせ時刻から1時間。予想より早く集まれて良かったですよ」

身長が160センチしかない僕とは対照的に、180センチは超えているであろうその声の主は、汗ひとつかかずに爽やかな笑みを浮かべている。ここにいる誰もが持ち合わせていない、日本人離れした彼の赤い瞳が、夏の日差しを反射するよう輝いている。
学校の女子達がここにいたとしたら、真っ先に「斉藤くーん! キャー! 素敵!」と黄色い叫びを上げていたに違いない。
突如登場したこのイケメンは、すぐそこのコンビニで買ったのであろうトマトジュースを一口飲んだ後、「暑かったでしょう、差し入れです」なんて優しい台詞を吐きながら、レジ袋からアイスを2本取り出して、前田さんと広井さんにそれぞれ配っている。
ジロジロ見すぎたか、斉藤くんはそんな僕の視線に気づいたようで、こんな僕に向かっても、例外なく、ニコリと優しい笑顔を見せてきていた。

「んだよ、ほのりと蓮香の分しかないのかよ! アイス!」
「コンビニに腐るほど売っていましたが。買いに行ったらどうです?」

あくまでもその笑顔以外のサービスは女の子限定なようで、ぴしゃりと言ってのけた「斉藤純(さいとう じゅん)」くんに、ハルが大袈裟に項垂れる。
「まぁまぁ、私のアイスあげるから。元気だして?」そんな広井さんに、天使だ女神だ騒ぎながら、ハルはアイスから包みを乱暴に破り捨て、美味しそうにぱくりと咥えていた。
全く……ハルってやつは仕方ない人だ……。
僕は心の中でため息をついて、ハルによって捨てられたアイスの包みの残骸を道から拾い上げる。

「さぁーて、全員揃ったことだし! みんな、俺に着いてこい!」

王様にでもなったつもりなのか。声高らかに、今しがた咥えていたアイスを天高く掲げるハル。
通行人がジロジロこちらを見ているし、コンビニの前でたむろしている中学生も、僕たちの方を見ながら、くすくすと笑っている。
うるさいのよ、バカ! 怒りながら前田さんが自分の分のアイス(しかも包みから取り出していて剥き出しの状態のやつ)をハルの頭上に叩きつける。それは粉々になって辺り一帯に飛び散ったのだった。
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