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第1部 第3章・訪問者の影
第8回
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えっ、と木村が声に出すのと同時に、奈央の右腕に何者かが触れる感触があった。
奈央は大きく叫び、咄嗟にそれを振り解こうと右腕を上げた。その瞬間、見えない何かに手首を掴まれ、木村から強引に引き剥がされる。
「あ、相原さんっ!」
木村は驚きの声を上げ、手を伸ばして奈央の手を掴もうとするも届かない。
まるで操り人形のように見えない何かに持ち上げられた奈央の身体は自由を失い、手足を動かすことすらままならなかった。
「嫌! 離して!」と奈央は叫ぶ。「助けて! 木村くん!」
「奈央!」
木村は床を蹴り、奈央の身体に飛び込もうとして唐突にそれを阻まれた。見えない壁にぶち当たり、「あっ!」と倒れ床の上を転がる。
その間、奈央の身体には蛇のような腕や手が這うように回されていった。それらは明らかに一人や二人のものではなくて、もっとたくさんの男の手のようだった。
それらが奈央の顔や腕や胸、腹や尻、太腿、脛、そして股の内を無遠慮に蹂躙せんと蠢いた。
突然、二階の灯りが激しく明滅し、それらの影が浮かび上がる。
「……っ!」
その姿に、二人は絶句した。
まるで腐敗した団子か何かの様に集合体と化したそれらは、下卑た嗤いを浮かべながら、奈央の身体を羽交い締めにしていたのだ。
複数の頭が至るところから飛び出し、手足が伸び、それらが思い思いに蠢きながら、耐え難い臭気を放っていた。
木村はそれを見て慄き、けれど、目に涙を浮かべながら必死に抵抗を試みる奈央の姿に、歯を食いしばった。
「嫌、やめて、やめて……!」
奈央は股の内に侵入し、今まさにその奥を貫こうとする何かの感触に戦慄した。得体の知れない何かに犯される恐怖に絶望した。
木村は腹の底から「わああぁっ!!」と叫び、再びそれらに向かって駆け出す。何とか奈央の身体にしがみつき、その腕や手を引き剥がそうとするも、そのうちの一本の腕が伸び、木村の首を掴みぎりぎりと締め上げた。
木村は必死にその腕を振り払おうと暴れたが、しかし、徐々に身体が持ち上げられ、床から爪先が浮いていく。
その様子を、それらはケラケラと嘲り嗤った。
白目を剥き、涎を垂らし、次第に抵抗する力を失っていく木村の姿を、奈央はただ見ていることしかできない。
「やめて…… やめて…… 死んじゃう、木村くんが死んじゃう…… やめて、やめて……!」
もがくことを諦めた木村の手がだらりと垂れた瞬間、奈央は声を限りに絶叫した。
その途端、奈央の叫びに呼応するかのように、家全体が激しく揺れた。まるで地震が起きたかのような大きな揺れに、それらも動揺したのかぴたりと動きを止める。
ぱしんっ、ぱしんっと何かが爆ぜる音が連続して聞こえたかと思うと、次の瞬間、獣のような咆哮が響き渡り、何かに吹き飛ばされたようにそれらはバラバラに弾け飛んだ。
解放された奈央と木村の身体が、どさりと床の上に力無く崩れ落ちる。
やがて地震は収まり、爆ぜる音も咆哮も聞こえなくなった。
何が起こったのか分からないまま頭をもたげれば、バラバラになった黒い影が這うように階下へと逃げ去る様子が目に飛び込んだ。
訳もわからず狼狽し、けれど目の前に倒れる木村を放っておけなくて、奈央は木村の身体を揺すり、「木村くん、木村くん!」と必死に声を上げた。
木村はえずきながら自力で上半身を起こすと、赤い顔で苦しそうに口を開く。
