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最終章
第100話 揺るがぬ思い
しおりを挟む神歴1012年、6月10日――ミレーニア大陸中部、ラドン村。
午前8時50分――ラドン村北東部、旧教会跡地。
「キキキ、こいつは上玉だ。女も男も上玉だ。両刀使いの身共にとっちゃ、盆と正月が手をつなぎながら仲良く現れたってなもんさ」
虫唾が走る。
姿を見ているだけで、声を聞いているだけで、不快な気分になる。
視線の先の、黒髪黒目のこのひょろ長い男は、リアの神経を逆なでにする全ての要素を備えていた。
彼女は隣に立つ、銀髪銀眼の青年を見やると、
「ジャック、まさか腕とか鈍ってないよね?」
「その言葉、そっくりそのまま返す。私がいないあいだに、よもや弱くなってはいないだろうな?」
青年――ジャックが、皮肉な笑みを浮かべてそう返す。
リアは、クールに言った。
「それ聞いて安心した。アイツの顔、五分以上見るのは耐えられないからね。生理的に無理」
「ああ、それは私も同じだ。三分以内に、ケリをつけよう」
言って、ジャックが自らのダブル――『ゴドルフィン』をかまえる。
リアも、速やかに戦闘態勢へと移行した。
左拳をギュッと握り、腰を深く落とす。
号砲。
どちらが合図したわけでもなく、そうして阿吽のままに二人は動いた。
「我儘な尖塔!」
ジャックの放った言葉と共に、敵の足もとに切っ先鋭い岩の塊が槍のごとくそそり立つ。
が、リアは躊躇なく、その渦中へと踏み込んだ。
感覚で、分かる。
ジャックと組んで戦うのは、これで七十七回目だ。
彼がどのタイミングでどの魔法を使うのか、その魔法がどういった軌道を描くのか、全て感覚で分かっている。
彼の攻撃が間抜けな誤爆となってしまうような、そんな動きのミスは絶対にしない。
リアは確信を持って渦中に飛び込み、そうしてそれが過信ではないことを結果で示した。
次々とそそり立つ尖塔を完璧なステップでかわしながら、まっすぐに敵の懐へと迫る。
ジャックの攻撃をかわすことに手一杯となっていた相手に、リアはそうして得意の左ストレートを激烈豪快にぶちかました。
ごぎゃ。
骨を砕く音を鳴らして、黒髪黒目の男の身体がはるか後方へと弾け飛ぶ。
あごを狙った一撃はとっさに右腕でガードされたが、その腕の骨を砕いたという手応えがリアの左拳には残っていた。
が。
「傲慢な粉砕者」
「が、ふッ!?」
身体が、自分の意思とは無関係にサイドへ弾け飛ぶ。
何が起こったのか、リアは痛烈な痛みと共に理解した。
(……巨大な、鋼鉄の拳。あの状態から、反撃の魔法を返してきたって言うの?)
本能的に防御の体勢は取ったが、それでも受けたダメージは小さくない。
リアは確認のため、ガードに使った右腕を軽く上下に動かした。
(……折れてはない。痛みは少し強いけど、これなら問題なくやれる)
大丈夫。
リアは視線を上げた。
と、真横でジャックの声が鳴る。
「平気か? 折れているなら、無理はするな。あとは私一人でやろう」
「平気。折れてないし。相手の腕は、へし折ってやったけど」
それは間違いない。
突き立った岩々の中からのそりと現れた――男の姿を見るまでもなく、リアにはそれが分かっていた。
「……キキキ、見た目に寄らずえげつないパワーだねェ。まさか一撃で腕をへし折られるとは、さすがに身共も想定外だった。どうしたもんか、コイツはちょいと思考が必要だ」
力感のなくなった右腕をプラプラと左右に揺らしながら、男が笑う。
笑う余裕があるのかと、リアは訝った。
と。
「思考などしても無駄だ。この状況、どうあっても貴様に逆転の目はない。あきらめろ」
同様に感じたらしいジャックが、こちらの気持ちを代弁するかのように言う。
が、男から返ってきた言葉は、二人がまるで予期していなかったそれだった。
「キキキ、了解。では『あきらめよう』。あきらめて、退却させてもらおうかねェ」
「……なんだと?」
退却?
ジャックが両目を見開き反応するが、リアも彼と同じ心境だった。
この男は、いったい何を言っている?
