血みどろ兎と黒兎

脱兎だう

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①第五章 影から這い出る者と落とす者

3そろそろ帰りましょう(ブラビット視点)

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 来客用に借金してまで借りているラウンジは、「金持ち」を名乗るに相応しい、小奇麗で洒落た内観をしている。
 今となっては見慣れたものだが、見栄を張る為だけにここまで労力と金を掛けるその思考が、私にとっては未知の領域だった。
 そこまでせずとも、堂々と現状にある物だけで心を満たせばいいのに。

 人間というのは、無駄なことにわざわざ注力しないと死んでしまうのだろうか。
 であれば、愚かというべき他無い。

「お前もおやつ食うか? 兎」

「おやつ、ですか……ある人はポテチをそう称していましたので、それですかね」
「いや、小腹が空いた時に食べるもん全部だろ」
「なんと! そうでしたか」

 赤君やい他のも教えてよー。なんて今ここにいない彼に言っても聞こえることなど無いのだが。

「ではお一つ……と言いたいところですが、この姿は人間の食べ物の味が分からないものでね。残念ですが此度は辞退させていただきますわ」
「なーんだ」

 そうなのか、とつまらなさそうに呟く。

 誰かが来た音が聞こえたので、見えない場所で待機することにする。
 学校へ行っている時は黒兎赤と会わないように外で待機しているのだが、にやにやしながら出てきた日は何を話したのか気になって仕方なかったこともあり……少々不便に感じているのも事実であった。

「遊びに来たよー、仁夏」

 丁度良いとこに、と声を掛けて手招く仕草はどことなく子狐を連想させた。

「一緒に食べようぜ。ちょっと量多めに買っちまったんだよ」
「ええ、さっき食べてきたばかりなんだけど……まぁいいや。食べながら話そっか」
「ぃよっし。じゃ、お前これな」

 暫しの間続く談笑と間食。袋の中に入った透明色に近い物体が減ったところで韮川狼が話題を振る。

「最近どう? 僕の方は相変わらず、お金が厳しくってさー。やんなっちゃう」

(嘘吐けぇ! 知ってるからなっ! 仁夏君とことは比べ物にならない程金持ってるの!)

 平気な顔して嘘を言う少年に苛立ちを覚えた。
 正直に言えば良いものを、どうしてこう、人間も人外たちも言わないのだろう。
 私が知らないだけで案外それが暗黙の了解として伝わっているのかもしれない。そうだとしたら反省すべきは私自身であるので、理由が分からない内は考えないでおこう。

 金持ち設定である者としては何かしてやるべきなのだろうかと考えたらしい少年は「お、俺は……そうだな……」と言葉を濁す。
 幼馴染みなだけはあって、彼が言おうとしたことをすぐに察した韮川狼が間もなく返す。

「あ。大丈夫、仁夏と両親が仲悪いのは知ってるし。困らせたくて言ってる訳じゃないよ?」
「びっくりさせんなよ! 最近、最近なー……」

 ちらっとこっちを見るんじゃなーい!

「特に何も無かったな!」

 何処かへ視線を外した陸堂仁夏に少し違和感を感じたであろう韮川狼は、「無い割には随分と楽しそうだね?」と遠回しに何があったのか聞いたが彼は無言を貫き通した。

 おお、その点は褒められるぞ仁夏君。

 撫でてやりたい気分に駆られたが黙って会話にだけ集中していく。

「ちょっと今日はお願いがあって来たんだけどさ……今日だけ泊めてくれないかなーって」
「あ、わりぃ……泊めたくっても許可下りねえ気がする」
「……そうだよね。ごめん、無理なこと言って」

 いや、俺の方こそ。
 とお互い謝る様を見るに、黒兎赤がよく言っていた「あの二人は仲が良い」のというは真なのだろう。

「お互い、もっと楽な暮らしが出来れば良かったのにね。あんな奴らじゃなくてさ! 口先だけの癖に、いつもいっつも……何であんなに偉そうなのか、意味分かんない。親孝行しろとか、血の繋がりは一生モノだから大切にしろとか周りは簡単に言うけど、結局それが言えるのはあくまで〝他人〟だからじゃん! 当事者でも無い奴らが一番偉そうにしてるなんて、質悪いっ」

 その言葉にはありったけの憎しみと怒りが込められており、私は彼への印象を一握り変えた。
 私が見た時の彼は他者を見下し、利用しようとするばかりの発言をしていたが、彼も又『運命の被害者』なのかもしれなかった。
 この世には一体、どれ程の同情の余地があるのか。
 降り立ってから思い知らされる現実は、些か私にとって分が悪い。

 韮川狼の言葉を聞き、重みを噛み締めながら「そうだな」と暗い声で答える陸堂仁夏。

「あーぁ。早く大人になりてーなぁ」

 無言で静まり返るその空気は、言わずもがな確実な大人への憧れと、現状への不満を、微弱ながらも示唆していた。気まずい空気を破るべく、何食わぬ顔で「あ、そうそう!」と思い出したかのように発言するは韮川狼だ。
 次は何を喋るのやら……と傍観を決め込んでいた私だったが、軽快に語られたのは黒兎赤の様子。

 なんだって?

