次期ご当主様の花嫁選び

ツルカ

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若君様と鬼の気配(1)

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「今日は部活を休んで、友達のところに行きたいの」

 妹と過ごしていた保健室での昼休み。
 陽奈はお弁当箱の蓋を閉めるとそう言った。

「お友達……?」

 首を傾げて考える。

(私の妹、友達いたんだ)

 陽奈が不登校になってから、友達の話をするのは初めてだ。

「どんな人?」
「うーん、実際に話したことない人なんだよね」
「はい……?」

 話したこともないお友達とは。

「ちょっとおねえちゃんに詳しく話しなさい?」

 悪いお友達だったらどうしよう。
 父母の亡くなった今、陽奈の身を守るのは私の役目だ。
 安心させるようににっこり笑ってそう言うと、陽奈は少し嫌そうな顔をした。

「……大丈夫だよ、学校の人だよ」
「学校の人?」
「そう、私とはネトゲでしか遊んだことないけど、身元は確かな、引きこもりの同級生男子だよ!」

 身元が確かな引きこもり同級生男子。……のお友達。
 ふむ。
 学校の人なら、とりあえずは安心して良いのかもしれないけども。

「ゲームの中で仲が良いの?」
「うん。友達の友達が共通しててね、同じネトゲするようになって、お互い引きこもってたからずっと一緒に遊んでたの」
「なるほど」

 陽奈は中学の頃に学校に行かなくなってから、部屋でゲームをしていたみたいなんだよね。

「最近元気がないみたいで、あまりログインしなくて気になってるの。ちょっと言動もおかしくて。学校にだって、私と一緒になら、保健室登校することも出来るって伝えたい。顔は知ってるんだよ。初等部では登校してたし、違うクラスだったけど」
「そっかぁ、心配なんだね」

 陽奈が一番辛かった時期に私はたいして力になれなかった。そんな時に一緒に遊べていた人なのだ。陽奈にとっては、きっと同志みたいな気持ちになれる友達だったんだろう。
 そうは言っても、会ったこともない男子くんと大事な妹を二人で会わせていいのかなぁ。

「私も、一緒に行っても良いの?」
「本当!?嬉しい、ちょっと心配だったんだよね」

 良かった、お節介ではないらしい。なら一緒に行こう。

「放課後部活棟に寄って、お休みすること言付けてから行ってもいい?」
「うん」

 そんな訳で、本日は陽奈のお友達の家に行くことになりました。







 放課後になり部室に行くと若君様がいらっしゃった。
 ドアを開けると、背の高い彼のシルエットが逆光に浮かび上がる。
 本棚の前で本を片手に立っていた若君様は、私たちの姿を見つけると言った。

「やぁ、美月さん陽奈さん」
「こんにちは」
「こんにちは慧十郎様」

 日差しを浴びて、髪を薄い茶色に透かしている。お顔は恐ろしく整っていて美麗だ。そんなお姿を見るだけで私はドキドキしてしまう。

「慧十郎様、今日は私たちはお休みをさせてください」
「そうか、構わないよ。わざわざ知らせに来てくれたんだね」

 ああ、若君様はお優しい。声も優しいし、色っぽいし、何もかもが大好きだ。

「猪瀬くんの家に行きたいんです」
「良かったら、用事が終わったら私はまた戻って来ますよ」

 私と陽奈の台詞に、若君様は一瞬考えるように私たちを見下ろした。

「猪瀬?」

 ゆっくりとその言葉を口にした。

「同級生の?」
「はい。友達なんですけど、様子がおかしいので家に見に行こうかと」
「なるほど、そうか」

 若君様は本を閉じると本棚に返し、そうして私たちに向き直った。

「彼のことは俺も気にしていたんだ。もし良かったら、俺も一緒に行っても良いだろうか?」
「……え?」

 私たちは顔を見合わせる。若君様と一緒に行く?

「実は少し困っていたんだ。頻繁に連絡を取ろうとしているんだが、俺の名で直接面会をしようとすると断られるんだ。友人としてなら、通してもらえるかも知れない」
「断られる……?」

 もう一度顔を見合わせる。

「学園の生徒の健康状態も、安全も、犀河原として把握しておかねばならない。それは妖鬼から心身ともに生徒たちを守るためだ。だが、猪瀬はそんな建前を嫌うやつだ。犀河原の家を毛嫌いして名前を聞くだけで逃げてしまうんだ」

 若君様は苦笑しながら言う。

「ああ……分かります。彼、すっごく屈折してますから」

 陽奈がうんうん頷いている。

「だが俺は子供の頃からの友人として純粋に彼を心配している……それを信じてもらえない」
「分かります!私のことだって学校に通うようになったら急に裏切り者呼ばわりしてきましたよ!裏切りってなに!」

 裏切り者呼ばわりしてくる子を友達と言う陽奈は心がとても広いんだなぁ、なんて可愛い妹を心の中で褒めたたえる。

「一緒に来てくださるのは心強いですが、私だけ通してもらえるならそれでお願いしようと思ってます。構わないですか?」
「ああ、もちろん。美月さんもいいかな?」
「も、もちろんです!」

