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「今日も疲れたなぁ」
仕事を終えた日立星南は、重い足取りで街中を歩いていた。オフィスビルが続く道を抜けると、すぐに都会の華やかな雰囲気が広がる。
勤め始めた頃は、会社帰りにショッピングができるし、欲しいものもすぐに手に入って便利だと思っていた。しかし今では、疲れた身体を余計に疲れさせる人混みにげんなりしてしまう。
そんな星南の疲れた気持ちを癒してくれるのは、たった一人の素敵な人だ。
毎日、会社の行き帰りに見る、お洒落な男の人の看板。
海外ブランドながら値段が手頃で、若者に人気のファッションブランドだ。とは言え、やはりそれなりのお値段はする。なので、星南は小物くらいしか購入したことがなかった。
看板に写る男性モデルは、ブルーのスーツにグレーのベストを合わせ、自然なポーズをとっている。
彼は知らない人がいないほどの有名人――音成怜思だ。
「今日もカッコイイ、怜思!」
星南は看板の前で足を止め、そこに写る彼の顔をじっと見つめる。
すると、彼女の耳に軽快な音楽が聞こえてきた。
ハッとして振り向くと、背後に建つ大きなビルのスクリーンいっぱいに看板と同じ彼の姿が映し出される。
ファンの間でもかなり評判がいい音楽メディアのCMだ。ドクンという大きな鼓動と共に目覚めた彼が、溢れる音楽の中で踊っている。彼の日本人離れした外見と印象的な映像がマッチした非常に目を引くCMだった。
そのCMが画面に映し出された途端、道行く人たちが足を止めてスクリーンを見上げる。中には、口元に手を当て顔を赤くしている女性もいた。スタイリッシュでカッコイイそのCMに、星南も見入ってしまう。
三十秒の至福の時間が終わると、ほうっとため息をついた。
どこに行っても見ない日はない彼を、気付けばいつも目で追いかけている。
星南は再び、看板に視線を向けて微笑んだ。
「毎日カッコイイですね。仕事帰りの癒しです。あなたみたいな人が彼氏だったら素敵だろうな」
どんなに笑みを向けようと、看板の中の彼は微笑み返してくれないし、話しかけてもくれない。
でも、思うのは自由だ。星南は愛しい思いを込めて、看板にそっとキスをした。
こんなところを誰かに見られたらかなり恥ずかしい。だけど、街行く人たちは手元のスマホに夢中で、星南を気にする人なんてまったくいなかった。
もし見られていたとしても、きっと何やってるんだ、くらいのことだろう。
星南は手を伸ばして、彼の写真の頬に触れる。
「音成怜思さん。いつも、見てます。今度の映画は、切なそうな恋愛映画ですね。音成さんの映画を観る時は、いつもヒロインと一緒に、あなたに恋してしまうんですよ?」
二十五歳で看板の写真に話しかけるなんて、我ながらヤバい女だと思う。そろそろこういうことは卒業した方がいいかもしれないなと思いながら、彼に向かって微笑んだ。
「本当に? ありがとう」
その時、すぐ後ろから男の人の声が聞こえた。
星南の心臓がトクンと音を立てる。
これまで何度も繰り返し聞いてきた、よく知った声――
振り向くと、そこには男の人が立っていた。目深に帽子を被り、黒縁眼鏡をかけた背の高い人。ゆっくりと眼鏡を取ってにこりと笑いかけてきた顔は、先ほどキスをした看板と同じだった。
「近くで見ると結構大きい看板だね、目立つなぁ……」
そう言って歩み寄ってきた彼は、紛れもなく音成怜思、その人だった。
「お、音成、怜思さん?」
「君は誰? 俺のファン?」
呆然としたまま頷くと、再び眼鏡をかける彼。その仕草がすごくかっこよかった。
目の前の彼は控えめながらも、お洒落な服を着ている。アンクルカットパンツに黒のスニーカー、白いTシャツに黒のジャケット。それだけ見ると街を歩く人とさほど変わらない服装だ。でも、音成怜思が着ているだけで、特別な服に見える。
その時、背後のビルのスクリーンで、再びさっきと同じ音楽メディアのCMが流れ始めた。それに気付いた彼の視線が、背後のスクリーンを見上げる。
「ああ、あれも目立つな……。あのCMの俺、やたらカッコつけてるよね」
スクリーンから視線を戻した彼が、笑いながら星南に尋ねてくる。
「君は、仕事帰り?」
言葉を出せずに、星南はただ頷く。
「そう、俺も。お疲れさまだね、お互い」
――超有名人な彼が、なんでこんなところに?
