隣の席の勇者くん~人類最強(候補)の男の子が毎日隣に座っています~

ツルカ

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力弱き少女(sideリュール)

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 雪が、降る。
 それは龍と暮らす日々の終わりを告げる合図だ――




 イザールの民は、岩山で龍と共に暮らす。
 生まれたときから当たり前にそう過ごしてきていたから、それが人間の暮らしとしては特殊なものであったのだと、俺は長く知ることはなかった。

 龍はいつも居る訳ではないが、人々に恵みを与え、また魔の力の脅威から守ってくれる存在だ。
 その恩に報いるように、俺たちも龍へ大地の恵みの農作物や狩りの獲物を供える。彼らは人と共存することを受け入れているように思えた。

 しかしそんな龍も寒さを嫌い冬場は住処を変える。人々も雪山での暮らしは困難だ。
 雪が溶け温かくなり龍が山に戻って来るまで、イザールの民は麓の村で暮らす。

 それが俺たちの生き方だった。





 幼少期を終えると、俺の体は誰よりも大きく強くなった。

 強靭な肉体を持ち、そうしてイザールの民の中でも類まれな、龍の意思を強く感じられる者になることが出来た。

 時折姿を現す龍の、言葉自体が分かるわけではない。
 けれど、強い感情や、彼らの求めているものが不思議と分かる。
 そうして彼らも俺の意思を汲み取って実行してくれる。

 龍の血を引く一族と言われるイザールの民には、稀にそう言った者が生まれることがあるのだ。

 しかし、民が龍に願うのは、一つのことだけだ。

 魔の力に犯された大地や植物……時には人から、魔を祓ってもらうことだ。
 龍の放つ聖なる炎は、魔の力だけを焼く。
 人や物はそのままで、熱さも感じず、魔物由来の魔力だけを消し去るのだ。

 イザールは魔の森から遠く離れているとは言え、人が生きている限り、魔の力が由来する穢れは少しずつ人々の交流の中で運ばれてきてしまう。

 ほんの少しの穢れすら残さぬように、清廉な土地を保ち続けたいと……そうすることでこの地を龍の住処にしてもらえるようにと願いながら、イザールの民は生きている。

 龍と共に暮らし、誰よりも優れた肉体を持ち、イザールの民に頼られる日々の中……俺に出来ないことなどほとんど何もなかった。
 山のこと、龍の生態、俺は何でも知っているように思えていた。
 しかしそれは後になって、人の社会では何も知らないのと同じことだったのだと知ることになる。

 麓の村での初等教育が終了する歳に、国からの迎えがやって来た。

 『勇者の適性があるので、訓練に参加して欲しい』と。
 勇者と言うものさえ知らなかった。
 魔物を倒す役割を担う、強い力を持つ者のことなのだと言う。

 そこで初めて『なぜ』と思った。
 魔物を退けるのは龍であるはずなのに、人の力でやつらと戦おうなどと無謀なことを考えているのだろうかと。

 村のものたちは疑問に思わないようだった。
 俺が真実だと思っていたものは、小さな村の中でしか通用しないものだったのだ。

 そう俺は、何もかも知っているような気持ちだけが膨らんでいた、何も知らないただの子供だったのだ。

 役人にはそんな役割を与えられても困ると断ったが、拒否権などないと断言された。

 イザールのほとんどの民は生涯をこの地で暮す。龍に近い存在であるならば尚更、龍から離れることなどないはずだった。

 困惑する俺をイザールの長が諭した。こうなっては俺を置いておけないと。

 そうして俺は国軍の訓練に参加することになった。
 12歳だった。
 まるで冬の初め雪が降り出し山を降りるときのように、俺の居場所は、多くの国民に『辺境の地』と呼ばれる場所から王都にある軍の訓練施設へと移ることになった。






