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一話
しおりを挟む石古根山の鬼の長・白兵衛は、天狗山の真下の谷を歩いていた。
辺りには一面、炎が燃えるようなレンゲツツジが咲き誇っている。
しばらくすると、石が円を描くように並んでいる開けた地に出た。少し先には、葉の浮かんだ大きな池。
白兵衛は歩みを止めて、言った。
「……ここまで来りゃ、用がある西の河原まで、あと少しだなっ」
西の河原というのはここを下った先にある、至る所から湯が湧き出している河原のことだ。
白兵衛が再び歩き始めると、ごつんと何かに体がぶつかった。
「痛ってえなっ!」
白兵衛は思わず顔をしかめる。
よそ見をしながら歩いていたわけではない。今もなお、目の前には何もないはずだった。だが、
「まさか、これがっ……?」
白兵衛がはっとした顔で、そっと右手を突き出すと何かに触れた。左手を伸ばしても、足で軽く蹴っても、同じだった。目には見えないが、何かがある。
白兵衛は一歩引き、険しい顔つきで呟く。
「これがっ……件の西の河原の怪ってやつかっ!」
この頃、石古根山の鬼達の間で、西の河原にまつわる妙な噂が囁かれていた。
西の河原へ近づこうとすると、目に見えない壁のようなものに弾き返されるというのだ。
白兵衛が今日ここまで来たのは鬼の長として、その噂の真偽を確かめるためだった。
噂というのは本当だったようだ。
西の河原は、元来喧嘩が好きな鬼達にとって大切な湯治場である。このまま壁があったままでは何かと不便だ。
(……この壁は一体、誰が張りやがったっ?)
白兵衛は腕を組んで考える。
「すぐそこに住む天狗共かっ? それとも古狐かっ……いやっ、人の仕業ってこともあるのかっ……?」
白兵衛は、岩や木の後ろ、池の向こうまでくまなく目を光らせる。しかし、辺りには誰もいないようだった。
白兵衛はしばらく考え続けていたが、やがて「くそっ!」と声を上げた。
鬼である白兵衛は、考えることは大の苦手なのだ。
「……まあいい。こんなもん、壊しちまえばいいっ!」
鬼達は頭は悪いが、その代わりに並外れた力を持っている。
白兵衛は壁の前まで行くと、腰を落として構えた。その時、どこからか声がした。
(……おやめ下さい)
「あん?」
白兵衛は辺りをうかがうが、そこには誰の姿もなかった。
空耳かと首をかしげつつも、白兵衛は再び拳を握り直す。そして、
「爆ぜやがれっ!」
と全力で拳を目の前の壁へと叩き込む。
「ぐ……ぅっ!」
鈍い痛みが腕から肩へと走り、思わず拳を引っこめる。
白兵衛はうめき声を上げ、右手を軽く振った。
岩をも容易く砕く拳であるが、手応えはなかった。左手をそっと前へ伸ばしてみるが、そこには見えない壁があった。
「くそっ、拳が駄目ならっ……」
白兵衛は壁から少し離れたところへ行くと、腰を落とす。今度は拳ではなく、頭から伸びる二本の角を、真正面の壁に向けた。
「……次こそ、爆ぜやがれっ!!」
白兵衛は雄叫びと共に、一気に地を蹴る。
(おやめなさい!)
また声が聞こえた気がしたが、今の白兵衛に止まることは出来なかった。
頭の二本の角が壁にぶつかる。
そのすぐ後、辺りが眩く光ったかと思うと、
「……なっ!」
白兵衛は後ろ向きに大きく吹き飛ばされた。
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