ヤバい奴に好かれてます。

たいら

文字の大きさ
6 / 37
          1

6

しおりを挟む
 しかし村上に辞めないと約束してしまったのだから、久保田がたまに見せる下心を避けつつ、会社にも居続ける方法を探さなくてはならない。
 それともいっそのこと、このまま久保田と付き合ってしまうか。そうすればこのまま給料が少なくて貯金もできないけど、ストレスはないこの仕事を続けられる。正しくはないのは分かっているが、今の俺には久保田を振って今のような職場を見つける勇気がなかった。
 それに、久保田だってきっと、最後の最後までは俺のそばにいてはくれないだろう。好きなのは今だけで、いずれは離れていくだろう。
 そのときに俺はどうすればいいのか。
 人生を考え始めたら怖くなってまた苦しくなってしまった。病院でも診断された不安障害というやつだ。やっと夜にしっかりと眠れる日々が戻ってきたのに、考え出したらまた眠れなくなっていた。罵倒や仕事のストレスはなくなったけど、今度は自分の足元の不安定さのせいだ。
 どう転がっても俺の人生はうまくいかない気がする。そんな不安がまたぶり返していた。
「野坂さん、お昼一緒にどうですか?」
「……え?」
 顔を上げると、背がひょろりと高い村上が立っていた。隣には背が低い猫目の森田もいる。二人ともいつの間に外回りから戻って来ていたのだろう。というか、いつの間に昼になっていたんだ?
 穏やかそうな顔をしている村上に対して、森田は相変わらず目つきが鋭い。
「近くに美味いうどん屋さんがあるんですよ。行きません?」
 ……う、うどん。……食べたい。
 しかし俺は首を振った。
「すみません。もう買ってきてしまったので」
「あ、そうですか。じゃあまた今度」
「はい」
 村上は色白な顔に穏やかな笑みを浮かべて、森田は瞳孔を細めた猫を思わせる目つきのまま外へ出て行った。二人の背中を見送ると、体がガタガタと震えだした。
 ……お、お腹が、痛い。
 原因は分からない。最近自炊頑張ってたけど。朝食べた卵か? 牛乳か? パン? どれも値引きされた物を買っていたけど、賞味期限が過ぎていたかは覚えていない。
 机に汗が落ちた。あと五時間ほどで仕事は終わる。それまで痛かったら病院へ行こう。痛い出費だが仕方がない。我慢だ我慢! ……いや、やっぱり病院行きたくないよ。やっぱりお金減るの嫌だよ!
 頼む。治ってくれ!
 しかし祈りも虚しく、三時を過ぎても冷や汗は止まらず、痛みもおさまらなかった。
 駄目だ、もう耐えられない。……救急車呼ばなきゃ。さっき村上たちに呼んでもらえば良かったんだ。なんで俺はいつもいつも判断が遅いんだ!
 突然大波が来る痛みに耐えながら、震える手で机の上の電話に手を伸ばした。しかしそこで、机に置いていたスマホが震えていることに気がついた。画面を見ると、誰かからのメッセージだった。
 誰だよ。こんな時に……。そう思いながら名前を見ると、前に付き合っていた男、リョータからだった。
『元気?』
 ……は?
 ……なんで、今?
 もう連絡なんて来ないと思っていたのに、なんで今⁉
 俺今、超腹痛いんだけど! 返事をしてる余裕なんてないよ!
 なんで今なんだよ!
 震える手のせいで滑り、スマホが床に落ちた。拾おうと手を伸ばして、今度は自分が椅子から滑り落ち、思い切り尻を打ち、そのまま頭も打った。
「…………っ!」
 一瞬視界が白くなり、あまりの痛みに悶絶した。
 そのまま寝転がり、床を涙と冷や汗で濡らした。もうスマホにも、机の上の電話にも手を伸ばすことはできない。なんでこんな時に限って誰も戻ってこないんだよ! 怒りが込みが上げるが、お腹と頭の痛みも増した。
 ……俺はこのまま死ぬのか?
 目の端から床に涙がこぼれ落ちていく。きっとリョータからメッセージがきたのは、最後の奇跡だったんだ。誰もいないオフィスの中で、俺は床に寝転がりながら、意識が遠退くのを感じていた。