 幼く、社会的にものを知らぬ俺には、訓練施設での日々は苦痛でしかなかった。

 訳も分からず差別され、見下され、過剰な訓練や体罰が与えられた。

 けれど肉体的な苦痛はなんでもないことだった。
 俺は国一番に栄えた都の中で、行き交う多くの人々を見つめながら、初めて、自分がたった一人きりで生きているのだと言う孤独を知った。

 俺の知っている常識を、知っている者がどこにもいないのだ。
 代わりに他の者が知っていることを、俺は何一つと言えるほど知らなかった。

 イザールの暮らしの何を話しても意味が通じない。また彼らの話も俺には通じないことが多かった。街に生きる人ならば当たり前に知っているような文化も常識も何も知らない。

 俺の知っている常識、それの根本は龍にある。
 龍は、世界を支える礎だ。

 魔を祓えるのは龍の吹き出す聖火しかない。
 また龍の脅威を抑えられるものも魔物しかいない。

 その2つは絶妙なバランスで、生き物が生きていける『隙間』を生み出してくれていた。

 しかし生物は魔の力に感染しやすい。
 龍から聖火というほんの少しの恩恵を受け魔を祓いながら、人の営みを紡いでいくことが要だと思っている。

 この世界は龍と共に暮らすことでしか成り立たないはずだ。
 だからこそ、人々は彼らのことを神龍と呼んでいたはずなのに。

 そのはずなのに……まさか、国の民のほとんどは、それを知らないようだった。

 そうして俺が龍の血を引く一族の末裔だと言うと、誰もが畏怖の感情を膨らまし、怯え、いくらかの人々は迫害してくる。

 無知だ、と思ってしまった。
 知っている者が少ないというのならば、社会を変えなくてはならないのかもしれないと、初めは使命感が生まれた。
 しかしそれでも、彼らの態度は理不尽だと、思ってしまった。

 訓練学校に居た頃に俺の中に育まれたものは、ただ孤独と、幼い正義感と、不当な仕打ちに対する怒りだけだった。

 そうは言っても俺は自らの無知さを恥じ、一般の人々と同等の知識を得られるように学びながらも、学べば学ぶほど、なぜ同じ人間同士の中でこれほどにも差別や格差があるのかと、社会の仕組みの根本に疑問を持ち続けていた。







 15歳になると高等教育施設に送られた。
 三年も軍で訓練と業務させておいて、今更勇者候補として学んで来いと言う、呆れるような国からの命令だった。

「みすぼらしい……庶民の出らしいですよ」
「あのような方が勇者候補だなんて」
「俺たちの方がよっぽど優秀なのに」

 そんな陰口は、軍に居た頃と何も変わらないものだった。
 軍でも実力の高かった俺は、生まれも育ちも最高峰であるはずのエリートたちの居る部門に配属されていたが、俺の生まれの問題で迫害されることは当たり前にあった。

 しかし、軍でも学園でも、誰にも言っていないことがある。否、言っても信じて貰えたことがなかったというのが正解か。

 俺は、龍と意思疎通をはかれる、今この世界のほとんど唯一の者だったのだ。
 龍の意思を感じ取れる特殊な力は……それは何も龍だけが対象ではなかった。

 人の強い感情や欲求を、俺はわずかながら感じ取れる能力を持っていた。

(口で言わなくても……すでに聞こえているようなものなのだが)

 恐怖。怯え。嫌悪。不満。
 軍に居ても学園に来ても、何も変わらない。俺に向けられる感情はそんなものばかりだった。

 俺自身に足りないものが多いことは知っている。
 学んでいくことを放棄してはいない。
 不快にさせる言動があるならば改める。常識も学んで行く。
 けれどそれでは追い付かないほどに、嫌悪の目が向けられる。

 俺が人々の普通が分からないから、庶民だから、イザールの生まれだから、龍の血を引いているから、人外の能力を生まれ持っているから……。

 俺を弾くのは、いつだって理由が付けられた『何か』だ。

(きっと、ずっとそうなのだろう……)

 この頃にはすでに、最初に芽生えた正義感を失っていた。
 力ある者として義務だけが課せられ、人々の為に生きよと命令が下されるのに、人が俺に向けるのは負の感情だけだった。

