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「まさか夜逃げじゃないわよね?」
「……違うと思いますけど」
派手な豹柄のシャツを着て、壁により掛かったアニマルババァは、ゼブラ柄のサングラスを光らせて、俺を睨んでいる。
アニマルババァによると、北海道さんは一週間ほど前から姿が見えないらしい。一週間前となると、俺が四国に行ったころだ。
北海道さんは俺に秘密の依頼の仕事に行くと言っていた。その依頼からまだ帰っていないのか?
「今月のお家賃まだなんだけど。このまま帰って来なかったらおたくが払ってくれるのよね?」
「…………」
真っ赤な口紅をしたアニマルババァがサングラスを下げ、蛇の目のカラコンをした目で俺を真下から睨んだ。
「来週までの期限だから。一分でも遅れたら家財全部放り出して新しい人に入ってもらうから! そもそもなんか怪しい人だったし! 挨拶しても無視するし! ドアの音はうるさいし! 出てってもらった方が清々するわ!」
アニマルババァは俺にそう捲し立てると、一階の山口接骨院のドアを開けて中に入り、力強くピシャリと閉めた。
「…………」
北海道さんが夜逃げなんかするはずがない。いつもギリギリでもなんとか家賃は払っていたんだから。
二階の北海道さんの事務所を見上げながらスマホに電話をかけてみたが、充電が切れているのか、繋がらなかった。メッセージも一向に既読にならない。
……やっと決心したのに、どこに行ってしまったんだ。北海道さん。
暗い窓を見ていると、北海道さんが銃口を向けられたときのことを思い出した。北海道さんが死んだと思ったあの瞬間、俺自身も死んだと思ったんだ。
階段を上り、事務所のドアを開け、主のいない部屋のテーブルにいつもの弁当を置いた。静か過ぎて窓を開けたが、遠くのバイクの音が聞こえるだけだった。
……北海道さん、本当にどこに行ってしまったんだ。
北海道さんがいなくなって二週間が経った。
毎日弁当の配達のあとに北海道さんを探していたが、事務所の中をいくら探しても、北海道さんの居場所を掴めるものが見つからず、途方に暮れていた。
「おにーちゃん」
きっと遠くに仕事に行っているだけだ。そのうち帰って来る。
「お兄ちゃん? 大丈夫? 顔真っ白だよ?」
「…………」
でもいつもなら依頼が来たら教えてくれるのに、今回はそれもなく、突然いなくなってしまった。
……まさか俺から逃げた? いやそれはない。北海道さんは何も気が付いていないし、何かの依頼を受けていた。何かトラブルが起きたのかもしれない。
助けに行きたい。でも居場所が分からない。
「もー、私たち帰るからね? 鍵閉めてね?」
……早く帰ってきてくれ。頼むから。
仕事の終わりにいつも通り北海道さんの事務所に寄って、主の代わりに灯りを点けた。やはり今日も北海道さんは帰ってきていなかった。
いつも北海道さんが寝ているソファに寝転がり、目をつぶると、北海道さんが頭の中に現れた。
現実ではありえない北海道さんが俺の中には存在している。俺を抱きしめる北海道さん、俺にキスする北海道さん。俺に触れる北海道さん。
「…………」
一週間お遍路周りをしたおかげで、煩悩は消えたはずだった。しかし北海道さんがいない事務所の中は北海道さんの匂いが満ちていて、とてもじゃないが欲望を抑えることができなかった。
頭の中では北海道さんを思い通りに動かすことができる。北海道さんが絶対に言わないセリフを言わせることができるし、北海道さんにとんでもない要求をすることもできる。
妄想に浸っていると、突然足元でスマホが鳴って驚いた。
「…………」
いつの間にか落ちていたスマホを拾い上げ、画面を見ると、公衆電話からだった。
『島根くん?』
「……北海道さん?」
思いがけない声にスマホの画面を確認したが、やっぱり公衆電話からだった。
「どこにいるんですかっ‼」
『良かった。君の電話番号だけは覚えてたんた。でも公衆電話がなかなか見つからなくて』
「…………」
こんな状況でそんなこと言われても、喜んでいいのか分からなかった。
「どこにいるんですか?」
『実はある施設に潜入する依頼を受けたんだ。でも捕まってしまってスマホもカメラも奪われてしまったんだよ。なんとか逃げ出したんだけど……』
