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村中優麻
#2
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母からこんな話を聞いたことがある。
「世の中には三人、似たシトがいるって言われてるんだに。でもゆうくんには、ほんまにそっくりな瓜二つのシトがいるかもしらん。もしもそのシトに会うたら逃げないかん」
まだ幼かった私は真剣に受け止めずに素直に頷いた。けれどその言葉は未だに記憶の片隅で生きていて、ふとした瞬間に蘇る。母の当時の声でそのまま、映像とともに再生される。
その夜、不気味な夢を見たことも忘れられずにいる。
私は誰かと話している。鏡に向かって独り言を言っていると思ったほどに、同じ顔が目の前で私とは違う言葉を返してくる。唯一私と違うのは、その子は自分を「僕」と言う。まるで男の子みたいに。
「なんでその子を見たら逃げんといかんの?」
翌日、気になって母に聞いてみると、
「人間の子やないもんで、ほんまはこわーい化け物なんだに」
無表情でそう言った。
夕暮れ時に窓から差し込む光で赤い顔になったあの時の母が、たまに夢に出てくる。
日曜は誰とも会わずに家で掃除やゴミ捨てを惰性でやり、午後からは昨日買った小説を珈琲と一緒に嗜んだ。仕入れたての深入りの豆を手動で挽き、お湯を落としながら一ページ目を開いた。
淹れた珈琲を猫の絵が描かれたマグカップに移し、ソーサーと一緒にデスクの上に乗せてから続きを読み進めた。
帯に『性愛』と書かれていただけあって、所謂逢瀬の描写もあったが、夫婦間の神聖な行為も夜の空気に重みを増していて読みごたえがある。そういった言葉を重ねては脳裏に繊細に映像が流れ、興奮しなくもないけれど、それ以上に美しいと感じる方が大きかった。
私は男の子と恋人になり、私の身体も男の子であるから、端から見ればゲイに見られるだろうけど、私の中では違う。私は女の子として彼と身体を重ねている。心では異性愛者なのだ。
読み終えた後に寂しさが襲ったのは、彼がゲイであることを再認識したからだろう。私がトランスジェンダーだから、身体の性別の無視して愛してくれているわけじゃない。彼はれっきとしたゲイの人で、同性愛者。仮に私が身体を変え、優麻という名前も捨て、あるべき姿になった時、彼は変わらず愛してくれるだろうか。良かったねと心から寄り添ってくれるだろうか。そんな疑問が絶えず膨らむばかりで、小説そのものの余韻に浸れずに休みを終えた。
夏の匂いが本格的に香り始めた七月のとある月曜日。店長の水野成美と昼休憩を共にしていた。水野さんは家から持ってきた手作り弁当を食べ終え、私はコンビニで買ってきた弁当を食べ終え、灰皿を挟んで煙たい中二人で喫煙している。
「で、彼には何とか誤魔化して今日にいたるの?」
結婚して関東から引っ越してきたという水野さんの話し方は未だに標準語で、今はもう慣れたけれど最初は違和感が消えなかった。
「まぁ、その場をやり過ごすのは子供の頃から得意なので」
「ゆうちゃんの過去はある程度聞いたからそれはわかるけど、でも余計に複雑な気持ちになるよ?彼。しかも今付き合って三ヵ月くらいでしょ?一番危ない時期よ、倦怠期っていうかいろいろ見えてくる頃というか」
綺麗に施されたネイルで弾いて灰を落としながら言った。店長と部下というよりは、四つ年上のお姉さんという感じで親しみやすい。
「いろいろ見えてきとるんかやぁ…」
咄嗟に出た独り事に、え?と聞かれた。
「あ、いや、私あんまり自分のこと話さへんタイプなんで、見えてきとるんかってふと思いまして」
「そういうとこをもう知ってるなら、自分から探ろうとゆうちゃんのことよーく見てるかもしれないよ?仕草とか声色とかで、勝手に彼なりに察して変な方向に解釈されたらもっと困るのゆうちゃんじゃない?」
ごもっともなご意見に何も言い返せない。
「はい…ですね」
既婚者の水野さんの言うことだから説得力が違う。
