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第43話「夜中の帰還」怖さ:☆☆
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橘慧は家の鍵をなくしてしまった。
大学からの帰り道、いつものようにコンビニに寄って買い物をしていた時のことだった。レジで財布を出した際、一緒にポケットから何かが落ちる音がした。慧は振り返ったが、床には何も見当たらなかった。
家に着いてから気づいた。鍵がない。
慧は慌ててポケットと鞄を探したが、どこにも見つからない。コンビニに電話をかけて確認してもらったが、落とし物として届いていないという。
「参ったな……」
慧は一人暮らしを始めて一年になる。アパートの管理会社に連絡すれば合鍵を借りることはできるが、夜の八時を過ぎている。明日まで待つしかなさそうだった。
仕方なく、慧は大学時代の友人である冴木拓海に連絡した。
「拓海?慧だけど、今夜泊めてもらえる?鍵をなくしちゃって」
「え?鍵をなくした?大丈夫、うちに来いよ」
拓海は快く引き受けてくれた。慧は拓海のアパートに向かった。
拓海のアパートで一夜を過ごした慧は、翌朝早めに自分のアパートに戻った。管理会社に連絡して合鍵を借り、部屋に入ることができた。
朝の九時頃、慧は郵便受けを確認した。昨夜泊まれなかったので、郵便物が溜まっているかもしれないと思ったのだ。
郵便受けを開けると、小さなビニール袋が入っていた。
「これは……?」
袋を取り出して中を見ると、鍵が入っていた。見覚えのある鍵だった。
「私の鍵だ」
間違いなく、昨日なくした自分の鍵だった。キーホルダーも同じものがついている。
しかし、鍵には明らかに異常があった。全体が泥で汚れているのだ。まるで土の中に埋められていたかのような汚れ方だった。
「なんで泥が……?」
慧は困惑した。コンビニの店内で落としたはずなのに、どうして泥がついているのだろうか。
そして誰が拾って、わざわざ届けてくれたのだろうか。袋には差出人の名前などは書かれていない。
慧は不気味に感じたが、鍵が戻ってきたのは幸いだった。すぐに鍵屋に連絡して、念のため鍵を交換してもらうことにした。
午後には鍵屋の五十嵐修一が来て、鍵の交換をしてくれた。
「用心深いですね。でも、それが正解ですよ」
五十嵐は手慣れた様子で作業を進めた。
「泥がついてたってことは、外に落としてたのかもしれませんね」
「でも、コンビニの中で落としたと思うんですけど……」
「案外、外で落として気づかなかったとか。よくあることですよ」
五十嵐の説明は合理的だったが、慧はまだ腑に落ちなかった。
一時間ほどで鍵の交換は完了した。古い鍵はもう使えない。慧は新しい鍵を受け取り、安堵した。
その夜、慧はいつものように大学から帰宅した。新しい鍵で扉を開け、部屋に入る。電気をつけて、いつものようにくつろいでいた。
午後十一時頃、慧は宿題をするため机に向かった。明日提出の課題があるのを思い出したのだ。
集中して課題に取り組んでいると、眠気が襲ってきた。気がつくと、机に突っ伏して眠ってしまっていた。
午前三時頃、慧は目を覚ました。首が痛い。机で眠ってしまったようだ。
慧は立ち上がって、ベッドに向かおうとした。その時、足元に違和感を覚えた。
床を見ると、泥の足跡がついていた。玄関から机まで続く足跡だった。
「え……?」
慧は困惑した。自分が帰宅した時には足跡はなかったはずだ。それに、自分の靴は泥で汚れていない。
足跡をよく見ると、自分の足のサイズと同じだった。でも、泥で汚れた覚えはない。
慧は玄関を確認した。靴箱の中に、泥で汚れた靴が置かれていた。自分の靴と同じデザインだが、明らかに泥だらけだった。
「これ、私の靴?でも、こんなに汚れてたっけ……?」
慧は記憶を辿った。今日、泥を踏んだ覚えはない。大学からアパートまで、ずっと舗装された道を歩いてきた。
しかし、確かに自分の靴だった。サイズも、デザインも、少し履き古した感じも、すべて一致している。
慧は不安になった。自分が覚えていないだけで、どこかで泥を踏んだのだろうか。それとも……
翌日、慧は友人の拓海に相談した。
