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さんにんめ
第1回
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1
蝉の声が降りしきる中、私は長い長い石段をゆっくりと登っていた。
辺りは鬱蒼と生い茂る木々に覆われており、この長い石段を登った先の神社まで、その影はずっと続いていた。影の中にいても、ねっとりとした暑苦しい空気が肌に貼り付いて気持ち悪かったが、それでも日向にいるよりは全然マシだった。時折足を止めてハンカチで汗を拭いつつ、私は休み休み、その石段を登っていった。
石段は途中くの字に折れ曲がっており、そこがちょうど山の下と山の上の、中間地点になっていた。私が幼かった頃はまだなかった銀色の手すりに掴まりながら、えっちらおっちら、まるで年寄りのような足取りで歩みを進める。
ここで友達と遊んでいた小学校の頃を思い出して、何となくふらふら登ってきたのだけれど、今頃になって辞めておけばよかった、と後悔し始めていた。
このまま上に行くのを辞めて引き返してもいいのだけれど、逆に言えば、もう半分で境内まで辿り着くことができるということだ。
それなら最後まで登ってやろう、と私は足に力を込めて、少し息切れしながらさらに一歩、石段を踏みしめた。
大学に入学してから初めての夏季休暇。高校までと違い、前期の講義を終えてしまえば宿題や課題なんてものは何一つなく、有り余る二か月という長い夏休みを、どう過ごせばいいのか手持無沙汰を感じる毎日。
『会社的にもそんなに人は要らないんだよね』と言われながらも、何とかバイトのシフトを少し増やしてもらったが、それでもやっぱり時間は余るので、たった今、別のバイトの面接を受けて帰る途中だった。
いったい、世の大学生というものはこの長い長い夏休みを、何に消費しているのだろうか。ゼミに入ったら各自研究とかあるのかも知れないけれど、一年次である私には特にやるべきこともなく、何を研究したらいいのかも全く解らなかった。
そんな私を見た母は、
「暇なら家の手伝いくらいしたらどうなの」
と、私のお尻を軽く蹴飛ばすこともあったりなかったり。
そんなことより、せっかく日文系の大学に入ったのだ。日本文化史で歴史の講義もあるのだから、こうして地元の神社について軽く調べてみるのも面白いかも知れない。たぶん、大した事実なんて出てこないだろうけれど、夏休みの暇つぶしにはちょうど良いだろう。
そう思いながら、私はようやく石段を登り切り、境内に足を踏み入れた。
目の前には石でできた大きな鳥居が建っていて、久しぶりに見るそれは子供の頃の記憶よりはやや小さく感じられた。まぁ、中学生になってからは一度もここには遊びに来ていないのだから当たり前か。私だって成長して身長もぐんと(平均よりは少し低いけれど)高くなっているのだから。
その鳥居を抜けて本殿に向かう途中には小さな広場があり、秋祭りの時期になると数軒の露店が建って、どこも子供たちでいっぱいだった記憶がある。
基本的には町内会や近所のおじさんたちで結成された『おやじの会』なる集団によるもので、簡単なくじ引きやスーパーボールすくい、綿菓子、フライドポテト……確か、それくらいの露店しか出ていなかったような気がする。
確かに規模は小さかったけれど、子供ながらに楽しかったことだけは何となく覚えていた。
その小さな広場を抜けると十段もない石段があり、それを登った先に建っているのが古めかしい本殿だった。
右側に眼を向ければ手水小屋があり、そこで軽く手を洗ってから振り向くと、本殿左側に建つ小さな神楽殿が目に入った。
それと同時に、その神楽殿に並んで腰かける二つの人影に、私は思わず息を飲み、目を見張った。
ひとりは狐の面を被った男。白いカッターシャツに茶色いチノパンを履いており、足元には下駄を突っかけていた。
その隣に座るのは、同じく、狐の面を被った女の子。長い髪を後ろで束ね、ピンクのシャツにデニムのスカートを履いている。足元のスニーカーは水色で、キラキラした星型の装飾がいくつも散りばめられていた。
