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第百六話(慈愛の夏休み)

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夏休みと言えば、子供にとっては最高のイベント事だろう。蝉の鳴く声は否応なしに夏の訪れを感じさせる。一流企業にでも就職していたのなら大人にだって長期休暇はあるもんだ。別に羨ましくなんかないさ。底辺中の底辺であるニート同然のフリーターにとっちゃ、毎日が夏休みみたいなもんだからな。
起きて食って寝ての単調で面白みのないルーティーン。
あぁあ。こんな退屈な生活、そろそろどうにかならないもんかね……。
 
ため息をこぼしなからごろごろしていると、突然ばたばたと大きな音を立てながら階段を駆け上がる何者かの気配。
二階の俺の部屋へ訪問してきたのは、溺愛する妹、慈愛ちゃんだった。


「お兄ちゃんお兄ちゃんっ!夏休みです!」

「あ、ああ……そうだな。きみにとっては紛れもなく夏休みだ。宿題ちゃんとやるんだぞ」

「宿題ならちゃんとやってますっ……それより!昆虫採集に行きましょう!」

「こ、こんちゅうさいしゅうぅう?!」

「セミがほしーです!近くでミンミン鳴いてるところが見てみたいです!」


そんなキラキラした目でお願いされてもな……正直クソ暑いし、外とか行きたくないんだが。慈愛さん、今日の気温わかってる?40℃近いんだぜ?


「慈愛ちゃん、外はちょっと……」

「お兄ちゃん、夏休みはとことん遊んでくれるって言ってました。約束忘れちゃったんですか?」


セミの喧しい鳴き声なんざ、遠くから聞こえてくるだけでも耳障りなんだが。
それを間近でとか……慈愛ちゃんは正気か?
でもまあ、確かに約束しちまったしなぁ……そもそも俺、虫あまり好きじゃないんだ。自慢じゃないが、蟻も団子虫も素手で触れないくらいには。
ーーなので、

 
「おらおら、うたちゃんも行くぞ!ぼさっとすんなよ!」

「ちょちょーーかげくんっ!?行くって、どこに行くの?あたし今日は久しぶりのお休みで、一日中ゆっくり過ごしたかったんだけど……!」

「うたちゃんセミ好きだろ。あとでセミのからあげでも作ってやるからさ~、昆虫採集付き合えよー。夏の定番だろー」

「あたしがセミ好きってどこ情報!?というか、セミってからあげにすると美味しいの?」

「知らん! テレビでタランチュラとかサソリとか食ってた芸人みたことあるし、食えないこと無いんじゃね?何だったら俺が先陣切って味見してやるから大丈夫だ」

「全然大丈夫じゃないんですけど……!あたし一応、老若男女に人気あるアイドルなんだよ?ゲテモノ食べるお仕事何てしたことないよ!」


半ば投げやりなテンションで、巻き添えと言わんばかりに芸能界の大スターとして名をはせる姉まで引っ張り出すことにした。
兄弟仲良く三人で虫取り。微笑ましいね……!
うたちゃんには捕まえたセミを虫かごに入れる役でも任せよう。俗に言う雑用係である。本来ならこんな雑に扱っていい人じゃないのはよーくわかっている。水嶋歌姫のファンにばったり遭遇などすれば、そいつの怒りを食らうだろう。顔面を殴られるくらいの覚悟はしておいて損はない。
本当はテイルを巻き添えにしてやる予定だったんだけどな。昨日遅くまで夜更かししてたせいか起こしに行ってもまるで起きる気配がねぇ。
あいつなら暑かろうが寒かろうが喜んで参加してくれた筈だし、ちょっと残念だ。


『全然大丈夫じゃないんですけど……!あたし一応、老若男女に人気あるアイドルなんだよ?ゲテモノ食べるお仕事何てしたことないよ!』


とか、ぐだぐだ不平や不満を口から垂れ流すうたちゃんを無理やりに参加させて今に至る。 
俺だけ暑い思いをして汗だらだら。うたちゃんだけ冷房の効いた部屋でのんびりするなんて所業は許容できないのだ。


「さあて、それじゃ行きますか」

「はい!張り切って行きましょう!」

「お……おー……」


虫取り網を右手に握り虫かごを首からぶら下げる妹は中々可愛い出で立ちだと思った。


「うぇえ……あつーい……」

「夏、だからな。そりゃ暑いだろ……とりあえず、今のうちに飲み物は確保しとかないとな」


うっかり熱中症になっては大変だと、途中で立ち寄った店で飲み物と慈愛ちゃんにかぶせる麦わら帽子を購入する。
俺に抜かりはない。これで準備万端だ。


「みてみてかげくん!慈愛ちゃんとお揃い♪」

「お姉ちゃんとお揃いです」

「おおっ、かわいーじゃん。うたちゃんと慈愛ちゃんは元から美形だし何着ても似合うもんな」


俺の目前には、お揃いの麦わら帽子を被り白のワンピースを着た微笑ましい姉妹の姿がある。
それが特段に可愛い容姿の姉と妹となれば目の保養にならないわけがなかった。
うたちゃんに抱擁されている慈愛ちゃんも嬉しそうに顔を綻ばせている。久しぶりに大好きな姉と遊べて楽しいんだろうな。


