1話5分でゾッと出来る話。短編ホラー集。短編怖い話は、そこにある

みにぶた🐽

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第21話「時の記録者」怖さ:☆☆

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 古びた洋館の玄関ホールで、裕也は立ち止まった。夕暮れの薄明かりが窓から差し込み、埃の舞う空間を淡く照らしている。この屋敷は三十年前から空き家になっているという話だった。

 大学の建築学科に通う裕也にとって、明治時代の洋風建築は貴重な研究対象だった。卒業論文のための資料収集で、町の郷土史家に紹介されたのがこの屋敷だった。

「すごい造りだな」

 裕也は感嘆の声を漏らしながら、螺旋階段を見上げた。手すりの装飾彫刻は見事で、当時の職人の技術の高さがうかがえる。カメラを構えて何枚か撮影し、スケッチブックに簡単な間取りを描き始めた。

 二階に上がると、いくつもの部屋が続いていた。書斎らしき部屋では、本棚に古い洋書が並んでいる。寝室には天蓋付きのベッドが置かれ、化粧台には三面鏡が据えられていた。

 奥の部屋に入ったとき、裕也の目は暖炉の上の置時計に釘付けになった。

 それは懐中時計を大型化したような形状で、真鍮製の美しい装飾が施されていた。文字盤は象牙色で、ローマ数字の時刻表示が刻まれている。しかし針は午後三時十五分で止まったままだった。

「これは……」

 裕也は時計に近づいた。この時代の機械式時計は貴重だ。骨董品としても価値があるだろう。しかし何より、その精巧な作りに心を奪われた。歯車の組み合わせ、バランスホイールの美しさ、すべてが芸術品のようだった。

 時計の底面を見ると、小さな文字で製作者の名前が刻まれている。「T.Yamamoto 1923」。日本人の時計職人が作ったものらしい。

 裕也は迷った。この屋敷は無人とはいえ、勝手に持ち出すのは問題がある。しかし、このまま放置されていれば朽ち果ててしまう。せめて写真だけでもと思ったが、実物を手に取って詳細に調べたい気持ちが強くなった。

「郷土史家の田中さんに相談してみよう」

 そう決めて時計を手に取った瞬間だった。

 ドクン。

 心臓が一拍、完全に止まった。血液の流れが停止し、時間が凍りついたような感覚に襲われる。息ができない。視界が暗くなっていく。

 そして次の瞬間、心臓が再び動き始めた。ドクドクと激しい鼓動が胸を打つ。裕也は大きく息を吸い込み、膝をついた。

「何だったんだ、今の……」

 手の中の時計を見ると、なぜか針が動いている。カチカチと規則正しい音を立てて、時を刻み始めていた。現在時刻を指しているようだ。

 裕也は混乱した。先ほどまで確実に止まっていた時計が、なぜ突然動き始めたのか。そして自分の心臓が止まったあの感覚は何だったのか。

 しかし不思議な現象よりも、時計が動き出したことへの喜びが勝った。機械式時計の愛好家でもある裕也にとって、古い時計が蘇る瞬間は何よりも美しいものだった。

 田中さんに連絡を取ると、時計を借りることは快く許可された。「価値のあるものなら、きちんと手入れしてもらった方がいい」という言葉に甘えて、裕也は時計を自宅に持ち帰った。

 その夜、裕也は詳細なスケッチを描き、時計の機構を調べた。内部の歯車は精密で、日本の職人技術の高さを物語っている。しかし製作年代を考えると、なぜこれほど保存状態が良いのかが疑問だった。

 午後十一時頃、疲れた裕也はベッドに入った。時計は枕元の机に置いてある。カチカチという音が規則正しく響いている。その音を子守唄のように聞きながら、裕也は眠りについた。

 夢の中で、裕也は見知らぬ部屋にいた。

 和洋折衷の書斎のような空間で、机の上には設計図面が広げられている。そこに座っているのは五十代ほどの男性だった。着物に袴という装いで、手には精密な工具を持っている。

 男性は時計の部品を組み立てていた。その手つきは熟練そのもので、微細な歯車を正確な位置に配置していく。顔には深い集中の表情が浮かんでいる。

「これで完成だ」

 男性がつぶやいた。その瞬間、完成した時計が美しい音色を奏でる。しかし男性の顔に浮かんだのは、達成感ではなく深い悲しみだった。

「もう時間がない……」

 男性は胸を押さえて苦しそうにうめいた。そして机に突っ伏し、静かに息を引き取った。時計の針は午後三時十五分を指していた。

 裕也は目を覚ました。額に汗をかいている。夢の中の男性の最期があまりにもリアルで、胸が苦しくなった。

 枕元の時計を見ると、針は正確に現在時刻を示している。しかし先ほどの夢が気になって、なかなか眠れなかった。

 翌日、裕也は図書館で調べ物をした。時計に刻まれていた「T.Yamamoto」について調べてみたかったのだ。古い新聞のマイクロフィルムを調べていると、興味深い記事を見つけた。

 大正十二年の記事だった。「山本辰雄氏、精密時計の完成直後に急死」という見出しが目に入る。記事によると、山本辰雄は当時有名な時計職人で、生涯の集大成となる時計の完成直後に心臓発作で亡くなったという。享年五十二歳だった。