 義務を怠る気はない。
 けれど、人の中で生きることは、俺が異端であると知って行くことだけだ……。

 国の命令から逃れるすべを見つけたら、いつか俺は俺自身でいられるたった一つの故郷、イザールに還ろうと思っていた。








「リュールくん、宜しくね」

 隣の席になった彼女は、俺の名前を嬉しそうに呼んだ。
 頬を染め、輝くような笑顔を向けて。

 俺は人の感情をわずかながら感じ取れる。
 その時彼女の心の中は、叫び出したいほどの歓喜で溢れていた。

 ……なぜ、と思う。
 俺を知らないわけではないようだった。
 庶民だからだろうか、と思う。

 けれど、後から知る。庶民たちのクラスの中でも、最初から俺に親しみの感情を向ける者など、彼女しか居なかった。

 毎日、俺の名前を嬉しそうに呼び、微笑む。

 不思議に思いながらそんな彼女と交流を続ける。買い物に困り市場で彼女を見つけたとき、彼女ならば俺の問いに答えてくれるだろうと思った。すると気軽に自宅に食事に来るようにと誘われる。食事は美味しく、それからは彼女の家のことを手伝いながら夕食を食べにいくことになった。

 彼女からは感じ取る通りに、俺に対してなんの壁も持っていないようだった。

 彼女は小さな体の、庶民の中でも弱い部類の人間だった。
 何かに秀でているわけでもない、人に頼りながら生きている。
 そんな彼女だけが、俺に対して、まっすぐな瞳を向ける。

 一体彼女は何者なのだろうかと思う。
 けれど俺は彼女がただの少女なのだと言うことも知っていた。

 そうして――

 驚くことに彼女は、俺を虐げ続けた貴族と『友達』になって行った。
 『庶民』だから俺に嫌悪を向けていたはずの『貴族』がだ。

「きっと、知らないだけなんだよ。私も、向こうも、全く同じように。同じ立場になったら、きっと誰でも同じことを言うんだよ」

 同じ人が、生まれや境遇が違うだけで違う人になるのだと。分かり合えなくともそう言うものなのだと言い切る。
 壁のない彼女の心が、相手の心からも壁を消し去るかのように、彼女は日々交流を広げていく。

 彼女に釣られるように、庶民のクラスの子たちや、彼女の友人の貴族の子たちが俺に話し掛けるようになった。

 そんなことは育成クラスに居た頃の俺には想像も出来ないことだった。

 理由を作られ差別されることに慣れていた俺は、理由など後付けて作られるのだと知った。
 マノンは『庶民』だからと一概に差別されることなどなかったのだから。

「リュールくんは、出来ることが多すぎて、大変だね!」

 彼女に微笑みかけられると、俺の中の幼さが溶けて行く。
 持てる者としての義務を課せられ、苦しみを抱え続けた俺を、ただ出来ることが多い者だと笑い飛ばす。
 たった一人心の中で、どうしようもないことだと絶望し怒りを抱えた未熟な俺の小ささを、今なら嗤える。

