魔法百貨堂 〜歌と魔法の物語〜

ノムラユーリ(野村勇輔)

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ふたりめ

第3回

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   3(柏木)

 もちろん、付き合っているつもりなんて互いになかった。

 当たり前だ。歳だって離れているし、俺には妻も娘もいる。彼女もその事を知っていたし、これはあくまで同じ趣味を持つ者同士の、映画鑑賞会でしかなかったのだから。

 けれど、俺の中には別の考えも確かにあった。それこそが次に書こうと思っていた小説に関わる話だ。

 俺はこれまで、同い年かそれ前後の恋愛ものしか書いたことがなかった。年齢差のある恋愛ものを書こうと思ったことは、これまでにも何度かあったが、俺の想像力不足によるものか、なかなか納得のいくものが書けずにいたのである。確かに想像や妄想だけで小説を書くことは可能だ。しかしながら、やはり実体験に基づいた物語を書いてこそ、そこには真実味や現実味が生まれてくるのだと、俺は思っていたのである。

 彼女を――沙也加ちゃんを利用するようで申し訳なかったが、今の俺と彼女の関係は、まさに次作への参考として、この上ない資料だったのだ。

 俺たちはだいたい二週間に一度の割合で待ち合わせをして、映画を観に行くようになった。それは概ね朝一の上映作であり、そして映画を観終わった後は、一緒にモール内を散策したり、フードコートなどに立ち寄っては、お昼ご飯を食べながら映画の感想を語り合ったのだった。

 たまたま映画館で出会ったあの日から、沙也加ちゃんの服装は解り易く変わっていった。最初地味だった彼女の服装は随分あか抜けていき、化粧も大人びたものになっていった。今では大学生や社会人と偽っても何ら違和感もなく、並んで歩いていると店員さんから声を掛けられるとき、夫婦と間違えられることがあるほどだった。その度に彼女ははにかみながら、年相応の笑顔を私に向けるのだった。

 やがて夏が過ぎて秋になり、そろそろ冬の訪れを感じ始めた、少し肌寒さを感じる日のことだった。映画を観終わった俺は、隣を歩く彼女に、
「ちょっと本屋に寄っていかない?」
 と声を掛けた。その日観た映画の原作を、俺はまだ読んでいなかったのだ。

「あ、いいですよ」と彼女は頷き、「ちょうど私も、新刊を見たかったんです」
 そう言って、にっこりと微笑んだ。

 俺たちは肩を並べて歩き、モール内の端に位置する本屋に向かった。その本屋はこの近辺では最も広い面積のフロアを有し、その取り扱っている本も多岐にわたった。一画にはカラフルな文具やバッグ、CDやDVD、BD、ゲームなども多く並べられている。

 そんな中を、我々は新刊と話題の書籍が平積みされたコーナーに真っ直ぐ足を向けた。

 本屋とは何とも魅力的かつ魅惑的な、人の足を長時間留まらせる魔力を持った、いわば伏魔殿である。目的はしっかり持ち、欲しい本を見つけたならば、迅速にレジに向かわなければならない。もしもその深みにはまったならば、たちまち底なし沼のように脱出することができなくなってしまう、そんな恐ろしい場所なのだ。あれも面白そうだ、これも面白そうだ、そんなふうに、あれもこれもと本に手を伸ばしているうちに、気づけば予定よりも時間を食っていた、なんてことはざらである。恐らく一日中いても飽きることはないだろう。

 そんな恐ろしい魔窟の中、俺は目的のその原作小説を手に取ると、
「ちょっと買ってくるよ」
 沙也加ちゃんに一声かけて、レジに向かったのだった。

 休日ということもあって、レジには長蛇の列ができていた。六台あるレジをフル稼働しているにも関わらず、次々やってくるお客さんに対して、店員さんたちは多忙を極めている様子だった。店内を歩いている店員さんも、ひっきりなしにお客さんに声を掛けられ大変そうだ。

 ふとレジ前の陳列棚に目を向けてみれば、そこにも実に興味深い本がずらりと並べられている。実に狡猾な罠だと俺は思った。こうやって彼らは、我々についで買いをそそのかしてくるのである。