 目を開けると、眉をひそめる久保田の顔があった。その奥に知らない天井がある。
「…………」
「野坂さん?」
 起きているのに寝ているみたいにボーッとしていた。なんだこれ? おかしいな。俺たちいつの間にそんな仲になったんだ? いや、そんな訳ない。俺はまだ久保田にそこまでは許していないはずだ。
「野坂さん、大丈夫ですか? 会社で頭を打って倒れていたんですよ?」
「…………」
 ……思い出した。そうだ、頭を打った。でもその後は思い出せなかった。
「今は痛み止めの点滴を打っているので痛みはないかもしれません。頭の方の検査をしましたが、問題ありませんでした。あなたが救急車の中でお腹が痛いと言ったので、そちらの検査もしましたが、胃潰瘍だそうです。ストレスかもしれませんが、胃の中にピロリ菌がいるかもしれないので検査のために三日間の入院になります」
「…………」
 救急車に乗ったことなど全く覚えていない。
「申し訳ありません。あなたの健康を守ると言っておきながらこんなことになってしまって。もっと注意を払っておくべきでした」
「…………」
 ピロリ? お腹の中にピロリを飼っているのか? 犬も飼ったことないのに? 
 そんなことを考えながらも、まだ大事なことを忘れている気がして、でも思い出せなかった。
「ご実家には連絡しますか?」
「…………」
 ……親にはよけいな心配をかけたくない。転職したことさえ知らないんだ。久保田に向かって首を横に振った。振ったことで違和感を感じ、頭に触れてみると包帯が巻かれていた。
「会社に戻って来たらあなたが倒れていて驚きました。どうしてそうなる前に救急車を呼ばなかったんです? 医者が言うにはもっと酷いことになっていた可能性もあったらしいですよ?」
「…………」
 ……呼ぼうとした。呼ぼうとしたよ。でも呼べなかったんだ。決断が遅かったせいで。いつも我慢したせいで間違った方向へ行く。またそれが起きてしまったんだ。
 ……ということは、久保田が救急車を呼んでくれたのか。……くそ、こんな奴が命の恩人になってしまった。
「野坂さん、大丈夫ですか?」
「…………」
「今何を考えています?」
 久保田がまた天井を見上げる俺の顔を覗き込んだ。眼鏡に憔悴した自分の顔が映る。
「……しごとは」
 三日間も入院するなんて。
「ああ」
 久保田が顔を覗き込んだまま頷いた。
「有給がまだ残っていますよね? それを使いましょう。所長には言っておきますから大丈夫です」
「…………」
 そうだ。まだ有給が残ってた。俺は頭の中の神さまに合掌して感謝した。
「野坂さん、家の鍵を貸してもらえますか? 入院中の着替えを持ってきます」
「…………」
 久保田が横のテーブルに置かれている鞄を指差す。俺が頷くと、久保田は鞄から鍵を取り出した。
「それと入院費のことは気にしないで下さいね。僕が払います」
「え? いや、ちょっと待って、……それは」
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
 久保田は無表情でさらりと言った。
「……自分で払うから」
 力の入らない声できっぱりと言ったつもりだった。借金してでも払う。しかし久保田は聞こえていないのか、俺に背中を向けた。
 やめてくれ。
 これ以上俺に優しくしないでくれ。
 ……あとが怖い。
「あ、それと」
 久保田がドアの前まで行き、振り返った。
 そこで気がついた。ドアとベッドの間に何もないことに。え? ここ個室? やだ、しかもトイレ付きじゃない? うそ、ここいくらすんの。やっぱり払えないよ。
「前の恋人に連絡を取りました。すみません、勝手に野坂さんのスマホを見てしまいました」
「は?」
 ……え? 俺のスマホ? ロックかかってたよね?
「明日、お見舞いに来るそうですよ」
「…………」
 呆然とする俺を尻目に、一瞬の眼鏡の反射光を俺の目に焼き付け、久保田は病室から出て行った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら宿敵の伴侶になっていた

木村木下
BL
日本の大学に通う俺はある日突然異世界で目覚め、思い出した。 自分が本来、この世界で生きていた妖精、フォランだということを。 しかし目覚めたフォランはなぜか自分の肉体ではなく、シルヴァ・サリオンという青年の体に入っていた。その上、シルヴァはフォランの宿敵である大英雄ユエ・オーレルの『望まれない伴侶』だった。 ユエ×フォラン (ムーンライトノベルズ/全年齢版をカクヨムでも投稿しています)

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。 男前受け

【完結】もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない

バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《根暗の根本君》である地味男である<根本 源(ねもと げん)>には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染<空野 翔(そらの かける)>がいる。 ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない?? イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

聖獣召喚に巻き込まれた俺、モフモフの通訳をしてたら冷徹騎士団長に外堀を埋められました

たら昆布
BL
完璧っぽいエリート騎士×無自覚な愛され系

過保護な父の歪んだ愛着。旅立ちを控えた俺の身体は、夜ごとに父の形で塗り潰される

中山(ほ)
BL
「パックの中、僕の形になっちゃったね」 夢か現か。耳元で囁かれる甘い声と、内側を執拗に掻き回す熱。翌朝、自室で目覚めたパックに、昨夜の記憶はない。ただ、疼くような下腹部の熱だけが残っていた。 相談しようと向かった相手こそが、自分を侵食している張本人だとも知らずに、パックは父の部屋の扉を開く。 このお話はムーンライトでも投稿してます〜

薔薇摘む人

Kokonuca.
BL
おじさんに引き取られた男の子のお話。全部で短編三部作になります

王道学園に通っています。

オトバタケ
BL
人里離れた山の中にある城のような建物。そこは、選ばれし者だけが入学を許される全寮制の男子校だった。 全寮制男子校を舞台に繰り広げられる様々な恋愛模様を描いた短編集。

処理中です...