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犀河原慧十郎の初恋(5)
しおりを挟むすとん、と。
音がするように言葉が私に落ちてくる。
……私のため。
過去を忘れさせたのも、今こうして再び出会って他人のふりをするのも、全部全部私のため。
あの男の子は、いつも透き通るような眼差しで私を見つめていた。何にも執着を持っていないことを感じさせるような、揺れ動くことの少ない漆黒の瞳。それはとても綺麗で、私は大好きだった。
だけど少し寂しかった。
愛も恋も執着も、何も感じさせてくれない彼の隣で、綺麗だと思うけれど、ひとりぼっちのようで悲しくなった。
少しだけ胸が痛む。
もしも私のためにしてくれたというのなら、それは特別な想いからなんかじゃないと思う。あの子はきっと、私に対してと同じように、彼自身にも執着を持っていなかったんだ。
ちょうど良いからって、ぽいと手放せるくらい。彼はきっと、自分のことも手放せてしまえた。
私は、何が出来るんだろう。
胸の前に手を当てて、心を感じるようにして考える。
何も出来る訳じゃないけど、それでも何かがしたいんだ。
「聞いてもいい?」
ぽつりと言葉をこぼす。
「うん」
「なんだ?」
「ああ」
顔を上げて、三人を見つめて言う。
「私が一族に戻って、誰かと結婚したりしたら、折角人生を懸けてくれた若君様の気持ちを……踏みにじることになるのかな?」
三人はなんとも言えない表情で私を見つめた。
否定も肯定も出来ないみたい。
あれからもうすぐ6年が経つのだ。彼はもう、違う場所に立ち、違う未来を見据えている。
そもそも、大したこともできない私の手助けなど、きっとほんの少しも求めてない。なのに私が戻ってしまったら、折角彼のしてくれたことを、私はただ無駄にしてしまうのだと思う。
「私……諦めた方がいいのかな?」
言葉にしてみると、心臓が引き裂かれるように悲しくなった。
涙がぶわりとこぼれ落ちる。
諦めたくない。好きでいることは、やめたくない。
だけど、もしも私に出来ることが諦めることだけなのだとしたら……もう二度と彼に優しくすることが出来なくなる。それはこんなにも悲しい。
おいおい、と剣くんがため息を吐いて言った。
「俺はそうは思わないぜ」
「そうだな。慧十郎次第じゃないのか?」
「うん……美月ちゃん、あれから会ってないよね。若君様に」
若君様に最後にお会いしたのは、猪瀬くんの家に行った時だ。そう、もうずっと会えていない。あの人は、ちゃんも眠れているんだろうか。
「話し合ってみた方がいいと思う」
「あいつ、思ってもいないようなこと考えてるようなやつだろう。推測で考えるのは危険だよ」
「俺は若君様のお心に従う」
私は、若君様のお気持ちを教えてもらえる存在なのかな。
そんな不安が生まれたけれど、確かにその通りだと思う。
「うん。話を聞いてみる」
「うん、うん!」
陽奈の笑顔に、猪瀬くんが言う。
「慧十郎は、今日は登校してなかったな。剣、若君様のスケジュール知ってるか?」
「俺は知らんが、累なら知ってるだろ」
「累か……」
足を組んだ猪瀬くんが考えるようにして、私を見つめた。
「巻き込まないか?あいつらも」
そんな訳で巻き込みました。
部室にいた累先輩と瑠璃先輩に話をすると、二人は半信半疑のようだったけれど、結局私たちは共鳴をして、10歳のお誕生日の日にあったことと、私の当時の記憶を共有した。
「……なんだこれ。聞いてないぞ」
共鳴が終わると累先輩は頭を振り、薄茶の髪をかき上げ重く重く息を吐く。
「記憶の改ざんとか。とんでもねーなぁ……」
「なに、これ……!」
瑠璃先輩は興奮したように頬を朱に染めて私を見つめた。瑠璃先輩は長い黒髪の美女。瞳を輝かせていると、圧倒的な美しさに包まれる。
「あのスカした慧十郎が!本当に!?うわー!やだやだ!楽っしい!」
想像以上のハイテンション。立ち上がって飛び上がるように言う姿に私たちは若干引いた。なにがいやなのか楽しいのか分からないけれど瑠璃先輩は満面の笑顔だ。
「ああん!もっと早く知りたかった。だから跡継ぎ変わったのね。なんでかと思ってた沙羅姫の留学もやっと理解したわ!」
瑠璃先輩は事情に詳しそうだ。
「ああ……大丈夫よ。私は美月ちゃんの味方よ。あなたのおかげで私は自由に生きられるようになったの。あのままだときっと、嫁候補としてがんじがらめになってたのよ」
瑠璃先輩は高いテンションのまま、私をぎゅっと抱きしめた。
「あいつ……なにも言わないと思ってたら、隠し切るつもりだったのか……」
累先輩は思うところがあるようで、少し落ち込んで見える。俯いて考えるようにしている。
「……はぁ、秘密主義にも程があるな」
「美月ちゃん、わたし力になるよ!どうしたい?一族のお披露目の場を用意する?花嫁修行する?」
私は目を丸くする。
お披露目!?花嫁修行!?
「瑠璃、話が早い」
「ええー、だって、遅いくらいでしょう?折角思い出せたんですもの。二人をすぐに一緒にさせてあげたいわ」
どうしてそうなるの!?