 だが残念ながら、そんな誘惑に乗せられる俺ではない。これまでの経験から、俺はこれらの誘惑を振り切る術をしっかりと身に着けていた。

 簡単な話だ。しっかりと列の前やレジを見つめ、これらの誘惑から完全に視線をそらしてしまえばいいのである。見てしまうからほしくなる。ほしくなるから手に取って開いてしまう。ならば、最初から目に映さなければよいだけの話なのだ。

 などということを一人考えながら並んでいると、やがて俺の番が回ってきた。速やかに支払いを済ませ、沙也加ちゃんのもとまで足早に戻る。思いがけず時間がかかってしまった。今頃私が戻ってくるのを待ちくたびれていることだろう。

 そう思いながら新刊コーナーへ戻ると、そこには沙也加ちゃんの姿はどこにもなかった。辺りを見回し、話題の作品コーナー、映像化コーナー、或いは店のすぐ目の前にある休憩用のベンチやソファにも目を向けてみたが、どこにも彼女の姿は見当たらなかった。

 待つのに飽きて先に帰ってしまったのだろうか、とも思ったけれど、そこは同じ本好き同士。恐らく沙也加ちゃんは、この底なし沼の中へ、ずるずるとその身を引きずり込まれていったのだ。

 俺は広い店内を見渡し、彼女の姿を探して歩き出した。これだけ多くの本があると、彼女がどこへ行ってしまったのか探すのは容易ではなかった。最初に文庫や単行本のコーナーを覗き、次いでコミックコーナーも見て回ったが、沙也加ちゃんの姿は見当たらなかった。或いは参考書コーナーだろうかと思って足を向けてみたが、やはりそこにも彼女の姿はない。

 これはやはり先に帰ってしまったのだろうか、しかし何も告げずに帰るなんてことが彼女に限ってあるだろうか、などと不安になりながらやがて写真集コーナーに差し掛かったところで、ようやく俺は沙也加ちゃんをそこで見つけた。

 沙也加ちゃんは写真コーナーの一画、動物や空、海などの写真集が並べられた本棚の前で、まるで魂を抜かれてしまったかのように、一冊の本を開いて突っ立っていた。

 俺はそんな沙也加ちゃんに声を掛けようとして、けれどその横顔に思わず見惚れてしまった。

 うっすらと開かれた優し気な眼に、すっとした鼻立ち。ふっくらとした頬に、形の良い桃色の唇。髪の間から覗く耳元ではイヤリングが小さく揺れ、仄かに香る甘い匂いは、恐らく彼女のものだろう。これまで何度も彼女とこうして二人映画を観に来ているが、これほどまでに惹かれたことは一度もなかった。

 ただ彼女を見ているだけで心臓は高鳴り、息が浅くなる。早く声を掛けて「そろそろ帰ろう」と言うべきなのに、いつまでもこうして彼女を見つめていたいという想いに襲われた。こんな気持ちになったのは、果たしていつぶりだろうか。

 この気持ちを言葉にするならば、そう――




「恋」
 と俺は臆することなく、茜さんにそう言った。
「昔、まだ妻と付き合い始めた頃のあの感情を、俺は思い出したんだ」

 そう、間違いなく、それは恋だった。俺はこの歳になって、妻子があるにも関わらず、二十も年の離れた女の子に、恋心を抱いてしまったのだ。

 茜さんは、わずかに眉をひそめながら、
「それって、つまり――奥さんを愛せなくなったってことですか?」

「それは違う」
 俺は声高に、そう断言した。
「俺は今でも妻を愛しているし、娘のことだって愛しく思っている」

「……でも、それって」
 言い淀む茜さんに、俺は畳みかけるように、
「愛は愛だ。恋じゃない。恋は恋、愛は愛。この二つは似て非なるものだ。確かに俺は昔、妻と恋に落ち、そしてそれは、やがて愛へと変わり結婚して娘も生まれた。けれど、愛になった恋はもう恋じゃない。愛と恋は別物で、そしてどちらも俺の中に存在する感情なんだ」

 茜さんはますます眉をひそめ、俺の顔をじっと見つめるのだった。
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