「おまえさんたちは眉目秀麗で、身共のタイプではあるが、命を失うかもしれねえリスクを冒してまで愉しもうとは思わねェ。ああ、思わないさ。思わないから撤退だ」
「……ふざけているのか? 逃がすわけがなかろう」
「いーや、兄さん。おまえさんがなんと言おうが、身共は逃げる。今から逃げる。さあ、見てな。華麗に逃げて見せようさ」
リズムよくそう言って、黒髪黒目の男が大仰に振り向く。
彼はそのまま、言葉通りに走って逃げた。
意味ありげな視線で、チラリとこちらを見やったあとに。
「――――っ!? あいつ、本当に……ッ!!」
ジャックの目の色が、目に見えて変わる。
リアはすぐさま、彼の頭を全力で冷やしにかかった。
「ジャック、落ち着きなよ! たぶん罠っ! どこかに誘い込もうとしてる!」
「そんなことは分かってる! だが、誘い込まれる前に勝負を決める! 十メートルと逃がさんさ!!」
もうすでに、十メートル以上逃げられている気もするが。
が、そう啖呵を切ると、ジャックは矢の勢いで駆け出した。
リアも慌てて、あとを追う。
あとを追いながら、彼女は考えた。
この場合、どういった罠が考えられるか?
(……一番、シンプルなのは伏兵。仲間がどこかに潜んでるパターン。でも、この見晴らしのいい場所で、そのパターンをやるのは難しい)
少なくても、目に見える範囲に隠れられる場所はない。
だとしたら――。
(トラップ? 落とし穴とか、普通は引っかからないけど、でもジャックだし……)
絶対大丈夫とは言い切れない。
当然、頭には入っていると思うが――念には念を入れて、リアは注意喚起の口をひらいた。
「ジャック、トラップには――」
が。
中途で、彼女は口を閉ざした。
逃げる男の動きに、微細な変化があったのだ。
彼女はその変化を見逃さなかった。
(あごの先が、わずかに動いてる……! 詠唱!? まさか、上級魔法の詠唱!?)
まさか。
全力で走りながら、上級魔法発動の準備を済ませるなど普通なら不可能だ。
詠唱はできても集中ができない。
だが、相手は十二眷属。それができても、不思議はない。
リアは改めて、注意喚起の口を再度ひらいた。
が。
「ジャック、あいつ……上級魔法を――」
使う気かもしれない――。
と、そう続けるつもりだった。
だが、リアは最後まで言い切ることができなかった。
途中で、男の動きがピタリと止まる。
その次の瞬間には、彼はこちらを振り向いていた。
こちらを振り向き、そうして――。
「まずは一匹! 喰らいな、兄さん! モル――」
ズンっ!
…………。
…………。
…………。
言葉が、止まった。
黒髪黒目の男の言葉が、その瞬間に止まる。
上級魔法発動まであと数文字、という段階で、男の言葉が突と止まる。
「…………は?」
代わりに彼の口から落ちたのは、上級魔法発動とはおよそ無関係の間抜けに呆けた一音。
彼の身体はそのまま、仰向けとなって、土の地面にバタリと倒れた。
ゴドルフィンの切っ先に、左胸を正確無比に貫かれた状態で。
「的が止まって、当てやすくなった。この距離なら急所は外さんよ。愚かな判断ミスを犯したな」
終結。
久しぶりに見る、ジャック・ヴェノンのドヤ顔だった。
◇ ◆ ◇
同日、午前8時53分――ラドン村北東部、旧教会跡地。
「で、どうする? 私はこのあと、ギルバード様と合流する予定でいるが……」
動かなくなった男の身体から、ゴドルフィンをスッと引き抜き、ジャックが言う。
リアはほんの一瞬、うつむき加減に考えると、
「……あたしは、ルナを探すよ。セーナ姉のことも気になるけど、やっぱりルナが心配だから……」
「あの娘はそうかんたんにやられるようなタマではないと思うがな。もう一人の桃髪女と違って、肝も据わってる」
「…………」
分かっている。
それは、分かっている。
最初に会ったときよりも、ルナの実力は大きく上がっているし――戦闘中に熱くなりやすいという欠点はあるが精神力も強固だ。
でも――。
「自分たちの戦いに巻き込んでしまった、という自責の念でもあるのか? だとしたら、それをあの娘が聞いたらなんと言うだろうな。単純に、怒るんじゃないのか?」
「…………」
怒るだろう。
間違いなく。
自分で決めたことだと、まっすぐな目をして言うに決まっている。
それでも――。
「まあ、好きにすればいい。だが、くれぐれも油断はするなよ。おまえの死体と会うのは、ぞっとしないからな」
「……その言葉、そっくりそのまま返すよ。あんたの死体姿なんか、気持ち悪くて想像したくもない」
「想像する必要はないさ。私がその姿になることは、万にひとつもないからな」
「なら、お互い様だね。あたしも、そんな姿になることは万にひとつもない」
誓って、言える。
自分だけじゃない。
ルナも、セーナも、誰一人、そんな姿にはさせない。
リアは、覚悟のまなこで言った。
「あたしたちは、全員揃ってギルティスに帰る」
なにがあっても、この思いだけは揺るがない。
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