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第19話「見つめる窓」怖さ:☆
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鷹野陽翔が向かいのマンションの窓に視線を感じ始めたのは、一人暮らしを始めて一週間後のことだった。
大学生になって初めての一人暮らし。六畳のワンルームアパートから見える景色は、道路を挟んだ向かいのマンションだった。
七階建ての古いマンション。陽翔の部屋は三階なので、向かいの三階の部屋がちょうど正面に見える。
最初は何も気にしていなかった。しかし数日経つと、向かいの部屋のカーテンの隙間から、誰かがこちらを見ているような気がし始めた。
夜、勉強をしていると視線を感じる。テレビを見ていても、なんとなく落ち着かない。
陽翔は向かいの窓を確認したが、カーテンが閉まっていて中は見えない。しかし、確実に誰かがいる気配がした。
三日目の夜、陽翔は意を決して向かいの窓を見つめた。
カーテンの隙間に、目が見えた。
人間の目だった。こちらをじっと見つめている。まばたきもせず、ただひたすら陽翔を観察している。
陽翔は慌ててカーテンを閉めた。心臓がバクバクと鳴っている。
翌日、陽翔は大学の友人に相談した。
「向かいのマンションから見られてるんだ」
「ストーカーかもしれないね。警察に相談した方がいいよ」
友人の水無瀬拓海は心配そうに言った。
「でも、ただ窓から見てるだけじゃ、警察も動いてくれないかも」
「写真を撮ってみたら? 証拠があれば」
陽翔は夜になってから、カメラを構えて向かいの窓を撮影した。
しかし写真を確認すると、窓は真っ暗で何も写っていない。カーテンの隙間も見えない。
それなのに、陽翔には確実に目が見えている。
一週間後、陽翔は管理人に相談した。
「向かいのマンションの住人について教えてもらえませんか?」
「どちらの部屋ですか?」
「三階の、こちら側の部屋です」
管理人は首をかしげた。
「あそこは空き部屋ですよ。半年前から誰も住んでいません」
陽翔は愕然とした。
「空き部屋? でも毎晩電気がついてて……」
「それはおかしいですね。確認してみましょう」
管理人と一緒に向かいのマンションに行った。三階の該当する部屋のドアには、確かに「空室」の張り紙がある。
管理人が鍵を開けて中を確認すると、部屋は完全に空だった。家具もなければ、電気も止められている。
「誰もいませんね。電気メーターも動いていません」
陽翔は混乱した。それでは、あの目は何だったのか。
その夜、陽翔は再び向かいの窓を見た。
やはり目がある。今度は二つではなく、たくさんの目が窓に並んでいる。
大小様々な目。子供の目、大人の目、老人の目。みんなこちらを見つめている。
陽翔は恐怖で身動きできなくなった。
翌日、陽翔は向かいのマンションの住人に話を聞いてみることにした。
一階の住人は親切に応えてくれた。
「三階の空き部屋? ああ、あそこね」
老婦人は困ったような表情になった。
「実は、あの部屋で事故があったのよ」
「事故?」
「一年前、一家四人が住んでたの。でも、火事で……」
陽翔は息を呑んだ。
「全員亡くなったの?」
「そう。お父さん、お母さん、それに子供が二人。可哀想に……」
老婦人は涙ぐんだ。
「それ以来、あの部屋は空き部屋になってるの。借り手がつかなくて」
「なぜですか?」
「住んだ人が、みんなすぐに出て行っちゃうのよ。『誰かに見られてる』って言って」
陽翔は理解し始めた。あの目は、火事で亡くなった家族の霊なのかもしれない。
その夜、陽翔は向かいの窓に向かって話しかけてみた。
「聞こえますか? あなたたちは、火事で亡くなった家族ですか?」
窓の目が一斉に瞬きした。肯定の合図のようだった。
「なぜ僕を見つめるんですか?」
しばらくすると、窓ガラスに文字が現れた。息で曇らせて書いたような文字。
『さみしい』
陽翔は胸が痛くなった。
「寂しいんですね」
また文字が現れる。
『だれもきてくれない』
『みんないなくなる』
陽翔は理解した。この家族は、生前住んでいた部屋にまだいて、向かいに住む人を見つめることで、孤独を紛らわせているのだ。
しかし、見つめられた人は恐怖を感じて引っ越してしまう。それでまた孤独になる。悪循環だった。
「僕は逃げませんよ」
陽翔は窓に向かって言った。
「でも、そんなに見つめられると怖いです。もう少し離れて見守ってもらえませんか?」
目たちがざわめいた。相談しているようだった。
そして新しい文字が現れた。
『ごめんなさい』
『こわがらせたくない』
『でもさみしい』
陽翔は提案した。
「毎晩、決まった時間に手を振り合いませんか? それなら怖くないし、あなたたちも寂しくない」
目たちが嬉しそうに瞬いた。
『いいの?』
『ほんとう?』
陽翔は微笑んだ。
「本当です。毎晩九時に、お互いに手を振りましょう」
それから陽翔の生活は変わった。
毎晩九時になると、向かいの窓に向かって手を振る。すると窓の向こうから、小さな手がたくさん振り返してくる。
父親の大きな手、母親の優しい手、子供たちの小さな手。みんなで陽翔に手を振ってくれる。
陽翔は一人暮らしの寂しさが和らいだ。向かいに家族がいると思うと、心強かった。
そして家族も、陽翔との交流で寂しさが紛れたようだった。以前のようにじっと見つめることはなくなり、九時の手振りタイム以外は静かにしていた。
半年後、陽翔は就職で引っ越すことになった。
最後の夜、陽翔は向かいの家族に別れを告げた。
「明日、引っ越します。今まで、ありがとうございました」
窓に文字が現れた。
『ありがとう』
『やさしくしてくれて』
『わすれない』
陽翔は涙が出てきた。
「僕も忘れません。新しい場所でも、毎晩九時には空を見上げて、あなたたちのことを思います」
『うれしい』
『げんきでね』
『またいつか』
翌朝、陽翔は引っ越した。
新しいアパートでも、毎晩九時には窓を開けて空を見上げる。そして心の中で、あの家族に手を振る。
すると風が吹いて、まるで家族が応えてくれているように感じる。
数か月後、陽翔は偶然あのマンションの前を通りかかった。
三階の窓を見上げると、「入居者募集」の看板がかかっている。
そして窓の向こうに、人影が見えた。新しい住人のようだ。
陽翔は安心した。きっとあの家族は、新しい住人を見守っているのだろう。今度は、恐がらせないように優しく。
陽翔は空に向かって手を振った。
どこかで、家族も手を振り返してくれている気がした。
愛は距離を超える。
優しさは孤独を癒す。
陽翔が教えてくれたことを、家族は新しい住人にも伝えるだろう。
今夜も、どこかで手が振られている。
寂しい心を慰めるために。
大学生になって初めての一人暮らし。六畳のワンルームアパートから見える景色は、道路を挟んだ向かいのマンションだった。
七階建ての古いマンション。陽翔の部屋は三階なので、向かいの三階の部屋がちょうど正面に見える。
最初は何も気にしていなかった。しかし数日経つと、向かいの部屋のカーテンの隙間から、誰かがこちらを見ているような気がし始めた。
夜、勉強をしていると視線を感じる。テレビを見ていても、なんとなく落ち着かない。
陽翔は向かいの窓を確認したが、カーテンが閉まっていて中は見えない。しかし、確実に誰かがいる気配がした。
三日目の夜、陽翔は意を決して向かいの窓を見つめた。
カーテンの隙間に、目が見えた。
人間の目だった。こちらをじっと見つめている。まばたきもせず、ただひたすら陽翔を観察している。
陽翔は慌ててカーテンを閉めた。心臓がバクバクと鳴っている。
翌日、陽翔は大学の友人に相談した。
「向かいのマンションから見られてるんだ」
「ストーカーかもしれないね。警察に相談した方がいいよ」
友人の水無瀬拓海は心配そうに言った。
「でも、ただ窓から見てるだけじゃ、警察も動いてくれないかも」
「写真を撮ってみたら? 証拠があれば」
陽翔は夜になってから、カメラを構えて向かいの窓を撮影した。
しかし写真を確認すると、窓は真っ暗で何も写っていない。カーテンの隙間も見えない。
それなのに、陽翔には確実に目が見えている。
一週間後、陽翔は管理人に相談した。
「向かいのマンションの住人について教えてもらえませんか?」
「どちらの部屋ですか?」
「三階の、こちら側の部屋です」
管理人は首をかしげた。
「あそこは空き部屋ですよ。半年前から誰も住んでいません」
陽翔は愕然とした。
「空き部屋? でも毎晩電気がついてて……」
「それはおかしいですね。確認してみましょう」
管理人と一緒に向かいのマンションに行った。三階の該当する部屋のドアには、確かに「空室」の張り紙がある。
管理人が鍵を開けて中を確認すると、部屋は完全に空だった。家具もなければ、電気も止められている。
「誰もいませんね。電気メーターも動いていません」
陽翔は混乱した。それでは、あの目は何だったのか。
その夜、陽翔は再び向かいの窓を見た。
やはり目がある。今度は二つではなく、たくさんの目が窓に並んでいる。
大小様々な目。子供の目、大人の目、老人の目。みんなこちらを見つめている。
陽翔は恐怖で身動きできなくなった。
翌日、陽翔は向かいのマンションの住人に話を聞いてみることにした。
一階の住人は親切に応えてくれた。
「三階の空き部屋? ああ、あそこね」
老婦人は困ったような表情になった。
「実は、あの部屋で事故があったのよ」
「事故?」
「一年前、一家四人が住んでたの。でも、火事で……」
陽翔は息を呑んだ。
「全員亡くなったの?」
「そう。お父さん、お母さん、それに子供が二人。可哀想に……」
老婦人は涙ぐんだ。
「それ以来、あの部屋は空き部屋になってるの。借り手がつかなくて」
「なぜですか?」
「住んだ人が、みんなすぐに出て行っちゃうのよ。『誰かに見られてる』って言って」
陽翔は理解し始めた。あの目は、火事で亡くなった家族の霊なのかもしれない。
その夜、陽翔は向かいの窓に向かって話しかけてみた。
「聞こえますか? あなたたちは、火事で亡くなった家族ですか?」
窓の目が一斉に瞬きした。肯定の合図のようだった。
「なぜ僕を見つめるんですか?」
しばらくすると、窓ガラスに文字が現れた。息で曇らせて書いたような文字。
『さみしい』
陽翔は胸が痛くなった。
「寂しいんですね」
また文字が現れる。
『だれもきてくれない』
『みんないなくなる』
陽翔は理解した。この家族は、生前住んでいた部屋にまだいて、向かいに住む人を見つめることで、孤独を紛らわせているのだ。
しかし、見つめられた人は恐怖を感じて引っ越してしまう。それでまた孤独になる。悪循環だった。
「僕は逃げませんよ」
陽翔は窓に向かって言った。
「でも、そんなに見つめられると怖いです。もう少し離れて見守ってもらえませんか?」
目たちがざわめいた。相談しているようだった。
そして新しい文字が現れた。
『ごめんなさい』
『こわがらせたくない』
『でもさみしい』
陽翔は提案した。
「毎晩、決まった時間に手を振り合いませんか? それなら怖くないし、あなたたちも寂しくない」
目たちが嬉しそうに瞬いた。
『いいの?』
『ほんとう?』
陽翔は微笑んだ。
「本当です。毎晩九時に、お互いに手を振りましょう」
それから陽翔の生活は変わった。
毎晩九時になると、向かいの窓に向かって手を振る。すると窓の向こうから、小さな手がたくさん振り返してくる。
父親の大きな手、母親の優しい手、子供たちの小さな手。みんなで陽翔に手を振ってくれる。
陽翔は一人暮らしの寂しさが和らいだ。向かいに家族がいると思うと、心強かった。
そして家族も、陽翔との交流で寂しさが紛れたようだった。以前のようにじっと見つめることはなくなり、九時の手振りタイム以外は静かにしていた。
半年後、陽翔は就職で引っ越すことになった。
最後の夜、陽翔は向かいの家族に別れを告げた。
「明日、引っ越します。今まで、ありがとうございました」
窓に文字が現れた。
『ありがとう』
『やさしくしてくれて』
『わすれない』
陽翔は涙が出てきた。
「僕も忘れません。新しい場所でも、毎晩九時には空を見上げて、あなたたちのことを思います」
『うれしい』
『げんきでね』
『またいつか』
翌朝、陽翔は引っ越した。
新しいアパートでも、毎晩九時には窓を開けて空を見上げる。そして心の中で、あの家族に手を振る。
すると風が吹いて、まるで家族が応えてくれているように感じる。
数か月後、陽翔は偶然あのマンションの前を通りかかった。
三階の窓を見上げると、「入居者募集」の看板がかかっている。
そして窓の向こうに、人影が見えた。新しい住人のようだ。
陽翔は安心した。きっとあの家族は、新しい住人を見守っているのだろう。今度は、恐がらせないように優しく。
陽翔は空に向かって手を振った。
どこかで、家族も手を振り返してくれている気がした。
愛は距離を超える。
優しさは孤独を癒す。
陽翔が教えてくれたことを、家族は新しい住人にも伝えるだろう。
今夜も、どこかで手が振られている。
寂しい心を慰めるために。
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