ふたりは黙ってこちらに顔を向けており、図らずもわたしと視線が交わった。
「……」
「……」
「……」
少しの間、私たちは見つめあうような形になってしまっていたが、やがて腰かけているふたりは顔を見合わせると、わずかに小首を傾げて何ごとかを囁きあう。
なんだろう、このふたりは。どうして揃いも揃って狐のお面なんて被っているのか。父娘だろうか、それとも兄妹かなにかだろうか。いずれにせよ、こんな誰もいない神社でいったい、何をしているのだろう。
……まぁ、私も似たようなものかもしれないけれども。
私はそのふたりに何となく不気味さを感じながら、本殿に足を向けた。賽銭箱に小銭を投げて、ガラガラと本坪鈴を鳴らして柏手を打つ。二礼二拍手一礼、と小さな札に書かれていたので、その通りにやって頭を下げた。特に何もお願い事もなく、私は再び頭を上げると、ちらりと神楽殿の方に視線を向けた。
そこには相変わらずふたりの姿があって、じっとこちらを見つめている。
やっぱり不気味だ。どうしてそんなに私を見つめているんだろうか。このふたりは、本当に人間なんだろうか。実はここの神社の神様か何かなんじゃなか。もしそうだとしたら、さっさと帰った方が良いんだろうか。
非科学的かもしれないけれど、そうであろうがなかろうが、こんなふうに見つめられていい気なんてするはずがない。
私は踵を返し、一歩足を踏み出したところで、
――シャン、シャン
小さな鈴の音がして、思わず足を止めてしまった。
何だろう、この音は。いったいどこから聞こえてくるのだろうか。
思い、耳を澄ませてみると、本殿の裏の方から同じ音が、
――シャン、シャン
再び聞こえてきた。
綺麗な鈴の音だった。本坪鈴のガラガラという音とは違い、本当に小さな、それこそキーホルダーなんかについてそうな、小さな鈴が鳴る音だ。
ふともう一度、神楽殿の方に視線を向けてみれば、先ほどからそこに座っているふたりは互いに身体を小突きあいながら、小さく笑い声を漏らしていた。
相変わらず狐の面を被っていて顔も表情も全く解らないけれど、あんなのを怖がって逃げ帰るのも何だか癪だった。
なら、せめてこの鈴の音の正体だけでも見て帰ってやろう。そう思った私は音の鳴る方へ足を向けた。
本殿と手水小屋の間には人が一人通れるほどの通路があって、道はその奥へと続いていた。その道を歩いている間も、シャンシャンと鈴は鳴り続けていた。
その鈴の音は本殿奥、脇に建つ小さな祠の方から聞こえており、見れば祠の前に二本、木の棒が地面に刺さっている。その二本の棒を渡すように結ばれたボロボロの麻縄から鈴がぶら下げられており、風に揺れるように鳴り続けていた。
なるほど、これがずっと鳴っていたのか。どうして鈴がぶら下げられているのかは解らないけれど、まぁ、何か意味があるのだろう。この暇な夏休みに、この鈴の意味を調べるのもよさそうだ。そう思いながら、私は鈴に手を伸ばした。
――シャンシャンシャン
その途端、鈴が激しく鳴り響いて。
「あっ!」
麻縄がぶつんと切れ、ジャラン、ジャラン、と鈴が地面に転がった。
「あ、ど、どうしよう……」
最初からボロボロだったとはいえ、まさか触っただけで切れてしまうほどだっただなんて。
どうしよう、どうしよう。困り果てた私は、とりあえず祠の台に切れた麻縄と鈴を置いた。あいにくこれを直せそうなものなんて持ち合わせていないし、ここは一旦家まで帰って、何か適当な紐を持ってまたここまで来て直した方が良いだろう。
よし、そうしよう。
私は一つ頷いて、くるりと来た道を引き返した。
手水小屋と本殿の間を抜けて、境内まで戻ったところで、
「――っ!」
そこに並んで立つ、あのふたりの姿に心臓が止まりそうなほど驚いた。
狐面の女の子はクスクス笑いながら、
「あ~ぁ、切っちゃったね」
と私を嘲る。
それに対して、私は、
「え、あっ……」
しどろもどろになりながら、変な声を漏らしていた。
女の子の隣に立つ男はただ黙ったまま、じっと私のことを見つめていた。