「泥の足跡があったって?」
「うん。しかも、泥だらけの靴も置いてあった。私の靴なんだけど、泥を踏んだ覚えがないんだ」
「それは不思議だね。もしかして、眠った間に夢遊病で外に出たとか?」
拓海の推測に、慧は背筋が寒くなった。
「夢遊病……そんなこと、あるのかな?」
「ストレスが溜まってると、そういうこともあるらしいよ。でも、慧がそんなに疲れてるようには見えないけど」
慧は確かに最近、課題や就職活動で忙しかった。ストレスも感じている。
「一度、病院で相談してみたら?」
拓海のアドバイスはもっともだった。しかし、慧は別の不安も感じていた。もし本当に夢遊病だとしたら、どこまで歩き回っているのだろうか。
その夜、慧は実験してみることにした。寝る前に、玄関のドアにガムテープを貼った。もし夜中に外出すれば、テープが破れるはずだ。
また、枕元にスマートフォンを置いて、録音アプリを起動した。夜中に動き回る音が録音されるかもしれない。
慧は念入りに準備して眠りについた。
翌朝、慧は目を覚ました。まず玄関を確認すると、ガムテープが破れていた。
「やっぱり……」
慧は愕然とした。本当に夜中に外出していたのだ。
靴箱を見ると、また泥だらけの靴が置かれていた。床にも泥の足跡がついている。
スマートフォンの録音を確認すると、午前二時頃に足音が録音されていた。しかし、それは普通の歩く音ではなかった。まるで何かを引きずるような、重い足音だった。
慧は恐怖を感じた。自分が夜中に外出しているのに、全く記憶がない。しかも、その歩き方が普通ではない。
慧は心配になって、アパートの管理人である早乙女さんに相談した。
「夜中に外出してるかもしれないんです。何か迷惑をかけていませんか?」
「夜中に?特に苦情は来ていませんが……」
早乙女さんは困惑していた。
「でも、そういえば最近、防犯カメラを設置したんです。駐車場の車上荒らし対策で」
「防犯カメラ?」
「ええ。アパートの入り口が映るようになっています。確認してみましょうか?」
慧は不安だったが、真実を知りたかった。
早乙女さんは管理室で防犯カメラの映像を見せてくれた。昨夜の午前二時頃の映像を再生した。
画面に、慧の姿が映った。
アパートの中から出てくる慧の姿が、はっきりと映っていた。
しかし、その慧の様子は明らかに異常だった。
まず、歩き方がおかしい。足を引きずるような、ぎこちない歩き方をしている。
そして表情が見えないのが不気味だった。顔を下に向けて、髪で隠れているように見える。
慧はその姿を見て、吐き気を覚えた。確かに自分の服装だし、体型も同じだ。しかし、まるで別人のような動きをしている。
「これ、本当に私なんでしょうか……?」
「服装は橘さんと同じですね。でも、様子が……」
早乙女さんも困惑していた。
「どこに向かってるか、わかりますか?」
映像の中の慧は、アパートから出ると、近くの工事現場の方向に向かっていた。そして画面から消えた。
「工事現場……」
慧は思い出した。最近、アパートの近くで道路工事が行われている。そこは確かに泥だらけの場所だった。
「帰ってくる映像もありますか?」
早乙女さんは別の時間帯を確認した。午前三時半頃、映像の中の慧が戻ってきた。
帰ってくる時の慧は、さらに異様だった。
服も靴も泥だらけで、まるで土の中を這いずり回ってきたかのような状態だった。
そして、その手に何かを抱えているように見えた。
「何を持ってるんでしょう?」
映像が不鮮明で、詳細はわからなかった。しかし、確かに何かを大切そうに抱えている。
慧は記憶を必死に辿ったが、全く思い出せなかった。
その日、慧は工事現場を見に行った。昼間の明るい時間に、どんな場所なのか確認したかった。
工事現場は道路の舗装工事を行っている場所だった。確かに泥だらけで、夜中に歩き回れば靴が汚れるだろう。
しかし、なぜ自分がこんな場所に来ているのかわからない。
工事現場の作業員に話を聞いてみた。
「夜中に誰か来てませんか?」
「夜中?いや、特には……でも、朝来ると足跡がついてることはありますね」
作業員の神谷修は首をかしげた。
「動物かと思ってたんですが、人間の足跡みたいです」
「どんな足跡ですか?」
「這いずり回ったような跡があるんです。まるで何かを探してるような」
