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20.自覚
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晃輝は、学生用の駐車場ではなく、教職員用の駐車場に駐車していた。
キーレス操作でロックが解除される音がして、入れと無言で助手席のドアが開けられる。
あの時のように先にということだろう。もしくは逃げられないようにするためか。
どちらにしろ諦めのついていた千夏は、逃げる気などとうに失せている。素直に車に乗り込んで、言われる前にシートベルトを締めた。
エンジンがかけられると、またジャズクラシックがステレオから流れ出る。前に聞いたものとは違う気がして耳を澄ましていると、ぽんと晃輝にディスクケースを放り渡された。
「前にやるって言っただろ。渡し忘れてたからな」
「あぁ! わ、ありがとう!」
そういえばすっかり忘れていた口約束を思い出して声に喜色が滲む。ころころと表情が変わる千夏に晃輝は楽しそうに笑った。
声の無かったそれに千夏は気付くことなく、うれしそうにディスクケースを見つめている。
そのきらきらとした目に今度は穏やかな色の瞳で千夏を見つめた。
ゆっくりとアクセルペダルを踏み込んでいく。エンジンの回転数が上がって、ゆっくりと車体が動き出した。
交通量の少なくない大通りを走り、時に早道といって小道に入る。
車がようやく停車したのは動き出してから三十分ほどが過ぎた頃だった。
その間の二人の会話は、まったく無かったということはないが、あったというにも乏しいものだった。それでも息苦しさや居心地の悪さを感じなかったのは、以前と多少印象が違うからだろうか。
入り口からも近い場所に停められた車から降りて、何とはなしに軽く背伸びをする。固まった筋が解れていく感覚が気持ちよかった。
連れてこられたこの店は、前回のカジュアルレストランとは違って大衆食堂のような店構えだった。見た目にそぐわず、とは思うが、こういったところの方が千夏には気楽でいい。
晃輝はいつの間にか隣にいた。少し強引に手を引かれて、またかと思いながらもその隣を歩く。
晃輝は一つ一つの動作が強引だが、その割に扱いは丁寧だ。そういったところには育ちの良さが感じられる。
晃輝の他者優先の姿勢はエスコートに相当すると知った。大切にされてる、と囃されたのは気恥ずかしくもあったが、嫌だとは思わなかった。
変なの。
そう思うけれど、まぁいいかとまんざらでもない気がした。
店に入ってからも、食事を終えて店を出た後も、千夏と晃輝はいがみ合うことはなく、穏やかに流れていく時間を楽しんでいた。
晃輝が美味と評しただけあってこの店の料理はどれもこれも美味しかった。辛いものが多い韓国料理で、千夏は辛い辛いと泣き言のように繰り返したが、晃輝は普段通りの表情でそんな千夏を笑っていた。
この人とでも、ちゃんといい時間は過ごせるのだと千夏は内心喜んでいた。
しかし、本題を忘れてはいけない。
「で?」
唐突に水を向けてきた晃輝に千夏は首を傾げた。そんなに短い問いかけを投げられても心当たりがない。見当がつかず言葉の続きを待つと、晃輝は呆れたように千夏の頭を小突いた。
「課題。教えてやるって言っただろうが」
「あ。……ご、ごめん。自分のことなのに…」
本当にすっかり抜け落ちていたと素直に謝る。
晃輝にしてみればこの程度はどうということもないのだが反省しての言葉を無下にするほど野暮な性分でもない。ん、と短く返すだけに留めた。
「お前の家でやればいいか?」
「お願いします。…………あ、でも……」
不意に千夏が難しい顔をして悩む。都合でも悪いのかと尋ねるがそうでもないらしい。
どうにもはっきりと応えない千夏を急かすように晃輝は言った。
「何か問題があるなら言えよ」
「ううん、問題っていうほどでもない……と思うんだけど……」
まごつくばかりではっきりとしない千夏に、埒が明かないと晃輝は溜息を吐く。
千夏はしょんぼりと肩を落とした。
「ごめん……」
「謝るならワケ話せ」
スパンと晃輝が返せば千夏はまた押し黙った。かと思えば、ややあって、躊躇いは抜け切らないまでも口を開いた。
「その……何も、しない?」
「…………は?」
晃輝はいったい何を言われたのか理解できなかった。
何もしない、って何だ。
「だって、警戒しろって」
言ったじゃない、という千夏。
指摘されてようやく意図を知った晃輝は頭を抱えた。
気のせいでなく通常より強く脈打っているこめかみに、そっと指を添えて血流を抑える。ここでそれを持ち出すのかと頭の痛くなる心境だ。実際に痛い。
「お前は……変なところで素直だな」
くったりと疲労の滲んだ声で押し出した言葉。きょとんとする千夏の頭を晃輝は少し乱暴に撫でた。
「晃輝さん?」
「なんでもねぇよ。………ちゃんと自覚してるならどうこうするつもりはねぇよ」
ヒトを暴漢扱いすんな、と呆れ混じりに言う晃輝に失言だったと反省する。それでも苦笑を浮かべる晃輝に心が軽くなった。
うん、と安心した笑みを向けてきた千夏の頭をもう一度荒く撫ぜて、晃輝はまた自分のものより一回り小さい手を引いた。
繋がれた手の大きさと温度に、千夏はどうしようもなくときめいた。
たいしたことではない。わかっていたはずなのに改めて突きつけられた自分と彼との差を感じさせられる。
否応無く晃輝を“男の人”だと意識させられて、赤くなった顔を見られたくない一心で下を向いた。
かも、じゃない。もう誤魔化すなんてできない。
思い通りになったようで癪だけれど、もう認める以外にどうすることもできないのだ。
