次期ご当主様の花嫁選び

ツルカ

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若君様の花嫁探し(4)

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 あの日のことを思い出した。

 若君様の10歳の誕生日をお祝いする日。
 あれは、昔からの儀式としての成人式の日であり、そして私たちの……婚約披露のための日でもあったのだ。





------


 両親を失くしたばかりの、8歳の子供、それが私だった。
 けれど、事故の後入院していた病院には、犀河原のご当主様や、その息子が見舞いに訪れてくれていた。

「君の中のサイキが暴れてるね。大丈夫、君は特別な子だ。すぐに君の世界は凪ぐだろう」

 ご当主様は長い黒髪を後ろで一つに束ねた、とても美しい男の人だった。高級そうなスーツに身を包んだその尊き人を、私は怖いとは思わなかった。頭を撫でてくれる大きな手が、優しく思えたからだ。

「任せていいんだな、慧十郎」
「はい。父上」

 ご当主様は、自分の息子を紹介してくれた。
 その子は子供なのに、見透かすような、大人みたいな瞳をしていた。見たことがないくらいとても綺麗な子。8歳の若君様だ。

「この子が珍しく、君に、というか人に興味を持っている。邪魔にならなければ、話し相手に置いてくれ」

 今にして思えば、不思議な話だ。
 次期ご当主様を、話し相手に置いてくれだなんて。

「僕のことは気にしなくていい。君はよく休んで」

 その頃私はとてもぼんやりとしていて、うまく受け答えが出来ていなかったと思う。けれど二人は気にする様子もなく、その後、ずっと私のことを気に掛けてくれた。








 うなされ飛び起きると、いつも、温かな手が私を慰めてくれる。その子はよく知らない子なのに、まるで家族のように、優しく私を気遣う言葉を掛けてくれる。

 繋いだ手から伝わるぬくもり。無条件で注がれる、まるで家族からの愛情のようなそれに、私は少しずつ彼へと心を開いた。

「どうして優しくしてくれるの?」

 ある日病室で私は尋ねた。
 今までは縁もなかった子なのだ。私はずっと不思議だった。

「君は一族で守るべき子供だからだよ」

 いちぞく、と私は言葉を繰り返す。

「パパの家系の?」
「そう」
「私は陽奈じゃないよ。なんの力もないんだって」

 その子はじっと私を見つめて言った。

「力は関係ない。だけど、君は力持つ者だよ」
「力……持つ?」
「そう。僕ら一族が憧れてやまなかった、血族最高の能力者が君だよ」
「……?」

 意味が分からなかったけれど、その子が嘘を言っているようにも思えなかった。

「……何も出来ないよ?」
「何も出来ないのがいいのさ」

 私が子供だから分からなかったんじゃなくて、大人になった今でも、若君様のお言葉の意味は分からない。

 彼はいつでも私に優しくしてくれて、退院する間際にご当主様とともに言った。

「うちに来る?」









 家族を亡くしたばかりの私は、優しさに縋るように、その言葉を受け入れてしまった。子供だから出来たことだ。

 ご当主様と奥様が、親代わりになってくれるとおっしゃった。今なら信じられない話だ。けれどお忙しい二人とそれほど顔を合わせることもなく、私は一日の大半を若君様とともに過ごした。

 彼は忙しかった。勉強したり、稽古をしたりする若君様を側で見守るだけのことも多い。だけど休憩時間や夜には、二人でたくさんの話をした。

「父さんが、君は僕以外の友達とも過ごした方がいいと言うんだ」
「友達?」
「うん。前の学校の友達を呼ぶ?一族の子供たちを呼んでもいいけど」
「慧くんのお友達は?」
「僕には、君がいるよ」
「……」
「一族の子たちは、僕といると畏まり過ぎちゃうんだよ。今は君がいればいいんだ」

 私は彼のシャツをぎゅっと掴むと親に甘えるときのように言った。

「私も慧くんがいればいい」
「……」
「まだ……学校の友達に……なんて言っていいか分からない」

 私の言葉に、若君様はただ、うん、と頷いてくれた。気落ちしている当時の私と若君様が二人きりで過ごすことを、周りは許してくれていた。

 日々はぼんやり過ぎて行った。
 心にぽっかり穴が空いているようだった。

 おばあちゃんや陽奈が時々会いに来てくれた。
 私はいつでも、大丈夫、と答えていた。

 訳も分からず夢にうなされる夜には、必ず温かな手が私を包んでくれていたから。







 同じ布団の中で眠っていても、注意もされなかった。あれは、大人のような子供であった若君様に対しての、周囲からの絶対的な信頼があったからかも知れない。

「鬼って知ってる?」
「……御伽噺の?」
「うん。いまではそう。でもね、昔に本当に居たんだよ」
「どれくらい昔?」
「歴史の記録に残ってないくらい、昔だよ」
「記録……?」
「うん」

 子供の私には、若君様のお話はいつも難しかった。

「鬼はね、人間に使えなかった能力が使えたんだ」
「サイキの力みたいなの?」
「そう」
「すごいんだね」
「どうかな。力は強かったけど、群れで戦える人間たちに勝てなかったんだ。負けて、追われて、最後の一人も居なくなってしまった」
「仲良く出来なかったんだね」
「うん」
「寂しいね」

