1話5分でゾッと出来る話。短編ホラー集。短編怖い話は、そこにある

第46話「見下ろす視点」怖さ:☆☆

　風間陽真は夢の中にいた。

　しかし、それは普通の夢ではなかった。陽真は自分のベッドを上から見下ろしていた。そこには、深い眠りについている自分の姿があった。

　陽真は宙に浮いているような感覚だった。まるで幽体離脱でもしているかのように、天井近くから自分の寝姿を眺めている。

　ベッドに横たわる陽真は、穏やかな寝息を立てていた。毛布を胸のあたりまでかけて、左側を向いて眠っている。いつもの寝相だった。

「変な夢だな……」

　陽真は心の中で呟いた。こんな夢は初めてだった。

　部屋の様子も、現実と全く同じに見える。机の上に置かれた教科書、壁にかけられた時計、窓から差し込む月明かり。すべてが細部まで再現されている。

　夢にしては、あまりにもリアルすぎる。

　陽真は自分の体を動かそうとした。すると、浮遊している視点が移動した。ベッドの足元に回り込んで、別の角度から眠っている自分を見ることができる。

　不思議な体験だった。自分が眠っているのに、同時に起きて自分を観察している。

　しばらく眺めていると、眠っている陽真の表情が変わった。眉間にしわが寄り、苦しそうな顔になっている。

「悪夢でも見てるのかな？」

　陽真は心配になった。自分のことなのに、まるで他人を見ているような感覚だった。

　眠っている陽真は寝返りを打った。今度は右側を向いて、膝を少し曲げた姿勢になった。表情は落ち着いたようだ。

　陽真は部屋の中を見回した。時計を見ると、午前二時半を指している。夜中だった。

　その時、陽真は気になることに気づいた。

　部屋のドアが、わずかに開いている。

　陽真は寝る前に必ずドアを閉める習慣があった。一人暮らしを始めてから身につけた習慣で、防犯上の理由もある。

　しかし今、ドアは五センチほど開いていた。

　陽真は浮遊しながらドアに近づいた。隙間から廊下を覗くと、暗闇が広がっている。

　特に異常は見当たらない。きっと寝ている間に、風か何かでドアが開いたのだろう。

　陽真はベッドに戻った。眠っている自分は相変わらず穏やかに眠っている。

　しかし、よく見ると、眠っている陽真の枕元に何かが置かれていることに気づいた。

　それは小さなメモ用紙だった。

　陽真は記憶を辿った。寝る前にメモを枕元に置いた覚えはない。一体誰が置いたのだろうか。

　陽真はメモに近づいて文字を読もうとした。しかし、この角度からは文字が逆さまに見えて、内容がよくわからない。

　陽真は別の角度から見ようとしたが、浮遊している状態では思うように移動できない。

　その時、眠っている陽真が目を覚ました。

　陽真は驚いた。自分が起きたということは、この夢が終わるということなのか。

　しかし、予想に反して、陽真は浮遊したままだった。眠っていた陽真は起き上がり、枕元のメモを手に取った。

　陽真は上から見下ろしながら、眠っていた陽真の行動を観察した。

　眠っていた陽真は、メモを読んで首をかしげている。そして、部屋を見回して、開いているドアに気づいた。

　眠っていた陽真は立ち上がって、ドアを閉めに行った。

　陽真は困惑した。自分が二人いるということなのか。眠っていた陽真と、浮遊している陽真。

　どちらが本物の自分なのだろうか。

　眠っていた陽真はベッドに戻り、再び横になった。しかし、今度は眠らずに天井を見上げている。

　陽真は眠っていた陽真と目が合うかもしれないと思い、少し位置を変えた。しかし、眠っていた陽真は陽真の存在に気づいていないようだった。

　しばらくして、眠っていた陽真は再び眠りについた。

　陽真は安堵した。これでまた一人になった。

　陽真はメモのことが気になった。眠っていた陽真が読んだメモには、何が書かれていたのだろうか。

　陽真は記憶を辿ろうとしたが、なぜか思い出せない。まるで眠っていた陽真と浮遊している陽真の記憶が、別々に存在しているかのようだった。

　陽真は部屋を見回した。何か他に変わったことはないだろうか。

　机の上を見ると、開かれたノートがあった。そこには陽真の字で何かが書かれている。

　陽真は近づいて文字を読んだ。

「誰かが見ている」

　陽真は背筋が寒くなった。自分がそんなことを書いた覚えはない。