日向千夏、二十一歳。俺様何様吸血鬼様に恋をしてしまいました。
キーレス操作でロックが解除される音がして、入れと無言で助手席のドアが開けられる。
あの時のように先にということだろう。もしくは逃げられないようにするためか。
どちらにしろ諦めのついていた千夏は、逃げる気などとうに失せている。素直に車に乗り込んで、言われる前にシートベルトを締めた。
エンジンがかけられると、またジャズクラシックがステレオから流れ出る。前に聞いたものとは違う気がして耳を澄ましていると、ぽんと晃輝にディスクケースを放り渡された。
「前にやるって言っただろ。渡し忘れてたからな」
「あぁ! わ、ありがとう!」
そういえばすっかり忘れていた口約束を思い出して声に喜色が滲む。ころころと表情が変わる千夏に晃輝は楽しそうに笑った。
声の無かったそれに千夏は気付くことなく、うれしそうにディスクケースを見つめている。
そのきらきらとした目に今度は穏やかな色の瞳で千夏を見つめた。
ゆっくりとアクセルペダルを踏み込んでいく。エンジンの回転数が上がって、ゆっくりと車体が動き出した。
交通量の少なくない大通りを走り、時に早道といって小道に入る。
車がようやく停車したのは動き出してから三十分ほどが過ぎた頃だった。
その間の二人の会話は、まったく無かったということはないが、あったというにも乏しいものだった。それでも息苦しさや居心地の悪さを感じなかったのは、以前と多少印象が違うからだろうか。
入り口からも近い場所に停められた車から降りて、何とはなしに軽く背伸びをする。固まった筋が解れていく感覚が気持ちよかった。
連れてこられたこの店は、前回のカジュアルレストランとは違って大衆食堂のような店構えだった。見た目にそぐわず、とは思うが、こういったところの方が千夏には気楽でいい。
晃輝はいつの間にか隣にいた。少し強引に手を引かれて、またかと思いながらもその隣を歩く。
晃輝は一つ一つの動作が強引だが、その割に扱いは丁寧だ。そういったところには育ちの良さが感じられる。
晃輝の他者優先の姿勢はエスコートに相当すると知った。大切にされてる、と囃されたのは気恥ずかしくもあったが、嫌だとは思わなかった。
変なの。
そう思うけれど、まぁいいかとまんざらでもない気がした。
店に入ってからも、食事を終えて店を出た後も、千夏と晃輝はいがみ合うことはなく、穏やかに流れていく時間を楽しんでいた。
晃輝が美味と評しただけあってこの店の料理はどれもこれも美味しかった。辛いものが多い韓国料理で、千夏は辛い辛いと泣き言のように繰り返したが、晃輝は普段通りの表情でそんな千夏を笑っていた。
この人とでも、ちゃんといい時間は過ごせるのだと千夏は内心喜んでいた。
しかし、本題を忘れてはいけない。
「で?」
唐突に水を向けてきた晃輝に千夏は首を傾げた。そんなに短い問いかけを投げられても心当たりがない。見当がつかず言葉の続きを待つと、晃輝は呆れたように千夏の頭を小突いた。
「課題。教えてやるって言っただろうが」
「あ。……ご、ごめん。自分のことなのに…」
本当にすっかり抜け落ちていたと素直に謝る。
晃輝にしてみればこの程度はどうということもないのだが反省しての言葉を無下にするほど野暮な性分でもない。ん、と短く返すだけに留めた。
「お前の家でやればいいか?」
「お願いします。…………あ、でも……」
不意に千夏が難しい顔をして悩む。都合でも悪いのかと尋ねるがそうでもないらしい。
どうにもはっきりと応えない千夏を急かすように晃輝は言った。
「何か問題があるなら言えよ」
「ううん、問題っていうほどでもない……と思うんだけど……」
まごつくばかりではっきりとしない千夏に、埒が明かないと晃輝は溜息を吐く。
千夏はしょんぼりと肩を落とした。
「ごめん……」
「謝るならワケ話せ」
スパンと晃輝が返せば千夏はまた押し黙った。かと思えば、ややあって、躊躇いは抜け切らないまでも口を開いた。
「その……何も、しない?」
「…………は?」
晃輝はいったい何を言われたのか理解できなかった。
何もしない、って何だ。
「だって、警戒しろって」
言ったじゃない、という千夏。
指摘されてようやく意図を知った晃輝は頭を抱えた。
気のせいでなく通常より強く脈打っているこめかみに、そっと指を添えて血流を抑える。ここでそれを持ち出すのかと頭の痛くなる心境だ。実際に痛い。
「お前は……変なところで素直だな」
くったりと疲労の滲んだ声で押し出した言葉。きょとんとする千夏の頭を晃輝は少し乱暴に撫でた。
「晃輝さん?」
「なんでもねぇよ。………ちゃんと自覚してるならどうこうするつもりはねぇよ」
ヒトを暴漢扱いすんな、と呆れ混じりに言う晃輝に失言だったと反省する。それでも苦笑を浮かべる晃輝に心が軽くなった。
うん、と安心した笑みを向けてきた千夏の頭をもう一度荒く撫ぜて、晃輝はまた自分のものより一回り小さい手を引いた。
繋がれた手の大きさと温度に、千夏はどうしようもなくときめいた。
たいしたことではない。わかっていたはずなのに改めて突きつけられた自分と彼との差を感じさせられる。
否応無く晃輝を“男の人”だと意識させられて、赤くなった顔を見られたくない一心で下を向いた。
かも、じゃない。もう誤魔化すなんてできない。
思い通りになったようで癪だけれど、もう認める以外にどうすることもできないのだ。
日向千夏、二十一歳。俺様何様吸血鬼様に恋をしてしまいました。
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