花つける堤に座りて

蒲公英

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花つける堤に座りて

抗えない変化

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 期末考査を翌週に控えた朝、初潮をみた。うっすらと汚れた下着を見た時、後ろから殴られたみたいな気分になった。一生いらないと思っていても、それが無理だってことは知ってるのに。母は出勤してしまったあとで、前島サンしかいない。手当ての仕方はもちろん知ってる。
 知ってるけど。

 どうしよう。

 バスルームに飛び込んで、頭からシャワーを浴びた。汚れた下着と自分の身体を何度も洗って、シャワーの下に座り込む。
 いやだ!いやだ!
 何がいやなんだか、自分でもよくわからない。

 ずいぶん長いことシャワーを浴びていたのに、前島サンはまだ家を出ていなかった。心配そうな顔をしているのがわかる。
 でも、顔を見られたくない。誰の声も聞きたくない。
 私はそのまま自分の部屋に入った。ドアの外から、前島サンの声が聞こえる。
「てまちゃん、遅刻するよ?具合が悪い?」
「行きたくない」
「何かあったの?」
「何もない。行きたくない」
 しばらくドアの向こうに気配があったけど、電話で何か話す声が聞こえた。

「てまちゃん、麻子さんだから。休むんなら学校に連絡しないといけないでしょ」
 ドアを小さく開けて、電話の子機を受け取った。母の声を聞いたら、気が緩んで泣きたくなった。生理と言ったきり、言葉が出ない。
――お母さんがいない時に来ちゃった?タイミング悪かったね。使い方、わかる?
 頷いても、電話じゃ見えないんだけど。
――病気じゃないんだから、学校には行きなさい。遅刻の連絡はしておくから。

 早いテンポでてきぱき言われると、逆らえない。
――落ち着いたら、ちゃんと支度するのよ。あと、徹君に代わって。
「教えちゃダメ!絶対言わないで!」
 受話器越しに母の溜息が聞こえた。
――わかった。言わないから、代わって。心配だけ解いてあげないと。
 ドアに隙間をあけて受話器を差し出すと、前島サンの手がすぐに伸びてきた。ドアの前にいたのかな。聞かれちゃったかもしれない。

「僕はもう、会社に行くからね。てまちゃん、戸締りよろしく」
 前島サンが玄関を出る音を確認してから、私はノロノロと部屋を出た。

 連絡をしてあるとはいえ、学校に遅刻するのは恥ずかしい。2時間目が終わった中休みの時間を狙って登校した。どうしたの、なんて寄ってこられても嘘ついちゃうし。授業が終わってから、部活にも出ないでひとりで家に帰った。誰にも話しかけられないように気をつけながら。

 ベッドに寝転がっていると、母が帰宅した。
「ただいま。お腹痛くない?」
 私の部屋のドアをあけて、ケーキの箱を見せた。
「お茶飲もう。ちょっとだけ、お祝いしない?」
「おめでたくないもん。でも、ケーキは食べる」
 そう言うと、母は軽やかに笑った。
「お母さんも、昔そう思ってた。だから、お赤飯は炊かないよ」
「お赤飯なんか炊いたら、家出する」
 母と差し向かいでケーキを食べながら、私は仏頂面をしていた。

「手毬が大人になって、子供を産むことができるようになったってお祝いだからね」
 そんなこと、今できなくてもいいのに。
「お母さん、女で良かったって思ってる?」
 そう聞くと、母は真面目な顔をした。
「手毬を産んだ時に、そう思った。良かったって思ったよ」
 答えたあと、母はとても照れた顔をして、それを見た私も照れくさくなった。
 食卓をはさんで照れあう親子って、ヘン。
「さて、夕食の支度。手伝ってくれる?」
 母は照れ隠しのように立ち上がった。

 夕食の支度が済んだ頃、前島サンが帰ってきた。朝の件、謝らなくてはいけないだろうかと思っていたら、いきなり書店の袋を差し出された。
「会社の女の子が面白いって言ってたから。僕の好みじゃないけど、てまちゃんが読むかと思って」
 渡されたものを受け取っている間に、前島サンは着替えるために寝室に消えた。

 母が後ろで吹き出した。
「考えたわね」
 母の顔を見返すと、笑いながら解説してくれた。
「ヤツアタリしたって手毬が気にしてたら、気まずいと思ったんでしょ」
 そうか。これならアリガトウだけで済むのか。
 大人って、すごい。でも、ヤツアタリだってわかってるってことは。
「お母さん、喋ったでしょ」
「喋ってない、喋ってない」
 絶対、喋った。その晩、私は前島サンの顔が見られなかった。

 生理が始まっても、別に急に大人になるわけじゃない。前島サンが知らないフリをしていてくれるので、翌日の朝はそれほど気まずくはなかった。ただ、下着をお風呂で洗濯するクセがついただけだ。今まで洗濯機に放り込むだけだったものは、お風呂で洗ったあとに私の部屋の中で小さなハンガーに吊るされるようになった。
 それだけが表面の変化らしい変化で、期末考査は少しだけ順位を落として終わった。


 運動部は3年生が引退しつつあり、逆に1年生が活気づいてきた。図書室の出窓から見える校庭で、聡美やみゅうが走り回っているのを見ると、いいなと思う。私もスポーツが楽しめるタイプなら、もっと違う何かができたんだろうな。
 スポーツが得意な子って、なんであんなに明るい性格に見えるんだろう。美術室で石膏デッサンしてるより、ずっと生き生きしてる気がする。
「私は文化部って頭良さげでいいなっていつも思うんだけど。何時間も絵なんて描いてられない」
 みゅうはそう言って笑った。私より、期末考査の順位は上だったクセに。

 夏休みの少し前、みゅうの家に遊びに行った。小学生の妹と一緒の部屋なの、と話には聞いていたけど、これって結構大変。一部屋に勉強机組み込みのロフトベッドが2台。それを除くと歩くスペースしかない。
「手毬はひとりっこだもんね。いいなあ」
 そう言われたら、ちょっと言ってみたくなった。
「私も兄弟、できるんだ。9月のおしまいくらいに」
 今まで、誰にも言わなかったんだけど、みゅうにだったら言ってもいい気になった。
「手毬が赤ちゃん抱っこするのって、想像つかない」

 みゅうの本棚から、読んでいない本を何冊か借りた。
「今度、手毬の家に行ってみたい。夏休みに遊びに行っていい?日曜日は部活ないし」
 日曜日は、前島サンが家にいる。でも、ここで断われない。
「うん、来て」
 前島サンが出かけてくれるのを祈ろう。
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