「……だ、大丈夫……奈央は?」
「大丈夫、大丈夫だよ……!」
言って奈央は木村の身体をぎゅっと抱き締めた。木村が生きていること、そして自身の無事を確かめ、涙が溢れた。
「今のは、何……?」
木村の問いに、しかし奈央は首を横に激しく振り、「わからない、わからないの……!」と咽び泣くことしかできなかった。
今まで姿の見えなかったものが突然見えたかと思えば、それは明らかに異形の存在で、あのようなものが自分を付け狙い、闇の中に潜んでいたのだという事実に奈央は戦慄した。
臭気は未だ二人の周囲に立ちこめていたが、次第にそれも薄くなり、遂には普段と同じ家の匂いに戻っていく。
それでも奈央は木村の身体に抱き付いたまま、しばらくそのまま胸に顔を埋めていた。
木村もそんな奈央を抱きしめたまま、それ以上は何も言わなかった。ただ安寧を求めるように、互いの心臓の音に耳を傾けた。
やがて木村はほぅっと小さく溜息を吐くと、すっと奈央の両肩に手をやり、二人は向き合った。
たぶん、今の私は随分酷い顔をしているんだろうな、と奈央は俯く。
一昨日から風呂に入っておらず、あの異形に身体を蹂躙されたことで心身はともに穢れ、一刻も早くそれを洗い清めたかった。ぼさぼさの髪は艶を失い、見るからに見すぼらしかった。
「……もう、大丈夫かな」
木村は独り言ちるように口にすると、そっと奈央から離れようと立ち上がった。奈央は思わずその腕を掴み、眼を見張る。ぱくぱくと口が空を吐き、やっとの思いで喉の奥から音を発した。
「嫌……離れないで……」
誰かに触れていたかった。このまま放置されるのが堪らなく恐ろしかった。とにかく今は、木村と一緒に居たくて仕方がなかった。不安で頭がどうかしてしまいそうだった。腰が抜けて思うように動けず、奈央は縋るように木村の顔を見つめる。
木村は小さくうなずくと、「掴まって」と言って奈央の腕を首に巻いた。腰に手を回し、ふらつく足取りの奈央をなんとか立ち上がらせ、階段へと向かう。
「い、嫌……! 下に居たらどうするの?」
目を見張り恐怖を口にする奈央に、しかし木村は至って冷静に口を開いた。
「……でも、このままここに居るわけにはいかないよ。もし何かあったとして、逃げようと思ったら窓から飛び降りるしかないじゃないか。それより、下に降りるべきだよ。少なくとも、二階よりは簡単に外に逃げ出せるだろう?」
奈央は木村の目を見つめ、どうしてこんなに冷静に話が出来るんだろうと訝しんだ。もしかして、木村くんは異形の仲間なんじゃないか、と根拠のない疑念を浮かべる。それを察してだろうか、木村は優しく微笑むと、「大丈夫だよ」と声を掛けてくる。
「ちゃんと様子を見ながら降りよう。多分、もうあいつはこの家には居ないと思うけど……」
「……どういうこと?」
奈央は眉間にしわを寄せた。あいつ、とはあの異形の事で間違いない。けど、それがもうこの家にはいないだろうなんて、どうしてそんなことが言えるのか。
「あの時、家鳴りとラップ音がしたでしょ? その後何かが吼えるような声がして、あいつは散り散りに吹き飛ばされた。あれが何によるものなのかは知らないけど、たぶん、そいつがあいつを追っ払ってくれたんだと僕は思うんだ」
奈央は木村の言っていることがまるで理解できず、首を傾げた。
家鳴り? ラップ音? あいつ? あれ? そいつ?
それらの単語がどういう意味なのか、何を指しているのか、奈央の頭はまるで追いつけていなかった。ただ何となく、何かがあの異形を家の外に追い出したのだ、という事だけは理解できた。
でも、いったい何が?
ぼんやりと思案する奈央を支え担いだまま、木村は階段へと足を向けた。覗き込むようにして階下を見下ろし、そこに異形の影のないことを確認しながら慎重に階段を下りていく。奈央も恐る恐る、一歩一歩、ゆっくりと段を踏みしめながら下へ向かった。
やがて階段を下り切り周囲を見回せば、そこには先ほどまでとまるで変わらない風景が広がっていた。玄関、廊下、居間、台所は電気がつけっぱなしで全体的に明るく、どこを見ても深い闇は落ちていなかった。廊下の最奥に見える洗面所は僅かに影を落としていたが、それでも不安になるほど暗いわけではない。
二人はほっと胸をなでおろし、けれど決して離れたりはしなかった。何とか自力で立てるようになった奈央は木村の首から腕を戻し、代わりにその手を強く握り締め、肩を寄せた。玄関扉に向かい、ふと足元に目を向ける。
「……これ」
思わず指差したそこには小さな水たまりが出来ていて、チロチロと玄関扉下の細い隙間から外へ向かって流れていった。二人は強く手を握り合い、その様子をじっと見つめていたが、しばらくするとその水溜りは家の外へと完全に姿を消した。あとにはやはり、普段と変わらぬ玄関の様子がそこにはあった。
「――もう、大丈夫だよ」
静かにそう言う木村に、奈央も「うん」と小さくうなずいた。本当に大丈夫だろうか、と不安に思ったけれど、ふと顔を向けた木村に頭を撫でられ、何となく心が落ち着いた。全ての不安が払拭されたわけではないのだけれど、今の奈央にとって、その優しさは十分すぎるほどに自分を癒した。
けれど次の瞬間、ガチャリ、という玄関の鍵が開く音に奈央は飛び上がった。目を見張り、動揺し、脳裏に浮かんだのは母とあのサングラスをかけた男の姿だった。先程窓の外に見た黒い車を思い出し、母が自分を連れ去りに来たのだと恐怖した。思わず「ひっ」と息を吸うような悲鳴を漏らし、木村の身体に抱き付く。瞼を固く閉じて、玄関扉に背を向けるように身体を縮こまらせながら、木村の服を破かんばかりに握り締めて。
木村もそんな奈央に驚きながら、奈央の背中に両腕を回し、守るような態勢を取ったところで――
「……うぉっ!」
野太い声がして、奈央はビクリと身体を震わせた。より一層木村の身体を強く抱き、連れ去られまいと床に全体重を預けて。
「――な、奈央! 奈央……!」
木村に背を叩かれたが、決して奈央は振り返らなかった。何が何でも木村から離れたくなかった。いっそこの場で舌を噛み切って――
「――あぁ、いや……ちょっと早く帰りすぎたかな?」
困惑したように発せられたその声に、奈央は聞き覚えがあった。
木村にしがみついたまま、恐る恐る後ろを振り向けば、
「た、ただいま……」
居心地悪そうに笑う、小父の姿がそこにはあった。
奈央は大きく叫び、咄嗟にそれを振り解こうと右腕を上げた。その瞬間、見えない何かに手首を掴まれ、木村から強引に引き剥がされる。
「あ、相原さんっ!」
木村は驚きの声を上げ、手を伸ばして奈央の手を掴もうとするも届かない。
まるで操り人形のように見えない何かに持ち上げられた奈央の身体は自由を失い、手足を動かすことすらままならなかった。
「嫌! 離して!」と奈央は叫ぶ。「助けて! 木村くん!」
「奈央!」
木村は床を蹴り、奈央の身体に飛び込もうとして唐突にそれを阻まれた。見えない壁にぶち当たり、「あっ!」と倒れ床の上を転がる。
その間、奈央の身体には蛇のような腕や手が這うように回されていった。それらは明らかに一人や二人のものではなくて、もっとたくさんの男の手のようだった。
それらが奈央の顔や腕や胸、腹や尻、太腿、脛、そして股の内を無遠慮に蹂躙せんと蠢いた。
突然、二階の灯りが激しく明滅し、それらの影が浮かび上がる。
「……っ!」
その姿に、二人は絶句した。
まるで腐敗した団子か何かの様に集合体と化したそれらは、下卑た嗤いを浮かべながら、奈央の身体を羽交い締めにしていたのだ。
複数の頭が至るところから飛び出し、手足が伸び、それらが思い思いに蠢きながら、耐え難い臭気を放っていた。
木村はそれを見て慄き、けれど、目に涙を浮かべながら必死に抵抗を試みる奈央の姿に、歯を食いしばった。
「嫌、やめて、やめて……!」
奈央は股の内に侵入し、今まさにその奥を貫こうとする何かの感触に戦慄した。得体の知れない何かに犯される恐怖に絶望した。
木村は腹の底から「わああぁっ!!」と叫び、再びそれらに向かって駆け出す。何とか奈央の身体にしがみつき、その腕や手を引き剥がそうとするも、そのうちの一本の腕が伸び、木村の首を掴みぎりぎりと締め上げた。
木村は必死にその腕を振り払おうと暴れたが、しかし、徐々に身体が持ち上げられ、床から爪先が浮いていく。
