3 / 100
第3話「昨日への扉」怖さ:☆☆☆
しおりを挟む
白石隼人がアパートの扉を開けたとき、目の前に広がったのは昨日の光景だった。
朝の八時十五分。いつものように出勤しようとドアノブを回すと、廊下ではなく自分の部屋が見えた。しかもそこには、昨日の朝の自分がいる。
もう一人の隼人が、ベッドから起き上がろうとしているところだった。寝癖のついた髪、パジャマ姿、枕元のスマートフォンが示す時刻は昨日の午前七時。
「何これ……」
隼人は扉を閉めて、もう一度開けてみた。今度は正常な廊下が見える。安堵の息をつきながら一歩踏み出そうとすると、足が宙に浮いた。
廊下だと思ったのは錯覚で、そこは昨日の部屋の天井だった。隼人は逆さまになって落下し、昨日の自分の上に墜落した。
「うわあああ!」
しかし接触することはなかった。隼人の体は昨日の自分をすり抜けて、ベッドに叩きつけられる。昨日の隼人は何事もなかったように起き上がり、洗面所へ向かった。
隼人は慌てて立ち上がる。部屋を見回すと、確かに昨日の状況が再現されていた。脱ぎ散らかした服、飲みかけのコーヒーカップ、テーブルの上の昨日の新聞。
「夢だ……これは夢に違いない」
隼人は自分の頬を叩いた。痛みはある。現実と同じ感覚だ。しかし目の前で昨日の自分が歯を磨いているのも、間違いなく現実に見える。
昨日の隼人が洗面所から戻ってきた。スーツに着替え、ネクタイを締める。その一連の動作を、隼人は鮮明に覚えていた。なぜなら昨日、実際に自分がやったことだからだ。
昨日の隼人が玄関に向かう。隼人も後を追った。
そして昨日の隼人がドアを開けると、そこには今日の隼人の部屋が見えた。今朝起きたばかりの、散らかった部屋。ベッドの上には、寝間着姿の隼人がぼんやりと座っている。
昨日の隼人が振り返る。今の隼人と目が合った。
「おまえ、誰だ?」
昨日の隼人の声は、確実に隼人に向けられていた。
「僕は……僕だよ。君の明日の……」
「明日? 明日の俺がなんでここにいる?」
昨日の隼人が近づいてくる。同じ顔、同じ体格、同じ声。鏡を見ているようで、しかし微妙に違和感がある。
「昨日って何月何日だ?」隼人は尋ねた。
「十月二十七日だ」昨日の隼人が答える。
「じゃあ今日は二十八日で……」隼人は混乱した。「今日僕が出勤しようとしたら、ここに来てしまったんだ」
「二十八日?」昨日の隼人が首をかしげる。「そんな日はない。明日も十月二十七日だ」
「そんなはずない!」
隼人は昨日の隼人を押しのけて、開いたドアから今日の部屋へ飛び込んだ。しかしベッドの上にいた今日の隼人が振り向くと、その顔は昨日よりも少し痩せて見えた。
「おまえは誰だ?」今日の隼人が尋ねる。
「僕は君だよ! 昨日の君だ!」
「昨日? 昨日の俺がなんでここにいる?」
同じ会話が繰り返される。隼人は愕然とした。
「今日は何月何日だ?」
「十月二十七日だ」今日の隼人が答える。
「昨日も二十七日で、今日も二十七日だって言うのか?」
「当然だろう。明日も十月二十七日だ」
隼人は部屋を飛び出した。ドアの向こうには、また別の十月二十七日があった。少し古い家具の配置、少し違う服装の隼人。しかし日付は同じ。
隼人は扉を開け続けた。
どの部屋でも十月二十七日が繰り返されている。しかし微妙に違う。ある部屋の隼人は髪が長く、ある部屋の隼人は眼鏡をかけている。ある部屋の隼人は左利きで、ある部屋の隼人は猫を飼っている。
すべて同じ十月二十七日なのに、すべて違う隼人だった。
「これは……何なんだ?」
隼人は気づき始めた。これらは昨日ではない。同じ日付の、違う可能性だ。もしもあの時違う選択をしていたら、もしもあの時違う道を歩んでいたら。
無数の十月二十七日が、扉の向こうに存在している。
そして隼人は恐ろしい事実に気づいた。
どの扉からも、十月二十八日に続く道が見つからない。
「明日はどこにあるんだ?」
隼人は叫びながら扉を開け続けた。しかしどの扉の向こうにも、同じ十月二十七日しかない。
やがて隼人は疲れ果てて座り込んだ。周りには無数の扉があり、それぞれから違う十月二十七日の隼人が覗いている。
「明日に行きたい」隼人は呟いた。
「でも明日なんてない」扉の向こうの隼人たちが口をそろえる。「あるのは今日だけだ」