「一体そこで何をしてるんですか?」
『麻薬の製造現場に侵入したんだ』
「はぁっ⁉ なんでそんな依頼を受けたんですかぁっっ‼」
あまりにもびっくりしてソファから落ちてしまった。
「そんなの日本にあるわけないでしょうがっっ‼」
『それがあったんだよ‼』
「あったから何だって言うんですかっ‼」
あったからってなんで行くんだっ⁉ 二週間もそんなところにいたのかっ⁉
「すぐに帰ってきてくださいっ‼」
『写真を撮らないと帰れないんだよ。実は依頼人の新聞記者の人と麻薬製造現場に潜入して、それを写真に撮って逃げる手筈だったんだ。でも……』
「……なんでそんな依頼を受けたんですか……」
もう嫌だ。この人は本当に何を考えているんだ。
『こんなに危険な依頼は二度と来ないと思ったからだよ』
「だからって犯罪現場でしょっ⁉ なんで北海道さんにそんな依頼がくるんですかっ‼」
『落ち着いて?』
どうしてこの人はいつも心配をかけるんだ。いつもいつも。
「すぐに帰ってきてください。迎えに行きますから」
『でも仲間が……』
「仲間って、依頼人でしょ?」
『お願い聞いてくれたらキスしてあげるよ?』
「……北海道さん」
……何だ今のは。妄想の中の北海道さんが突然現れたのか? そんなわけない。そんなこと言う北海道さんは現実では存在しないんだから。
じゃあ今のは一体なんだったんだ。これは現実じゃないのか?
俺の頭はついにおかしくなってしまったのか?
『実は長崎で一度目が覚めたんだ』
「…………」
『ごめんね。実は本当に困ってる状況なんだ。脅すなんてしたくないし、ずっと気づいてないふりをしてあげるつもりだったのに。ごめんね』
なぜか北海道さんが謝っている。
「……北海道さん」
知ってた? 知ってたのに黙ってたのか? 知ってたのに俺と毎日会ってたのか? なぜ?
「島根くん! 早くして!」
「分かりました。何でも言ってください」
『だから、君のスマホでいいから持ってきて欲しいんだって』
「すぐに行きます」
慌てて外に出た。事務所の鍵をかけ、バイクに乗った。バイクで風を切りながら誓った。
何でもする。一生北海道さんに付いて行く。一生奴隷になる。
一生離れない。
「……違うと思いますけど」
派手な豹柄のシャツを着て、壁により掛かったアニマルババァは、ゼブラ柄のサングラスを光らせて、俺を睨んでいる。
アニマルババァによると、北海道さんは一週間ほど前から姿が見えないらしい。一週間前となると、俺が四国に行ったころだ。
北海道さんは俺に秘密の依頼の仕事に行くと言っていた。その依頼からまだ帰っていないのか?
「今月のお家賃まだなんだけど。このまま帰って来なかったらおたくが払ってくれるのよね?」
「…………」
真っ赤な口紅をしたアニマルババァがサングラスを下げ、蛇の目のカラコンをした目で俺を真下から睨んだ。
「来週までの期限だから。一分でも遅れたら家財全部放り出して新しい人に入ってもらうから! そもそもなんか怪しい人だったし! 挨拶しても無視するし! ドアの音はうるさいし! 出てってもらった方が清々するわ!」
アニマルババァは俺にそう捲し立てると、一階の山口接骨院のドアを開けて中に入り、力強くピシャリと閉めた。
「…………」
北海道さんが夜逃げなんかするはずがない。いつもギリギリでもなんとか家賃は払っていたんだから。
二階の北海道さんの事務所を見上げながらスマホに電話をかけてみたが、充電が切れているのか、繋がらなかった。メッセージも一向に既読にならない。
……やっと決心したのに、どこに行ってしまったんだ。北海道さん。
暗い窓を見ていると、北海道さんが銃口を向けられたときのことを思い出した。北海道さんが死んだと思ったあの瞬間、俺自身も死んだと思ったんだ。
階段を上り、事務所のドアを開け、主のいない部屋のテーブルにいつもの弁当を置いた。静か過ぎて窓を開けたが、遠くのバイクの音が聞こえるだけだった。
……北海道さん、本当にどこに行ってしまったんだ。
北海道さんがいなくなって二週間が経った。
毎日弁当の配達のあとに北海道さんを探していたが、事務所の中をいくら探しても、北海道さんの居場所を掴めるものが見つからず、途方に暮れていた。
「おにーちゃん」
きっと遠くに仕事に行っているだけだ。そのうち帰って来る。
「お兄ちゃん? 大丈夫? 顔真っ白だよ?」
