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第2部 第4章・イド
第5回
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2
雲間から見える日差しが強くふたりを照らしていた。鳥の鳴く声が辺りに響き、徐々に道を行き来する人の数も増えていく。空気はまだわずかに湿気を含んでいたが清々しく、響紀の心はこれまでに感じたことのないくらい晴れやかだった。
迷いを捨て去った響紀にとって、温かく包み込んでくれる陽光もまた神々しく、事実そこに神の存在を感じずにはいられなかった。昔、幼い頃、どこかで聞いた日本の神話。そこに登場する天照、月読、そして須佐之男。まさか実際に彼らが存在するとは思ってなどいないけれど、恐らくそれに相当する“何か”がそこには確かにあるのだろう、そう響紀は思うのだった。
「なに? 気持ち悪い顔して」
「あぁ? 誰が気持ち悪いって?」
響紀は心外だとばかりに口をとがらせ、隣に座る結奈を見やった。
ふたりは神社をあとにして、今は病院裏手の遊歩道に設置されたベンチに並んで腰かけていた。このベンチに座るのも、果たして何度目のことだったか。この数日間でこの辺りを何度も何度も行き来して、疲れたらここでひと休みして。お前にも世話になったな、と響紀は何となくそのベンチをなでながら、
「悪いけどな、この顔は生まれつきだ」
にやりと笑んで、ふんと鼻息荒く結奈に言った。
結奈もそんな響紀に口元を緩めながら、
「それは残念だったね。まぁ、私はそんなに嫌いじゃないよ。あんたの顔」
「お、マジか?」
身を乗り出す響紀に、けれど結奈は右手を振りつつ、
「ま、性格は好きじゃないけど」
「おま、失礼な女だな。こんな優しい男、他に居ないぞ」
「優しい? あんたが?」
「あぁ、優しいとも。家族思いだし、奈央のことも妹のように大切にしているし、これ以上犠牲者を増やす前にあの女を止めようとしてるんだから、十分優しいだろうが」
ふうん、として結奈は嘲るように返事して、けれどそれ以上は言い返してこなかった。
ふたりは日に照らされながら、流れゆく緩やかな時間をぼんやりと空を眺めた。
果たしてこんなにのんびりしていても良いんだろうか、すぐにでもアイツらをぶちのめしに行かなきゃならないんじゃないか、という思いにも駆られたけれど、意外にも少し休んでいこうと言い出したのは結奈の方だった。
「これが最後になるかもしれないから」
その言葉には、確かな覚悟が含まれていた。
だから、響紀もそれに対して何も言うことができなかった。
ただ一つうなずいて、今、こうして並んでベンチに腰かけている。
確かに、これが見納めかもしれない。このままあの女たちと対峙して、勝つにしろ負けるにしろ、俺はもうここには戻って来ないだろう。そう思えばこそ、今この時をしっかりと目に、心に、魂に刻み付けておきたかった。
しばらくふたりはそうしていたが、おもむろに結奈は「そうだ」と立ち上がると、
「あんたのお母さん、この病院に入院しているんだったよね?」
と響紀の方に顔を向けた。
「あぁ、そうだけど」
頷く響紀に、結奈はじっとその視線を向けながら、
「もう、会いに行ったの?」
「……行ったよ。昨夜のうちにな」
そう、と結奈は頷いてから、
「もう一度、会いに行って来たら?」
病院の方を指さした。
「えぇ? なんで」
響紀は思わず眉をひそめてしまう。
「今ならまだ間に合うでしょ? 最後に行ってきますって、言って来たら?」
「それなら、もう言ったよ」
「本当に?」
「あぁ。言った」
――俺、もう行くよ。そう言って母には別れを告げた。
けれど、結奈は疑るような眼で響紀の顔を覗き込んで、
「でも、まだどこか未練を感じる」
「なんだって?」
「あんた、どうせ戻ってくることはないって思ってんでしょ?」