「今日を生き続けるしかない」
「永遠に」
隼人は理解した。十月二十八日は永遠に来ない。なぜなら隼人が、昨日にしがみついているからだ。
後悔、迷い、やり直したい気持ち。それらが隼人を十月二十七日に縛り付けている。
「でも……明日に進みたい」
その時、一つだけ違う扉があることに気づいた。ドアノブが錆びついて、開かずの間のようになっている扉。
隼人はその扉に向かった。ドアノブに手をかけると、錆が手に付着する。強く引っ張ると、ギシギシと音を立てて扉が開いた。
向こうには何もなかった。真っ白な空間が広がっている。
「十月二十八日は、そこにあるのかもしれない」
隼人は白い空間に足を踏み入れた。
その瞬間、背後のすべての扉が閉まった。無数の隼人たちの声が聞こえる。
「戻ってこい!」
「今日にいろ!」
「明日なんて必要ない!」
しかし隼人は振り返らなかった。白い空間を歩き続ける。
やがて前方に新しい扉が見えた。ドアノブは新品で、光っている。
隼人がその扉を開くと、見慣れた自分の部屋があった。しかし今度は正真正銘、十月二十八日の朝だった。
隼人は深く息をついた。時計を見ると、午前八時十五分。いつものように出勤の時間だ。
しかし隼人は気づいてしまった。今日もまた、同じことが起こるかもしれない。
そして実際に、それは起こった。
ドアを開けると、昨日の――十月二十七日の部屋が見えた。
ただし今度は、昨日に逃げるつもりはなかった。隼人は扉を閉め、窓から外に出た。
階段を使って一階まで降り、正面玄関から外に出る。
空は青く、風は涼しく、十月二十八日の朝は美しかった。
隼人は歩きながら思った。
昨日への扉は、いつでも開けることができる。でも開けてはいけない。
今日という日を生きるためには、昨日を手放すしかないのだから。
朝の八時十五分。いつものように出勤しようとドアノブを回すと、廊下ではなく自分の部屋が見えた。しかもそこには、昨日の朝の自分がいる。
もう一人の隼人が、ベッドから起き上がろうとしているところだった。寝癖のついた髪、パジャマ姿、枕元のスマートフォンが示す時刻は昨日の午前七時。
「何これ……」
隼人は扉を閉めて、もう一度開けてみた。今度は正常な廊下が見える。安堵の息をつきながら一歩踏み出そうとすると、足が宙に浮いた。
廊下だと思ったのは錯覚で、そこは昨日の部屋の天井だった。隼人は逆さまになって落下し、昨日の自分の上に墜落した。
「うわあああ!」
しかし接触することはなかった。隼人の体は昨日の自分をすり抜けて、ベッドに叩きつけられる。昨日の隼人は何事もなかったように起き上がり、洗面所へ向かった。
隼人は慌てて立ち上がる。部屋を見回すと、確かに昨日の状況が再現されていた。脱ぎ散らかした服、飲みかけのコーヒーカップ、テーブルの上の昨日の新聞。
「夢だ……これは夢に違いない」
隼人は自分の頬を叩いた。痛みはある。現実と同じ感覚だ。しかし目の前で昨日の自分が歯を磨いているのも、間違いなく現実に見える。
昨日の隼人が洗面所から戻ってきた。スーツに着替え、ネクタイを締める。その一連の動作を、隼人は鮮明に覚えていた。なぜなら昨日、実際に自分がやったことだからだ。
昨日の隼人が玄関に向かう。隼人も後を追った。
そして昨日の隼人がドアを開けると、そこには今日の隼人の部屋が見えた。今朝起きたばかりの、散らかった部屋。ベッドの上には、寝間着姿の隼人がぼんやりと座っている。
昨日の隼人が振り返る。今の隼人と目が合った。
「おまえ、誰だ?」
昨日の隼人の声は、確実に隼人に向けられていた。
「僕は……僕だよ。君の明日の……」
「明日? 明日の俺がなんでここにいる?」
昨日の隼人が近づいてくる。同じ顔、同じ体格、同じ声。鏡を見ているようで、しかし微妙に違和感がある。
「昨日って何月何日だ?」隼人は尋ねた。
「十月二十七日だ」昨日の隼人が答える。
「じゃあ今日は二十八日で……」隼人は混乱した。「今日僕が出勤しようとしたら、ここに来てしまったんだ」
「二十八日?」昨日の隼人が首をかしげる。「そんな日はない。明日も十月二十七日だ」
「そんなはずない!」
隼人は昨日の隼人を押しのけて、開いたドアから今日の部屋へ飛び込んだ。しかしベッドの上にいた今日の隼人が振り向くと、その顔は昨日よりも少し痩せて見えた。
「おまえは誰だ?」今日の隼人が尋ねる。
「僕は君だよ! 昨日の君だ!」
「昨日? 昨日の俺がなんでここにいる?」
同じ会話が繰り返される。隼人は愕然とした。
「今日は何月何日だ?」
「十月二十七日だ」今日の隼人が答える。
「昨日も二十七日で、今日も二十七日だって言うのか?」
「当然だろう。明日も十月二十七日だ」
隼人は部屋を飛び出した。ドアの向こうには、また別の十月二十七日があった。少し古い家具の配置、少し違う服装の隼人。しかし日付は同じ。
隼人は扉を開け続けた。
どの部屋でも十月二十七日が繰り返されている。しかし微妙に違う。ある部屋の隼人は髪が長く、ある部屋の隼人は眼鏡をかけている。ある部屋の隼人は左利きで、ある部屋の隼人は猫を飼っている。
すべて同じ十月二十七日なのに、すべて違う隼人だった。
「これは……何なんだ?」
隼人は気づき始めた。これらは昨日ではない。同じ日付の、違う可能性だ。もしもあの時違う選択をしていたら、もしもあの時違う道を歩んでいたら。
無数の十月二十七日が、扉の向こうに存在している。
そして隼人は恐ろしい事実に気づいた。
どの扉からも、十月二十八日に続く道が見つからない。
「明日はどこにあるんだ?」
隼人は叫びながら扉を開け続けた。しかしどの扉の向こうにも、同じ十月二十七日しかない。
やがて隼人は疲れ果てて座り込んだ。周りには無数の扉があり、それぞれから違う十月二十七日の隼人が覗いている。
「明日に行きたい」隼人は呟いた。
「でも明日なんてない」扉の向こうの隼人たちが口をそろえる。「あるのは今日だけだ」
「今日を生き続けるしかない」
「永遠に」
隼人は理解した。十月二十八日は永遠に来ない。なぜなら隼人が、昨日にしがみついているからだ。
後悔、迷い、やり直したい気持ち。それらが隼人を十月二十七日に縛り付けている。
「でも……明日に進みたい」
その時、一つだけ違う扉があることに気づいた。ドアノブが錆びついて、開かずの間のようになっている扉。
隼人はその扉に向かった。ドアノブに手をかけると、錆が手に付着する。強く引っ張ると、ギシギシと音を立てて扉が開いた。
向こうには何もなかった。真っ白な空間が広がっている。
「十月二十八日は、そこにあるのかもしれない」
隼人は白い空間に足を踏み入れた。
その瞬間、背後のすべての扉が閉まった。無数の隼人たちの声が聞こえる。
「戻ってこい!」
「今日にいろ!」
「明日なんて必要ない!」
しかし隼人は振り返らなかった。白い空間を歩き続ける。
やがて前方に新しい扉が見えた。ドアノブは新品で、光っている。
隼人がその扉を開くと、見慣れた自分の部屋があった。しかし今度は正真正銘、十月二十八日の朝だった。
隼人は深く息をついた。時計を見ると、午前八時十五分。いつものように出勤の時間だ。
しかし隼人は気づいてしまった。今日もまた、同じことが起こるかもしれない。
そして実際に、それは起こった。
ドアを開けると、昨日の――十月二十七日の部屋が見えた。
ただし今度は、昨日に逃げるつもりはなかった。隼人は扉を閉め、窓から外に出た。
階段を使って一階まで降り、正面玄関から外に出る。
空は青く、風は涼しく、十月二十八日の朝は美しかった。
隼人は歩きながら思った。
昨日への扉は、いつでも開けることができる。でも開けてはいけない。
今日という日を生きるためには、昨日を手放すしかないのだから。
1
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
静かに壊れていく日常
井浦
ホラー
──違和感から始まる十二の恐怖──
いつも通りの朝。
いつも通りの夜。
けれど、ほんの少しだけ、何かがおかしい。
鳴るはずのないインターホン。
いつもと違う帰り道。
知らない誰かの声。
そんな「違和感」に気づいたとき、もう“元の日常”には戻れない。
現実と幻想の境界が曖昧になる、全十二話の短編集。
一話完結で読める、静かな恐怖をあなたへ。
※表紙は生成AIで作成しております。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる