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第六十話(奉仕作業。銭湯)
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「ぐっ……!うぁあああああああああっ!!」
深夜二時。静寂に支配された刑務所内に、一人の男の悲鳴じみた叫び声が響き渡る。
自我を失った同居人のテイル・ブラウニーが野生の本能を剥き出しにし、木ノ下日影の片腕に噛み付いてきたのだ。
あれだけの大声をあげたというのに、気付いていないのかやる気がないのか、はたまた惰眠を貪っているのか、刑務官達が此処へ駆けつけることはなかった。
「ご、ごめ……なさ、い……」
はっと、自分が何をしているのか気付いたテイルは、日影を傷付けてしまった申し訳ない気持ちと狼の本能に抗えない欠陥だらけの体に涙を流し、謝罪した。
「だ、だ……大、大丈夫、だ……!だから、泣くんじゃ、ねぇ……やりたくて噛んだ訳じゃ……ないん、だろ……?」
日影はテイルを不安にさせないよう、痛みを押し殺しながらも、出来るだけ平然を装ってなだめる。相棒に噛まれて重傷を負わされたのはこれで何回目か。
まるでライオンと同じ檻に放り込まれた気分だ。
**********************
昔ながらの銭湯とは、こういう場所のことを言うのだろう。
高い煙突に番台のおばちゃん。富士山のペンキ絵。風呂上がりに飲むコーヒー牛乳。チェーン店とは大違いの人気の無さ。おっさんや爺ばかりが集う憩いの場。
本日俺とテイルが奉仕作業として派遣されたのは、昭和の時代にタイムスリップしてきたかのように錯覚させられる、レトロ感たっぷり懐かしさを感じる銭湯だ。
二人してだだっ広い浴場内の床を、デッキブラシを使用し磨いている真っ最中。かれこれ二時間近くぶっ続けで作業してる。そろそろ腕が疲れてきたな。
「日影~、疲れた~。休憩したい」
「もう少しだから頑張れ。床磨き終わったら、ご褒美にコーヒー牛乳飲ませてくれるっておばちゃんが言ってたぞ」
「ほんと?なら頑張る」
ご褒美を貰えると聞いて、先程までクタクタだったテイルの顔が綻んだ。
心なしか作業ペースが機敏になった気さえする。
夏のムシムシした暑さと浴槽の湯気にやられて汗を垂れ流しながらも、床をデッキブラシでシャカシャカゴシゴシ。それなりに頑張ってくれた。
「ふぅ……、極楽、極楽……」
風呂掃除でしこたま汗をかいた二人は、誰一人として客の居ない広々とした空間を占領し湯船に浸かっている。
ご褒美のコーヒー牛乳を飲む前に体を綺麗にして来いと、番台に立つおばちゃんから許しを得た。
洗い立ての一番風呂だ。
俺の隣には何故かテイルが居て、女湯があるのにも関わらず男湯で二人っきり。目の当たりにした彼女の頭にはリアル過ぎる獣耳が生えていて、幾度確認しても、それは幻でも夢でもない。実際に得体の知れない耳に触れてみたところ、犬や猫に似た感触がした。
突然触られて驚いたのか、耳をピクッと震わせてこちらを振り返る。
「……なに?」
「いや、本当に本物の耳何だなって思ってさ。触ったら不味かったか?」
「別に。……興味を持ってくれるなら、気味悪がられるよりは何倍もマシ。日影は……、テイルのこと気持ち悪いって思わない?」
「最初は驚いたけど、慣れちまえば可愛いもんだ。化け物とか酷いこと言ってごめんな」
「良い。テイルだって何度も噛み付いたから、おあいこ。……ごめんなさい」
お互いの非を謝罪しあったことで、日影はテイルとこれから仲良くやっていけるような気がした。
「うわっ!日影がテイルと風呂入ってる!滅茶苦茶きめぇ!」
「本当だねぇ。気持ち悪いまでは言わないけど、ちょっとデリカシーに欠けるかな」
男湯の戸を開けて入ってきたのは男性客ではなく、森羅万と滝登ツクネ。
オッドアイと長めのおさげ髪が万の特徴なら、ツクネはボーイッシュな茶髪をサイドポニー高めで束ね、黒のカチューシャがアクセント。
日影とテイルと共に、この昔ながらの銭湯へ奉仕作業に派遣されたもう一組のペア。
懇ろな間柄故に、気を使う必要のないテイルの友達だ。
男湯に女湯と二手に分かれて清掃をしていた筈なのだが……、どうしてこっちに入って来るんだ?