「……当たり前だろ。俺はもう死んでるんだ。ここに居ていいような存在じゃない。すべてが終わったら、どっちにしても俺はあの世に行くつもりだ。戻ってくる気なんて――」
「ダメよ」
ぴしゃりと結奈に言われて、響紀は思わず目を見張った。
「なんで?」
すると結奈は両手を腰に当てながら、
「あのね、生きてようが死んでようが、出かける前にはちゃんと“行ってきます”っていうのが礼儀なの。あんたのお母さんは、きっとあんたが帰ってくるのを待ってくれてる。たとえあんたの姿が見えなくたって、死んでたって、それは絶対に変わらない。それをあんたの都合で“もう戻ってくる気がないから行ってきますって言わない”なんて、私は絶対に許さないから」
「なんだよそれ、そんなの別に――」
「良くない」
即答されて、響紀は何となく肩をすぼめる。
「行ってきます、行ってらっしゃいは大事なの。無事に戻ってきます、無事に帰ってきてください、そういう想いが込められた大切な言葉なの。想いには力がある。たとえ負けそうになったとしても、その想いの為なら絶対に頑張れる。そういうものなの。だから、もう一度お母さんに会って、ちゃんと“行って来ます”って言って来なさい」
「……でも」
その強い眼差しに、けれど響紀はそれ以上、何も言い返せなかった。
もう戻るつもりはない。それはここに未練を残したくないばかりに選んだ選択肢だったけれども、それは同時に逃げでもあった。これ以上悲しい思いをしたくないから、これ以上母親の辛そうな姿を見たくないから。そして、自分のこの決意を揺るがせたくないから。そんな理由で。
だけど、と響紀は大きくため息を一つ吐いた。確かに、結奈の言うことにも一理ある。言わばこれは願掛けだ。残す者、残される者、どちらにとっても。
「……しゃぁねぇなぁ」
響紀は大きくため息を吐くと、頭を掻きながらすっくと立ち上がる。
「分かった、言ってくるよ。行って来ますって、ちゃんとな」
「――うん」
結奈は言って、にっこりと微笑んだ。
雲間から見える日差しが強くふたりを照らしていた。鳥の鳴く声が辺りに響き、徐々に道を行き来する人の数も増えていく。空気はまだわずかに湿気を含んでいたが清々しく、響紀の心はこれまでに感じたことのないくらい晴れやかだった。
迷いを捨て去った響紀にとって、温かく包み込んでくれる陽光もまた神々しく、事実そこに神の存在を感じずにはいられなかった。昔、幼い頃、どこかで聞いた日本の神話。そこに登場する天照、月読、そして須佐之男。まさか実際に彼らが存在するとは思ってなどいないけれど、恐らくそれに相当する“何か”がそこには確かにあるのだろう、そう響紀は思うのだった。
「なに? 気持ち悪い顔して」
「あぁ? 誰が気持ち悪いって?」
響紀は心外だとばかりに口をとがらせ、隣に座る結奈を見やった。
ふたりは神社をあとにして、今は病院裏手の遊歩道に設置されたベンチに並んで腰かけていた。このベンチに座るのも、果たして何度目のことだったか。この数日間でこの辺りを何度も何度も行き来して、疲れたらここでひと休みして。お前にも世話になったな、と響紀は何となくそのベンチをなでながら、
「悪いけどな、この顔は生まれつきだ」
にやりと笑んで、ふんと鼻息荒く結奈に言った。
結奈もそんな響紀に口元を緩めながら、
「それは残念だったね。まぁ、私はそんなに嫌いじゃないよ。あんたの顔」
「お、マジか?」
身を乗り出す響紀に、けれど結奈は右手を振りつつ、
「ま、性格は好きじゃないけど」
「おま、失礼な女だな。こんな優しい男、他に居ないぞ」
「優しい? あんたが?」
「あぁ、優しいとも。家族思いだし、奈央のことも妹のように大切にしているし、これ以上犠牲者を増やす前にあの女を止めようとしてるんだから、十分優しいだろうが」
ふうん、として結奈は嘲るように返事して、けれどそれ以上は言い返してこなかった。