 私の台詞に、若君様は嬉しそうに笑っていた。

「やっぱり、君は君だね」
「え?」
「調和を好む」
「……?」
「誰もがそう思えていたら、仲良く出来たんだろうね」

 その台詞は、少しだけ寂しそうに聞こえた気がした。

 あの頃、若君様は、どうして私とともに過ごしてくれていたんだろう。








「今日は一族の子供たちを迎えなくちゃいけないんだけど、どうする?」

 半年ほど経ったある日、若君様が言った。

「うん?」
「子供の成長を祝う日の、一族の行事があるんだ。だけど、喪中の君は出なくてもいいんだ。君のことは、しばらく静かに暮らせるようにしておこうって、父上も言っていたから」
「うん……」

 知らない子たちと会うことは気が引けて、私は3階の部屋の中から、祝いの会を開いている子供たちの様子を伺っていた。

 子供たちは若君様に挨拶をしているけれど、挨拶が済むと遠巻きに彼を見つめていた。

 『一族の子たちは、僕といると畏まり過ぎちゃうんだよ。今は君がいればいいんだ』

 彼の言っている通りに思えた。いつも笑顔の彼なのに、今はちっとも笑っていない。

 若君様がふと庭の一点を見つめて、そこに立っていた眼鏡の男の子に声を掛けた。子供の頃の猪瀬くんだ。

 猪瀬くんは若君様の手を振り払うようにして走り去って行った。若君様はその方向をしばらくじっと見つめて立っていた。









「元気ない?」

 その夜、お風呂上がりの彼の頭をタオルで拭きながら、私は聞いた。

「……なんで?」
「なんとなく」
「ふうん」

 若君様は近寄り難い雰囲気をしているのに、私が何をしてもされるがままになる子だった。今も、顔が髪で覆われているのに、何も言わない。

「ねえ。美月」

 若君様が言った。

「うん」
「僕のこと、怖くないの?」
「……?」

 彼の頭にタオルを押し付ける。ごしごし。

「怖がって見えるの……?」
「見えない……全く」

 何を聞かれたのか分からなくて少しだけきょとんとしていると、彼は顔を上げて、片手で髪をかきあげると私を見つめた。

「なんで怖くないの?」
「……?」

 真剣な眼差しに、答えを間違ってはいけないような気持ちになる。

「怖くないから……」

 だけど子供の私には、これ以上の言葉が出て来なかった。

「ふっ」

 若君様が笑う。それだけで子供の私は嬉しくなる。

「よく分からないんだ」
「うん?」
「父上や母上にも。イノや弟たちにも。何も、感じないんだ」
「……?」

 水気の少なくなった彼の頭からタオルをのける。
 そっと髪を整えるように頭を指でなでても、彼はされるがままになっている。

「僕は、先祖返りで、普通じゃないらしいんだ」
「普通?」
「サイキの力がとても強くて、人より、先祖に近いんだって。だからみんなが当たり前に感じていることが、よく分からないらしいんだ」

 その話は、やっぱり私には難しかった。

「普通じゃないの?」
「うん」
「私にはよく分からないけど……普通じゃなくても、慧くんが好きだよ」
「……」

 小さな私には、あの時、彼は神様よりも神様みたいな人だった。

「賢くて、優しくて、かっこよくて、私を気に掛けてくれて、毎日お話してくれる慧くんが大好き。普通じゃなくちゃ……いけないの?」

 家族でもないのに、亡くなった両親のように毎日私を気に掛けてくれた。双子の妹よりも、祖父母よりも、私に寄り添ってくれていた。

 私には彼が必要だったし、普通でないからと言って、その価値は何も変わらなく思えた。

 若君様は困ったような表情をしてから、笑った。

「たぶんね、いけないんだ」
「なんで?」
「……僕には、よく分からないんだ」
「うん?」
「大好きと言われても、それがどういうものだか分からないんだ」
「……」
「父上も母上も、こんな僕を少し持て余してる。親子なのに、愛情を感じ取れない子供を」

 若君様はそんな話をしながら、ずっと、視線を伏せて寂しそうにしている。

「でも、悲しそうだよ」
「……」
「今日ずっと元気ない。慧くんが元気がないと……私も悲しい」

 若君様は私をじっと見つめて、そうして言った。

「君が元気がないと、僕も気になるよ」

 そうか、と若君様は独り言のように言う。

「こう言う気持ちなのかな……」

 彼は自分の小さな手を見つめていた。







 彼は私が大好きと言うと、どういう風に?と聞くようになった。

 具体的に、その時してくれたことが嬉しかったから、とその都度伝えた。彼は、ふうん、なるほど、と神妙に頷き、そして少し嬉しそうな表情をした。

 その頃から、まるで私は彼の中の空洞に気付いたように、その穴を埋めたくて、彼に優しくしたくてたまらなくなってしまった。

 私は子供だったけど、心に穴が空くことも、それが何かで埋められることも、もう知っている気がしていた。

 私と同じように、彼の穴も埋めたかった。

 だって、人の気持ちが分からないと言いながら、彼は寂しがりやだったのだ。夜中に布団から抜け出そうとすると、彼は無意識のように私を抱きしめてくる。温もりを逃したくないかのように。

 ほんの少しでも、笑ってくれたら、嬉しい。
 でもその前からだって何も変わらなかった。私はただ、慧くんが好きだったのだから。





 彼の両親が私に聞いて来た。慧十郎のお嫁さんになる気はあるか?と。私ははいと即答した。

 子供だった。何も知らなかった。どうしてご当主様たちがそれを望んだのか、若君様が何を思っていたのかも、何も。

 ただ彼の隣で、彼に優しく出来るのならば、それが一番に幸福なことに思えたのだ。
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