慧は背筋が寒くなった。自分が夜中にここで這いずり回っているということなのか。
「何を探してるかとか、心当たりはありませんか?」
「さあ……でも、ここは昔、古い家があった場所なんです。取り壊して道路工事をしてるんですが」
神谷の話に、慧は興味深いものを感じた。
「古い家?」
「ええ。五十年くらい前からあった古い家でした。最近まで誰も住んでいなくて、ようやく取り壊しになったんです」
「その家に、何か特別なものがあったとか……?」
「よくわからないですが、家を取り壊した時に、色々な物が出てきました。古い写真とか、手紙とか」
慧は何かの手がかりを感じた。
「その写真や手紙、どうなりました?」
「大部分は処分しましたが、一部は近くの地域センターに寄贈したと聞いています」
慧は地域センターに向かった。センターの職員である宮代さんに事情を話すと、快く協力してくれた。
「工事現場から出てきた遺品ですね。確かにお預かりしています」
宮代さんは慧を資料室に案内した。
段ボール箱に入った古い品々が並んでいた。写真、手紙、日記帳、古い雑貨など。
慧はその中の写真を見て、衝撃を受けた。
古い白黒写真の中に、自分にそっくりな女性が写っていた。
「これ……」
写真の裏には「慧子、十八歳」と書かれていた。
「慧子……私と同じ名前……」
他の写真も見ると、慧子という女性の成長記録のようだった。子供の頃から大人になるまでの写真が残っている。
そして最後の写真には「慧子、結婚式」と書かれていた。美しいウェディングドレスを着た女性が写っている。
慧はその女性と自分の顔を比べた。髪型や服装は違うが、顔立ちが驚くほど似ている。
「まるで私の曾祖母みたい……」
慧は他の資料も調べた。日記帳を開くと、慧子の人生が綴られていた。
慧子は結婚後、しばらく幸せに暮らしていたが、戦争で夫を亡くしてしまった。その後、一人でその家に住み続け、生涯独身で過ごしたようだった。
日記の最後の方には、こんな記述があった。
「いつか、私に似た人が現れて、この思い出を受け継いでくれるのだろうか」
慧は涙が出そうになった。慧子は自分の思い出を誰かに託したかったのだ。
その夜、慧は慧子の写真を部屋に持ち帰った。枕元に置いて眠りについた。
そして、夢を見た。
夢の中で、慧子が現れた。慧に似た美しい女性だった。
「ありがとう、慧ちゃん」
慧子は微笑んだ。
「私の大切な物を見つけてくれて」
「大切な物?」
「結婚指輪よ。工事で家を壊された時、指輪だけ見つからなかったの」
慧子は説明した。
「あなたが夜中に探してくれていたのね」
慧は理解した。自分が夢遊病で工事現場に行っていたのは、慧子の結婚指輪を探すためだったのだ。
「でも、どうして私が?」
「あなたと私は、きっと何かの縁で結ばれているのよ。同じ名前、似た顔」
慧子は温かく微笑んだ。
「もう指輪のことは諦めるわ。あなたに迷惑をかけてしまったから」
「迷惑だなんて……」
「ありがとう、慧ちゃん。あなたがいてくれて、私は救われたわ」
慧子の姿はだんだん薄くなっていった。
「さようなら。幸せになってね」
そして慧子は消えた。
翌朝、慧は目を覚ました。枕元に、小さな金の指輪が置かれていた。
それは古い結婚指輪だった。内側に「慧子へ 愛をこめて」と彫られている。
慧は微笑んだ。慧子の指輪を見つけることができたのだ。
その日以来、慧は夜中に外出することはなくなった。
しかし、防犯カメラの映像は残っている。
慧は時々、その映像を見返す。泥だらけになって工事現場から戻ってくる自分の姿を見ると、不思議な気持ちになる。
あれは本当に自分だったのだろうか。それとも、慧子の魂が自分の体を借りていたのだろうか。
真実はわからない。でも、慧は慧子のことを大切に思っている。
慧子の結婚指輪は、今も慧の部屋に大切に保管されている。
そして時々、慧は指輪に話しかける。
「慧子さん、私も幸せになりますね」
答えは返ってこないが、慧は慧子が見守ってくれていると信じている。
夜中に泥だらけになって歩き回る自分の姿は、確かに不気味だった。しかし、それは愛する人への想いを届けるための、美しい行為だったのかもしれない。
慧は今でも時々、防犯カメラの映像を見る。泥まみれの自分が、大切な物を抱えて帰ってくる姿を。
