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第2話 青葉さんは営業部エースを硬派に更生する
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事の発端は一ヶ月ほど前、うだるような暑さがいつまでも悪あがきをしていた10月半ばのことに遡る。
判を押したような毎日を過ごすようになり、何年が過ぎただろう。新卒の頃は何もかもが初めてで、まだ学生気分で飲みにも出掛けて、少し慣れてきたと思ったら全く新しい仕事をしてと、目が回るような日々だった。
しかし5年も経てば、良くも悪くも一端の社会人だ。曜日ごとに切り取ると、それが何月の何週目の金曜日なのか分からなくなってしまうほど、毎日は代わり映えしない。
だからその金曜日の俺も、9時に出社して、朝一のチームミーティングを済ませ、積み上がったタスクを順次消化していただけだった。あと3分経って6時になったら仕事を切り上げ、いつもの地下鉄に乗って、いつものスーパーで10%値引きが貼られた総菜を探して、帰ったらそれを食べながらゲームを起動する――そう決まっていたはずだった。
もう電源を落としていいか。トラックボールを軽く右上方向に動かしたとき、通路を歩いてくる同期の姿が見えた。営業部の森川だった。
今日もしっかり外回りをこなしてきたらしく、白いシャツの袖は乱暴に捲られていた。見えている肌は俺と違ってしっかり小麦色で、そして顔はすっかり疲れている。きっと厄介な相手と商談をしていたに違いない。
その森川はまっすぐ俺のもとへ向かってくる。きっと飲みの誘いだろう、と当たりをつけていたし、森川はすっと俺の隣に座った。
「白沢、婚活パーティーに付き合ってくれないか」
「ごめんなんだって?」
が、その発言に声がひっくり返った。
コン……コンカツって言ったか? 婚活パーティー? いやいや、毎週毎週俺とディスコを繋ぎながらゲームをする以外に趣味のない森川に限って、そんなことを言い始めるはずがない。俺の知らない単語に違いない。
そう困惑していると、森川が「コンカツパーティーだ」と繰り返した。
「コンカツ……パーティーってなんだ」
「運営がいる合コンのアレだ。いわゆる街コンとか、事前の申込みがあって男女が集まってマッチング相手を探す、アレだ」
「……おお」
例えは言い得て妙、そして説明も淀みなく、さすが営業と感心した。しかし理解したところで困惑は消えない。
「なんで婚活? 彼女欲しくなったのか?」
「話せば長いんだけど、今日会った取引先の担当者が『知り合いがやってるんで』って初回無料券をくれたんだよ。いまちょうど競合と奪い合ってる取引先だからさ、行って話題作りをしたい」
「あまりにも短くて納得できる話だった」
「あちこち断られた後なんだってことは察してほしい」
森川は「参ったよ」とぼやきながら、椅子の背に少し凭れかかった。
「婚活パーティーって言ったら要は彼氏彼女を作る場だろ? 今の時代、彼女いるのかって聞いただけでもセクハラだからな。一緒に行ってくれないか、なんて聞けるのは白沢くらいってわけだ」
俺と森川は、入社同期であると同時に地元が同じだった。もちろん、入社するまでは全く知らない仲だったのだが、実は小学生まで住んでいたところが電車で一駅の距離だったと判明した。男とのそんな運命など要らん、と当時は笑ったのだが、お陰で今も学生の延長のような仲でいる。
「そういえば、最近先輩がセクハラで注意されたんだっけ?」
「そう。でもあれはしゃーない、指導のためとか言ってLINE聞きだして、しつこくデートに誘ってりゃな」
先週聞いた話だ。なおその先輩は、コンプライアンス部に気持ち悪い個人LINEのスクショを示されて「業務上不適切な発言」と指導されたらしい。具体的なことは知らないが、もともと営業部一課のエースだ、自尊心はたっぷり傷つけられたに違いない。セクハラなんて研修で口酸っぱくガイドされるし、昨今のコンプライアンスの厳しさは常識なのに、まあその先輩が調子に乗っちゃったんだな、なんて感想を抱いた。
「仕事にかこつけて、って手口があった直後だからさ、余計やりにくいんだよ。だから、な、白沢。付き合ってくれないか」
そしてだからこそ、森川が本当に困っているのはよく分かった。
ただ、正直なところ、彼女はあまり欲しくない。そんなことを言うと「格好つけちゃって」と返ってくるので下手に口にはしないのだが、そんな心持のヤツが婚活へ行っていいのだろうか、という問題はある。
「俺、いまゲームがあればそれでいいんだけど。そういうヤツが行ってもいいのか?」
「まあ、なんでもありなんじゃないか? 元の値段設定もそんな高くないし、ガチな人ばっかじゃなさそう」
森川が取り出したチケットでは「3000円」に仰々しい二重線が引かれ「初回無料!」と書かれている。俺には全く相場が分からないのだが、これで食事も何も出ないとなれば、なかなかなお値段だと思う。