 事の次第によっては帰らねばなるまい、耳を上げて堅固な面持ちで観察する。

「あいつが面白い? 面白いって、どう面白いんだ?」
「『ブラビットが家出しちゃったかもしれない! どうしよぉ~⁉』って。『僕のこと嫌いになっちゃったのかもぉ、どうしよう~! えーん!』とかすっごい大騒ぎしてたんだよ。近所迷惑になるから声の音量落とそうねーって言ってね、やっと静かになってさ」
「へー。あいつ寂しがり屋だもんな、俺達とかくれんぼした時にもよ『あ、あれ狼君⁉ 仁夏君⁈ い、いるよね⁉』とか不安がってたし。あいつがとろくさいからそうなっただけだっつーに、一々心配しすぎなんだよなー」
「まあ、リアクションが僕達とは違うから面白いんだけどねー」

 ──ひょっとしなくても、お二人さんよ。反応が自分たちとは違うから、赤君と遊んでいるのかい? 

 人間は自分に無いものを求めるって人外達がよく言っていたけど、これがそうなのかなぁ。
 黒兎赤の近状を知らされては帰るしかあるまい。
 夕方、私は帰ることを早々に告げ別れの挨拶をする。

「短い間ではありますが、ありがとうございました。なかなかどうして楽しめましたよ」

 元々少しの間と言っていたのだ、一週間ならまだしも一か月となれば話は違う。
 赤がそこまで耐えられるかどうかも怪しい。
 となれば答えは一つだった。すぐ戻ろう……あのお友達とやらのところに。

「……べ、別にもう少し居てくれてもいいんだけどな……もう帰っちまうのか? そりゃ確かに、『少し』つってたけどよ」
「少しばかり急用が出来ましたので。ああ、勿論、私のことは他言無用でお願いしますね」

 件の内容について教えられるはずもない。その一言を告げた途端、視線を落とし哀愁を漂わせる。

「……また、俺一人になるんだな」

 環境を踏まえると気分が落ち込むのも仕方ないことではあった。
 彼自身の抱えているものは、並大抵の者には計り知れないだろう。
 私も又、その内の一者であるように。

「貴方には狼さんというご友人がいます。傍から見ても信頼し合っているのは分かりますし……私の考えでは、一人いるだけでも幸福なことだと思います。苦労が多い人生でしょうが、頑張ってください。……まず最初に、盗み癖を直すことが先決かと」

 うっせ、と返事をするということは懲りていないんだろうな。
 もう盗みは彼にとって息を吸って吐くことと同意義なのだろうことは感じ取れた。
 願わくば、彼の『運命』がでありますように。
 だがこればかりは、無作為に選ばれたもので無ければならなかった。種族関係なくそういった仕組みでないとフェアではなかろう。被害者たちは皆運が悪かったのである。
 それ以上を否定することは、私の立場で、してはいけない。

「──また、会えるよな?」

「それは知りませんし、分かりません。人の一生など我々人外からすれば短命ですし……まぁ、偶然か何かで会うことはあるかもしれませんがね」
「んじゃ、……次会った時は名前教えろよな! 絶対だぞ!」

 答えることもせず場所を変える。
 赤がこのままこの者と関わっていくのなら、私は知らぬ存ぜぬを貫くべきだろうと判断してのことだった。
 うっかり口を滑らせてしまっては二の舞であるし、お友達というのを放っておいて自分だけが別のところで遊んでいてはいけないかなと思ったのもある。
 しかし、結論として大丈夫な者だったのかと聞かれれば……。

 少々返答に悩んでしまう者だったとしか言えないな、とあまりの収穫の無さに溜め息だけが零れた。

 +

 少女が消えた場所を見つめて少年は不貞腐れたように呟く。

「……結局、最後まで名前教えてくれねーのかよ」

 仁夏にとって、数少ない味方が増えたような感覚であったが、何よりも心の底から欲しいと願った相手でもある。
 何としてもまた会いたい。

 そう願ってやまなかった。

「でも、あいつの目の色──なーんか引っ掛かるような……」
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