その異様なふたりの姿に私は何も言い返せず、ただただ恐怖を感じて、逃げるようにしてその場から走り去ったのだった。
蝉の声が降りしきる中、私は長い長い石段をゆっくりと登っていた。
辺りは鬱蒼と生い茂る木々に覆われており、この長い石段を登った先の神社まで、その影はずっと続いていた。影の中にいても、ねっとりとした暑苦しい空気が肌に貼り付いて気持ち悪かったが、それでも日向にいるよりは全然マシだった。時折足を止めてハンカチで汗を拭いつつ、私は休み休み、その石段を登っていった。
石段は途中くの字に折れ曲がっており、そこがちょうど山の下と山の上の、中間地点になっていた。私が幼かった頃はまだなかった銀色の手すりに掴まりながら、えっちらおっちら、まるで年寄りのような足取りで歩みを進める。
ここで友達と遊んでいた小学校の頃を思い出して、何となくふらふら登ってきたのだけれど、今頃になって辞めておけばよかった、と後悔し始めていた。
このまま上に行くのを辞めて引き返してもいいのだけれど、逆に言えば、もう半分で境内まで辿り着くことができるということだ。
それなら最後まで登ってやろう、と私は足に力を込めて、少し息切れしながらさらに一歩、石段を踏みしめた。
大学に入学してから初めての夏季休暇。高校までと違い、前期の講義を終えてしまえば宿題や課題なんてものは何一つなく、有り余る二か月という長い夏休みを、どう過ごせばいいのか手持無沙汰を感じる毎日。
『会社的にもそんなに人は要らないんだよね』と言われながらも、何とかバイトのシフトを少し増やしてもらったが、それでもやっぱり時間は余るので、たった今、別のバイトの面接を受けて帰る途中だった。
いったい、世の大学生というものはこの長い長い夏休みを、何に消費しているのだろうか。ゼミに入ったら各自研究とかあるのかも知れないけれど、一年次である私には特にやるべきこともなく、何を研究したらいいのかも全く解らなかった。
そんな私を見た母は、
「暇なら家の手伝いくらいしたらどうなの」
と、私のお尻を軽く蹴飛ばすこともあったりなかったり。
そんなことより、せっかく日文系の大学に入ったのだ。日本文化史で歴史の講義もあるのだから、こうして地元の神社について軽く調べてみるのも面白いかも知れない。たぶん、大した事実なんて出てこないだろうけれど、夏休みの暇つぶしにはちょうど良いだろう。
そう思いながら、私はようやく石段を登り切り、境内に足を踏み入れた。
目の前には石でできた大きな鳥居が建っていて、久しぶりに見るそれは子供の頃の記憶よりはやや小さく感じられた。まぁ、中学生になってからは一度もここには遊びに来ていないのだから当たり前か。私だって成長して身長もぐんと(平均よりは少し低いけれど)高くなっているのだから。
その鳥居を抜けて本殿に向かう途中には小さな広場があり、秋祭りの時期になると数軒の露店が建って、どこも子供たちでいっぱいだった記憶がある。
基本的には町内会や近所のおじさんたちで結成された『おやじの会』なる集団によるもので、簡単なくじ引きやスーパーボールすくい、綿菓子、フライドポテト……確か、それくらいの露店しか出ていなかったような気がする。
確かに規模は小さかったけれど、子供ながらに楽しかったことだけは何となく覚えていた。
その小さな広場を抜けると十段もない石段があり、それを登った先に建っているのが古めかしい本殿だった。
右側に眼を向ければ手水小屋があり、そこで軽く手を洗ってから振り向くと、本殿左側に建つ小さな神楽殿が目に入った。
それと同時に、その神楽殿に並んで腰かける二つの人影に、私は思わず息を飲み、目を見張った。
ひとりは狐の面を被った男。白いカッターシャツに茶色いチノパンを履いており、足元には下駄を突っかけていた。
その隣に座るのは、同じく、狐の面を被った女の子。長い髪を後ろで束ね、ピンクのシャツにデニムのスカートを履いている。足元のスニーカーは水色で、キラキラした星型の装飾がいくつも散りばめられていた。
ふたりは黙ってこちらに顔を向けており、図らずもわたしと視線が交わった。
「……」
「……」
「……」