その姿は恐ろしくもあり、愛おしくもある。
慧は自分の中に、慧子の想いが生き続けていることを感じている。
大学からの帰り道、いつものようにコンビニに寄って買い物をしていた時のことだった。レジで財布を出した際、一緒にポケットから何かが落ちる音がした。慧は振り返ったが、床には何も見当たらなかった。
家に着いてから気づいた。鍵がない。
慧は慌ててポケットと鞄を探したが、どこにも見つからない。コンビニに電話をかけて確認してもらったが、落とし物として届いていないという。
「参ったな……」
慧は一人暮らしを始めて一年になる。アパートの管理会社に連絡すれば合鍵を借りることはできるが、夜の八時を過ぎている。明日まで待つしかなさそうだった。
仕方なく、慧は大学時代の友人である冴木拓海に連絡した。
「拓海?慧だけど、今夜泊めてもらえる?鍵をなくしちゃって」
「え?鍵をなくした?大丈夫、うちに来いよ」
拓海は快く引き受けてくれた。慧は拓海のアパートに向かった。
拓海のアパートで一夜を過ごした慧は、翌朝早めに自分のアパートに戻った。管理会社に連絡して合鍵を借り、部屋に入ることができた。
朝の九時頃、慧は郵便受けを確認した。昨夜泊まれなかったので、郵便物が溜まっているかもしれないと思ったのだ。
郵便受けを開けると、小さなビニール袋が入っていた。
「これは……?」
袋を取り出して中を見ると、鍵が入っていた。見覚えのある鍵だった。
「私の鍵だ」
間違いなく、昨日なくした自分の鍵だった。キーホルダーも同じものがついている。
しかし、鍵には明らかに異常があった。全体が泥で汚れているのだ。まるで土の中に埋められていたかのような汚れ方だった。
「なんで泥が……?」
慧は困惑した。コンビニの店内で落としたはずなのに、どうして泥がついているのだろうか。
そして誰が拾って、わざわざ届けてくれたのだろうか。袋には差出人の名前などは書かれていない。
慧は不気味に感じたが、鍵が戻ってきたのは幸いだった。すぐに鍵屋に連絡して、念のため鍵を交換してもらうことにした。
午後には鍵屋の五十嵐修一が来て、鍵の交換をしてくれた。
「用心深いですね。でも、それが正解ですよ」
五十嵐は手慣れた様子で作業を進めた。
「泥がついてたってことは、外に落としてたのかもしれませんね」
「でも、コンビニの中で落としたと思うんですけど……」
「案外、外で落として気づかなかったとか。よくあることですよ」
五十嵐の説明は合理的だったが、慧はまだ腑に落ちなかった。
一時間ほどで鍵の交換は完了した。古い鍵はもう使えない。慧は新しい鍵を受け取り、安堵した。
その夜、慧はいつものように大学から帰宅した。新しい鍵で扉を開け、部屋に入る。電気をつけて、いつものようにくつろいでいた。
午後十一時頃、慧は宿題をするため机に向かった。明日提出の課題があるのを思い出したのだ。
集中して課題に取り組んでいると、眠気が襲ってきた。気がつくと、机に突っ伏して眠ってしまっていた。
午前三時頃、慧は目を覚ました。首が痛い。机で眠ってしまったようだ。
慧は立ち上がって、ベッドに向かおうとした。その時、足元に違和感を覚えた。
床を見ると、泥の足跡がついていた。玄関から机まで続く足跡だった。
「え……?」
慧は困惑した。自分が帰宅した時には足跡はなかったはずだ。それに、自分の靴は泥で汚れていない。
足跡をよく見ると、自分の足のサイズと同じだった。でも、泥で汚れた覚えはない。
慧は玄関を確認した。靴箱の中に、泥で汚れた靴が置かれていた。自分の靴と同じデザインだが、明らかに泥だらけだった。
「これ、私の靴?でも、こんなに汚れてたっけ……?」
慧は記憶を辿った。今日、泥を踏んだ覚えはない。大学からアパートまで、ずっと舗装された道を歩いてきた。
しかし、確かに自分の靴だった。サイズも、デザインも、少し履き古した感じも、すべて一致している。
慧は不安になった。自分が覚えていないだけで、どこかで泥を踏んだのだろうか。それとも……
翌日、慧は友人の拓海に相談した。
「泥の足跡があったって?」
「うん。しかも、泥だらけの靴も置いてあった。私の靴なんだけど、泥を踏んだ覚えがないんだ」