頭の中で何度も問いかけるけれど、目の前の現実が上手く受け入れられない。
もし音成怜思と話すことができたら、こんなことを話して、あんな質問をして、といろいろ考えていた。それなのに、いざ目の前にしたら、あまりにもびっくりして声が出てこない。
「驚かせてごめんね。声をかけずにはいられなくて……。迷惑だった?」
何も言わずに首を横に振ると、彼は笑みを深める。
まっすぐに自分を見つめる彼の視線に、顔が熱くなってきた。
彼は、ずっとずっと好きだった雲の上の人。そんな夢にまで見た憧れの人が、目の前で自分を見つめているのだ。この状況に星南はどうしていいかわからなくなってくる。
なんだか、今すぐここから逃げ出したくなった。
「よかった。今、とてもいい気分なんだ……それに……」
彼が何か言っているけれど、テンパった耳ではよく聞き取れない。だから星南は、じりじりと後ずさった。
その行動に対して、彼は少し怪訝な顔をする。
音成怜思にこんな顔はさせたくないのに……そんなことをぼんやり考えながら、現実逃避した。
星南はぱっと踵を返し、全力疾走でその場から逃げ出す。
「あっ! 君、ちょっと、待って!」
背後から自分を呼び止める彼の声が聞こえる。思わず止まりそうになる足を必死に動かして、星南は駅を目指した。
だって、憧れの人が目の前にいたのだ。
なのに自分ときたら……
「絶対、化粧、剥げてるよ! 仕事帰りで疲れた顔してるし、今日の服めっちゃダサいのに!」
星南の服装は、きちんとしたオフィスカジュアルだ。でも、お洒落とは言い難い。
もし事前に、今日は彼と出会う運命だとわかっていたなら、もっと可愛い服を着てきたのに!
せっかく本物の彼に会えたのに、後悔することばっかりだ。
耳に残る音成怜思の声を反芻しながら、星南は泣きたい気持ちで走り続けるのだった。
* * *
音成怜思、三十三歳。
オックスフォード大学を二年で卒業し、イギリスでの法学学位を取得した。イギリスから帰国した二十歳の時に、羽田空港でスカウトされたというのはファンの間では有名な話。
そのままモデルとしてデビューした彼だったが、ある監督に気に入られて出演した映画が大ヒット。
素晴らしい演技力と、日本人離れした美しい外見が各分野で高い評価を得て、一躍時の人となった。
モデル兼俳優として活躍の場を広げていった彼は、やがて卓越した語学力を生かして海外の映画にも出演するようになる。その整った容姿もさることながら、持ち前の演技力で世界の人々も魅了し、いつしか世界的人気俳優と言われるようになった。
また、日本の人気俳優男性部門で三年連続一位を獲得。さらには、抱かれたい男ランキングでも三年連続一位を獲得し、殿堂入りをしている。
――――こんな雲の上の有名人が、まさか会社の帰り道にいて、普通に声をかけてくるなんて夢にも思わない。
「どうしたの? 今日は元気ないのね、星南ちゃん」
隣のデスクから、先輩の矢加部エリコがそっと声をかけてきた。
「あ……いえ、何でもないです」
彼と偶然に出会った翌日。
星南は勤務する会社のデスクで、朝からひたすらデータの打ち込みをしていた。
それがいつの間にか、音成怜思のプロフィールを頭に浮かべてボーッとしていたらしい。
そろそろお昼に差しかかる時間。早めにランチを取りに行く社員がいるので、オフィスは少しずつ人気がなくなっていく。
「何か悩み事? 今日は旦那の帰りが遅いから、一緒にご飯でも食べに行く? 私でよかったら話聞くわよ?」
星南はエリコに笑みを向け、小さく首を振る。
エリコはこの会社に入社したばかりの星南にいろいろと仕事を教えてくれた人だ。気さくで面倒見がよく、すぐに仲良くなった。デスクも隣で、何かと世話になっている。年上の同僚であるエリコを、星南は尊敬していた。
「大丈夫です。実は昨日、ちょっとびっくりすることがあって……それを思い出してたんです」
「そうなの?」
「はい。いつも気にかけてくれて、ありがとうございます」