少しの間、私たちは見つめあうような形になってしまっていたが、やがて腰かけているふたりは顔を見合わせると、わずかに小首を傾げて何ごとかを囁きあう。
なんだろう、このふたりは。どうして揃いも揃って狐のお面なんて被っているのか。父娘だろうか、それとも兄妹かなにかだろうか。いずれにせよ、こんな誰もいない神社でいったい、何をしているのだろう。
……まぁ、私も似たようなものかもしれないけれども。
私はそのふたりに何となく不気味さを感じながら、本殿に足を向けた。賽銭箱に小銭を投げて、ガラガラと本坪鈴を鳴らして柏手を打つ。二礼二拍手一礼、と小さな札に書かれていたので、その通りにやって頭を下げた。特に何もお願い事もなく、私は再び頭を上げると、ちらりと神楽殿の方に視線を向けた。
そこには相変わらずふたりの姿があって、じっとこちらを見つめている。
やっぱり不気味だ。どうしてそんなに私を見つめているんだろうか。このふたりは、本当に人間なんだろうか。実はここの神社の神様か何かなんじゃなか。もしそうだとしたら、さっさと帰った方が良いんだろうか。
非科学的かもしれないけれど、そうであろうがなかろうが、こんなふうに見つめられていい気なんてするはずがない。
私は踵を返し、一歩足を踏み出したところで、
――シャン、シャン
小さな鈴の音がして、思わず足を止めてしまった。
何だろう、この音は。いったいどこから聞こえてくるのだろうか。
思い、耳を澄ませてみると、本殿の裏の方から同じ音が、
――シャン、シャン
再び聞こえてきた。
綺麗な鈴の音だった。本坪鈴のガラガラという音とは違い、本当に小さな、それこそキーホルダーなんかについてそうな、小さな鈴が鳴る音だ。
ふともう一度、神楽殿の方に視線を向けてみれば、先ほどからそこに座っているふたりは互いに身体を小突きあいながら、小さく笑い声を漏らしていた。
相変わらず狐の面を被っていて顔も表情も全く解らないけれど、あんなのを怖がって逃げ帰るのも何だか癪だった。
なら、せめてこの鈴の音の正体だけでも見て帰ってやろう。そう思った私は音の鳴る方へ足を向けた。
本殿と手水小屋の間には人が一人通れるほどの通路があって、道はその奥へと続いていた。その道を歩いている間も、シャンシャンと鈴は鳴り続けていた。
その鈴の音は本殿奥、脇に建つ小さな祠の方から聞こえており、見れば祠の前に二本、木の棒が地面に刺さっている。その二本の棒を渡すように結ばれたボロボロの麻縄から鈴がぶら下げられており、風に揺れるように鳴り続けていた。
なるほど、これがずっと鳴っていたのか。どうして鈴がぶら下げられているのかは解らないけれど、まぁ、何か意味があるのだろう。この暇な夏休みに、この鈴の意味を調べるのもよさそうだ。そう思いながら、私は鈴に手を伸ばした。
――シャンシャンシャン
その途端、鈴が激しく鳴り響いて。
「あっ!」
麻縄がぶつんと切れ、ジャラン、ジャラン、と鈴が地面に転がった。
「あ、ど、どうしよう……」
最初からボロボロだったとはいえ、まさか触っただけで切れてしまうほどだっただなんて。
どうしよう、どうしよう。困り果てた私は、とりあえず祠の台に切れた麻縄と鈴を置いた。あいにくこれを直せそうなものなんて持ち合わせていないし、ここは一旦家まで帰って、何か適当な紐を持ってまたここまで来て直した方が良いだろう。
よし、そうしよう。
私は一つ頷いて、くるりと来た道を引き返した。
手水小屋と本殿の間を抜けて、境内まで戻ったところで、
「――っ!」
そこに並んで立つ、あのふたりの姿に心臓が止まりそうなほど驚いた。
狐面の女の子はクスクス笑いながら、
「あ~ぁ、切っちゃったね」
と私を嘲る。
それに対して、私は、
「え、あっ……」
しどろもどろになりながら、変な声を漏らしていた。
女の子の隣に立つ男はただ黙ったまま、じっと私のことを見つめていた。
その異様なふたりの姿に私は何も言い返せず、ただただ恐怖を感じて、逃げるようにしてその場から走り去ったのだった。
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