「それは不思議だね。もしかして、眠った間に夢遊病で外に出たとか?」
拓海の推測に、慧は背筋が寒くなった。
「夢遊病……そんなこと、あるのかな?」
「ストレスが溜まってると、そういうこともあるらしいよ。でも、慧がそんなに疲れてるようには見えないけど」
慧は確かに最近、課題や就職活動で忙しかった。ストレスも感じている。
「一度、病院で相談してみたら?」
拓海のアドバイスはもっともだった。しかし、慧は別の不安も感じていた。もし本当に夢遊病だとしたら、どこまで歩き回っているのだろうか。
その夜、慧は実験してみることにした。寝る前に、玄関のドアにガムテープを貼った。もし夜中に外出すれば、テープが破れるはずだ。
また、枕元にスマートフォンを置いて、録音アプリを起動した。夜中に動き回る音が録音されるかもしれない。
慧は念入りに準備して眠りについた。
翌朝、慧は目を覚ました。まず玄関を確認すると、ガムテープが破れていた。
「やっぱり……」
慧は愕然とした。本当に夜中に外出していたのだ。
靴箱を見ると、また泥だらけの靴が置かれていた。床にも泥の足跡がついている。
スマートフォンの録音を確認すると、午前二時頃に足音が録音されていた。しかし、それは普通の歩く音ではなかった。まるで何かを引きずるような、重い足音だった。
慧は恐怖を感じた。自分が夜中に外出しているのに、全く記憶がない。しかも、その歩き方が普通ではない。
慧は心配になって、アパートの管理人である早乙女さんに相談した。
「夜中に外出してるかもしれないんです。何か迷惑をかけていませんか?」
「夜中に?特に苦情は来ていませんが……」
早乙女さんは困惑していた。
「でも、そういえば最近、防犯カメラを設置したんです。駐車場の車上荒らし対策で」
「防犯カメラ?」
「ええ。アパートの入り口が映るようになっています。確認してみましょうか?」
慧は不安だったが、真実を知りたかった。
早乙女さんは管理室で防犯カメラの映像を見せてくれた。昨夜の午前二時頃の映像を再生した。
画面に、慧の姿が映った。
アパートの中から出てくる慧の姿が、はっきりと映っていた。
しかし、その慧の様子は明らかに異常だった。
まず、歩き方がおかしい。足を引きずるような、ぎこちない歩き方をしている。
そして表情が見えないのが不気味だった。顔を下に向けて、髪で隠れているように見える。
慧はその姿を見て、吐き気を覚えた。確かに自分の服装だし、体型も同じだ。しかし、まるで別人のような動きをしている。
「これ、本当に私なんでしょうか……?」
「服装は橘さんと同じですね。でも、様子が……」
早乙女さんも困惑していた。
「どこに向かってるか、わかりますか?」
映像の中の慧は、アパートから出ると、近くの工事現場の方向に向かっていた。そして画面から消えた。
「工事現場……」
慧は思い出した。最近、アパートの近くで道路工事が行われている。そこは確かに泥だらけの場所だった。
「帰ってくる映像もありますか?」
早乙女さんは別の時間帯を確認した。午前三時半頃、映像の中の慧が戻ってきた。
帰ってくる時の慧は、さらに異様だった。
服も靴も泥だらけで、まるで土の中を這いずり回ってきたかのような状態だった。
そして、その手に何かを抱えているように見えた。
「何を持ってるんでしょう?」
映像が不鮮明で、詳細はわからなかった。しかし、確かに何かを大切そうに抱えている。
慧は記憶を必死に辿ったが、全く思い出せなかった。
その日、慧は工事現場を見に行った。昼間の明るい時間に、どんな場所なのか確認したかった。
工事現場は道路の舗装工事を行っている場所だった。確かに泥だらけで、夜中に歩き回れば靴が汚れるだろう。
しかし、なぜ自分がこんな場所に来ているのかわからない。
工事現場の作業員に話を聞いてみた。
「夜中に誰か来てませんか?」
「夜中?いや、特には……でも、朝来ると足跡がついてることはありますね」
作業員の神谷修は首をかしげた。
「動物かと思ってたんですが、人間の足跡みたいです」
「どんな足跡ですか?」
「這いずり回ったような跡があるんです。まるで何かを探してるような」
慧は背筋が寒くなった。自分が夜中にここで這いずり回っているということなのか。
「何を探してるかとか、心当たりはありませんか?」