「あの……そんな関係では本当に微塵もなくて……」
友達ですらないのです。
「……ん、何言ってるの?慧十郎が誰かを求めるなんてこと、生涯ないと思ってたのよ。なのに、居たのよ!嬉しいわ。楽しいわ」
「……まぁ、その点は同意するな」
「でも、子供のころのことです」
二人はじっと私を見つめた。
「慧十郎頭固いのよ、知ってる?」
「同意する。一度決めたら、テコでも動かない」
「はぁ……」
なんの話だろう。
「大事な人を一度定めたら、そう簡単に変わらない人なのよ、きっとね」
「なぁ、中学の時の初恋の人って、あの話怪しかったけど、慧十郎なんだろ、どうせ」
え、勘が鋭い……!?
私も薄々そうじゃないかと思ってたけど……。
「あいつ、忘れてなんかいないよ」
「力になるから、慧十郎を、説得しましょう」
このお二人でも、そんな風に感じるんだって、不思議な気持ちになる。
「ありがとうございます。でも、あの、まずは話を聞きに行きたくて……」
ああ、と累先輩が答える。
「慧十郎は、会おうと思うと中々捕まらないよな。次に登校するのは三日後だけど、屋敷に戻るのは明日の夜だ」
「登校は三日後ですか……」
さすがに夜にお屋敷までは追いかけられないし。
「だけど……俺、連絡入れておこうか?」
「え?」
「美月ちゃんが大事な話がしたいと言っていると伝えたら、慧十郎は間違いなく会いにくると思う」
「……」
私は考えてから首を振る。
なんだかみんな、私を彼にとっての特別の人のように思ってくれる。だけど実際はそんなこともなく、ただの知人だ。呼び出していいような存在じゃない。
「大丈夫です、会えた時で。会えなかったら、また聞いていいですか?」
「うん。俺、美月ちゃんの力になりたいから、なんでも言って」
累先輩は優しげな笑顔を浮かべて言った。
「教えてくれたのも、すげー嬉しかった。ありがとう美月ちゃん」
「いえ、こちらこそ……ありがとうございます。累先輩」
累先輩と瑠璃先輩はその日ずっと顔を寄せ合って何かを話し合っていた。過去の記憶が上書きされていたなんてかなりショッキングなことだ。記憶を照合させていたのかもしれない。
次の日。
学校が終わってから、私は制服のままバスに乗った。
方向は犀河原のお屋敷のある場所に近かったけれど、私が向かったのは、一族の霊園がある場所だ。
お父さんとお母さんの入っているお墓。
なんでもないときでも、時々一人でお参りに来る。
もう、あの頃住んでいた家もなくて、写真のほとんどもおばあちゃんの家にあるから、私にとって一番お父さんとお母さんに近い場所はここだった。
夏に近づく季節は、夕方でも明るい。
緑の多いこの場所は、霊園というより、子供の頃家族で出掛けた公園を思い出す。
私と陽奈と、お父さんとお母さん。
笑い合っていた時間は、思えばほんの短い時間だった。
ぽたり、と頬から地面に落ちた水滴が染みを作る。
「お父さん、お母さん」
震える声で呼び掛ける。
「助けられなくて、ごめんなさい」
あの日を取り返せるのなら、どんなことでもする。
だけど、過去は戻ってこない。
何も出来なかった、出来たのに助けられなかった。夢の中に幾度と見た、暗闇の中で横たわる二人の亡骸。
私はきっと生涯、取り返しのつかない過去を悔やみ続ける。
一族が待っていた、望まれた子供である私は、けれど何も出来なかった自分への絶望を抱えて生きていく。
だけど、だからこそ、もう間違えたくないと思う。
もう、二度と、失いたくないって。
「――――美月さん」
風に乗る、低い声が響いた。
顔を上げると、少し離れた木陰に黒のスーツ姿の男性を見つける。
背が高く、長めの髪を後ろに撫でつけているその人は、モデルのようにスタイルが良くて、そして美しい顔をしている。
(ああ……)
もう、小さな男の子じゃない。
そんな当たり前のことに気付く。
こんなにも大人になった。いまは逞しく、凛々しく、麗しい男の人だ。あまりにカッコ良すぎて、視界に入るだけで、心臓がドキドキとしてくるほどだ。
「……慧、くん」
私の呼び掛けに、彼は足を止めた。
表情を固めて、窺うように私を見つめている。
私は名前が呼べたことが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
慧くんに、逢えた。
私も彼も元気に生きていて、6年越しに、また逢えた。
それだけでまるで奇跡のように思えて、嬉しくてたまらない。
涙が滲んで、だけど嬉しくて、へにゃりと笑ってしまう。
「慧くん」
もう一度呼ぶと、彼はゆっくりと瞼を閉じた。
そして目を開けると、今度は私に、子供の頃と同じ透き通るような眼差しを向けた。
何も望まない、何も感情を乗せていない瞳。
猪瀬くんは、あの頃の彼を感情のないロボットみたいだったと言っていたけれど、私には、無条件で側にいて優しくしてくれた神様みたいな人だったのだ。
大好きな、大好きだった人。
「美月」
高かった少年の声は、青年の声へと変わっている。
少し高慢な、人を従えて生きる人独特のような響きのする、彼の呼び声。それは間違いなくあの頃の一番大事な人からのもの。
慧くんと若君様が、私の中でぴったりと重なった。
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