星南が笑ってみせると、エリコもまた笑みを浮かべた。
「じゃあ、ただの女子会やりましょう。星南ちゃんと美味しいものが食べたいわ」
「わー、行きたいです」
「たまにはスペイン料理とかどう?」
「賛成です!」
互いにこっそり笑い合っていると、こちらを睨んでいる課長の視線に気が付いた。ヤバい、と思って首をすくめつつ、二人とも何事もなかったように仕事を再開する。
星南は、一般事務の仕事に就いている。データの打ち込みや資料作成など業務量はその日によって変わるが、急な残業もありそれなりに忙しい。
今日は終業後にエリコとご飯へ行くため、絶対に定時で仕事を終わらせる。そう心に決めて、星南はキーボードを打つ手を速めた。
でも、ふとしたことで昨日のことを思い出してしまう。
だってあれは、本当にびっくりしたのだ。今でも信じられなくて、何度も頭の中で反芻してしまう。
音成怜思は、眼鏡をかけていてもカッコよかった。プライベートらしい普段着が素敵だったし、腰の位置が半端なく高かった。
というか、目の前で看板にキスとかしちゃって、気持ち悪く思われなかっただろうか。
確かに誰に見られてもおかしくない場所だったけど、まさか本人に見られるなんて思わない。
自分の行動を後悔しつつパソコンにデータを入力していたら、目の前にバサッと書類の束が置かれた。驚いて顔を上げると、ゴトリと分厚いファイルが追加される。
「日立さん、これ、プレゼン用の説明資料ね」
総合職に就いている目の前の男性は、ある意味星南の上司と言ってもいいポジションにいる。
「適当に書類入ってるけど、きちんと分類しておいてくれると助かる。これ明日の朝一の会議で使うから、今日中にまとめておいてくれるかな?」
書類の数、分厚いファイルからして、確実に残業コースだ。
これを今日中って……と思いながら、積み上がった資料を見つめる。でも、上司から言われた仕事はやらなければならない。
「わかりました。今日中にやっておきます」
星南は、笑みを浮かべて彼を見上げた。
「ありがとう。いつも助かるよ」
そう言われると残業もしょうがないと思えてしまうから、我ながら単純なものだ。でも、エリコとの食事会は難しいかもしれない。
上司の後ろ姿を見送り、目の前に積み上がった資料の山にため息をついた。
すると横から、声をひそめたエリコが声をかけてくる。
「もう! 絶対あの人、星南ちゃんなら残業になっても断らないって思ってるわよね……私も手伝うわ。ちょっと遅くなっても、一緒にご飯行きましょう!」
エリコの提案は嬉しい。けれど、星南は彼女のデスクに積まれた書類を見ながら言った。
「ありがとうございます。でも、エリコさんも、仕事詰まってますよね。この量だから、さすがに定時はムリですけど、今から頑張ればなんとか七時には終えられると思うんです。……それからご飯でも大丈夫ですか?」
エリコも、自分のデスクの仕事を見つめて苦笑した。
「そうね……じゃあ、こっちが早く終わったら手伝うわ。今のうちに、お店、予約しておきましょうね。平日だけど、その方が確実だから」
「はい。お願いします」
星南は、頭を下げて笑みを浮かべる。
エリコは軽く星南の肩を叩いて自分の仕事へ戻っていった。
「よし!」
ぼんやり音成怜思のことを考えている暇はない。星南は気持ちを引き締めて目の前の仕事に集中した。今日の業務が終わったら、美味しいごはんを食べる。そしてまた明日からも仕事を頑張るんだ、と思いながら。
* * *
「はぁー、今日は大変だったわねぇ」
「まぁ、いつものことですけどね」
結局仕事が終わらず、お店に入ったのは夜の七時半。エリコがお店に予約を入れておいてくれたおかげで、到着が遅れても席はちゃんと確保できていた。
ビールとカクテルで乾杯したあと、星南は仕事が終わるのを待っていてくれたエリコに頭を下げる。
「遅くなってすみませんでした」