「リュールくんと、みんなと村祭りに一緒に行きたかったから、少しでも会えて良かった」

 ただの友達として自然に共に過ごしてくれている。
 彼女が心からその台詞を言っていることは、俺には感じ取ることが出来ていた。

 心からの真心を、隣の席であるだけの俺に向けてくれている……。

 彼女は何も特別なことをしている意識を持たないのだろう。
 けれどただ存在してくれているだけで、人に対して壁を作り勝手に絶望していた俺の幼さを教えてくれた。

 弱く小さな何も出来ないと言う少女が、俺には到底出来ないことを自然と行い、きっと俺だけではない……たくさんの人を救って生きている。

 果たして勇者とはなんなのだろうか。
 ただ力が強いだけのもののことか。

 弱いはずの少女の方が俺よりも、はるかに人の役に立っている。

 彼女は確かに出来ることは少なかったけれど、人に対して感謝を忘れていなかった。
 心からありがとうと言われると、誰もが彼女の為に何かをしてあげたくなる。

 彼女の中の感情の核に、俺はすぐに触れることになった。

 村を案内してもらった日、彼女の家の墓の前で言っていた。

「感謝するのは……きっと当たり前のことなんだ。助けて貰えたから、魔物を追い出せて、村が元に戻れた。身体が弱かった私も、ずっとお母さんが助けてくれた。お母さんが亡くなってからもおばあちゃんが、おばあちゃんが亡くなってからも村の人たちが……すごく助けてくれたから生きて来れた。私はこの村も、みんなも大好きなんだ」

 まるで亡くなった者たちに感謝を伝えるように、彼女は祈るように、目の前の人々に『ありがとう』を繰り返していたのだ。

 それほどの想いが込められた言葉だから胸を打つのだろう。

 思わず抱き締めてしまった彼女の体はとても小さかった。
 痩せていて小さな子供のようだった。

「怖くないか?」

 そう聞くと「ずっとこうしていたいって思うくらい安心する」と返される。

 俺は彼女の感情を感じ取っている。
 瞼を閉じ、俺の胸に体を預ける彼女からは、心からの安らぎを感じられるように思う。

 龍の血を怖がらない。勇者の力を畏怖しない。未だ不愛想な俺を嫌悪しない。
 言ってみればそれだけのことなのに。

 ただそれだけのことを……いや、それほどのことを……してくれる人に出逢ったことなどなかったのだ。

 それは俺にとっては初めて、人を知ったような気持ちになれることだった。

 義務として課された強き者の力を。
 人々の為に使う気になどなれなかったが、マノンのためになら使える。

 人の中で誰よりも弱い、いつ倒れてしまうかも分からない彼女を守る為に使いたいと……。

 彼女を守る為に村を、街を、都市を、国を守らなければならない。
 そうしなければ、いつだって一番弱い者から命を失って行くものなのだから。









「今回も土産沢山買ったね~」

 そう話しかけて来たのは、軍の中でも俺の上官だった男だ。
 たれ目の、いつも上機嫌な笑顔を浮かべる胡散臭い奴だ。モテそうな外見の、けれど笑顔の裏の冷たさが見え隠れする油断ならない男。30代くらいなのだろう。

「世話になった……」

 世間について疎い俺は、この学生パーティーの討伐から帰る度に、その地方の土産についてこの男に聞いていた。
 今も討伐が終わった帰りの行程で、立ち寄った村で買い物を済ませたところだ。

「おお……なんかどんどんいい子になってるねぇ」
「……」
「お礼なんて気軽に言ってくれる子じゃなかったのに」

 軍の時代、俺はそんなやつだったのだろうか。

「それはすまなかった……」
「いや、お礼を言われるような交流もなかっただけだし」

 確かに誰とも深い付き合いなどしてこなかった。

「で、どんな子なの。君をそこまで変えた女の子は……?」
「……」

 土産を買いたいと言うと、どんな相手に?と聞かれたので正直に答えていた。同級生の女の子にだと。

「マノンは……魔性の女だ」
「魔性の女!?」
「誰もが彼女の笑顔に魅了され、どんなことでも叶えてあげたくなる」
「そんなに……!」
「老若男女、身分さえ越えて、誰もに愛される」
「え……大丈夫なの?そんな子が学校に居て?傾国の美女じゃないの!?」
「味方が多くいるから大丈夫だろう」
「味方って……なんか色々心配だよ。未来を背負う若者たちもお前のことも……」

 ブツブツと上官は何かを言っている。

 俺はマノンのことを思い浮かべる。

 今回の旅は収穫が大きかった。
 村のこと。マノンのこと。早く会って伝えたい。

 俺達の元へ他の兵士がやってきて上官に何かを耳打ちした。

 上官はぎょっとしたように目を見開いてから俺を見つめて言う。

「魔物の大群が……学園のある街に向かっているそうだ」

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