悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月

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14.その敵、強大につき

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 馬車は外の空気が入らないから好きじゃない。いつもそう不満を漏らすレナータは、今日は大人しく馬車に揺られていた。
 これから、王室裁判所にて初回期日が開かれる。代理はエッフェンベルガー家に代々仕えてくれている信頼できる弁護士に依頼したし、誹謗の視線にさらされながら証拠資料も十分集めた。ディヒラー伯爵領の関係でなかなか時間は取れずにいたが、弁護士との打ち合わせも綿密に終えた。
 それなのに、胸騒ぎというまでもないが……、妙な不安感に襲われてやまない。

「お嬢様、どうなさいました?」
「……なんでもないわ。それより、あの変態皇子はここしばらくぱたりと姿を見せなくなったわね」

 忙しく走り回っていたから別に構わないのだけれど。レナータは早口で付け加えた。ついでに自分自身にも、これはただの世間話だからと言い聞かせた。別にカールハインツを見かけないことが寂しい……わけではない。決して。

「そうですね。護衛の方と一緒に早朝に出て行かれて以来ですし、お忙しいのでしょう」

 クロードはその見栄を見抜いていた。が、わざわざ教えることはない。向かい側で知らん顔を決め込むが、それはそれとしてレナータに不安要素があるなら取り去りたい。

「今日の裁判に皇子殿下は不要なのでしょう? であれば、そう気になさらずともよいのでは」
「それはもちろん。もちろん、クロードの言うとおり。……言うとおりだけど、ほら、いつもいる人がいなくなったら気になるじゃない」
「心配せずとも、お嬢様がなされていることに殿下が協力なさっているのでしょう? その成功報酬を受け取る際には現れるのではないでしょうか」

 不本意ながら励ましを口にして、クロードはイヤな気分になった。レナータの顔が複雑ながらも明るくなったからだ。報酬目当てなのは寂しいが、会えるのは嬉しい、そんなところだろう。
 これは話題を変えねばならない。クロードは咳払いした。

「ところで、結局裁判の見込みはいかがですか。一応、メラニー嬢とお嬢様とは対等なので、身分的には公正なものが期待できそうとおっしゃっておりましたが」
「……そうね、その見込みは変わってないわ」

 我に返ったレナータは、静かに頷いた。
 王室裁判所では、身分が帰趨に直結する。レナータとメラニーだけを比べると、本来はメラニーのほうが格下と扱われるはずだが、レナータは“落ちた辺境伯”と侮られている、ゆえにその地位はイーブン。
 問題はエーリヒの存在だ。まだ婚約段階にはないはずだが、メラニーにどの程度肩入れするだろうか。辺境伯から訴訟を起こされた不名誉な伯爵令嬢としてその評価を落とすか、それとも言いがかりをつけられた哀れな伯爵令嬢と同情するか。

「エーリヒ殿下のことは心配ではあるけれど……並行して進めておいた一件があるから、それがあれば殿下もうまく損得勘定はすると思うの。だから心配材料はない、はず……」

 ぐぬう、とレナータが可愛らしい顔立ちを歪めた頃、馬車が停まった。裁判所に着いたのだ。
 扉を開けると、裁判所周辺には人だかりができていた。どうやら、当事者がレナータ・エッフェンベルガー辺境伯とメラニー・ディヒラー伯爵令嬢だというのが漏れ、耳目を集めているらしい。
 最初に書記局へ寄った後、弁護士に連れられて法廷に入る。メラニーは弁護士と共に既に席に着いていた。その身につけているものは煌びやかな新品ばかりで、それだけ見るといくら慰謝料を払わされようが痛くもかゆくもないと言っているかのようだ。
 そしてやはり、法廷内にはエーリヒもいる。単なる貴族同士の諍いを見物しに来るほど王子は暇ではない。逆にいえば、今回の一件に噛むほど、エーリヒとメラニーの関係は深まっているということだ。

「これは早急に手を打ったほうがいいですね」
「ええ、おっしゃるとおりだと思います」

 レナータが耳打ちすれば、弁護士も頷いた。
 王室裁判官が法廷に入り、事件番号の呼び上げによって、レナータのメラニーに対する名誉毀損に基づく損害賠償請求事件が開廷した。

「メラニーは、自らが所有しているペンダントと、レナータが身に着けていたペンダントとが全く別物であると知りながら、私に盗まれたがゆえに手元にないのだと主張し、公衆の面前において大声で私を盗人と非難しました。結果、私は皆に盗人と認識され、社交界で爪弾きにあっております。このように、メラニーは公然と虚偽の事実を指摘し、レナータの社会的評価を低下させ、その名誉を毀損したものであります」

 レナータの主張に対し、メラニー側は当然これを否定した。

「レナータの身に着けていたペンダントは間違いなくメラニーのものでした。メラニーが糾弾した場には他に人はおらず、他の者が勝手に話を広めたにすぎません。その後、レナータは自らの犯行が明るみになったと知り、慌ててメラニーの手元にペンダントを戻しました。なお、レナータはペンダントを盗んだ後、贋作の制作を試みたようで、現在、互いの手元にはまったく別のペンダントがあります」

 その後も二人は侃々諤々と争ったが、メラニーの主張はどこまでも言い訳がましい。なにせ、いま法廷に提出された双方のペンダントはそれぞれ全く別物で、手が届く距離で見れば、「似ている」などとは到底言えない。それを受け、メラニー側の弁護士は、大きな腹を見せつけるように立ちながら堂々と述べた。