「いいのよ。まったく、明日の朝必要な書類を前日急に頼むなんてねぇ。しかもあの量! ほんと人がいいんだから、星南ちゃんは」
ぷりぷり怒っているエリコに、星南は苦笑する。それでも、誰かがやらなければならない仕事なら、仕方がないことだとも思う。
「でも、そういうところ、偉いよね。いつもごめんね、ありがとう」
「そう言っていただけるだけで嬉しいです。でも、明日は定時に帰りますよ」
「そうね。私も定時に上がれるように頑張るわ!」
エリコは力強く宣言して、お代わりのビールを頼んだ。お酒があまり強くない星南は、最初に頼んだカクテルをちびちび飲んでいる。
「そういえば、昨日あったびっくりしたことって何? 午前中、珍しく星南ちゃん上の空だったし、気になっちゃって……」
エリコが、心配そうに顔を覗き込んできた。
「すみません……ええと、嫌なことじゃなくて、むしろ嬉しかったことというか。こう、舞い上がっちゃう、みたいな」
昨日あったことを思い出すと、気分が高揚する。びっくりしすぎて思わず逃げ出してしまったけれど、デビュー当時からカッコイイ、素敵だと思い続けてきた音成怜思があんなに近くにいたのだ。
しかも、お疲れ様、と声をかけてくれた。会話らしい会話はできなかったけれど、直接聞いた彼の声はまだ耳に残っている。
「えー? なになに? 教えてよ!」
「これはちょっと、ダメです」
思わず顔がニヤけて、満面の笑みを浮かべてしまう。きっとお酒の効果もあるんだろうけど、舞い上がってしまうくらい嬉しかったことだ。どうせなら握手をしてもらえばよかったと、今は思う。
「すごく、良いことだったのね?」
「はい、それはもう! だから今日の残業もいろいろと頑張れました」
そっか、と微笑みながら言われて頷く。
もうあんな機会は二度とないだろう。東京には、ものすごくたくさんの人がいる。そんな中で出会えたのは本当に奇跡だと思った。
実際に聞いた彼の声は、テレビ画面から流れてくる声よりずっと素敵だった。モデルや俳優としての活動がメインの彼だが、実は声にも定評がある。その実力は、海外映画の吹き替えや有名アニメの声優をするくらい。もちろん星南は、彼が吹き替えをした作品のブルーレイディスクはすべて持っている。というより、彼の出演した作品はすべて持っていた。
それくらい大好きな音成怜思。いつでもどこでも、彼の声を聞きたいし姿を見たい。
家に帰ったら、お気に入りのブルーレイディスクを再生しようと心に決める。
画面の中の彼は、一途に一人の女性を愛する青年だったり、冷酷な殺し屋だったり、音楽家の役で心を揺さぶる音楽を演奏したりした。
そうして様々な顔を見せてくれる彼が、ものすごく好きだ。
もう一度会いたいと思う気持ちはもちろんあるけれど――
彼は自分とは住む世界の違う人なのだ、と星南は自分に言い聞かせるのだった。
* * *
明日も仕事だというのに、店を出たのはすでに午後十時を過ぎた頃だった。遅い時間ながら、街中なのでまだたくさんの人がいる。
バス通勤のエリコと別れ、いい気分で歩く星南は自然といつもの道に向かった。エリコと行ったスペイン料理の店からも、音成怜思の看板の前を通って帰ることができる。だから、今日も動かない彼に会うつもりで、看板の前へと足を進めた。
まるでプチストーカーのような行為をしている自分に、思わず苦笑する。でも、ファンなんてみんなこんなものじゃないだろうか。
以前エリコから、音成怜思は夢の人物なんだから、ちゃんと現実の男に目を向けた方がいいと言われたことがあった。
だから、星南なりに頑張ってみようと思ったのだけれど、結局彼以外には興味を持つことができなかったから本当にダメだ。夢の中の人に本気で恋をしても、どうしようもないのに……
ため息をついた星南は、看板に写る彼を見上げる。
「……昨日、握手くらいしてもらえばよかったな」
思わずそう漏らすと、誰かに手を握られた。側に人がいるなんてまったく気付いてなかった星南は、驚いて隣を見る。
「握手を通り越して、手を繋ぐっていうのは、どう?」
そこには、昨日と同じく帽子と眼鏡を付けた彼がいた。
直後、ドゥン! と音がして、彼のCMがビルの大画面で流れ出す。
「お、音成、怜思、さん?」
彼は笑って帽子を少し目深に被り直す。
「しー……名前はNG」
唇に人差し指を当ててそう言った彼は、星南の手を引いて歩き出した。自分の手を包む彼の手は、大きくて温かかった。
しばらく歩いて、目立たない路地に入る。彼は大通りに背を向けて帽子と眼鏡を取った。軽く整えるように手櫛で髪を掻き上げると、彼の魅力的な黒い目が正面からジッと星南を見つめる。
「さて、君は誰? いつも、あそこで俺を見てるよね」
「え?」
一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。
「君は、見かけるたびにあの看板の前にいて、俺に話しかけてるでしょ?」
今、星南の目の前で、腕を組み壁に寄りかかっている彼は、確かに俳優の音成怜思、本人だった。ものすごく高い位置にあるウエストや、日本人離れした綺麗な顔は見間違えるはずがない。
「……最初は、偶然あの看板の近くを通ったんだ。その時、君を見かけた。それから何度か近くを通ったけど、そのたびに君は、写真の俺に話しかけてる。いつしか、そんな君のことが気になるようになってね」
そう言って、壁から身を離した彼は星南に一歩近づいた。
「あの看板のブランドとの契約……本当は三ヶ月だったんだけど、君を見かけてもう三ヶ月延ばしたんだ。でも君、本物が見てるのにちっとも気が付かないから、さらに三ヶ月延ばした」
まるで自分のために契約を延ばしたと言われているように感じて、顔が赤くなる。
「昨日も、看板にキスしてたね」
さらに顔が熱くなった。
やっぱり、あれを見られていたんだ……!
しかも、「昨日も」ということは、前にもキスしていたのを見られたということだ。
星南は、あまりの恥ずかしさにうつむく。きっと顔は真っ赤になっているだろう。すると、彼の指が顎にかかり顔を上げさせられた。
「あ……あの……」
「別に怒ってないよ。こんな純粋なファンもいるんだ、って思って嬉しかった」
「そう、ですか?」
「うん。いい気分だった。それに、こうしてきちんと君の顔を見られて、もっと嬉しい。きっと可愛い子だと思っていたんだ」
「えっ?」
星南に向けられる優雅な笑みは、テレビでよく見る彼の笑顔とは少し違っていた。けれど、ものすごく魅力的でドキドキが止まらない。
「片思いってさ、ある意味ストーキングと一緒だと思わない?」
ついさきほど、似たようなことを考えていた星南はドキリとする。
「いつもの時間にいない時は、大抵、午後九時半から十時くらいにあの看板の前を通るよね。今日は誰かと飲んでた? もしかして、彼氏?」
そんな人いないから首を振ると、彼はフッと笑った。
「だよね……彼氏がいたら、一人で帰らないはずだ」
星南は、彼の言葉を信じられない思いで聞いている。まさか、彼は本当にずっと、星南を見ていたというのだろうか。
「君は、俺が好きなの?」
「え? あの……ものすごく、ファンです」
「そう、〝音成怜思〟が好きなんだね」
にこりと笑って首を傾げる姿は、テレビで観る彼と同じようで少し違って見えた。
プライベートの彼は、割とはっきりものを言う人なんだ。
初めて知った彼の素顔を、とても新鮮に感じた。
「現実の俺は、君の理想とはちょっと違った?」
星南の表情から考えていることがわかったのだろう。うつむき加減でそう言われて、慌てて首を振った。
「……でも、今の音な……あなたも、素敵だと思います」
「そう、よかった」
目の前で柔らかく微笑んだ彼に目を奪われる。いつもは、誰か違う人に向けられているそれが、今は星奈だけに向けられているのだ。
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