トクソウ最前線

蒲公英

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口に出していいんだよ

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 和香の困惑した顔で、何も聞かずに部署を変わったのだと由美さんにも理解できたらしい。
「高次脳機能障害って言ったかな。あと腰椎やられちゃって、歩けないって」
「事故ですか?」
「そうらしいよ。突然暴力的になるとかね、いろいろ大変みたい。だから時間が読める仕事じゃないとできないって」
 確かに日常清掃のサポートなら、動く時間はある程度限定されている。
「でも、それなら施設とか」
「本人もボケてるわけじゃないから、抵抗あるだろうし。遠いと家族が世話に行きにくいとか、条件が合いそうな所が年齢規定があって六十以上だからとか。本人の断片だから、詳しくは知らないけど」
 飲みに誘ってもらったときも、ペアで仕事したときも、そんな話はまったく聞いてない。和香だけ知らなかったってことが、妙に悲しい。
「みんなそれ、知ってるんですね」
 竹田さんの状況を思いやるよりも、爪弾きになったような寂しさが、先に立った。

「みんな、副社長から聞いてると思ってたんじゃない? 私も入社してから副社長に聞いたんだもん。忘れてるのかな」
 忘れられているのだとしたら、尚更悲しい。自分は部外者で、作業だけやっとけと言われたような気がする。忘れられるのは、悪意があるより悲しい。
 けれども。けれどももしかしたら、トクソウ内での会話の端々に、そんな内容は散りばめられていたかも知れない。知らない話題だと、和香がスルーしてしまった中に。
 虎太郎君のスプーンがガラスの器に当たる音で、ハッと目を上げると、由美さんが和香の顔を観察していた。
「目を開いて寝るって、本当だねえ」
「寝てないですよ!」
 由美さんにまで言われるってことは、本当にそう見えてるの?
「和香ちゃんは何か考えると、一生懸命自分の中で思い当たることを検索してる」
 聞きようによっては厳しい言葉だけれど、由美さんの口調は穏やかだ。虎太郎君は由美さんのスマートフォンで勝手にゲームをはじめ、大人の会話には口を挟まない。歓迎会のときには竹田さんと元気に喋っていたのだから、おそらくこれは由美さんの躾の賜物だ。
「会話の途中だから、頭に浮かんだことを口に出してもいいんだよ。じゃないと肯定も否定もできない」
 会話が途切れてしまうと、由美さんは言っている。
「だって、どうでもいいとか思……」
「思わないよ」
 被せ気味に由美さんが言う。
「自分が好意を持っている人の考えていることを、どうでもいいとは思わない。少なくとも私は、和香ちゃんが竹田ちゃんの話を聞いてどう思ったのか、興味ある」
 和香は大きく目を見開いた。こんなにまっすぐに、自分と会話したいと言ってくれた人はいたろうか。

 コミュ障です。友達を作るのは下手です。同年代は怖いので、なるべく共通の話題がない人とおつきあいしたいです。けれど爪弾きになるのはイヤです。話題についていけない自分が悪いと、自分を責めるのもイヤです。
「ごめん、きついこと言った? でも腹割って話したいじゃない? せっかく一緒に働いてるんだから」
「違います。嬉しいんです。ごめんなさい、はじめて指摘してもらった……」
 良かったんだ。用務員のままが居心地が良くて、あれが自分の相応の位置だと思ってた。部署が変わったのはほぼ強制だったけど、こんな出会いがあって自分を気にしてくれる人ができた。だから、トクソウで良かったんだ。
「私、トクソウに呼んでもらって良かったです。ちゃんとチームの一員にならなくちゃ」
 和香の言葉に、由美さんは大きく頷いてくれた。
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