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肩越しに見えるのは 3
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立ち寄った公園は、駐車場から土器の飾られた地下通路をくぐった先だった。短い通路の中は、ひんやりした空気。
遺跡の復元住居を見に行こうと歩き出し、ふと昭文の腕に自分の腕を絡めた。肘が上がっちゃう高さなんだけど、考えてみたら手を繋いで歩いたこともないと思い出したのだ。車での移動が多いこともあるけど、地元で会ううことがほとんどだし、そうすると知り合いと会う確率が高いんだもん。別にことさらに秘密にしてる気はないんだけど、顔を見比べるようなことをされるのって、なんとなく不愉快だ。
「お」
昭文があたしを見下ろして、目尻一杯に皺を寄せる。
「いいでしょ、腕くらい組んだって」
「いいも悪いも。ああ、昨日からいい日が続くなあ」
仕組んだくせに、何を言うか。
広大な公園の真ん中で、昭文が大きく伸びをする。
「気持ち良いな、ここ。今度は弁当持って、朝早くから来よう」
お天気が良くて、良かったね。昭文の上には、雲がいくつか浮かんだ空が見える。秋の深い青を背景に、笑う昭文。
……デジャ・ヴ?なんだか、同じような光景を前にも見た気がする。既視感であるわけがない、あたしは何度もそれを見ている。
川越のお寺で、ザリガニ釣りで、運動会で、昭文の肩越しに見ているのは、いつも綺麗な青い空だ。透明な青の底に、夜を隠して。
ひとつの光景が、脳裏に広がった。
昭文がその広い肩に小さな男の子を乗せて、芝生の上を歩く後姿が見える。空は晴れて、白い雲がふたつ浮かんでいる。後ろからピクニックバスケットを持って歩いているのは―――あたし?
すべて後姿の風景の中で、声は聞こえるけれども、話の内容は聞き取れない。子供を肩に乗せたまま振り向いた昭文が、目尻に皺を寄せて、何か話しかけてくる。あたしが答える声は楽しげだけれど、やっぱり聞き取れない。
後ろ姿の人たちに、晴れてよかったねと声をかけたいくらい、幸福な風景だ。
「どうした?ぼーっとして」
話しかけられて、驚いて我に返った。あたし、今、何を見てたんだろう。目の前に広がるのは、芝を敷き詰めた広場だけだというのに。
あたしに話しかけるために屈みこんだ昭文の肩越しには、やっぱり青空。せつなくなるほど懐かしい色が、彼方まで広がっている。
ねえ。あたし今、とっても幸せみたい。嬉しいとか楽しいじゃなくて、こんなにも穏やかに満ちていく感情を表す言葉は、外に知らない。
私用とか公用とか感情のバランスとか、そんなものはどうでもいいんだ。青空を背負って立つ人に、小細工したって仕方ない。掛け値なしのあたしでなくては、真正直な昭文に太刀打ちなんてできっこない。
「昭文と旅行できて、良かったなって思って」
返事は、言葉じゃなくて「たかいたかい」だった。
帰りの車の中で無口だったのは、急激に湧き上がってきた感情に気をとられていたからだ。朝から続いていた充足した時間が、終わってしまう。
「疲れたか?寝てもいいぞ」
「眠いわけじゃないの」
昭文が窮屈な車を運転しながら、時々ラジオにあわせて歌う。別に機嫌を取ったりはしないけれど、あたしの口数の少なさを気にかけていることは、承知している。
帰りたくない。このままの時間を続けたい。昭文と同じ場所で、ふざけたり拗ねた顔をしたりしていたい。
どうして、こんな気持ちになっちゃったんだろう。会いたくて会いたくてたまらないなんて、今まで思ったこともないのに。昭文と別々の場所に帰ることが心細くなるほど、あたしは急激に昭文に傾いたんだろうか。たった一晩隣にいただけで、何が変化したんだろう。
見覚えのある通りに入ったら、どんどん寂しくなった。
「静音、どうした? 寝ちゃったか? 晩メシ、どうする? 食って帰る?」
昭文の陽気な声が、帰着を喜んでいるように聞こえて、悲しい。昭文はあたしを家に届けることに、抵抗はないんだろうか。自分のアパートに一人で帰ることが、寂しくないの?