「…………」
でもいつもなら依頼が来たら教えてくれるのに、今回はそれもなく、突然いなくなってしまった。
……まさか俺から逃げた? いやそれはない。北海道さんは何も気が付いていないし、何かの依頼を受けていた。何かトラブルが起きたのかもしれない。
助けに行きたい。でも居場所が分からない。
「もー、私たち帰るからね? 鍵閉めてね?」
……早く帰ってきてくれ。頼むから。
仕事の終わりにいつも通り北海道さんの事務所に寄って、主の代わりに灯りを点けた。やはり今日も北海道さんは帰ってきていなかった。
いつも北海道さんが寝ているソファに寝転がり、目をつぶると、北海道さんが頭の中に現れた。
現実ではありえない北海道さんが俺の中には存在している。俺を抱きしめる北海道さん、俺にキスする北海道さん。俺に触れる北海道さん。
「…………」
一週間お遍路周りをしたおかげで、煩悩は消えたはずだった。しかし北海道さんがいない事務所の中は北海道さんの匂いが満ちていて、とてもじゃないが欲望を抑えることができなかった。
頭の中では北海道さんを思い通りに動かすことができる。北海道さんが絶対に言わないセリフを言わせることができるし、北海道さんにとんでもない要求をすることもできる。
妄想に浸っていると、突然足元でスマホが鳴って驚いた。
「…………」
いつの間にか落ちていたスマホを拾い上げ、画面を見ると、公衆電話からだった。
『島根くん?』
「……北海道さん?」
思いがけない声にスマホの画面を確認したが、やっぱり公衆電話からだった。
「どこにいるんですかっ‼」
『良かった。君の電話番号だけは覚えてたんた。でも公衆電話がなかなか見つからなくて』
「…………」
こんな状況でそんなこと言われても、喜んでいいのか分からなかった。
「どこにいるんですか?」
『実はある施設に潜入する依頼を受けたんだ。でも捕まってしまってスマホもカメラも奪われてしまったんだよ。なんとか逃げ出したんだけど……』
「一体そこで何をしてるんですか?」
『麻薬の製造現場に侵入したんだ』
「はぁっ⁉ なんでそんな依頼を受けたんですかぁっっ‼」
あまりにもびっくりしてソファから落ちてしまった。
「そんなの日本にあるわけないでしょうがっっ‼」
『それがあったんだよ‼』
「あったから何だって言うんですかっ‼」
あったからってなんで行くんだっ⁉ 二週間もそんなところにいたのかっ⁉
「すぐに帰ってきてくださいっ‼」
『写真を撮らないと帰れないんだよ。実は依頼人の新聞記者の人と麻薬製造現場に潜入して、それを写真に撮って逃げる手筈だったんだ。でも……』
「……なんでそんな依頼を受けたんですか……」
もう嫌だ。この人は本当に何を考えているんだ。
『こんなに危険な依頼は二度と来ないと思ったからだよ』
「だからって犯罪現場でしょっ⁉ なんで北海道さんにそんな依頼がくるんですかっ‼」
『落ち着いて?』
どうしてこの人はいつも心配をかけるんだ。いつもいつも。
「すぐに帰ってきてください。迎えに行きますから」
『でも仲間が……』
「仲間って、依頼人でしょ?」
『お願い聞いてくれたらキスしてあげるよ?』
「……北海道さん」
……何だ今のは。妄想の中の北海道さんが突然現れたのか? そんなわけない。そんなこと言う北海道さんは現実では存在しないんだから。
じゃあ今のは一体なんだったんだ。これは現実じゃないのか?
俺の頭はついにおかしくなってしまったのか?
『実は長崎で一度目が覚めたんだ』
「…………」
『ごめんね。実は本当に困ってる状況なんだ。脅すなんてしたくないし、ずっと気づいてないふりをしてあげるつもりだったのに。ごめんね』
なぜか北海道さんが謝っている。
「……北海道さん」
知ってた? 知ってたのに黙ってたのか? 知ってたのに俺と毎日会ってたのか? なぜ?
「島根くん! 早くして!」
「分かりました。何でも言ってください」
『だから、君のスマホでいいから持ってきて欲しいんだって』
「すぐに行きます」
慌てて外に出た。事務所の鍵をかけ、バイクに乗った。バイクで風を切りながら誓った。
何でもする。一生北海道さんに付いて行く。一生奴隷になる。
一生離れない。
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