闇に蠢く・完全版

ノムラユーリ

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第2部 第4章・イド

第1回

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 響紀はその廃屋の前に立ち、じっと中を睨みつけていた。

 どんよりと重く伸し掛かる鈍色の空は、今にも落ちてきそうな様相だった。ぽつぽつと降り続ける雨は地を叩き、時折峠を越えていく車が水しぶきを撒き散らしながら走り去っていく。金曜日の夕方ということもあってか、歩道を行く人の姿も少なかった。週末を前にして飲みに行ったり遊びに行ったり、どいつもこいつも生を謳歌しているのだろう。羨ましい限りだ、と響紀は自嘲気味にニヤリと笑んだ。

 峠に佇む廃屋は暗い緑の木々を背にして、完全に静まり返っていた。窓から漏れる灯りはなく、そこに誰かが住んでいるという気配も全く感じられない。

 いや、そもそもここには誰も住んでなどいないのだ。完全なる廃屋、廃墟。無人の家。長らく住む者などなく、たまに剪定作業をしに谷という老人が来るだけの、ただの箱。

 けれどここには確かに喪服の女――少女――ユキが潜んでおり、その朽ちていく肉体を奈央の身体と入れ替えるために、殺した男の魂どもと共に、虎視眈々とその好機を窺っているのだ。そう思うだけで苛立ったし、今すぐにでもこの廃屋に突撃してやりたかったけれど、しかしそんな無謀なことをするほど今の響紀は馬鹿ではなかった。

 かつての友人はユキによって喰い殺された。

 あの肉塊は俺の一撃によってバラバラに吹き飛ばしてやった。

 あとどれくらい、あの“女”の手下どもは残っているのだろうか。

 ユキを井戸の中に引きずり込み、常闇の水に沈めた、タマの言うところの“神”

 その“神”はいったい何が目的でユキを誑かしたのか。

 ……いや、そんなことはどうでもいい。

 そんなの、俺には関係ない。俺“たち”に関係あるはずがない。

 “神”が何を考えているのかなど、知ったことじゃない。

 俺はただ、奈央や俺の家族を守るために、ユキの魂を救うだけだ。

 静寂の中にある廃屋からは、何の敵意も感じられなかった。けれど、確かにここにはあの女たちが潜んでいる。どこからともなく漂ってくる臭気に、響紀は鼻が曲がりそうだった。いや、どこから、なんてことは解り切っている。あの庭にある、古い井戸。あそこに違いなかった。

 奴らは今頃、この奥で何を考えているのだろう、何を企てているのだろう。響紀はじっと廃屋を睨みつけてやったが、しかしそこにはやはり、如何なる気配も感じられなかった。あの肉塊の欠片一つ姿は見せず、物音ひとつ聞こえてはこない。ただ雨の降る音だけが、響紀の周囲を包み込んでいるばかりだった。

 或いは、俺に悟られないように物陰に潜み、襲い掛かるタイミングを謀っているのか。響紀は右腕のブレスレットに左手を添え、そこかしこに点在する影に目を向けた。来るなら来い、かつての友人やあの肉塊のように、その魂ごとバラバラに打ち砕いてやる、そう思いながら。けれどどこにもそんな様子はなく、むしろ響紀は安堵のため息を吐いたのだった。

 かつての友人を殴り飛ばしたのは、今日の昼間の事だったか。まだ数時間前の出来事のはずなのに、ずいぶん昔の事だったように感じられるのはどうしてだろうか。もしかしたら、死んだことによって時間の感覚すらおかしくなってしまったのか。

 響紀は思い、首を横に振った。そんなはずはない。気のせいだ。色々ありすぎたせいで、感覚がおかしくなってしまっているだけだ。

 ブレスレットの力によって右腕を失ったかつての友人。アイツは苦しみながら、そこへ現れた喪服の女に助けを求めて、そして女に喰われて――消えてしまった。

 もしあの時、結奈が助けに来てくれていなかったなら、或いは俺もあの女に喰われていた可能性もあったのだろうか……

 そう思った時だった。

「――そうだ、結奈」

 響紀は独り言ち、峠の下、自宅とは反対側の、駅へ向かう方の道に顔を向けた。

 アイツは俺を見捨てて、自分で何とかすると息巻いてどこかへ行ったのだとタマは言っていたはずだ。

 俺なんていなくても、一人であの喪服の女を止めてみせる、と。

 一人で? そんなことが本当に可能なのか? 俺はすでに死んでいる。だから、これ以上俺の身に何かあったとしても、誰も何も気づかない。これ以上傷付くものはどこにも居ない。けれど、結奈はどうだ。アイツはまだ生きている。当然、アイツにも家族が居る。もし結奈の身にまで何かあって、それこそ死んでしまったりなんてしたら。

 響紀は拳を握り締めて、そして廃屋に背を向けた。

 まずは結奈を探し出さなければ。無謀なことは辞めろと言って、結奈を説得しなくてはならない。命を落とす危険があるのだから、もうこれ以上関わるなと言ってやらなければならない。

 いや、そんなことより、もっと先に言わなければならないことがあったな、と響紀は小さくため息を吐いた。

「何はともあれ、ごめんなさい、からだな」
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