あたし、どうしちゃったんだろう。ちょっと疲れてるし、家に帰って長風呂して、自分のベッドで横になりたいのに。
「おい、晩メシ」
「いらない」
「何怒ってんだ」
「怒ってない」
「怒ってるだろ、それ」
ぶすったれたまま夕食の相談なんてできなくて、家の横に車をつけてもらう。
「やっぱり疲れちゃったんだろ。今日はよく寝ろよ」
そんな風に言う昭文は、まだ機嫌の良い顔のままであたしの頭を撫でる。あたしの不機嫌な顔が気分良いはずはないのに、まるで気がつかないようなふりをして、唇の端で笑んでみせる。
帰っちゃ、やだ。あたしは昭文に、まだ笑ってみせてないのに。楽しかったって感謝の言葉を、伝えてないのに。
あたしの髪をくしゃっと掴んだ昭文は、目尻に皺をいっぱい寄せておやすみの挨拶をした。
「うん、明日、トレーニングに行く?」
「時間があればね」
普段の別れ際と変わりのない会話が、変化したのは昭文でなくて、あたしなのだと言っているみたいだった。車が去っていく音すら名残惜しくて、玄関に入らずに耳を澄ませた。
こうして、あたしをグラグラさせた週末が、終わった。
遺跡の復元住居を見に行こうと歩き出し、ふと昭文の腕に自分の腕を絡めた。肘が上がっちゃう高さなんだけど、考えてみたら手を繋いで歩いたこともないと思い出したのだ。車での移動が多いこともあるけど、地元で会ううことがほとんどだし、そうすると知り合いと会う確率が高いんだもん。別にことさらに秘密にしてる気はないんだけど、顔を見比べるようなことをされるのって、なんとなく不愉快だ。
「お」
昭文があたしを見下ろして、目尻一杯に皺を寄せる。
「いいでしょ、腕くらい組んだって」
「いいも悪いも。ああ、昨日からいい日が続くなあ」
仕組んだくせに、何を言うか。
広大な公園の真ん中で、昭文が大きく伸びをする。
「気持ち良いな、ここ。今度は弁当持って、朝早くから来よう」
お天気が良くて、良かったね。昭文の上には、雲がいくつか浮かんだ空が見える。秋の深い青を背景に、笑う昭文。
……デジャ・ヴ?なんだか、同じような光景を前にも見た気がする。既視感であるわけがない、あたしは何度もそれを見ている。
川越のお寺で、ザリガニ釣りで、運動会で、昭文の肩越しに見ているのは、いつも綺麗な青い空だ。透明な青の底に、夜を隠して。
ひとつの光景が、脳裏に広がった。
昭文がその広い肩に小さな男の子を乗せて、芝生の上を歩く後姿が見える。空は晴れて、白い雲がふたつ浮かんでいる。後ろからピクニックバスケットを持って歩いているのは―――あたし?
すべて後姿の風景の中で、声は聞こえるけれども、話の内容は聞き取れない。子供を肩に乗せたまま振り向いた昭文が、目尻に皺を寄せて、何か話しかけてくる。あたしが答える声は楽しげだけれど、やっぱり聞き取れない。
後ろ姿の人たちに、晴れてよかったねと声をかけたいくらい、幸福な風景だ。
「どうした?ぼーっとして」
話しかけられて、驚いて我に返った。あたし、今、何を見てたんだろう。目の前に広がるのは、芝を敷き詰めた広場だけだというのに。
あたしに話しかけるために屈みこんだ昭文の肩越しには、やっぱり青空。せつなくなるほど懐かしい色が、彼方まで広がっている。
ねえ。あたし今、とっても幸せみたい。嬉しいとか楽しいじゃなくて、こんなにも穏やかに満ちていく感情を表す言葉は、外に知らない。
私用とか公用とか感情のバランスとか、そんなものはどうでもいいんだ。青空を背負って立つ人に、小細工したって仕方ない。掛け値なしのあたしでなくては、真正直な昭文に太刀打ちなんてできっこない。
「昭文と旅行できて、良かったなって思って」
返事は、言葉じゃなくて「たかいたかい」だった。
帰りの車の中で無口だったのは、急激に湧き上がってきた感情に気をとられていたからだ。朝から続いていた充足した時間が、終わってしまう。
「疲れたか?寝てもいいぞ」
「眠いわけじゃないの」
昭文が窮屈な車を運転しながら、時々ラジオにあわせて歌う。別に機嫌を取ったりはしないけれど、あたしの口数の少なさを気にかけていることは、承知している。
帰りたくない。このままの時間を続けたい。昭文と同じ場所で、ふざけたり拗ねた顔をしたりしていたい。
どうして、こんな気持ちになっちゃったんだろう。会いたくて会いたくてたまらないなんて、今まで思ったこともないのに。昭文と別々の場所に帰ることが心細くなるほど、あたしは急激に昭文に傾いたんだろうか。たった一晩隣にいただけで、何が変化したんだろう。
見覚えのある通りに入ったら、どんどん寂しくなった。
「静音、どうした? 寝ちゃったか? 晩メシ、どうする? 食って帰る?」
昭文の陽気な声が、帰着を喜んでいるように聞こえて、悲しい。昭文はあたしを家に届けることに、抵抗はないんだろうか。自分のアパートに一人で帰ることが、寂しくないの?
あたし、どうしちゃったんだろう。ちょっと疲れてるし、家に帰って長風呂して、自分のベッドで横になりたいのに。
「おい、晩メシ」
「いらない」
「何怒ってんだ」
「怒ってない」
「怒ってるだろ、それ」
ぶすったれたまま夕食の相談なんてできなくて、家の横に車をつけてもらう。
「やっぱり疲れちゃったんだろ。今日はよく寝ろよ」
そんな風に言う昭文は、まだ機嫌の良い顔のままであたしの頭を撫でる。あたしの不機嫌な顔が気分良いはずはないのに、まるで気がつかないようなふりをして、唇の端で笑んでみせる。
帰っちゃ、やだ。あたしは昭文に、まだ笑ってみせてないのに。楽しかったって感謝の言葉を、伝えてないのに。
あたしの髪をくしゃっと掴んだ昭文は、目尻に皺をいっぱい寄せておやすみの挨拶をした。
「うん、明日、トレーニングに行く?」
「時間があればね」
普段の別れ際と変わりのない会話が、変化したのは昭文でなくて、あたしなのだと言っているみたいだった。車が去っていく音すら名残惜しくて、玄関に入らずに耳を澄ませた。
こうして、あたしをグラグラさせた週末が、終わった。
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