「レナータが提出したペンダントは、社交界で身に着けていたものではありません。レナータは、メラニーに罪を着せるため、別のペンダントにすり替えて提出しております。これは偽証罪にあたり、到底許されるものではありません」
「ええ、許さないわよ」

 さらなる言いがかりに、レナータは呟いた。
 すり替えなどないことは、レナータの主張を聞けば分かること。公平な目で見れば「メラニーが妙な言いがかりをつけた」ことは明白だったが、その途中、メラニー側からもうひとつの主張が出る。レナータの言動を裏付ける、その動機について。

「レナータは、自らが女性として認められる機会がないことに、長年歯痒い思いをしてきました。その点、メラニーは才色兼備の淑女と誉めそやされ、またエーリヒ殿下ともいい仲にあり、まさに自分の手に入らないものをすべて手中に収めていた。そのことに嫉妬して犯行に及んだほか、逆上して裁判まで起こしたのです」

 侮辱だ。レナータの内心で、怒りの炎が静かに燃え始める。メラニーにはなにか勘違いが、などと惚けたことを考えていた少し前の自分の顔に水でもかけてやりたい。メラニーは、徹底的にレナータを貶めたいだけだ。

「……そういうことなら、私はあなたの持つものを根こそぎ剥ぎ取るしかないわね」

 冷たい殺意を感じ、後ろに座っていたクロードは背筋を震わせた。
 ただ、レナータはいたって冷静だ。裁判官の顔を注意深く観察し、初回期日にも関わらず、裁判官たちが結論を決めたことにも気が付いていた――“傍聴席にいるエーリヒはメラニーの味方、ということは、この裁判の結論は棄却以外に有り得ない”。
 メラニーもそれは分かっているのだろう、弁護士の隣で勝ち誇った笑みを浮かべている。形式上、次回期日も開かれるが、あくまで形だけだ。次々回には判決期日が設定されるだろう。
 想定の範囲内だ。

「では、本日はこれで閉廷します」

 メラニーは勝利を確信してレナータに視線を向ける。予想外にもレナータが毅然とした態度でいたため一瞬訝しむが、すぐに鼻で笑い、立ち上がった。

「メラニー」
「なにかしら、レナータ」

 それを呼び止めれば、メラニーは怪訝な顔をした。その足がエーリヒに向かっていることも、裁判官に強く印象付けられているだろう。
 だが、そんなことはこの手札の前では塵も同然。

「お父様によろしくお伝えしてね」
「……ああ、例の海洋利権のこと?」

 口にはしたものの、メラニーはその内容は大して知らず、レナータが謝罪代わりに持ってきた話だと聞いていた。だから、敗訴を恐れたレナータが互譲ごじょうの材料を提示したのだと考え、鼻の穴を膨らませる。

「まあ、口添えしてあげても構わないけど――」
「海洋利権? 何の話をしているの?」

 それを、今度はレナータが笑い飛ばした。

「ディヒラー伯爵が私の父に罪をなすりつけた件について、慰謝料を求める訴状を書記局に提出しておいたわ。もうすぐあなたのお父様も裁判に引っ張り出されるから、よろしくねと言っているのよ」
「……は?」

 物見遊山で傍聴席にいた者達からどよめきの声があがる。貴族間の裁判上の紛争、それ自体は評価を低下させるものではない。しかし冤罪を創出していたとなれば話は違う、もし認められた場合には“事件以外にも汚い手を使い現在の地位にいるのではないか”と信用が失墜する。
 もちろん、王宮で高い地位を得ている貴族は、その身が真っ白い者ばかりではない。ただ、黒を許さぬという建前はある。

「それから、伯爵の詐欺、背任そして横領についても告発しておいたわ。しばらくお父様はお忙しいかもしれないから、しっかり支えてあげてね」
「背任に……横領……?」

 そして、そのディヒラー伯爵の嫌疑をここで暴露する意味はもうひとつ。
 事実であれば爵位剥奪も有り得るほどの罪を犯した伯爵を父に持つ令嬢を、裁判という公の場で庇うほどの利益が、王子にあるか?
 メラニーが縋るようにエーリヒを見る直前、エーリヒが目を伏せるふりをして無視したのを、レナータは見逃さなかった。
 エーリヒはまだまだ未熟、その場の空気に簡単に飲まれてしまう。現段階ではディヒラー伯爵の罪が証明されたわけではない。しかし、レナータは正式な手続きを踏んでそれを告発し、さらに公の場で堂々と言っている。ということはよほどの確信がある、つまり事実なのではないか――そう信じてしまう。

「あ……あなた、何を馬鹿なことを言っているの? 詐欺? 背任に、横領ですって? 大体、エッフェンベルガー辺境伯の冤罪を暴いたのはほかでもない、私の父よ!」
「エッフェンベルガー辺境伯は私よ、メラニー」

 そうやって、自分と同い年の女に当主が務まるはずがないと軽率に馬鹿にするから、痛い目を見る。

「それから、裁判外で事件の話をするつもりはないわ。ごきげんよう」

 あとは、粛々と駒を進めるのみ。怒りと狼狽に震えるメラニーを残し、レナータは殺意を抑え、王室裁判所を後にした。
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