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06-後悔
しおりを挟む家に帰る。スラムの中心からはだいぶ離れた、手つかずの空き地のような場所だ。おかげでめったに人が来ないので情報交換なんかはできないが、すぐ近くに香辛料がとれる場所があって重宝している。
まあ、家とは言っても、目の前にあるのは廃材と少しの金具を組み合わせ、つなぎ合わせただけのぼろ小屋だ。けれど、今はここが俺とメイアの大切な家だった。
「ただいま」
ぎごぃ、とひどい音を立てて開くドアに、負けないよう声を出す。すると、
「ふぁーあ……おかえり、お兄ちゃん」
疲れて寝ていたのか、寝ぼけ眼のメイアがこちらを見ながら言ってくれる。
「うん、ただいま」
なんとなく、もう一度だけそう言い、俺は今までメイアが突っ伏していたであろうテーブルを見た。そこには先の丸まった裁縫針と、くすんだ白色の糸がある。刺繍の内職だ。
メイアに肉体労働はできないし、というかさせたくもないし、危険な目にも合わせたくない。こんな生活を送らせておいて、それはわがままに映るかもしれない。だが、これは兄としての矜持だった。
「メイア、疲れただろう。さっき、流れの商人からパンを買ってきたんだ。質は悪いけど、いつも食べてるものに比べれば幾分か腹にたまる。いま、スープを作るから待っててくれ」
「うん、……ありがとう」
目元をこすりながら言うメイアに、自然と微笑みが浮かぶ。俺がここで生きていけるのはメイアがいるからだなぁ、と。再確認して、俺は火をおこし始めた。
「できたよ」
テーブルに皿を二つ置く。ひび割れて捨てられたものを何とかつなぎ合わせたものだ。
「冷めないうちに食べよう」
メイアの向かいに座り、買ってきたパンをスープに浸す。
「……」
味はほとんどない。塩は貴重だし、採取できる香辛料の種類も少ない。スラムのはずれで採れるわずかばかりの香草と、木の根から取ったフォンで、かろうじて食べられる味のものを作っていた。
「ん、どうしたんだ、メイア?」
メイアの手が全く進んでないことに気付き、声をかける。内職で疲れているのだろうか。それとも、もしかして何か病気とか……。
「大丈夫か? どこか体調が悪いならすぐにでも薬草を――」
「ねえお兄ちゃん」
唐突に、口を開いたメイアに少しばかり驚く。その声音が思ったよりもしっかりしていたことと、その声に……ほんの少しだけ棘を感じたから。
「私たち、いつまでこんな生活していくのかな」
「いつまで……って」
メイアの口から出たその疑問は、今まで考えないようにしてきたことだった。でもそれ以上に、今、生きていくことに必死過ぎて考える暇がなかった。
毎日が重労働だ。そんなことを考える余裕はなかった。だがメイアはどうだろう? 内職の刺繍をしているときも、頭は空っぽにはならない。むしろ行き場のない問いは頭の中をぐるぐると回っていただろう。希望の見えない未来のことを、メイアはこの一か月間、ずっと考えてきたんだ。
思考がうつむきもするだろう、生きる希望が見えなくもなるだろう、そんな単純なことにも俺は、気づいていなかった。
「メイア、いまは生きることで精いっぱいだ。毎日の生活だっていつ破綻するかわからない。それに、……貴族の目もある」
そう。貴族の目があるからこそ、俺たちは普通の場所では働けない。メイアはともかく俺は……悪い意味で有名になってしまった。魔法は貴族にしか使えないが、魔法という技術によって今の生活ができていることはだれもが知っている。
つまり、貴族に魔法が使えないものがいる、という話はスキャンダルとして民衆にも広がっているのだ。俺の名前まで知っているものは少ないだろうが、学園で主席だった優等生が魔法を使えない、というのは今の治世に反発する者、疑問を抱く者にとって格好の的になる。
そんな不穏分子を焚きつける要因である俺を、魔法至上主義の王族、貴族が放っておくはずがない。父であるジョエル・マクレインの行いは親として見れば狂気的だが、この国のことを考えれば、方法が過激なことを置いておけば正常な判断の一つではあったのだ。
もっとも、それは俺を殺す理由にはなっても母を殺し、メイアを巻き込む理由にはならない。父は、あの男は、家族よりも己の地位を、ちっぽけなプライドを優先した。
俺はどれだけの時間がかかっても奴を殺す。その結果自分自身が死ぬことになっても。今はまだ計画を練られる段階ですらないが、絶対に殺す。今、俺が生きている理由はメイアを守ることと、父を殺すこと、それだけだ。
とても前向きとは言えない理由。だがそれでも、俺にとっては十分すぎる理由だ。盲目的だと言われようと、……母は復讐など望んでいないと、俺たちが生きてさえいればそれでいいのだと、そう思って逃がしてくれたのだとわかっていても。
俺は生きている限り奴への憎しみを、怒りを忘れない。忘れないからこそ、復讐をせずに俺は生きられない。
「いつまでこんな生活を続けないといけないの?」
「メイア……。だから、いまはこの生活を続けるのが精いっぱいで――」
「だからっ!」
ばんっ――、と。
テーブルを叩きながら立ち上がるメイア。遅れて椅子が倒れ、静かな部屋の中で床に響く振動が際立った。
「どうして、どうしてわたしがこんな目に合わなきゃいけないの? わたし何も悪いことしてない。お父様とお母様の言うこともちゃんと聞いてた! 学園でだっていい子にしてた! なのにどうしてこんなことになってるの!? ねぇ、お兄ちゃんッ!」
メイアが吐き散らした言葉に、感情に、
俺は何も答えられなかった。
「お兄ちゃんも、アイーダさんも昔から言ってた。報われない努力はない、返らない優しさはないって。……嘘じゃない! わたしの、今まで生きてきたことの、その結果が今なの!? それなら……もう、わたしは……、努力も優しさもいらない!」
少し想像すればわかることだった。メイアが何を思って今の生活を送っているのか。俺は父を、ジョエル・マクレインを憎めばよかった。実際、俺を殺そうとしたのは父だ。だがメイアは? 誰のせいでこうなった?
俺だ。
息を荒立てるメイアを見る。
視線が重なる。その眼は、多分だけど、俺が父に向ける目とは違ったと思う。そのことに少しだけ安心した。でも、メイアが俺を睨んでいることには変わりなかった。
メイアに、どんな表情を返しただろう。自分でもよくわからない顔をしていたと思う。
「ごめんな」
そう言うしかなかった。
「お前のことを、何も考えていなかった。少し、……頭を冷やしてくるよ」
そう言って俺は席を立った。この状況の中、二人でいても何もいいことはないだろう。メイアにも、俺にも、一人で考える時間は必要だ。
ドアのきしむ音はどこか、声にならない悲鳴に似ていた。
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