　しかし、確かに陽真の字だった。筆跡も、文字の癖も、すべて一致している。

　陽真は続きを読んだ。

「夜中に誰かが部屋に入ってくる。でも、起きて確認しても誰もいない。きっと夢の中でのことなのだろう。しかし、朝になるとメモが残されている。」

　陽真は困惑した。自分がそんなことを体験していたのか。しかし、記憶にない。

　さらに続きがあった。

「今夜もまた、誰かが来るような気がする。でも、今度は負けない。絶対に正体を突き止める。」

　陽真は理解した。眠っていた陽真は、何者かに悩まされていたのだ。そして今夜、その正体を確かめようとしていた。

　陽真は周囲を警戒した。もしかすると、今もその何者かが潜んでいるのかもしれない。

　しばらく待っていると、ドアが再びゆっくりと開いた。

　陽真は息を呑んだ。今度は風ではない。明らかに誰かが開けている。

　ドアの隙間から、人影が部屋に入ってきた。

　それは、陽真とそっくりな人物だった。

　いや、全く同じ顔、同じ体型、同じ服装をしている。まるで陽真のもう一人の分身のようだった。

　分身の陽真は、静かに部屋に入ると、眠っている陽真のベッドに近づいた。

　陽真は上から見下ろしながら、分身の行動を観察した。

　分身の陽真は、枕元に新しいメモを置いた。そして、眠っている陽真の顔をじっと見つめている。

　その表情は、どこか悲しそうだった。

　分身の陽真は、眠っている陽真の額に手を当てた。優しく撫でるような仕草だった。

　陽真は不思議な気持ちになった。恐怖よりも、何か切ない感情が湧いてきた。

　分身の陽真は、しばらく眠っている陽真を見つめていたが、やがて立ち上がった。そして、静かに部屋を出ていった。

　陽真は分身を追いかけようとしたが、なぜか部屋から出ることができなかった。まるで見えない壁があるかのように、ドアの前で止まってしまう。

　陽真は分身が去った後、眠っている陽真のそばに戻った。

　枕元に置かれた新しいメモを見ると、こう書かれていた。

「ごめん。もうすぐ終わるから。」

　陽真は混乱した。分身は何に対して謝っているのか。何が終わるというのか。

　その時、眠っている陽真が再び目を覚ました。今度は、すぐにメモに気づいて読んだ。

　眠っている陽真は困惑した表情を見せた。そして、部屋を見回したが、分身の姿は既にない。

　眠っている陽真は立ち上がって、ドアを確認した。しっかりと閉まっている。

　しかし、床に小さな足跡があることに気づいた。自分の足跡とは別の、濡れた足跡だった。

　眠っている陽真は足跡を辿った。足跡は窓の方向に続いている。

　窓を見ると、僅かに開いていた。陽真は寝る前に窓も閉める習慣があるのに。

　眠っている陽真は窓から外を覗いた。すると、建物の向かい側に、陽真とそっくりな人物が立っているのが見えた。

　その人物は、陽真の部屋を見上げている。そして、気づかれたことを悟ると、静かに立ち去った。

　眠っている陽真は急いで部屋を出て、その人物を追いかけようとした。

　陽真は一人残された。浮遊しながら部屋にいる陽真だけが。

　陽真は理解し始めた。自分は何らかの理由で、分裂してしまったのだ。眠っている陽真、浮遊している陽真、そして分身の陽真。

　三人の陽真が存在している。

　しばらくして、眠っていた陽真が戻ってきた。息を切らして、疲れた様子だった。

「見つからなかった……」

　眠っていた陽真は呟いた。

　そして、ベッドに腰を下ろして、頭を抱えた。

「一体何が起きてるんだ……」

　陽真は眠っていた陽真に話しかけたくなった。しかし、声を出しても聞こえないようだった。

　眠っていた陽真は、机に向かってノートに何かを書き始めた。

「分身を見た。自分とそっくりな人物が、毎夜部屋に来ていたのは間違いない。しかし、なぜそんなことが起きるのかわからない。」

　陽真は眠っていた陽真の文字を読みながら、自分の状況を整理しようとした。

　もしかすると、陽真は何かのショックで心が分離してしまったのかもしれない。精神的な問題で、人格が複数に分かれることがある。

　しかし、それでは分身が物理的に存在することの説明がつかない。

　陽真は別の可能性を考えた。もしかすると、これは夢ではなく、現実なのかもしれない。何らかの超常現象で、陽真が分裂してしまったのかもしれない。