まぁ私も旦那にあれこれ何でも言うタイプじゃないけどね、と言って休憩室から出て行ってしまった。水野さんなりに気を使ってくれてるのだろうか。
揺れた派手髪から大人のお姉さんらしい香水の香りが漂った。普段から奇抜な格好をするあの人だからこそ他のスタッフも自分がしたい格好で出勤できるから助かっている。はじめて水野さんと会話した時もそうだった。
私がまだ女の子らしい服装で外を出るのに周りの視線が気になってた頃、たまたま立ち寄ったこの店で人目につかないようにスカートやレースのブラウスなどを触っていた。お店の人にも見られていないと思っていたけれど、二回目に立ち寄った時同じように商品に触れていると、後ろから女性スタッフに声をかけられた。
「いらっしゃいませ、この前も来てくださいましたよね。こちらのスカートが気になります?これ可愛いですよねぇ。私も欲しいなって思ってるくらいです」
「あ…はい…可愛い、です」
声が高い方だとはいえ、喋れば男の人だと気づいたはずなのに、変わらず接客を続ける。他人にぐいぐい迫られるのは苦手で、早く帰ろうと思ったのもつかの間。
「これ、試着してみます?」
下がろうとしていた右足は止まり、また左足のもとへ戻った。
「え、いいんですか?」
もちろんです、と笑顔で言ってくれたその接客を忘れたことがない。都会でもないこの地域で偏見な目で見られなかったのが初めての経験だった。
試着室に案内され着替え終わりカーテンを開けると、水野さんはちゃんとそこで私を待っていてくれた。まるで女の子が二人でショッピングしに来たみたいに。
「めっちゃ似合ってますね!脚も長くて綺麗ですからスカートが負けてないか心配になりますね」
そう言って笑ってくれたことも忘れていない。カッコ良かった。
私はこの人みたいな店員になりたい。というより、この人と居なくてはいけない。そんな気がした。
人と人の繋がり。そこには何の根拠もなく説明はできないけれど、自分はこの人と会うべくして会ったのだろうと全ての細胞が共鳴しているのがわかる時がある。
以来、私は試着室のカーテンは夢のカーテンであると思い、あの瞬間に虜になった。
「世の中には三人、似たシトがいるって言われてるんだに。でもゆうくんには、ほんまにそっくりな瓜二つのシトがいるかもしらん。もしもそのシトに会うたら逃げないかん」
まだ幼かった私は真剣に受け止めずに素直に頷いた。けれどその言葉は未だに記憶の片隅で生きていて、ふとした瞬間に蘇る。母の当時の声でそのまま、映像とともに再生される。
その夜、不気味な夢を見たことも忘れられずにいる。
私は誰かと話している。鏡に向かって独り言を言っていると思ったほどに、同じ顔が目の前で私とは違う言葉を返してくる。唯一私と違うのは、その子は自分を「僕」と言う。まるで男の子みたいに。
「なんでその子を見たら逃げんといかんの?」
翌日、気になって母に聞いてみると、
「人間の子やないもんで、ほんまはこわーい化け物なんだに」
無表情でそう言った。
夕暮れ時に窓から差し込む光で赤い顔になったあの時の母が、たまに夢に出てくる。
日曜は誰とも会わずに家で掃除やゴミ捨てを惰性でやり、午後からは昨日買った小説を珈琲と一緒に嗜んだ。仕入れたての深入りの豆を手動で挽き、お湯を落としながら一ページ目を開いた。
淹れた珈琲を猫の絵が描かれたマグカップに移し、ソーサーと一緒にデスクの上に乗せてから続きを読み進めた。
帯に『性愛』と書かれていただけあって、所謂逢瀬の描写もあったが、夫婦間の神聖な行為も夜の空気に重みを増していて読みごたえがある。そういった言葉を重ねては脳裏に繊細に映像が流れ、興奮しなくもないけれど、それ以上に美しいと感じる方が大きかった。
私は男の子と恋人になり、私の身体も男の子であるから、端から見ればゲイに見られるだろうけど、私の中では違う。私は女の子として彼と身体を重ねている。心では異性愛者なのだ。