ふたりは日に照らされながら、流れゆく緩やかな時間をぼんやりと空を眺めた。
果たしてこんなにのんびりしていても良いんだろうか、すぐにでもアイツらをぶちのめしに行かなきゃならないんじゃないか、という思いにも駆られたけれど、意外にも少し休んでいこうと言い出したのは結奈の方だった。
「これが最後になるかもしれないから」
その言葉には、確かな覚悟が含まれていた。
だから、響紀もそれに対して何も言うことができなかった。
ただ一つうなずいて、今、こうして並んでベンチに腰かけている。
確かに、これが見納めかもしれない。このままあの女たちと対峙して、勝つにしろ負けるにしろ、俺はもうここには戻って来ないだろう。そう思えばこそ、今この時をしっかりと目に、心に、魂に刻み付けておきたかった。
しばらくふたりはそうしていたが、おもむろに結奈は「そうだ」と立ち上がると、
「あんたのお母さん、この病院に入院しているんだったよね?」
と響紀の方に顔を向けた。
「あぁ、そうだけど」
頷く響紀に、結奈はじっとその視線を向けながら、
「もう、会いに行ったの?」
「……行ったよ。昨夜のうちにな」
そう、と結奈は頷いてから、
「もう一度、会いに行って来たら?」
病院の方を指さした。
「えぇ? なんで」
響紀は思わず眉をひそめてしまう。
「今ならまだ間に合うでしょ? 最後に行ってきますって、言って来たら?」
「それなら、もう言ったよ」
「本当に?」
「あぁ。言った」
――俺、もう行くよ。そう言って母には別れを告げた。
けれど、結奈は疑るような眼で響紀の顔を覗き込んで、
「でも、まだどこか未練を感じる」
「なんだって?」
「あんた、どうせ戻ってくることはないって思ってんでしょ?」
「……当たり前だろ。俺はもう死んでるんだ。ここに居ていいような存在じゃない。すべてが終わったら、どっちにしても俺はあの世に行くつもりだ。戻ってくる気なんて――」
「ダメよ」
ぴしゃりと結奈に言われて、響紀は思わず目を見張った。
「なんで?」
すると結奈は両手を腰に当てながら、
「あのね、生きてようが死んでようが、出かける前にはちゃんと“行ってきます”っていうのが礼儀なの。あんたのお母さんは、きっとあんたが帰ってくるのを待ってくれてる。たとえあんたの姿が見えなくたって、死んでたって、それは絶対に変わらない。それをあんたの都合で“もう戻ってくる気がないから行ってきますって言わない”なんて、私は絶対に許さないから」
「なんだよそれ、そんなの別に――」
「良くない」
即答されて、響紀は何となく肩をすぼめる。
「行ってきます、行ってらっしゃいは大事なの。無事に戻ってきます、無事に帰ってきてください、そういう想いが込められた大切な言葉なの。想いには力がある。たとえ負けそうになったとしても、その想いの為なら絶対に頑張れる。そういうものなの。だから、もう一度お母さんに会って、ちゃんと“行って来ます”って言って来なさい」
「……でも」
その強い眼差しに、けれど響紀はそれ以上、何も言い返せなかった。
もう戻るつもりはない。それはここに未練を残したくないばかりに選んだ選択肢だったけれども、それは同時に逃げでもあった。これ以上悲しい思いをしたくないから、これ以上母親の辛そうな姿を見たくないから。そして、自分のこの決意を揺るがせたくないから。そんな理由で。
だけど、と響紀は大きくため息を一つ吐いた。確かに、結奈の言うことにも一理ある。言わばこれは願掛けだ。残す者、残される者、どちらにとっても。
「……しゃぁねぇなぁ」
響紀は大きくため息を吐くと、頭を掻きながらすっくと立ち上がる。
「分かった、言ってくるよ。行って来ますって、ちゃんとな」
「――うん」
結奈は言って、にっこりと微笑んだ。
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