　眠っていた陽真は書き続けた。

「明日、病院に行ってみよう。精神科で相談してみる。このままでは、正常な生活を送ることができない。」

　陽真は眠っていた陽真の決断を聞いて、少し安心した。専門家に相談すれば、何かわかるかもしれない。

　眠っていた陽真は再びベッドに横になった。今度は、しっかりと毛布をかぶって、目を閉じた。

　陽真は眠っていた陽真を見守りながら、自分の存在について考えた。

　自分は一体何なのか。眠っている陽真の夢なのか、それとも独立した存在なのか。

　そして、分身の陽真は何者なのか。なぜ毎夜現れるのか。

　陽真は疑問を抱えながら、浮遊し続けた。

　やがて、窓の外が明るくなり始めた。夜明けが近づいている。

　眠っていた陽真は、まだ眠っていた。穏やかな寝息を立てている。

　陽真は、夜明けと共に自分がどうなるのか気になった。この浮遊状態は続くのか、それとも眠っている陽真と統合されるのか。

　太陽が昇り、部屋に朝日が差し込んだ。

　その瞬間、陽真の意識は急速に薄れ始めた。

　陽真は眠っている陽真に向かって引き寄せられるような感覚を覚えた。

　そして、気がつくと、陽真はベッドで目を覚ましていた。

　浮遊していた感覚はなくなり、普通に自分の体を感じることができる。

　陽真は起き上がって、枕元を確認した。メモが二枚残されていた。

　一枚目には「誰かが見ている」から始まる文章。二枚目には「ごめん。もうすぐ終わるから。」

　陽真は机のノートも確認した。そこには昨夜書いた記録が残されている。

　すべては現実だったのだ。

　陽真は窓から外を見た。明るい朝の景色が広がっている。昨夜の出来事が嘘のようだった。

　しかし、証拠はここにある。メモとノート、そして陽真の記憶。

　陽真は決心した。今日、病院に行って相談してみよう。

　陽真は身支度を整えて、アパートを出た。

　最寄りの総合病院に向かい、精神科の受付で事情を説明した。

「最近、奇妙な体験をしていまして……」

　陽真は昨夜の出来事を詳しく話した。浮遊体験、分身の存在、メモの件。

　担当医の天城先生は、陽真の話を真剣に聞いてくれた。

「興味深い症例ですね。幽体離脱体験と、解離性同一性障害の要素が混在しているようです」

　天城先生は説明してくれた。

「ストレスや疲労が原因で、このような現象が起きることがあります。まずは詳しい検査をしてみましょう」

　陽真は安堵した。自分の症状に名前があり、治療法もあるということだった。

　検査の結果、陽真は軽度の解離性障害と診断された。

「大学生活のストレスが原因のようですね。適切な治療を受ければ、改善する可能性が高いです」

　天城先生は治療計画を説明してくれた。カウンセリングと、必要に応じて薬物療法を組み合わせる。

　陽真は治療を開始することにした。

　その日の夜、陽真は不安だった。また昨夜のような体験をするのだろうか。

　陽真は眠る前に、枕元にメモを置いた。「治療を始めました。もう大丈夫です」と書いて。

　そして、ドアと窓をしっかりと閉めて、ベッドに入った。

　陽真は眠りについた。

　しかし、今夜は浮遊体験は起きなかった。朝まで、普通に眠ることができた。

　翌朝、陽真は目を覚ますと、枕元のメモを確認した。

　自分が書いたメモの下に、新しい文字が書き加えられていた。

「ありがとう。これで安心して消えることができます。」

　陽真は微笑んだ。分身の陽真は、陽真が治療を受けることで安心したのだろう。

　それ以来、陽真は分身を見ることはなくなった。

　治療も順調に進み、数か月後には症状は完全に改善した。

　陽真は今でも、あの夜の体験を思い出す。浮遊しながら自分を見下ろした奇妙な感覚を。

　それは確かに恐ろしい体験だったが、同時に自分自身と向き合う貴重な機会でもあった。

　陽真は自分の心の健康にもっと注意を払うようになった。ストレスを溜めすぎず、適度に休息を取る。

　そして、何か異常を感じたら、すぐに専門家に相談する。

　陽真の部屋には、今でもあの夜のメモが大切に保管されている。

　自分自身からの、大切なメッセージとして。

　陽真は時々、天井を見上げて思う。

　もしかすると、あの浮遊していた自分は、今でもどこかで見守ってくれているのかもしれない。

　優しい守護者として。