「キモいとは心外だな。こっちは男湯だぜ。俺は法に触れるようなことをしたつもりはない」
微妙に視線を横に逸らしながらはっきりと言い張った。裸にバスタオル一枚の二人をがん見などすれば、更に変態あつかい扱いされてしまう。そんな気がする。
「コイツ面白いこと言ってるな。まあ良いや。万、さっさとお湯に浸かろうぜ~。体が汗でべたべただ」
「駄目だよツクネ。先に体を洗ってから入ろうね」
「ちぇ~。万はホント細かいよな~」
年上の俺や万に対して十六歳で年下のツクネはいつもタメ口を使う。
テイルにしてもそうだが、そのくらいには仲が良い。
……というか、いつ俺が面白いことなど口にした?
「つうかさ、お前等何でこっちに入って来んの?掃除終わったならそのまま女湯使えば良かっただろ」
「お前ほんとに何言ってんの?正気か?」
「正気も何も、俺はありのままの意見をだなーー」
俺がそこまで言いかけたところでツクネさんが遮るように言い放ったのは、衝撃的で鬼気迫る様な内容でした。
「こっち、今「女湯」だぞ」
「…………んっ、んんっ?」
すぐには理解出来ずに首を捻る。
銭湯には時間制で男湯と女湯が入れ替わるシステムがあるというのは知ってる。
だがしかし……ツクネの言ったことは本当なのか?
だとしたら、この状況は物凄く不味いんじゃ……此処に女性客でも入って来たら俺は終わりだ。さっさとこの場から退散せねば更に刑期が延長される危険が……、
「ツクネの言ってることは本当だよ。入る前にしっかりと女湯だって確認してるし。おばちゃんがのれん交換してた」
「あ、誰か脱衣所に入って来たみたいだぞ」
ーーやべぇええええ。
それじゃ、此処から出られないじゃねぇか。
男が女湯に居る何て知れたら一巻の終わり。どうにかして隠蔽工作しなければ。
「ツクネ、どうにかして俺を助けてくれ。同じ釜の飯を食った仲だろ。な、頼むよ」
「えー。めんどくせーなー。自分で何とかしろよー」
藁にも縋る思いで、現在洗い場で泡だらけになっている小さな体に抱きついた。しかしツクネはつれない態度でこんなことを言う。
「離れろバカ。洗いにくいだろ。そういう面倒な頼み事はテイルか万にしろよな。これ以上邪魔するなら大声で叫ぶぞ。きゃ~って」
「ツクネにそんな女の子っぽい悲鳴は似合わない。やめておいた方が良い」
テイルがもっともなことを指摘すると、ツクネは少しだけムッとした表情で否定に掛かる。
「何だと~。あたしだってそれくらい楽勝何だからな。証明してやるからお前等耳の穴掻っ穿ってよーく聞いとけよー」
ーーきゃっ。
と言い掛けた所で、後ろから彼女の口を迅速に塞いだ。
テイルの奴が変なタイミングでツクネをからかうから状況がどんどん悪くなっていく。
こいつらと悠長に戯れ付いてる時間何か一秒たりとも無いんだけどな。
「大声で叫んだら俺達に視線が集中するだろうが。悪ふざけは勘弁してくれ……」
「日影、僕に妙案があるよ」
悪戯っ子のように微笑んで万が手にしていたのは、コスプレに使用するような女性用のウィッグ。
一度脱衣所の方に出て行った彼女が日影の為にと殺し屋時代に使っていた商売道具を運んで来てくれた。
何故にそんな物を今でも持ち歩いているのかは不明だが、女の格好をするとか嫌だな。
「……それを、俺に被れって言うのか?」
「早く女装しないと皆入って来ちゃうよ。僕が被せてあげる」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待て。……まだ、心の準備が、女になりきる準備が……」
「日影が女の子になるから……ひかこ?」
テイルが女装日影を「ひかこ」と命名した。
その呼び方はおネェタレント等の芸名と酷似している。
「ツクネ。羽交い締めよろしく」
「おうよー!お安い御用だ!」
「ひっ、いやぁあああああああっ!!」
微かだったが、背中に二つの柔らかな感触。
気が付けばツクネに騒ぐなとお願いしていた日影自身が大きな悲鳴をあげていた。
