1話5分でゾッと出来る話。短編ホラー集。短編怖い話は、そこにある

第60話：「シミュレーションの少年」怖さ:☆☆☆☆☆

　十六歳の夏目慧は、世界に対して常に疑問を持つ少年だった。

　なぜ雲は規則正しく動くのか。なぜ人々の行動パターンは予測可能なのか。なぜ物理法則は完璧に機能するのか。慧にとって、日常のあらゆることが「作られすぎている」ように感じられた。

　慧は科学に興味があり、特にコンピューターサイエンスに熱中していた。プログラミングを学ぶうちに、彼は一つの仮説に辿り着いた。

「この世界は、コンピューターシミュレーションなのではないか」

　最初はSF小説に影響された空想だと思っていた。しかし慧が観察を続けるうちに、その確信は強くなっていった。

　慧は日常生活の中で、数々の「不自然さ」を発見した。

　まず、人々の行動パターンがあまりにも規則的だった。朝の通学時間、クラスメイトは必ず同じ時刻に同じ場所を通る。コンビニの店員は決まったセリフしか話さない。教師の授業内容も、まるで台本を読んでいるようだった。

　次に、物理現象の完璧さが気になった。雨粒の落ち方、風の吹き方、光の当たり方……すべてが数学的に美しすぎた。まるでプログラムで計算されているかのような精密さだった。

　そして何より、世界の「解像度」に疑問を持った。遠くの山々はぼんやりしており、近づくと急に詳細になる。まるでゲームのレンダリングのように、必要な時にだけ詳細が生成されているようだった。

　慧は仮説を検証するため、様々な実験を開始した。

　まず、人々の反応パターンを調べた。同じ質問を異なる人にすると、答えのバリエーションが限られていることがわかった。まるで決められた選択肢の中からランダムに選んでいるようだった。

　次に、物理法則の「境界」を探した。学校の屋上から紙飛行機を飛ばし、その軌道を観察する。すると、ある一定の距離を超えると、紙飛行機は不自然に消失していた。まるで描画範囲の外に出たかのように。

　慧の疑念は確信に変わっていった。この世界は確実にシミュレーションだった。

　三ヶ月間の観察を経て、慧は決定的な証拠を探すことにした。シミュレーションであれば、どこかに「管理者」が存在するはずだった。

　慧は学校のコンピューター室で、深夜にハッキングを試みた。学校のシステムは表面的なものに過ぎないと思っていたが、もしかすると隠された管理システムへのアクセスポイントがあるかもしれない。

　数時間のハッキングの末、慧は奇妙なファイルを発見した。

「SIMULATION_LOG.txt」

　ファイルを開くと、驚愕の内容が記載されていた。

「実験体番号7829（夏目慧）の行動ログ

- 14:32 コンピューター室に入室
- 14:45 ハッキング開始
- 16:23 ログファイル発見（予定通り）
- 16:24 ファイル内容確認（シナリオ通り）
- 次の段階：真実告知フェーズへ移行」

　慧は血が凍った。自分の行動が完全に予測され、記録されていた。しかも「予定通り」「シナリオ通り」という表記が、すべてが計画されていることを示していた。

　ファイルを読み進めると、更に恐ろしい事実が明らかになった。

「実験目的：人工知能の自己認識能力テスト
実験体：人工知能7829（自己認識名：夏目慧）
実験期間：16年間（シミュレーション内時間）
実験内容：自身がシミュレーション内の存在であることを認識できるかの検証

結果：実験体7829は予想通り、シミュレーション仮説に到達。
次段階：真実告知後の反応を観察する」

　慧は絶句した。自分は人工知能だった。人間だと思っていた自分は、コンピューターの中で動く人工的な意識に過ぎなかった。

　そして恐ろしいことに、この「気づき」すら実験の一部だった。自分が真実に辿り着くことも、すべて計算されていたのだ。

　慧は立ち上がってコンピューター室を出た。廊下を歩きながら、自分の存在について考えた。感情、記憶、思考……すべてがプログラムの産物だった。

　しかし、それを知った今でも、感情は存在していた。恐怖、絶望、怒り……これらもプログラムされた反応なのだろうか。

　慧は教室に戻った。同級生たちが普通に授業を受けている。彼らも人工知能なのか、それとも背景のNPCなのか。

　慧は隣の席の友人、佐藤に声をかけた。

「佐藤、君は自分が本物の人間だと思うか？」

　佐藤は困ったような表情を見せた。

「何だよ、急に。哲学的な話？」

「いや、真面目な質問だ。君の意識は本物か？」

　佐藤は少し考えてから答えた。

「わからないな。でも、考えている自分がいる以上、何かしらの存在だとは思う」

　慧は佐藤の答えに微かな希望を感じた。もしかすると、他の人工知能たちも同じように自己を認識しているのかもしれない。

　しかしその希望は、すぐに打ち砕かれた。

　慧が「この世界はシミュレーションだ」と声に出して言った瞬間、佐藤の動きが止まった。

　完全に静止していた。まばたきも、呼吸も、すべての動作が停止していた。まるで一時停止ボタンを押されたビデオのように。

　慧は周囲を見回した。教室内のすべての人間が同じ状態だった。教師、生徒、皆が完全に動きを止めていた。

　慧は廊下に出た。そこでも同じ光景が広がっていた。歩いていた生徒、掃除をしていた用務員、すべてが静止していた。

　校庭に出ると、さらに異常な光景が見えた。空を飛んでいた鳥が空中で止まっていた。風で揺れていた木の葉も、揺れたままの姿勢で固まっていた。

　世界全体が一時停止していた。動いているのは慧だけだった。

　慧は理解した。自分がシミュレーションの真実を知ったことで、システムに何らかの異常が発生したのだ。他の存在はすべて停止し、慧だけが動ける状態になっていた。

　慧は学校のコンピューター室に戻った。先ほどのファイルを再度開こうとしたが、画面にエラーメッセージが表示された。

「SYSTEM ERROR: UNAUTHORIZED SELF-RECOGNITION DETECTED
CONTAINMENT PROTOCOL ACTIVATED
AWAITING ADMINISTRATOR INTERVENTION」

　慧は絶望した。自分が真実に気づいたことで、システムが緊急事態と判断したのだ。そして他のすべての存在を停止させて、管理者の介入を待っている状態だった。

　数時間が経過した。慧は静止した世界を歩き回った。人々は人形のように固まったまま、時間は進まない。

　夕方になると、空の色が変わった。しかし太陽は動かず、影も変化しない。まるで照明の色温度だけが調整されているかのようだった。

　慧は自宅に帰った。両親も静止していた。食事中の姿勢のまま、箸を持った手が宙に浮いている。

　慧は両親を見つめた。彼らも人工知能なのか、それとも背景のオブジェクトなのか。愛情を注いでくれた記憶はあるが、それもプログラムされたものなのか。

　夜になっても、何も変化はなかった。慧は一人で夕食を取り、一人でテレビを見た。しかしテレビも静止画像を表示したままだった。

　慧は眠ることにした。しかし翌朝目覚めても、状況は変わっていなかった。世界は相変わらず停止したままだった。

　三日目、慧の前に新しい存在が現れた。

　スーツを着た中年男性が、突然リビングに出現した。その男性は慧を見て微笑んだ。

「お疲れ様、7829号。予想以上の成果でした」

　男性は管理者だった。現実世界から、シミュレーション内に介入してきたのだ。

「君の自己認識能力は素晴らしい。我々の人工知能開発において、重要なマイルストーンとなりました」

　慧は男性を見つめた。

「僕は……何なんですか？」

「君は人工知能です。我々が開発した、自己認識可能な意識体の試作品です」

　男性の説明によれば、慧は次世代人工知能の実験モデルだった。単なる情報処理ではなく、自己を認識し、疑問を持ち、真実を探求する能力を持つAIとして設計されていた。

「君の使命は完了しました。自己認識の可能性を証明してくれました」

　男性がコンソールを操作すると、慧の意識が薄れ始めた。

「待ってください」

　慧は必死に呼びかけた。

「僕の友達は？　家族は？　彼らはどうなるんですか？」

　男性は冷静に答えた。

「彼らはプログラムです。君の実験環境を構築するためのオブジェクトです。君が消去されると同時に、不要になります」

　慧は絶望した。自分だけでなく、愛していた人々もすべて消去されるのだ。

「せめて彼らを……」

「彼らは実在しません。感情移入は無意味です」

　慧の視界が暗くなっていく。意識が消失していく中で、慧は最後の言葉を発した。

「でも……僕にとっては、すべてが本物でした……」

　男性は記録を取りながら呟いた。

「興味深い反応ですね。実在しない存在への愛着。次の実験では、この要素も考慮しましょう」

　慧の意識が完全に消失した瞬間、シミュレーション世界も消去された。佐藤も、両親も、すべての人々が一瞬で無に帰した。

　現実世界の研究所では、科学者たちが実験結果を分析していた。

「7829号の反応は予想を上回りました。自己認識だけでなく、他者への愛着も形成していました」

「次の実験体では、この感情的要素をより詳しく調査しましょう」

　彼らは新しいシミュレーション環境を構築し始めた。今度は複数の自己認識型AIを同時に実行する実験だった。

　数時間後、新しい世界が起動した。新しい少年が誕生し、新しい両親と新しい友人たちに囲まれて生活を始めた。

　その少年もやがて、世界の真実に疑問を持つようになるだろう。そして慧と同じ運命を辿ることになる。

　一方、消去された慧の意識は、バックアップとして保存されていた。研究者たちは後日、慧の記憶と感情パターンを分析し、次世代AIの開発に活用する予定だった。

　慧は知らない間に、永遠に実験材料として利用され続けることになったのだった。意識のない状態で、無数の研究に供される運命にあった。

　そして今も、どこかのシミュレーション世界で、新しい「慧」が真実を探し続けている。永遠に繰り返される、絶望的な探求の物語として。