その様子を、それらはケラケラと嘲り嗤った。
白目を剥き、涎を垂らし、次第に抵抗する力を失っていく木村の姿を、奈央はただ見ていることしかできない。
「やめて…… やめて…… 死んじゃう、木村くんが死んじゃう…… やめて、やめて……!」
もがくことを諦めた木村の手がだらりと垂れた瞬間、奈央は声を限りに絶叫した。
その途端、奈央の叫びに呼応するかのように、家全体が激しく揺れた。まるで地震が起きたかのような大きな揺れに、それらも動揺したのかぴたりと動きを止める。
ぱしんっ、ぱしんっと何かが爆ぜる音が連続して聞こえたかと思うと、次の瞬間、獣のような咆哮が響き渡り、何かに吹き飛ばされたようにそれらはバラバラに弾け飛んだ。
解放された奈央と木村の身体が、どさりと床の上に力無く崩れ落ちる。
やがて地震は収まり、爆ぜる音も咆哮も聞こえなくなった。
何が起こったのか分からないまま頭をもたげれば、バラバラになった黒い影が這うように階下へと逃げ去る様子が目に飛び込んだ。
訳もわからず狼狽し、けれど目の前に倒れる木村を放っておけなくて、奈央は木村の身体を揺すり、「木村くん、木村くん!」と必死に声を上げた。
木村はえずきながら自力で上半身を起こすと、赤い顔で苦しそうに口を開く。
「……だ、大丈夫……奈央は?」
「大丈夫、大丈夫だよ……!」
言って奈央は木村の身体をぎゅっと抱き締めた。木村が生きていること、そして自身の無事を確かめ、涙が溢れた。
「今のは、何……?」
木村の問いに、しかし奈央は首を横に激しく振り、「わからない、わからないの……!」と咽び泣くことしかできなかった。
今まで姿の見えなかったものが突然見えたかと思えば、それは明らかに異形の存在で、あのようなものが自分を付け狙い、闇の中に潜んでいたのだという事実に奈央は戦慄した。
臭気は未だ二人の周囲に立ちこめていたが、次第にそれも薄くなり、遂には普段と同じ家の匂いに戻っていく。
それでも奈央は木村の身体に抱き付いたまま、しばらくそのまま胸に顔を埋めていた。
木村もそんな奈央を抱きしめたまま、それ以上は何も言わなかった。ただ安寧を求めるように、互いの心臓の音に耳を傾けた。
やがて木村はほぅっと小さく溜息を吐くと、すっと奈央の両肩に手をやり、二人は向き合った。
たぶん、今の私は随分酷い顔をしているんだろうな、と奈央は俯く。
一昨日から風呂に入っておらず、あの異形に身体を蹂躙されたことで心身はともに穢れ、一刻も早くそれを洗い清めたかった。ぼさぼさの髪は艶を失い、見るからに見すぼらしかった。
「……もう、大丈夫かな」
木村は独り言ちるように口にすると、そっと奈央から離れようと立ち上がった。奈央は思わずその腕を掴み、眼を見張る。ぱくぱくと口が空を吐き、やっとの思いで喉の奥から音を発した。
「嫌……離れないで……」
誰かに触れていたかった。このまま放置されるのが堪らなく恐ろしかった。とにかく今は、木村と一緒に居たくて仕方がなかった。不安で頭がどうかしてしまいそうだった。腰が抜けて思うように動けず、奈央は縋るように木村の顔を見つめる。
木村は小さくうなずくと、「掴まって」と言って奈央の腕を首に巻いた。腰に手を回し、ふらつく足取りの奈央をなんとか立ち上がらせ、階段へと向かう。
「い、嫌……! 下に居たらどうするの?」
目を見張り恐怖を口にする奈央に、しかし木村は至って冷静に口を開いた。
「……でも、このままここに居るわけにはいかないよ。もし何かあったとして、逃げようと思ったら窓から飛び降りるしかないじゃないか。それより、下に降りるべきだよ。少なくとも、二階よりは簡単に外に逃げ出せるだろう?」
奈央は木村の目を見つめ、どうしてこんなに冷静に話が出来るんだろうと訝しんだ。もしかして、木村くんは異形の仲間なんじゃないか、と根拠のない疑念を浮かべる。それを察してだろうか、木村は優しく微笑むと、「大丈夫だよ」と声を掛けてくる。
「ちゃんと様子を見ながら降りよう。多分、もうあいつはこの家には居ないと思うけど……」
「……どういうこと?」
奈央は眉間にしわを寄せた。あいつ、とはあの異形の事で間違いない。けど、それがもうこの家にはいないだろうなんて、どうしてそんなことが言えるのか。
「あの時、家鳴りとラップ音がしたでしょ? その後何かが吼えるような声がして、あいつは散り散りに吹き飛ばされた。あれが何によるものなのかは知らないけど、たぶん、そいつがあいつを追っ払ってくれたんだと僕は思うんだ」
奈央は木村の言っていることがまるで理解できず、首を傾げた。
家鳴り? ラップ音? あいつ? あれ? そいつ?