「てか、どうせ婚活パーティーで成功する人なんて一握りだろ」
「まあ、正直全くイメージが湧かない」
街コンにも合コンにも縁がないが、イメージは「初対面の人とネームプレートもないのに一発で名前を覚えつつ2時間会話を盛り上げるイベント」だ。こなすだけでもしんどいのに、そこで恋人なんてものになれるとは思えない。
「ちなみにその婚活っていつ?」
「6時半から」
「いやだからいつの」
「今日」
「おいこら営業、クライアントには事前にアポを取るもんじゃないのか」
「まあまあ、飛び込み営業のこともあるから」
俺に予定があったらどうしてくれるんだ。睨むと、「どうせ暇だろ」と言われた。そりゃ、俺が毎日ディスコにいるの、お前知ってるもんな。
頼むよ、と森川は拝むように手を合わせる。
「また来週口説きに行かないといけないんだ。今日中に行っときたい」
「今日は無理、新しいクエスト配信されたから」
「大丈夫だって、婚活って言ってもちょっと喋るだけだし、8時には解散だから」
「配信はもう始まってるんだぞ!」
「そんなの誤差だって! それに意外といい出会いもあるかもしれないぞ。今日来る女性の紹介メルマガってのが届いてたんだけど」
ほらほら、とメルマガだかなんだかよく分からないものを見せられた。「今日のイベントにはこんな女性が……」なんてわざとらしい煽りの下に、ピンク色の吹き出しがついて「人の話をじっくり聞くのが好きです」と書かれている。ちなみに一番下には「お待ちしています!」と書かれているので、どうやら森川が既に背水の陣を敷いたらしいことは理解した。
まあ……明日は休みだし、森川にはいつも世話になってるしな……。
「……じゃ、いいけど」
「ありがとう、今度狩りで困ったらいつでも呼び出してくれ」
「俺よりハンターランク低いくせに何言ってんだ」
一日くらいいいか。そうして勤怠情報を入力し終え、パソコンを閉じる。森川もカバンを持った。
「しかし、婚活パーティーか。勝手に合コンみたいだと思ってるんだけど、どんな感じ?」
「俺も全然分かんない。だから行くんだけどな」
「そりゃそうか」
エレベーターへ向かいながら、森川が俺の代わりに申込みの手続を進める。どうやら婚活パーティーには当日でも行けるらしい、ということは分かった。
そうしてやってきたエレベーターに乗ったとき、遠くに女のシルエットが見えた。この距離なら待っとくか、と開くボタンを押して――後悔した。しかし時すでに遅し、ハイヒールが無機質なタイルカーペットを蹴った。
やってきた女性は、ほっと息をついて顔を上げる。小動物のように丸いながら、強い意思を感じさせる目が俺を見た。
「お疲れ様です、白沢さん」
「……お疲れ様です、青葉さん」
俺は苦々しく、その名前を呟いた。
判を押したような毎日を過ごすようになり、何年が過ぎただろう。新卒の頃は何もかもが初めてで、まだ学生気分で飲みにも出掛けて、少し慣れてきたと思ったら全く新しい仕事をしてと、目が回るような日々だった。
しかし5年も経てば、良くも悪くも一端の社会人だ。曜日ごとに切り取ると、それが何月の何週目の金曜日なのか分からなくなってしまうほど、毎日は代わり映えしない。
だからその金曜日の俺も、9時に出社して、朝一のチームミーティングを済ませ、積み上がったタスクを順次消化していただけだった。あと3分経って6時になったら仕事を切り上げ、いつもの地下鉄に乗って、いつものスーパーで10%値引きが貼られた総菜を探して、帰ったらそれを食べながらゲームを起動する――そう決まっていたはずだった。
もう電源を落としていいか。トラックボールを軽く右上方向に動かしたとき、通路を歩いてくる同期の姿が見えた。営業部の森川だった。
今日もしっかり外回りをこなしてきたらしく、白いシャツの袖は乱暴に捲られていた。見えている肌は俺と違ってしっかり小麦色で、そして顔はすっかり疲れている。きっと厄介な相手と商談をしていたに違いない。
その森川はまっすぐ俺のもとへ向かってくる。きっと飲みの誘いだろう、と当たりをつけていたし、森川はすっと俺の隣に座った。
「白沢、婚活パーティーに付き合ってくれないか」
「ごめんなんだって?」
が、その発言に声がひっくり返った。
コン……コンカツって言ったか? 婚活パーティー? いやいや、毎週毎週俺とディスコを繋ぎながらゲームをする以外に趣味のない森川に限って、そんなことを言い始めるはずがない。俺の知らない単語に違いない。
そう困惑していると、森川が「コンカツパーティーだ」と繰り返した。
「コンカツ……パーティーってなんだ」
「運営がいる合コンのアレだ。いわゆる街コンとか、事前の申込みがあって男女が集まってマッチング相手を探す、アレだ」
「……おお」
例えは言い得て妙、そして説明も淀みなく、さすが営業と感心した。しかし理解したところで困惑は消えない。
「なんで婚活? 彼女欲しくなったのか?」
「話せば長いんだけど、今日会った取引先の担当者が『知り合いがやってるんで』って初回無料券をくれたんだよ。いまちょうど競合と奪い合ってる取引先だからさ、行って話題作りをしたい」
