トクソウ最前線

蒲公英

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引き継ぎ開始

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 一緒に行動することが多い人の情報っていうのは、細切れでも案外と多く入ってくるものだ。竹田さんがデザインするのは、商空間つまり店舗がメインであるとか、現場に出れば当然職人のような仕事もするのだとか、そんなことも聞いた。そして竹田さんのお父さんのことも。
「身体が自由に動かないことに苛ついてるのに感情抑制ができないから、いろんなものを投げたり殴ったりする。軽い記憶障害もあるから、約束ごとは全部書いて貼ってあるんだよ。本人も自覚してるから、結構早いうちから施設に入るって話は出てたんだ。ただ、俺がいるからね。家で介護ができる状況だってんで、公設のところは優先度低いんだわ。それでも目途が立ったから」
「お疲れさまでした」
「まあ、妹が結婚したあとで良かったよ。親父のせいで破談とかじゃ、シャレになんないから」
 こんなやりとりで、家族構成までわかる。そうか、妹さんがいるのか。

 打ち合わせにも一緒に出て、次のリーダーだと紹介される。紹介といっても全員顔は知っているので、挨拶だけして内容を一緒に聞いているだけだ。緊急性のある依頼や人数が必要な案件が出され、それ以外の気になることや新人のための清掃指導がある。管理さんだけでは解決ができない事柄なのか、トクソウ部が動く必要があるのかと検討し、日付の決定が必要なものはまた受託先と連絡が必要なんていう、まだるっこしい手順を踏まなくてはならない。
 夏休みは学校内に子供がいないので、施設管理的には動きやすい時期だ。ペンキの補修やカーテンのクリーニングは、大体この時期に行われる。他に高所のガラス清掃やワックス塗布などもあるのだが、こちらは専門業者に任せることになる。それでも現場の作業員たちは結構手一杯で、普通教室ひとつ取っても、サッシのレールからエアコンのフィルター、カーテン、天井扇、と清掃箇所は見た目よりも多いのだ。

 トクソウ部のホワイトボードに予定を記入しながら、和香は竹田さんのほうを見た。机に肘をついて頭を支えているはずが、見ているうちにそのまま横に倒れた。ガタンと派手な音がして、一番驚いた本人が頭を掻いている。
「寝てたんですか?」
「悪い悪い、コーヒーこぼしちゃった」
 見れば飲み残した缶コーヒーが、床に茶色の水たまりを作っている。そして慌てて雑巾を持って屈んだ竹田さんの机の横で、今度はガンッと音が鳴る。
「ってぇ!」
 結構痛そうな音である。
「大丈夫ですか?」
 心配そうな声を出した和香に、下唇を突き出した。

「おまえねぇ!」
「は、はい!」
 気を利かせて雑巾を絞ってきたら良かったんだろうか。それとも竹田さんが屈む前に拭いてあげれば。
「ここ、笑うとこだろ。クッソ真面目な顔されたら、どう答えても間抜けだろうが」
「え? でも、どっちにしろ間抜けですよね。仕事中に熟睡してコーヒーを」
 黙ってしまったら気まずくなる気がして、発言の内容を吟味するヒマはなかった。
「おまえって、本当に何気ない言葉が失礼……」
「同僚を素で『おまえ』と呼び続けるのも、失礼だと思います」
 雑巾を握った竹田さんが、立ち上がった。くっくっと笑いながら、部屋の隅のドロップシンクへ向かう。

「舘岡中にいるときみたいに、元気になってきたじゃん。もう大丈夫だよな」
 自分ではわからない。でももう、オドオドはしていないと思う。まだ学ばなくてはならないことは多いけれど、学ぶべきことが誰かの特技で、教えを請えば良いのだってことは知っているから。 
「副社長が仕事熱心な子だって言ってたけど、半信半疑だったんだよな。いっつも人の顔色見てるみたいな顔して、構っても反応は返ってこないし、どうしたもんかなって。そしたら、ここ一か月くらいですっごく変わってきた」
 変わったのは自覚している。きっかけはトクソウに入ったことだったけれど、それだけじゃない。他人と交流するってことは自分とも向き合わなくちゃならないのだと、改めて知った。改めて知ってみたら、自分を除け者にしたのは自分自身だった。
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