 記事には死亡時刻も記されている。午後三時十五分。

 裕也の背筋に寒気が走った。昨夜の夢と完全に一致している。偶然にしては出来すぎている。

 その夜も、裕也は奇妙な夢を見た。

 今度は大正時代の街角だった。和服を着た女性が、手紙を握りしめて泣いている。戦争で恋人を失ったらしい。女性は橋の上から川に身を投げた。時刻は午前二時四十分。

 三日目の夢では、昭和初期の病院が舞台だった。白いベッドに横たわる少年が、母親の手を握って最期の言葉を伝えている。「お母さん、ありがとう」。時刻は午後六時二十三分。

 四日目、五日目と、毎晩のように死の瞬間を目撃する夢が続いた。時代も場所も死因も様々だが、共通しているのは死の瞬間が非常に鮮明に描かれることだった。そして必ず正確な時刻が示される。

 裕也は次第に憔悴していった。毎晩誰かの死を見せられることの精神的な負担は大きかった。しかし同時に、不思議な感情も芽生えていた。

 夢の中の人々は、皆最期の瞬間に何かを伝えようとしていた。愛する人への想い、人生への感謝、未来への希望。それらの想いが、時計を通じて裕也に届いているような気がした。

 一週間後、裕也は再び山本辰雄について調べた。より詳しい資料を探すうちに、興味深い事実を発見した。

 山本辰雄は単なる時計職人ではなかった。彼は「時の記録者」と呼ばれ、人々の大切な瞬間を時計という形で永遠に刻む仕事をしていたという。結婚式、子どもの誕生、家族の記念日。そうした特別な時間を、オーダーメイドの時計に込めていた。

 しかし関東大震災の後、山本は方針を変えた。人々の死の瞬間を記録し始めたのだ。それは死者への哀悼ではなく、生者への伝言だった。亡くなった人々の最期の想いを、時計という媒体を通じて後世に伝える試みだった。

 裕也が持っている時計は、山本の最後の作品だった。彼自身の死の瞬間と、これまでに記録したすべての死者の想いが込められている。

 その夜、裕也は決意を固めて時計と向き合った。

「もう怖がらない。あなたたちの想いを、きちんと受け取ります」

 時計の針が午後三時十五分を指した瞬間、裕也の意識は再び夢の中に引き込まれた。

 今度は山本辰雄の工房だった。しかし以前とは違って、そこには多くの人影があった。これまで夢で見た人々が、皆そこに集まっている。

 和服の女性、病院の少年、その他にも数十人の人々が、山本の周りに座っていた。皆穏やかな表情を浮かべている。

「君に伝えたかったんだ」

 山本が裕也に向かって話しかけた。

「死は終わりではない。想いは時を超えて繋がっていく。この時計は、そのための橋渡しなんだ」

 少年が立ち上がって言った。

「僕は母さんに感謝を伝えたかった。でも間に合わなかった。君が夢で見てくれたおかげで、その想いが届いた気がする」

 和服の女性も頷いた。

「私も恋人への愛を、誰かに知ってもらいたかった。一人で抱え込んでいた想いを、君が受け取ってくれた」

 他の人々も、それぞれの想いを語った。皆、自分の死の瞬間に込めた感情を、誰かに理解してもらいたかったのだ。

 山本が時計を指差した。

「この時計の役目は、君で最後になる。これまでのすべての想いを、君が現実世界に持ち帰ってくれ」

 裕也は深く頷いた。

「分かりました。皆さんの想いを、きちんと伝えます」

 工房の光景がゆっくりと薄れていく。人々は笑顔で手を振っている。最後に山本が言った。

「ありがとう。これで安らかに眠れる」

 裕也は目を覚ました。枕元の時計を見ると、針は止まっていた。午後三時十五分で、完全に静止している。

 しかし今度は悲しくなかった。時計の役目が終わったのだと理解できたからだ。

 翌日、裕也は田中さんに時計を返却した。同時に、調べて分かった山本辰雄の事績についても詳しく説明した。

「そんな話があったとは知りませんでした」

 田中さんは驚いていた。

「これは貴重な発見ですね。山本氏の業績を町の歴史として記録に残しましょう」

 裕也は山本辰雄と、時計に込められた人々の想いについて詳細なレポートを作成した。それは単なる骨董品の調査報告ではなく、時を超えた魂の交流の記録でもあった。

 レポートは町の郷土資料館に収められ、多くの人々が山本辰雄の存在を知ることになった。時計も資料館に展示され、その美しい姿を多くの人に見てもらえるようになった。

 裕也は時々資料館を訪れて、時計を眺めた。針は止まったままだが、その静寂には深い安らぎがあった。すべての想いが届けられ、魂たちが安らかな眠りについていることを感じられた。

 ある日、資料館で時計を見ていると、小さな女の子が母親と一緒にやってきた。

「お母さん、この時計きれい」

「そうね。大切な想いが込められているのよ」

 母親が説明パネルを読み上げている。女の子は時計を見つめながら、何かを感じ取っているようだった。

「時計さん、ありがとう」

 女の子が小さな声でつぶやいた。その瞬間、裕也には時計がかすかに輝いたように見えた。

 想いは確実に伝わっている。時を超えて、人から人へと繋がっていく。山本辰雄が願った通りに。

 裕也は微笑みながら資料館を後にした。胸の奥で、自分の心臓が力強く鼓動している。生きている証、そして誰かとつながっている証として。

 止まった時計が教えてくれたのは、時間の大切さだった。限りある時間の中で、どれだけ深く愛し、感謝し、想いを伝えられるか。それこそが人生の本当の価値なのだと、裕也は理解していた。

 夕暮れの空の下、裕也は一歩一歩確実に家路についた。心臓の鼓動とともに、新しい明日への希望を胸に抱いて。
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