「あまりにも短くて納得できる話だった」
「あちこち断られた後なんだってことは察してほしい」
森川は「参ったよ」とぼやきながら、椅子の背に少し凭れかかった。
「婚活パーティーって言ったら要は彼氏彼女を作る場だろ? 今の時代、彼女いるのかって聞いただけでもセクハラだからな。一緒に行ってくれないか、なんて聞けるのは白沢くらいってわけだ」
俺と森川は、入社同期であると同時に地元が同じだった。もちろん、入社するまでは全く知らない仲だったのだが、実は小学生まで住んでいたところが電車で一駅の距離だったと判明した。男とのそんな運命など要らん、と当時は笑ったのだが、お陰で今も学生の延長のような仲でいる。
「そういえば、最近先輩がセクハラで注意されたんだっけ?」
「そう。でもあれはしゃーない、指導のためとか言ってLINE聞きだして、しつこくデートに誘ってりゃな」
先週聞いた話だ。なおその先輩は、コンプライアンス部に気持ち悪い個人LINEのスクショを示されて「業務上不適切な発言」と指導されたらしい。具体的なことは知らないが、もともと営業部一課のエースだ、自尊心はたっぷり傷つけられたに違いない。セクハラなんて研修で口酸っぱくガイドされるし、昨今のコンプライアンスの厳しさは常識なのに、まあその先輩が調子に乗っちゃったんだな、なんて感想を抱いた。
「仕事にかこつけて、って手口があった直後だからさ、余計やりにくいんだよ。だから、な、白沢。付き合ってくれないか」
そしてだからこそ、森川が本当に困っているのはよく分かった。
ただ、正直なところ、彼女はあまり欲しくない。そんなことを言うと「格好つけちゃって」と返ってくるので下手に口にはしないのだが、そんな心持のヤツが婚活へ行っていいのだろうか、という問題はある。
「俺、いまゲームがあればそれでいいんだけど。そういうヤツが行ってもいいのか?」
「まあ、なんでもありなんじゃないか? 元の値段設定もそんな高くないし、ガチな人ばっかじゃなさそう」
森川が取り出したチケットでは「3000円」に仰々しい二重線が引かれ「初回無料!」と書かれている。俺には全く相場が分からないのだが、これで食事も何も出ないとなれば、なかなかなお値段だと思う。
「てか、どうせ婚活パーティーで成功する人なんて一握りだろ」
「まあ、正直全くイメージが湧かない」
街コンにも合コンにも縁がないが、イメージは「初対面の人とネームプレートもないのに一発で名前を覚えつつ2時間会話を盛り上げるイベント」だ。こなすだけでもしんどいのに、そこで恋人なんてものになれるとは思えない。
「ちなみにその婚活っていつ?」
「6時半から」
「いやだからいつの」
「今日」
「おいこら営業、クライアントには事前にアポを取るもんじゃないのか」
「まあまあ、飛び込み営業のこともあるから」
俺に予定があったらどうしてくれるんだ。睨むと、「どうせ暇だろ」と言われた。そりゃ、俺が毎日ディスコにいるの、お前知ってるもんな。
頼むよ、と森川は拝むように手を合わせる。
「また来週口説きに行かないといけないんだ。今日中に行っときたい」
「今日は無理、新しいクエスト配信されたから」
「大丈夫だって、婚活って言ってもちょっと喋るだけだし、8時には解散だから」
「配信はもう始まってるんだぞ!」
「そんなの誤差だって! それに意外といい出会いもあるかもしれないぞ。今日来る女性の紹介メルマガってのが届いてたんだけど」
ほらほら、とメルマガだかなんだかよく分からないものを見せられた。「今日のイベントにはこんな女性が……」なんてわざとらしい煽りの下に、ピンク色の吹き出しがついて「人の話をじっくり聞くのが好きです」と書かれている。ちなみに一番下には「お待ちしています!」と書かれているので、どうやら森川が既に背水の陣を敷いたらしいことは理解した。
まあ……明日は休みだし、森川にはいつも世話になってるしな……。
「……じゃ、いいけど」
「ありがとう、今度狩りで困ったらいつでも呼び出してくれ」
「俺よりハンターランク低いくせに何言ってんだ」
一日くらいいいか。そうして勤怠情報を入力し終え、パソコンを閉じる。森川もカバンを持った。
「しかし、婚活パーティーか。勝手に合コンみたいだと思ってるんだけど、どんな感じ?」
「俺も全然分かんない。だから行くんだけどな」
「そりゃそうか」
エレベーターへ向かいながら、森川が俺の代わりに申込みの手続を進める。どうやら婚活パーティーには当日でも行けるらしい、ということは分かった。
そうしてやってきたエレベーターに乗ったとき、遠くに女のシルエットが見えた。この距離なら待っとくか、と開くボタンを押して――後悔した。しかし時すでに遅し、ハイヒールが無機質なタイルカーペットを蹴った。
やってきた女性は、ほっと息をついて顔を上げる。小動物のように丸いながら、強い意思を感じさせる目が俺を見た。
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