まるでおネェのような甲高い声で。
深夜二時。静寂に支配された刑務所内に、一人の男の悲鳴じみた叫び声が響き渡る。
自我を失った同居人のテイル・ブラウニーが野生の本能を剥き出しにし、木ノ下日影の片腕に噛み付いてきたのだ。
あれだけの大声をあげたというのに、気付いていないのかやる気がないのか、はたまた惰眠を貪っているのか、刑務官達が此処へ駆けつけることはなかった。
「ご、ごめ……なさ、い……」
はっと、自分が何をしているのか気付いたテイルは、日影を傷付けてしまった申し訳ない気持ちと狼の本能に抗えない欠陥だらけの体に涙を流し、謝罪した。
「だ、だ……大、大丈夫、だ……!だから、泣くんじゃ、ねぇ……やりたくて噛んだ訳じゃ……ないん、だろ……?」
日影はテイルを不安にさせないよう、痛みを押し殺しながらも、出来るだけ平然を装ってなだめる。相棒に噛まれて重傷を負わされたのはこれで何回目か。
まるでライオンと同じ檻に放り込まれた気分だ。
**********************
昔ながらの銭湯とは、こういう場所のことを言うのだろう。
高い煙突に番台のおばちゃん。富士山のペンキ絵。風呂上がりに飲むコーヒー牛乳。チェーン店とは大違いの人気の無さ。おっさんや爺ばかりが集う憩いの場。
本日俺とテイルが奉仕作業として派遣されたのは、昭和の時代にタイムスリップしてきたかのように錯覚させられる、レトロ感たっぷり懐かしさを感じる銭湯だ。
二人してだだっ広い浴場内の床を、デッキブラシを使用し磨いている真っ最中。かれこれ二時間近くぶっ続けで作業してる。そろそろ腕が疲れてきたな。
「日影~、疲れた~。休憩したい」
「もう少しだから頑張れ。床磨き終わったら、ご褒美にコーヒー牛乳飲ませてくれるっておばちゃんが言ってたぞ」
「ほんと?なら頑張る」
ご褒美を貰えると聞いて、先程までクタクタだったテイルの顔が綻んだ。
心なしか作業ペースが機敏になった気さえする。
夏のムシムシした暑さと浴槽の湯気にやられて汗を垂れ流しながらも、床をデッキブラシでシャカシャカゴシゴシ。それなりに頑張ってくれた。
「ふぅ……、極楽、極楽……」
風呂掃除でしこたま汗をかいた二人は、誰一人として客の居ない広々とした空間を占領し湯船に浸かっている。
ご褒美のコーヒー牛乳を飲む前に体を綺麗にして来いと、番台に立つおばちゃんから許しを得た。
洗い立ての一番風呂だ。
俺の隣には何故かテイルが居て、女湯があるのにも関わらず男湯で二人っきり。目の当たりにした彼女の頭にはリアル過ぎる獣耳が生えていて、幾度確認しても、それは幻でも夢でもない。実際に得体の知れない耳に触れてみたところ、犬や猫に似た感触がした。
突然触られて驚いたのか、耳をピクッと震わせてこちらを振り返る。
「……なに?」
「いや、本当に本物の耳何だなって思ってさ。触ったら不味かったか?」
「別に。……興味を持ってくれるなら、気味悪がられるよりは何倍もマシ。日影は……、テイルのこと気持ち悪いって思わない?」
「最初は驚いたけど、慣れちまえば可愛いもんだ。化け物とか酷いこと言ってごめんな」
「良い。テイルだって何度も噛み付いたから、おあいこ。……ごめんなさい」
お互いの非を謝罪しあったことで、日影はテイルとこれから仲良くやっていけるような気がした。
「うわっ!日影がテイルと風呂入ってる!滅茶苦茶きめぇ!」
「本当だねぇ。気持ち悪いまでは言わないけど、ちょっとデリカシーに欠けるかな」
男湯の戸を開けて入ってきたのは男性客ではなく、森羅万と滝登ツクネ。
オッドアイと長めのおさげ髪が万の特徴なら、ツクネはボーイッシュな茶髪をサイドポニー高めで束ね、黒のカチューシャがアクセント。
日影とテイルと共に、この昔ながらの銭湯へ奉仕作業に派遣されたもう一組のペア。
懇ろな間柄故に、気を使う必要のないテイルの友達だ。
男湯に女湯と二手に分かれて清掃をしていた筈なのだが……、どうしてこっちに入って来るんだ?
