8 / 46
06-後悔
しおりを挟む家に帰る。スラムの中心からはだいぶ離れた、手つかずの空き地のような場所だ。おかげでめったに人が来ないので情報交換なんかはできないが、すぐ近くに香辛料がとれる場所があって重宝している。
まあ、家とは言っても、目の前にあるのは廃材と少しの金具を組み合わせ、つなぎ合わせただけのぼろ小屋だ。けれど、今はここが俺とメイアの大切な家だった。
「ただいま」
ぎごぃ、とひどい音を立てて開くドアに、負けないよう声を出す。すると、
「ふぁーあ……おかえり、お兄ちゃん」
疲れて寝ていたのか、寝ぼけ眼のメイアがこちらを見ながら言ってくれる。
「うん、ただいま」
なんとなく、もう一度だけそう言い、俺は今までメイアが突っ伏していたであろうテーブルを見た。そこには先の丸まった裁縫針と、くすんだ白色の糸がある。刺繍の内職だ。
メイアに肉体労働はできないし、というかさせたくもないし、危険な目にも合わせたくない。こんな生活を送らせておいて、それはわがままに映るかもしれない。だが、これは兄としての矜持だった。
「メイア、疲れただろう。さっき、流れの商人からパンを買ってきたんだ。質は悪いけど、いつも食べてるものに比べれば幾分か腹にたまる。いま、スープを作るから待っててくれ」
「うん、……ありがとう」
目元をこすりながら言うメイアに、自然と微笑みが浮かぶ。俺がここで生きていけるのはメイアがいるからだなぁ、と。再確認して、俺は火をおこし始めた。
「できたよ」
テーブルに皿を二つ置く。ひび割れて捨てられたものを何とかつなぎ合わせたものだ。
「冷めないうちに食べよう」
メイアの向かいに座り、買ってきたパンをスープに浸す。
「……」
味はほとんどない。塩は貴重だし、採取できる香辛料の種類も少ない。スラムのはずれで採れるわずかばかりの香草と、木の根から取ったフォンで、かろうじて食べられる味のものを作っていた。
「ん、どうしたんだ、メイア?」
メイアの手が全く進んでないことに気付き、声をかける。内職で疲れているのだろうか。それとも、もしかして何か病気とか……。
「大丈夫か? どこか体調が悪いならすぐにでも薬草を――」
「ねえお兄ちゃん」
唐突に、口を開いたメイアに少しばかり驚く。その声音が思ったよりもしっかりしていたことと、その声に……ほんの少しだけ棘を感じたから。
「私たち、いつまでこんな生活していくのかな」
「いつまで……って」
メイアの口から出たその疑問は、今まで考えないようにしてきたことだった。でもそれ以上に、今、生きていくことに必死過ぎて考える暇がなかった。
毎日が重労働だ。そんなことを考える余裕はなかった。だがメイアはどうだろう? 内職の刺繍をしているときも、頭は空っぽにはならない。むしろ行き場のない問いは頭の中をぐるぐると回っていただろう。希望の見えない未来のことを、メイアはこの一か月間、ずっと考えてきたんだ。
思考がうつむきもするだろう、生きる希望が見えなくもなるだろう、そんな単純なことにも俺は、気づいていなかった。
「メイア、いまは生きることで精いっぱいだ。毎日の生活だっていつ破綻するかわからない。それに、……貴族の目もある」
そう。貴族の目があるからこそ、俺たちは普通の場所では働けない。メイアはともかく俺は……悪い意味で有名になってしまった。魔法は貴族にしか使えないが、魔法という技術によって今の生活ができていることはだれもが知っている。
つまり、貴族に魔法が使えないものがいる、という話はスキャンダルとして民衆にも広がっているのだ。俺の名前まで知っているものは少ないだろうが、学園で主席だった優等生が魔法を使えない、というのは今の治世に反発する者、疑問を抱く者にとって格好の的になる。
そんな不穏分子を焚きつける要因である俺を、魔法至上主義の王族、貴族が放っておくはずがない。父であるジョエル・マクレインの行いは親として見れば狂気的だが、この国のことを考えれば、方法が過激なことを置いておけば正常な判断の一つではあったのだ。
もっとも、それは俺を殺す理由にはなっても母を殺し、メイアを巻き込む理由にはならない。父は、あの男は、家族よりも己の地位を、ちっぽけなプライドを優先した。
俺はどれだけの時間がかかっても奴を殺す。その結果自分自身が死ぬことになっても。今はまだ計画を練られる段階ですらないが、絶対に殺す。今、俺が生きている理由はメイアを守ることと、父を殺すこと、それだけだ。
とても前向きとは言えない理由。だがそれでも、俺にとっては十分すぎる理由だ。盲目的だと言われようと、……母は復讐など望んでいないと、俺たちが生きてさえいればそれでいいのだと、そう思って逃がしてくれたのだとわかっていても。
俺は生きている限り奴への憎しみを、怒りを忘れない。忘れないからこそ、復讐をせずに俺は生きられない。
「いつまでこんな生活を続けないといけないの?」
「メイア……。だから、いまはこの生活を続けるのが精いっぱいで――」
「だからっ!」
ばんっ――、と。
テーブルを叩きながら立ち上がるメイア。遅れて椅子が倒れ、静かな部屋の中で床に響く振動が際立った。
「どうして、どうしてわたしがこんな目に合わなきゃいけないの? わたし何も悪いことしてない。お父様とお母様の言うこともちゃんと聞いてた! 学園でだっていい子にしてた! なのにどうしてこんなことになってるの!? ねぇ、お兄ちゃんッ!」
メイアが吐き散らした言葉に、感情に、
俺は何も答えられなかった。
「お兄ちゃんも、アイーダさんも昔から言ってた。報われない努力はない、返らない優しさはないって。……嘘じゃない! わたしの、今まで生きてきたことの、その結果が今なの!? それなら……もう、わたしは……、努力も優しさもいらない!」
少し想像すればわかることだった。メイアが何を思って今の生活を送っているのか。俺は父を、ジョエル・マクレインを憎めばよかった。実際、俺を殺そうとしたのは父だ。だがメイアは? 誰のせいでこうなった?
俺だ。
息を荒立てるメイアを見る。
視線が重なる。その眼は、多分だけど、俺が父に向ける目とは違ったと思う。そのことに少しだけ安心した。でも、メイアが俺を睨んでいることには変わりなかった。
メイアに、どんな表情を返しただろう。自分でもよくわからない顔をしていたと思う。
「ごめんな」
そう言うしかなかった。
「お前のことを、何も考えていなかった。少し、……頭を冷やしてくるよ」
そう言って俺は席を立った。この状況の中、二人でいても何もいいことはないだろう。メイアにも、俺にも、一人で考える時間は必要だ。
ドアのきしむ音はどこか、声にならない悲鳴に似ていた。
0
あなたにおすすめの小説
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち
半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。
最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。
本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。
第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。
どうぞ、お楽しみください。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる