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第20話「寝言の中の名前」怖さ:☆☆
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天城蒼が自分の寝言に気づいたのは、録音アプリを使い始めてからだった。
大学のレポートで自分の声を録音する必要があり、夜中に作業することが多い蒼は、睡眠中の呼吸音なども記録されるように、アプリを起動したまま眠ることがあった。
ある朝、録音データを確認していると、夜中の三時頃に自分の声が記録されているのを発見した。
「優菜……優菜……」
知らない名前を、何度も呼んでいる。しかも、とても悲しそうな声で。
「帰ってきて……優菜……」
蒼は困惑した。優菜という名前に心当たりがない。恋人でも友人でも、そんな名前の人はいない。
最初は偶然だと思った。しかし翌日の録音にも、同じことが記録されていた。
「優菜……どこにいるの……」
「僕を置いて行かないで……」
声は切実で、まるで大切な人を失った悲しみに満ちていた。
三日目、蒼は友人の風間陸に相談した。
「寝言で知らない人の名前を呼んでるんだ」
「優菜って誰?」
「それが分からないんだ。全く心当たりがない」
陸は首をかしげた。
「昔の記憶とかじゃない? 幼なじみとか」
「いや、僕の幼なじみに優菜って子はいなかった」
蒼は確信していた。自分の記憶にない人物だ。
一週間後、寝言の内容がより具体的になった。
「優菜……一緒に約束した場所で待ってる……」
「桜の木の下で……」
「お祭りの日に……」
蒼は記憶を探ったが、やはり心当たりがない。桜の木の下での約束も、祭りでの出来事も、全く覚えていない。
心配になった蒼は、心療内科を受診した。
「記憶にない人の名前を寝言で呼ぶことはありますか?」
「稀にありますね。抑圧された記憶や、夢の中の人物の場合があります」
医師は優しく説明してくれた。
「でも、あまり深刻に考えすぎない方がいいでしょう」
しかし蒼は気になって仕方なかった。
二週間目、寝言の内容が変わった。
「ごめん……優菜……」
「僕が悪かった……」
「許してくれる?」
謝罪の言葉が続く。まるで優菜という人に、何か悪いことをしたかのような内容だった。
蒼は不安になった。もしかして、自分が忘れている重大な出来事があるのではないか。
蒼は母親に電話をかけた。
「お母さん、僕の子供の頃のこと教えて。優菜って子、知ってる?」
「優菜? 聞いたことがない名前ね」
母親は首をかしげた。
「どうして急にそんなことを?」
「寝言で呼んでるんだ。でも記憶にない」
「あなた、最近疲れてるんじゃない? あまり考えすぎないで」
しかし翌日、母親から連絡があった。
「蒼、昨日のことなんだけど……」
母親の声は震えていた。
「古いアルバムを見返してたら、気になる写真があったの」
「どんな写真?」
「あなたが七歳の時の写真。お祭りで撮ったものなんだけど、隣に女の子が写ってるの」
蒼は息を呑んだ。
「その子の名前は?」
「分からない……でも、写真の裏に『優菜ちゃんと』って書いてある。あなたの字じゃないから、きっと私が書いたんでしょうけど……」
母親は困惑していた。
「おかしいのは、私にもその子の記憶がないのよ」
蒼は急いで実家に帰った。
母親が見せてくれた写真には、確かに蒼と女の子が写っている。浴衣を着た可愛い女の子。蒼と手をつないで、嬉しそうに笑っている。
しかし蒼には、全く記憶がなかった。
「この子、誰だろう……」
蒼は写真を見つめた。女の子の顔は親しみやすく、きっと仲の良い友達だったのだろう。それなのに、なぜ記憶がないのか。
母親も首をかしげていた。
「私も思い出せないのよ。でも、この写真は確実に我が家のアルバムにあった」
その夜、蒼は実家で眠った。そして朝、母親が驚いた顔で起こしに来た。
「蒼、昨夜もまた寝言を言ってたわよ」
「優菜のこと?」
「そう。でも今度は違った。『思い出した』って言ってたの」
蒼は記憶を探ったが、やはり何も思い出せない。
その日、蒼は地元の図書館で古い新聞を調べてみることにした。七歳の時の夏祭りの頃の記事を探してみる。
そして、ある記事を見つけた時、蒼は愕然とした。
『夏祭りで事故 女児一名死亡』
記事には、祭りの帰り道で交通事故に遭った女の子のことが書かれていた。名前は伏せられていたが、七歳という年齢が一致している。
蒼は震えながら記事を読み続けた。
『被害者は友人の男児と一緒に祭りを楽しんだ後、帰宅途中に事故に遭った』
蒼の心臓が激しく鳴った。もしかして、その男児は自分で、女の子は優菜なのではないか。
その夜、蒼は録音アプリをセットして眠った。
翌朝、録音を確認すると、いつもより長い寝言が記録されていた。
「優菜……思い出したよ……」
「君と一緒にお祭りに行ったこと……」
「でも僕だけ先に帰っちゃって……」
「君は一人で帰ることになって……」
「それで事故に……」
蒼は涙が出てきた。寝言の中の自分が、すべてを思い出していた。
「ずっと忘れてた……辛すぎて……」
「でももう逃げない……」
「君のことを覚えてる……」
最後に、静かな声でこう言った。
「ありがとう、優菜。君のおかげで思い出せた」
それから蒼の寝言は止まった。
しかし蒼は、意識の中でも優菜のことを思い出すようになった。断片的だが、確実に記憶が戻ってきた。
一緒に遊んだこと、お祭りで綿あめを分け合ったこと、花火を見上げたこと。
そして最後に、蒼が先に帰ると言ったとき、優菜が「気をつけて帰ってね」と言ってくれたこと。
蒼は優菜のお墓を探した。図書館で調べると、地元の霊園にあることが分かった。
墓前で、蒼は花を供えて手を合わせた。
「優菜、会いに来たよ」
風が吹いて、桜の花びらが舞った。季節は春で、満開の桜が墓地を彩っている。
「君がずっと僕に思い出させようとしてくれてたんだね」
蒼は優菜に語りかけた。
「忘れちゃってごめん。でも今は覚えてる」
「君との大切な思い出、全部」
温かい風が頬を撫でた。優菜からの返事のように感じられた。
「また来るよ。今度は忘れないから」
それから蒼は、毎年優菜の命日にお墓参りをするようになった。
そして夏祭りの日には、必ず優菜の写真を持参して、一緒に祭りを楽しむ。
優菜は蒼の心の中で、今も生き続けている。
忘れられていた友情が、寝言を通じて蘇ったのだ。
愛する人は、決して忘れてはいけない。
たとえ辛い記憶でも、その人との絆は永遠なのだから。
蒼の部屋には、優菜との写真が飾られている。
二人の笑顔が、いつまでも輝いている。
大学のレポートで自分の声を録音する必要があり、夜中に作業することが多い蒼は、睡眠中の呼吸音なども記録されるように、アプリを起動したまま眠ることがあった。
ある朝、録音データを確認していると、夜中の三時頃に自分の声が記録されているのを発見した。
「優菜……優菜……」
知らない名前を、何度も呼んでいる。しかも、とても悲しそうな声で。
「帰ってきて……優菜……」
蒼は困惑した。優菜という名前に心当たりがない。恋人でも友人でも、そんな名前の人はいない。
最初は偶然だと思った。しかし翌日の録音にも、同じことが記録されていた。
「優菜……どこにいるの……」
「僕を置いて行かないで……」
声は切実で、まるで大切な人を失った悲しみに満ちていた。
三日目、蒼は友人の風間陸に相談した。
「寝言で知らない人の名前を呼んでるんだ」
「優菜って誰?」
「それが分からないんだ。全く心当たりがない」
陸は首をかしげた。
「昔の記憶とかじゃない? 幼なじみとか」
「いや、僕の幼なじみに優菜って子はいなかった」
蒼は確信していた。自分の記憶にない人物だ。
一週間後、寝言の内容がより具体的になった。
「優菜……一緒に約束した場所で待ってる……」
「桜の木の下で……」
「お祭りの日に……」
蒼は記憶を探ったが、やはり心当たりがない。桜の木の下での約束も、祭りでの出来事も、全く覚えていない。
心配になった蒼は、心療内科を受診した。
「記憶にない人の名前を寝言で呼ぶことはありますか?」
「稀にありますね。抑圧された記憶や、夢の中の人物の場合があります」
医師は優しく説明してくれた。
「でも、あまり深刻に考えすぎない方がいいでしょう」
しかし蒼は気になって仕方なかった。
二週間目、寝言の内容が変わった。
「ごめん……優菜……」
「僕が悪かった……」
「許してくれる?」
謝罪の言葉が続く。まるで優菜という人に、何か悪いことをしたかのような内容だった。
蒼は不安になった。もしかして、自分が忘れている重大な出来事があるのではないか。
蒼は母親に電話をかけた。
「お母さん、僕の子供の頃のこと教えて。優菜って子、知ってる?」
「優菜? 聞いたことがない名前ね」
母親は首をかしげた。
「どうして急にそんなことを?」
「寝言で呼んでるんだ。でも記憶にない」
「あなた、最近疲れてるんじゃない? あまり考えすぎないで」
しかし翌日、母親から連絡があった。
「蒼、昨日のことなんだけど……」
母親の声は震えていた。
「古いアルバムを見返してたら、気になる写真があったの」
「どんな写真?」
「あなたが七歳の時の写真。お祭りで撮ったものなんだけど、隣に女の子が写ってるの」
蒼は息を呑んだ。
「その子の名前は?」
「分からない……でも、写真の裏に『優菜ちゃんと』って書いてある。あなたの字じゃないから、きっと私が書いたんでしょうけど……」
母親は困惑していた。
「おかしいのは、私にもその子の記憶がないのよ」
蒼は急いで実家に帰った。
母親が見せてくれた写真には、確かに蒼と女の子が写っている。浴衣を着た可愛い女の子。蒼と手をつないで、嬉しそうに笑っている。
しかし蒼には、全く記憶がなかった。
「この子、誰だろう……」
蒼は写真を見つめた。女の子の顔は親しみやすく、きっと仲の良い友達だったのだろう。それなのに、なぜ記憶がないのか。
母親も首をかしげていた。
「私も思い出せないのよ。でも、この写真は確実に我が家のアルバムにあった」
その夜、蒼は実家で眠った。そして朝、母親が驚いた顔で起こしに来た。
「蒼、昨夜もまた寝言を言ってたわよ」
「優菜のこと?」
「そう。でも今度は違った。『思い出した』って言ってたの」
蒼は記憶を探ったが、やはり何も思い出せない。
その日、蒼は地元の図書館で古い新聞を調べてみることにした。七歳の時の夏祭りの頃の記事を探してみる。
そして、ある記事を見つけた時、蒼は愕然とした。
『夏祭りで事故 女児一名死亡』
記事には、祭りの帰り道で交通事故に遭った女の子のことが書かれていた。名前は伏せられていたが、七歳という年齢が一致している。
蒼は震えながら記事を読み続けた。
『被害者は友人の男児と一緒に祭りを楽しんだ後、帰宅途中に事故に遭った』
蒼の心臓が激しく鳴った。もしかして、その男児は自分で、女の子は優菜なのではないか。
その夜、蒼は録音アプリをセットして眠った。
翌朝、録音を確認すると、いつもより長い寝言が記録されていた。
「優菜……思い出したよ……」
「君と一緒にお祭りに行ったこと……」
「でも僕だけ先に帰っちゃって……」
「君は一人で帰ることになって……」
「それで事故に……」
蒼は涙が出てきた。寝言の中の自分が、すべてを思い出していた。
「ずっと忘れてた……辛すぎて……」
「でももう逃げない……」
「君のことを覚えてる……」
最後に、静かな声でこう言った。
「ありがとう、優菜。君のおかげで思い出せた」
それから蒼の寝言は止まった。
しかし蒼は、意識の中でも優菜のことを思い出すようになった。断片的だが、確実に記憶が戻ってきた。
一緒に遊んだこと、お祭りで綿あめを分け合ったこと、花火を見上げたこと。
そして最後に、蒼が先に帰ると言ったとき、優菜が「気をつけて帰ってね」と言ってくれたこと。
蒼は優菜のお墓を探した。図書館で調べると、地元の霊園にあることが分かった。
墓前で、蒼は花を供えて手を合わせた。
「優菜、会いに来たよ」
風が吹いて、桜の花びらが舞った。季節は春で、満開の桜が墓地を彩っている。
「君がずっと僕に思い出させようとしてくれてたんだね」
蒼は優菜に語りかけた。
「忘れちゃってごめん。でも今は覚えてる」
「君との大切な思い出、全部」
温かい風が頬を撫でた。優菜からの返事のように感じられた。
「また来るよ。今度は忘れないから」
それから蒼は、毎年優菜の命日にお墓参りをするようになった。
そして夏祭りの日には、必ず優菜の写真を持参して、一緒に祭りを楽しむ。
優菜は蒼の心の中で、今も生き続けている。
忘れられていた友情が、寝言を通じて蘇ったのだ。
愛する人は、決して忘れてはいけない。
たとえ辛い記憶でも、その人との絆は永遠なのだから。
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