「何だか、かげくんに褒められるの久しぶり……そうやって素直に肯定されると恥ずかしくなっちゃうな……」

「よくわからないですが、お兄ちゃんとお姉ちゃんが仲良くなってくれて嬉しいです。お兄ちゃんに対してツンツンしてた頃のお姉ちゃんも可愛かったですが、デレデレになった今のお姉ちゃんの方が数倍可愛いと思います」

「じっ、じあちゃんっ……!?あたしべつにデレデレとかしてないからね!」


仲良くなったというか、初めから仲は良かったんだよな。
慈愛ちゃんは、うたちゃんが俺に素っ気ない態度を取っていたのが芝居だったという衝撃の事実を知らない。
ベルウッドの一件を話していないのだから当然と言えば当然なんだが、妹にざっくばらんな感想を口にされて顔を真っ赤に染めている姉が可愛くて仕方がない。
何だろうな、この気持ちは……、ついからかってみたくなる。


「知ってる?セミって蚊とか蜂みたいに刺してくるんだって。実際に刺された人が言うには結構痛いらしいよ」

「へー。うたちゃん刺されたら大変じゃん。がんばれよー」


酷暑のためか、普段なら子供達で賑わう公園には人っ子一人見当たらない。
慈愛ちゃんがはしゃいでセミと追いかけっこをしている中、俺とうたちゃんはベンチに腰掛けて自販機で買ったアイスをぱくついている。
隣でうたちゃんがどーでもいいうんちくを語っていたが……正直、暑すぎて真面目に聴く気にもなれないわ。


「どうして他人事なのよ。かげくんだって気を付けなきゃダメなんだからね。もし刺されたらどうするの?」

「何のためにうたちゃんを連れてきたと思ってるんだよ?」

「何のためよ?」

「慈愛ちゃんが網で捕まえたセミをカゴに入れる雑用をおしつ……任せるためだ」

「いま押し付けるって言おうとしてなかった!?任せるって言い直したけど、大して意味は変わらないからっ!」


最初こそうたちゃんに厄介事を押し付けようと画策していた俺だが、慈愛ちゃんは思っていたよりも絶妙にセンスが良かった。


「三匹捕まえました!」


とてとてと走り寄ってきた慈愛ちゃんがこれみよがしに虫かごを差し出す。
どうやら自分でセミを掴んでカゴの中に入れたらしい。
捕らえられた無様なセミ共が、此処から出せと騒々しく泣き喚く。
……三匹いればちょうど三人分だしな。試食するには十分だろう。


「こりゃ今夜のメインディッシュはセミの天ぷらで決まりだな……」

「お兄ちゃんセミ食べるんですか?きっと美味しくないですよ」


尤もなことを慈愛ちゃんは言う。確かに美味しい筈がない。そんなことはわかってる。
妹の素直な意見に便乗したうたちゃんが、更に反対の意見を重ねた。


「そうそう!絶対に美味しくないっ!慈愛ちゃんもっと言ってあげて!この人、唐揚げにするか天ぷらにするかの二択で迷ってるっぽいから!正気の沙汰じゃないから!!」

「うたちゃんはツンデレだからな。本音は違うぞ。こう言ってはいるが、実はそれは建前で本当はセミを食べたくてうずうずしているんだ。慈愛ちゃん、あと七匹は捕まえよう。此処からは俺も加勢する」

「そですか。あまり乗り気はしませんがわかりました。うたお姉ちゃんのためにセミを大量に調達します」

「因みに、第三の食べ方として踊り食いも候補に入っているからな」

「踊り食い……盲点でした。セミが口の中で暴れまわりそうですが大丈夫なんでしょうか?」

「慈愛ちゃん……かげくんの言ってることは全部嘘だからね?本気にしちゃダメだからね?」


慈愛ちゃんは俺が教えた情報を完全に鵜呑みにしていた。
最早うたちゃんが何を訴えようが漫才で言うところのフリにしか聞こえない。


「ミーンって鳴くセミとカナカナって鳴くセミどっちが食べたい?」

「捕まえてくるのは勝手にしたらいいけど、ぜったいに食べないからね……」


ーーそれから俺達三人は、仲良くセミを捕まえまくった。


あれだけ嫌がっていたうたちゃんだったが、いざ虫取りに興じてみると平然とセミを捕まえて尚且つ素手で触って見た目や感触を楽しんでいた。


「ツクツク鳴いてるから、この蝉はツクツクボウシかな?」

「いろんなセミを集めたら音楽が奏でられそうです」

「セミで音楽かぁ。なんか楽しそう」

「間近で見るセミきもちわりぃ……こんなん俺からしたらゴキのヤロウとクモのヤロウと何ら変わらないな……」



セミは網から取り出そうとすると大袈裟に暴れるから好きじゃない。
俺の捕獲したセミはうたちゃんと慈愛ちゃんにカゴに入れてもらった。
気付けば狭苦しい空間の中で、大量のセミが蠢いている。
慈愛ちゃんはともかくとして、うたちゃんはこの後セミをどうするのか忘れてそうだ。
獲れば獲るほど今晩のおかずが雪だるま式に増えていくということを。


「いやあ、大量大量。これだけいたら唐揚げも天ぷらも両方作れそうだ」

「からあげ……?天ぷら……?かげくんが何を宣っていらっしゃるのか、お姉ちゃんわからないなー!」


うたちゃんは俺の心無い言葉で正気に戻った。
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