「キモいとは心外だな。こっちは男湯だぜ。俺は法に触れるようなことをしたつもりはない」
微妙に視線を横に逸らしながらはっきりと言い張った。裸にバスタオル一枚の二人をがん見などすれば、更に変態あつかい扱いされてしまう。そんな気がする。
「コイツ面白いこと言ってるな。まあ良いや。万、さっさとお湯に浸かろうぜ~。体が汗でべたべただ」
「駄目だよツクネ。先に体を洗ってから入ろうね」
「ちぇ~。万はホント細かいよな~」
年上の俺や万に対して十六歳で年下のツクネはいつもタメ口を使う。
テイルにしてもそうだが、そのくらいには仲が良い。
……というか、いつ俺が面白いことなど口にした?
「つうかさ、お前等何でこっちに入って来んの?掃除終わったならそのまま女湯使えば良かっただろ」
「お前ほんとに何言ってんの?正気か?」
「正気も何も、俺はありのままの意見をだなーー」
俺がそこまで言いかけたところでツクネさんが遮るように言い放ったのは、衝撃的で鬼気迫る様な内容でした。
「こっち、今「女湯」だぞ」
「…………んっ、んんっ?」
すぐには理解出来ずに首を捻る。
銭湯には時間制で男湯と女湯が入れ替わるシステムがあるというのは知ってる。
だがしかし……ツクネの言ったことは本当なのか?
だとしたら、この状況は物凄く不味いんじゃ……此処に女性客でも入って来たら俺は終わりだ。さっさとこの場から退散せねば更に刑期が延長される危険が……、
「ツクネの言ってることは本当だよ。入る前にしっかりと女湯だって確認してるし。おばちゃんがのれん交換してた」
「あ、誰か脱衣所に入って来たみたいだぞ」
ーーやべぇええええ。
それじゃ、此処から出られないじゃねぇか。
男が女湯に居る何て知れたら一巻の終わり。どうにかして隠蔽工作しなければ。
「ツクネ、どうにかして俺を助けてくれ。同じ釜の飯を食った仲だろ。な、頼むよ」
「えー。めんどくせーなー。自分で何とかしろよー」
藁にも縋る思いで、現在洗い場で泡だらけになっている小さな体に抱きついた。しかしツクネはつれない態度でこんなことを言う。
「離れろバカ。洗いにくいだろ。そういう面倒な頼み事はテイルか万にしろよな。これ以上邪魔するなら大声で叫ぶぞ。きゃ~って」
「ツクネにそんな女の子っぽい悲鳴は似合わない。やめておいた方が良い」
テイルがもっともなことを指摘すると、ツクネは少しだけムッとした表情で否定に掛かる。
「何だと~。あたしだってそれくらい楽勝何だからな。証明してやるからお前等耳の穴掻っ穿ってよーく聞いとけよー」
ーーきゃっ。
と言い掛けた所で、後ろから彼女の口を迅速に塞いだ。
テイルの奴が変なタイミングでツクネをからかうから状況がどんどん悪くなっていく。
こいつらと悠長に戯れ付いてる時間何か一秒たりとも無いんだけどな。
「大声で叫んだら俺達に視線が集中するだろうが。悪ふざけは勘弁してくれ……」
「日影、僕に妙案があるよ」
悪戯っ子のように微笑んで万が手にしていたのは、コスプレに使用するような女性用のウィッグ。
一度脱衣所の方に出て行った彼女が日影の為にと殺し屋時代に使っていた商売道具を運んで来てくれた。
何故にそんな物を今でも持ち歩いているのかは不明だが、女の格好をするとか嫌だな。
「……それを、俺に被れって言うのか?」
「早く女装しないと皆入って来ちゃうよ。僕が被せてあげる」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待て。……まだ、心の準備が、女になりきる準備が……」
「日影が女の子になるから……ひかこ?」
テイルが女装日影を「ひかこ」と命名した。
その呼び方はおネェタレント等の芸名と酷似している。
「ツクネ。羽交い締めよろしく」
「おうよー!お安い御用だ!」
「ひっ、いやぁあああああああっ!!」
微かだったが、背中に二つの柔らかな感触。
気が付けばツクネに騒ぐなとお願いしていた日影自身が大きな悲鳴をあげていた。
まるでおネェのような甲高い声で。
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