トクソウ最前線

蒲公英

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新規請負先って

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 新規請負がある場合、前の清掃ののレベルによっては、現場はとんでもないことになっている。用務員も新しく採用した人たちだから、手順がわからなくて、管理さんの指導だけでは上手く動けない。先に清掃に入れば良いのだが、期が変わらなければ当然入れないから、四月にはそんな呼び出しも結構あるらしい。
 和香が出社したときには、菊池さんがすでにバケツを用意していた。強酸性洗剤、中性洗剤、重曹、クエン酸、パイプブラシ、クレンザー、ナイロンタワシと大判のスポンジ。見た瞬間に清掃箇所と状況が理解できちゃうのは、一年少々の経験である。
「もしかして、きったないトイレですか」
「そうだよ。前に入ってた会社がひどかったみたいだね。トイレと廊下が特に汚いらしい」
 菊池さんはすでにうんざりした顔をしているし、片岡さんはマスクを箱ごと持っている。うひゃーと呟きながら、和香もゴム手袋を用意する。
「現場は南文化センター、作業は手洗いと廊下。新人の指導も必要だということなので、全員で行きます。手洗いの臭いについてもあるようなので、配管を考えて上から順に行きましょう」
 車二台に分かれて、全員で移動する。前の週に竹田としか動いていなかった和香には、かなり新鮮だ。一対一で動くことの何が苦痛かって、お昼ごはんである。コンビニ弁当を買って車の中で食べるにしても、ファーストフードにしても、沈黙がこわい。グループなら自分が上手く受け答えできなくとも、誰かが話を繋げてくれる。

 到着した現場で、管理さんと共に事務室に挨拶したら作業開始だ。竹田さんが担当個所を振り分ける。
「榎本、便所」
 指示されなくても、わかっている。和香が清掃指導をしたって、たとえ新人でも年配の作業員は素直に聞かない。まして清掃経験者なら、なおさら若い女の話なんて聞かない。由美さんならば年齢は十歳程度しか変わらないはずなのに、話が違ってくると和香は思う。闊達な喋りと慣れた手の動きで、誰もバカにした態度はとれないだろう。理科準備室で仕事をしていた由美さんは、本当に頼りになる人だった。自分はそこに辿りつけるだろうか。

 黄色い『清掃中』の札を立て、菊池さんと共に三階の男子トイレに入る。古い建物だからと覚悟していたが、手洗いはリフォームされてから何年も経っていないように見える。少なくとも床も陶器も古びていない。気になるのは、そこはかとない生臭さと衛生陶器の尿石。毎日スポンジを当てているだけで、尿石はつかない。洗面台の蛇口がくすんでいるのも同じ。
「ひでえな、月に一回くらいしか掃除しなかったんだろ」
 顔を顰めた菊池さんがマスクを差し出してくれた。隣の女子トイレから、由美さんが顔を出す。
「ドロップシンクも臭い。おそらく配管が乾いちゃってるから、掃除する前に水を流してね」

 小便器の目皿を外すと、立ち上ってくるアンモニア臭。目皿もトラップも配管も垢でドロドロで、ゴム手袋をしていても触りたくない。菊池さんが外した目皿を洗剤入りのバケツに漬け、和香は陶器の中に重曹とクエン酸を撒いていく。シュワシュワと湧き上がってくる泡の上に、白い汚れが浮いてくる。すでに涙目だ。
 洗面台にもドロップシンクにも重曹とクエン酸を撒くと、菊池さんは便器の排水溝にパイプブラシを入れていた。出てくる垢は、はっきり言って見たくない色をしている。強酸性の洗剤で陶器を洗う。一度流して落ちていない尿石は、粒子の細かいクレンザーとナイロンタワシでこする。
 臭い、汚い。自分のものでない排泄物の後始末なんて、したくない。

 もう仕上げ段階になり、和香が洗面台を磨いていると、センターの事務職員が顔を出した。
「二階のトイレが臭いって、クレームが出てます。何か流してるんですか」
 三階の配管の汚れを流しているのだから、伝わった配管には今、普段よりも汚い水が流れている。これからもう一度、パイプを掃除するための薬剤を流すのだ。現在時点で何か言われても、どうしようもない。
「えっと、一時的に汚水が流れてます。終われば綺麗になると……」
 答えるより早く、事務職員は言った。
「今までの清掃で臭いのクレームは出なかったんですから、同じようにしてくれればいいんです」
 はじめちゃってから言われたって、遅い。今までみたいにギリギリの清掃で、いつまでごまかせると言うのか。ドロップシンクの配管から手を離した菊池さんが和香の横に立ったとき、事務職員の後ろから声が聞こえた。

「当社は区からの依頼で動いているんで、そちらを通していただけますか。窓口は副センター長のはずですが」
 片手にバケツで片手にスポンジ、膝にニーパッドは、けして素敵だとは言えない。けれど口籠ってしまった和香には、救いの神だ。顎を上げた偉そうな姿勢で、竹田は続けた。
「作業中止なら、副センター長から管理責任者に話を持っていってください。そういう命令系統と決まっていますから、直接作業員に指示しないようにお願いします」
 ぜんっぜんお願いになっていない態度なのに、理だけは竹田さんのほうにある。事務職員は悔しそうな顔で、その場から立ち去った。

「気にしないで、作業続けて。自分が文句言われたくなくて、その場だけどうにかしようってヤツ、いるだろ。この現場と同じ。表面だけ掃除したフリして、汚くなったときの責任なんて誰も考えなかった結果。まあ、佐久間サービスがそうならないように頑張りましょ。そこが終わったら十時休憩にするから、主事室まで戻ってね」
 そんなことを言ったくせに、和香と菊池さんが三階の手洗いから廊下に出ると、竹田さんと植田さんはまだ、壁を拭いていた。
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