それらの単語がどういう意味なのか、何を指しているのか、奈央の頭はまるで追いつけていなかった。ただ何となく、何かがあの異形を家の外に追い出したのだ、という事だけは理解できた。
でも、いったい何が?
ぼんやりと思案する奈央を支え担いだまま、木村は階段へと足を向けた。覗き込むようにして階下を見下ろし、そこに異形の影のないことを確認しながら慎重に階段を下りていく。奈央も恐る恐る、一歩一歩、ゆっくりと段を踏みしめながら下へ向かった。
やがて階段を下り切り周囲を見回せば、そこには先ほどまでとまるで変わらない風景が広がっていた。玄関、廊下、居間、台所は電気がつけっぱなしで全体的に明るく、どこを見ても深い闇は落ちていなかった。廊下の最奥に見える洗面所は僅かに影を落としていたが、それでも不安になるほど暗いわけではない。
二人はほっと胸をなでおろし、けれど決して離れたりはしなかった。何とか自力で立てるようになった奈央は木村の首から腕を戻し、代わりにその手を強く握り締め、肩を寄せた。玄関扉に向かい、ふと足元に目を向ける。
「……これ」
思わず指差したそこには小さな水たまりが出来ていて、チロチロと玄関扉下の細い隙間から外へ向かって流れていった。二人は強く手を握り合い、その様子をじっと見つめていたが、しばらくするとその水溜りは家の外へと完全に姿を消した。あとにはやはり、普段と変わらぬ玄関の様子がそこにはあった。
「――もう、大丈夫だよ」
静かにそう言う木村に、奈央も「うん」と小さくうなずいた。本当に大丈夫だろうか、と不安に思ったけれど、ふと顔を向けた木村に頭を撫でられ、何となく心が落ち着いた。全ての不安が払拭されたわけではないのだけれど、今の奈央にとって、その優しさは十分すぎるほどに自分を癒した。
けれど次の瞬間、ガチャリ、という玄関の鍵が開く音に奈央は飛び上がった。目を見張り、動揺し、脳裏に浮かんだのは母とあのサングラスをかけた男の姿だった。先程窓の外に見た黒い車を思い出し、母が自分を連れ去りに来たのだと恐怖した。思わず「ひっ」と息を吸うような悲鳴を漏らし、木村の身体に抱き付く。瞼を固く閉じて、玄関扉に背を向けるように身体を縮こまらせながら、木村の服を破かんばかりに握り締めて。
木村もそんな奈央に驚きながら、奈央の背中に両腕を回し、守るような態勢を取ったところで――
「……うぉっ!」
野太い声がして、奈央はビクリと身体を震わせた。より一層木村の身体を強く抱き、連れ去られまいと床に全体重を預けて。
「――な、奈央! 奈央……!」
木村に背を叩かれたが、決して奈央は振り返らなかった。何が何でも木村から離れたくなかった。いっそこの場で舌を噛み切って――
「――あぁ、いや……ちょっと早く帰りすぎたかな?」
困惑したように発せられたその声に、奈央は聞き覚えがあった。
木村にしがみついたまま、恐る恐る後ろを振り向けば、
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