「さあ……でも、ここは昔、古い家があった場所なんです。取り壊して道路工事をしてるんですが」
神谷の話に、慧は興味深いものを感じた。
「古い家?」
「ええ。五十年くらい前からあった古い家でした。最近まで誰も住んでいなくて、ようやく取り壊しになったんです」
「その家に、何か特別なものがあったとか……?」
「よくわからないですが、家を取り壊した時に、色々な物が出てきました。古い写真とか、手紙とか」
慧は何かの手がかりを感じた。
「その写真や手紙、どうなりました?」
「大部分は処分しましたが、一部は近くの地域センターに寄贈したと聞いています」
慧は地域センターに向かった。センターの職員である宮代さんに事情を話すと、快く協力してくれた。
「工事現場から出てきた遺品ですね。確かにお預かりしています」
宮代さんは慧を資料室に案内した。
段ボール箱に入った古い品々が並んでいた。写真、手紙、日記帳、古い雑貨など。
慧はその中の写真を見て、衝撃を受けた。
古い白黒写真の中に、自分にそっくりな女性が写っていた。
「これ……」
写真の裏には「慧子、十八歳」と書かれていた。
「慧子……私と同じ名前……」
他の写真も見ると、慧子という女性の成長記録のようだった。子供の頃から大人になるまでの写真が残っている。
そして最後の写真には「慧子、結婚式」と書かれていた。美しいウェディングドレスを着た女性が写っている。
慧はその女性と自分の顔を比べた。髪型や服装は違うが、顔立ちが驚くほど似ている。
「まるで私の曾祖母みたい……」
慧は他の資料も調べた。日記帳を開くと、慧子の人生が綴られていた。
慧子は結婚後、しばらく幸せに暮らしていたが、戦争で夫を亡くしてしまった。その後、一人でその家に住み続け、生涯独身で過ごしたようだった。
日記の最後の方には、こんな記述があった。
「いつか、私に似た人が現れて、この思い出を受け継いでくれるのだろうか」
慧は涙が出そうになった。慧子は自分の思い出を誰かに託したかったのだ。
その夜、慧は慧子の写真を部屋に持ち帰った。枕元に置いて眠りについた。
そして、夢を見た。
夢の中で、慧子が現れた。慧に似た美しい女性だった。
「ありがとう、慧ちゃん」
慧子は微笑んだ。
「私の大切な物を見つけてくれて」
「大切な物?」
「結婚指輪よ。工事で家を壊された時、指輪だけ見つからなかったの」
慧子は説明した。
「あなたが夜中に探してくれていたのね」
慧は理解した。自分が夢遊病で工事現場に行っていたのは、慧子の結婚指輪を探すためだったのだ。
「でも、どうして私が?」
「あなたと私は、きっと何かの縁で結ばれているのよ。同じ名前、似た顔」
慧子は温かく微笑んだ。
「もう指輪のことは諦めるわ。あなたに迷惑をかけてしまったから」
「迷惑だなんて……」
「ありがとう、慧ちゃん。あなたがいてくれて、私は救われたわ」
慧子の姿はだんだん薄くなっていった。
「さようなら。幸せになってね」
そして慧子は消えた。
翌朝、慧は目を覚ました。枕元に、小さな金の指輪が置かれていた。
それは古い結婚指輪だった。内側に「慧子へ 愛をこめて」と彫られている。
慧は微笑んだ。慧子の指輪を見つけることができたのだ。
その日以来、慧は夜中に外出することはなくなった。
しかし、防犯カメラの映像は残っている。
慧は時々、その映像を見返す。泥だらけになって工事現場から戻ってくる自分の姿を見ると、不思議な気持ちになる。
あれは本当に自分だったのだろうか。それとも、慧子の魂が自分の体を借りていたのだろうか。
真実はわからない。でも、慧は慧子のことを大切に思っている。
慧子の結婚指輪は、今も慧の部屋に大切に保管されている。
そして時々、慧は指輪に話しかける。
「慧子さん、私も幸せになりますね」
答えは返ってこないが、慧は慧子が見守ってくれていると信じている。
夜中に泥だらけになって歩き回る自分の姿は、確かに不気味だった。しかし、それは愛する人への想いを届けるための、美しい行為だったのかもしれない。
慧は今でも時々、防犯カメラの映像を見る。泥まみれの自分が、大切な物を抱えて帰ってくる姿を。
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