 そんな訳で若君様も一緒に行くことになりました。







 陽奈がうちの車で一緒に行きましょう、と若君様をお誘いし、さっさと助手席に乗り込んでしまった。

 すると残された若君様と私は後部座席に隣り合わせに座ることになり、私は今日もガチガチと緊張する。二酸化酸素とは。

「美月さん」
「はっはい」

 走行中の車の中で若君様が話しかけてくれる。

「先日は……ありがとう。とても助かったよ」

 若君様とお会いするのは、お屋敷にお邪魔した先日の休日以来だ。

「いいえ。お役に立てるなら本当に嬉しいです。それに昔お世話になったことも思い出せたし、行ってよかったです」

 若君様は漆黒の瞳を私に向ける。
 聡明で、透明な輝きをしている気がするその瞳は、真っ直ぐに私を映している。

「子供の頃のことだろう。おぼろげにしか記憶に残っていないんじゃないか?よく思い出せたね。どれくらい覚えている?」

 どれくらい?
 若君様の台詞を反芻する。
 まだ思い出せてないこともあるんだろうか。

「不安で怖かった時に手を繋いで下さっていたり……確かそのまま二人で眠ってしまったことも覚えてます」
「……」

 看護師さんに起こされて目を覚ましたら、二人で手を繋いだまま眠っていたことがあった。夢でないなら実際にあったことだと思う。

「そうか、覚えていたんだな」
「いいえ、申し訳ないことに忘れてたんです。大事な記憶をやっと思い出せたんですよ」
「……そうか」

 若君様はふわりと柔らかに笑った。
 少し嬉しそうにも見える表情が不思議だった。

 本当に本当に、思い出せて嬉しいんですよ!
 と、声高に伝えたくても恥ずかしくて言えないのだけれど。

「今日、訪問が終わりましたら部室に戻りましょうか?」

 折角会えたのだから、若君様の休息タイムを取ってもらいたい。そう思って言うと、若君様は苦笑する。

「俺は美月さんに気遣わせてばかりだな」
「いいえ、それはお互い様ですよ」

 若君様はいつだって私たちのことばかり考えてくださっているのだから。

「ならば……」
「はい」
「今少しだけ、肩を貸して貰えるだろうか」
「……はい!」

 今。ナウ。幸せのひと時がやってきます!

「ありがとう、美月さん」
「いいえ、ちっともです」

 幸せで成仏しそうになるくらいですから。

 若君様は穏やかに笑ってわたしを見つめる。その瞳がじっと私を捉えている気がしてしまう。

 座り直した若君様はそっと肩を私に触れさせる。

「申し訳ないが起こしてくれるかな」
「はい、慧十郎様」

 若君様は長いまつ毛を伏せると眠りに付く。
 いつ見ても不思議だ。私が彼にとって睡眠薬代わりになってしまうなんて。

 触れる肩からほんのりと男の人の熱を感じる。
 ほんの少しのその熱だけで、私の心は沸騰しそうに熱くなる。むず痒いような心の中の想いが外に出してくれと叫んでいるように暴れる。叫び出したくなる。幸せだと、この人が好きだと。心が叫んでる。

 ふと顔を上げると、陽奈がにやけた顔で後部座席を見つめていた。う、う!?家族に見つかるのはだいぶ恥ずかしい……。

 恥ずかしさと幸福感の板挟みになりながら、猪瀬くんのお家に着くまでのひと時を過ごした。








「……気配がおかしい」

 若君様は起こした時から気難しそうな表情をし、車から降りると猪瀬くんの家を見上げながらそう言った。

 陽奈が若君様の隣に立って言う。

「妖鬼の気配でしょうか?」
「いや……これは、人の中の……サイキの力の気配だ」

 二人は大きな、由緒正しそうなお家の門を見つめる。珍しく緊張した表情をしている陽奈に、ただごとではないものを感じる。

「すぐに家の者を呼ぶ」

 若君様はスマホを取り出すと電話を掛ける。
 心配そうに建物を見つめる陽奈は「……あっ」と呟く。

「行くってメッセしてあるの。返事が来てるかも」

 震える手でスマホを動かす。

「……え?」
「なに?」

 一緒にスマホを覗き込むと、猪瀬くんからの返事の文面が見えた。

 ――『俺はもう駄目だ。レアアイテムは全部お前に送っておいた。好きに使え』

「レアアイテム……?」

 思わず呟いてしまう。
 ゲームの話なのかな?
 俺はもう駄目だ、からどう繋がるんだろ?

「そんな……!!嘘でしょう!?信じられない!!」
「陽奈ちゃん?」
「あの課金厨の廃ゲーマーが!金にならないことには一ミリも動かない守銭奴が!アイテムを手放すなんて……!?そんなの死ぬよりありえないことだよ!!!!」

 絶望感いっぱいに叫ぶ陽奈を呆然を見つめる。
 猪瀬くん一体どんな人なんだ。

「……さて」

 電話の終わった若君様は、呼び鈴を鳴らした。

「久しぶりに猪瀬の顔を見なくてはいけないな」

 その横顔には、なぜだかとても美しく妖艶な笑みが浮かんでいた。
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