読み終えた後に寂しさが襲ったのは、彼がゲイであることを再認識したからだろう。私がトランスジェンダーだから、身体の性別の無視して愛してくれているわけじゃない。彼はれっきとしたゲイの人で、同性愛者。仮に私が身体を変え、優麻という名前も捨て、あるべき姿になった時、彼は変わらず愛してくれるだろうか。良かったねと心から寄り添ってくれるだろうか。そんな疑問が絶えず膨らむばかりで、小説そのものの余韻に浸れずに休みを終えた。
夏の匂いが本格的に香り始めた七月のとある月曜日。店長の水野成美と昼休憩を共にしていた。水野さんは家から持ってきた手作り弁当を食べ終え、私はコンビニで買ってきた弁当を食べ終え、灰皿を挟んで煙たい中二人で喫煙している。
「で、彼には何とか誤魔化して今日にいたるの?」
結婚して関東から引っ越してきたという水野さんの話し方は未だに標準語で、今はもう慣れたけれど最初は違和感が消えなかった。
「まぁ、その場をやり過ごすのは子供の頃から得意なので」
「ゆうちゃんの過去はある程度聞いたからそれはわかるけど、でも余計に複雑な気持ちになるよ?彼。しかも今付き合って三ヵ月くらいでしょ?一番危ない時期よ、倦怠期っていうかいろいろ見えてくる頃というか」
綺麗に施されたネイルで弾いて灰を落としながら言った。店長と部下というよりは、四つ年上のお姉さんという感じで親しみやすい。
「いろいろ見えてきとるんかやぁ…」
咄嗟に出た独り事に、え?と聞かれた。
「あ、いや、私あんまり自分のこと話さへんタイプなんで、見えてきとるんかってふと思いまして」
「そういうとこをもう知ってるなら、自分から探ろうとゆうちゃんのことよーく見てるかもしれないよ?仕草とか声色とかで、勝手に彼なりに察して変な方向に解釈されたらもっと困るのゆうちゃんじゃない?」
ごもっともなご意見に何も言い返せない。
「はい…ですね」
既婚者の水野さんの言うことだから説得力が違う。
まぁ私も旦那にあれこれ何でも言うタイプじゃないけどね、と言って休憩室から出て行ってしまった。水野さんなりに気を使ってくれてるのだろうか。
揺れた派手髪から大人のお姉さんらしい香水の香りが漂った。普段から奇抜な格好をするあの人だからこそ他のスタッフも自分がしたい格好で出勤できるから助かっている。はじめて水野さんと会話した時もそうだった。
私がまだ女の子らしい服装で外を出るのに周りの視線が気になってた頃、たまたま立ち寄ったこの店で人目につかないようにスカートやレースのブラウスなどを触っていた。お店の人にも見られていないと思っていたけれど、二回目に立ち寄った時同じように商品に触れていると、後ろから女性スタッフに声をかけられた。
「いらっしゃいませ、この前も来てくださいましたよね。こちらのスカートが気になります?これ可愛いですよねぇ。私も欲しいなって思ってるくらいです」
「あ…はい…可愛い、です」
声が高い方だとはいえ、喋れば男の人だと気づいたはずなのに、変わらず接客を続ける。他人にぐいぐい迫られるのは苦手で、早く帰ろうと思ったのもつかの間。
「これ、試着してみます?」
下がろうとしていた右足は止まり、また左足のもとへ戻った。
「え、いいんですか?」
もちろんです、と笑顔で言ってくれたその接客を忘れたことがない。都会でもないこの地域で偏見な目で見られなかったのが初めての経験だった。
試着室に案内され着替え終わりカーテンを開けると、水野さんはちゃんとそこで私を待っていてくれた。まるで女の子が二人でショッピングしに来たみたいに。
「めっちゃ似合ってますね!脚も長くて綺麗ですからスカートが負けてないか心配になりますね」
そう言って笑ってくれたことも忘れていない。カッコ良かった。
私はこの人みたいな店員になりたい。というより、この人と居なくてはいけない。そんな気がした。
人と人の繋がり。そこには何の根拠もなく説明はできないけれど、自分はこの人と会うべくして会ったのだろうと全ての細胞が共鳴しているのがわかる時がある。
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