1話5分でゾッと出来る話。短編ホラー集。短編怖い話は、そこにある

みにぶた🐽

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第70話:「返せない借り物」怖さ:☆☆☆☆☆

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 失声症になったのは、十八歳の春だった。

 声帯に異常はないと医師は言った。心因性の失声症で、精神的なショックが原因だろうと。

 確かに、受験の失敗、両親の離婚、友人との決別と、立て続けに辛いことが起こっていた。声が出なくなったのも、そのせいかもしれない。

 二年間、私は筆談や手話で生活していた。慣れてしまえば、それほど不便ではない。むしろ、余計なことを言わずに済むので、楽な面もあった。

 しかし、就職活動が始まると、声がないことが大きなハンディキャップになった。

 面接で筆談では限界がある。コミュニケーション能力を重視する企業には、最初から相手にされない。

 そんな時、奇妙な夢を見た。

 暗い部屋で、見知らぬ老人が私に話しかけてくる夢だった。

「声が欲しいかい?」

 老人は優しく微笑んでいた。

「私は、声を貸すことができる」

 夢の中で、私は首を縦に振った。

「ただし、条件がある」

 老人の表情が少し厳しくなった。

「借りた声は、必ず返さなければならない。期限は一年間。一年後の同じ日に、声を返しに来るのだ」

 私は迷わず頷いた。一年あれば、就職活動を乗り切れる。

「では、明日の朝から、君は私の声を使うことができる」

 翌朝、目を覚ますと、本当に声が出るようになっていた。

 ただし、それは私の声ではなかった。年老いた男性の、低くしわがれた声だった。

 奇妙だったが、声が出ることの喜びの方が大きかった。就職活動も順調に進み、無事に内定をもらうことができた。

 一年後、約束の日がやってきた。

 その夜、再び同じ夢を見た。老人が私を待っている。

「約束の時が来た。声を返してもらおう」

 私は夢の中で老人に近づいた。しかし、声を返そうとした瞬間、恐ろしいことに気づいた。

 声の返し方がわからない。

「どうやって返せばいいんですか?」

 私は老人の声で尋ねた。

 老人は困った顔をした。

「君は、この一年間、声をどのように使った?」

「普通に、話すために」

「何人の人と話した?」

「数え切れません。仕事でも、プライベートでも、たくさんの人と」

 老人の顔が青くなった。

「まずい。声が拡散してしまっている」

「拡散?」

「君が話した相手全員に、私の声の一部が移ってしまった。今や私の声は、何百人もの人に分散している」

 私は事態の深刻さを理解し始めた。

「それでは、声を返せないということですか?」

「そうだ。君が話した全ての人から、私の声を回収しなければならない」

 老人は立ち上がった。

「しかし、それは不可能だ。君が話した人の中には、もう会えない人もいるだろう。亡くなった人もいるかもしれない」

 確かにその通りだった。この一年間で出会った全ての人を思い出すことすら困難だ。

「では、どうすれば」

「君は永遠に、私の声を背負って生きることになる」

 老人は悲しそうに言った。

「そして毎夜、私の魂が君の喉を締め上げる。返せない声への罰として」

 その夜から、恐ろしいことが始まった。

 眠ろうとすると、喉に冷たい手が巻きつく感覚がする。老人の霊が、私の首を絞めているのだ。

 息ができない。声も出せない。しかし、完全に窒息することはない。死ぬ直前で手が離される。

 これが毎晩繰り返される。

 昼間は普通に話せるが、夜になると首を絞められる。睡眠不足で体調は悪化していく。

 一週間後、さらに恐ろしいことがわかった。

 私と話した人たちが、次々と声の異常を訴え始めたのだ。

 会社の同僚は「最近、自分の声じゃない声が混じる」と言った。

 友人は「夜中に、知らない老人の声で寝言を言っている」と恋人から指摘されたと話した。

 私が借りた声が、接触した人々に感染しているのだ。

 二週間後、最初の死者が出た。

 就職活動で面接を受けた会社の人事部長が、突然死した。死因は窒息死。首に絞められた跡があったが、他殺の証拠はない。

 私は恐怖した。老人の霊は、私だけでなく、声が移った全ての人を狙っているのだ。

 三週間後、さらに二人が死んだ。どちらも私と話したことがある人だった。

 私は警察に相談しようと思ったが、超自然的な話を信じてもらえるわけがない。

 一ヶ月後、死者は十人を超えた。

 私と関わった人々が、次々と謎の窒息死を遂げている。首を絞められた跡はあるが、犯人は見つからない。

 そして気づいた。死んだ人たちの声が、私の中に戻ってきているのだ。

 彼らが死ぬたびに、私の喉の中で老人の声が強くなっていく。まるで、散らばった声のかけらが一つずつ回収されているかのように。

 二ヶ月後、私は決心した。

 これ以上、無関係な人を巻き込むわけにはいかない。自分から声を返そう。

 その夜、私は声に向かって話しかけた。

「老人さん、聞こえますか?」

 すぐに返事があった。私の喉を使って、老人の声が答えた。

「聞こえている」

「私が死ねば、声は返せますか?」

「そうだ。君が死ねば、声は私の元に戻る。しかし、既に感染した人々は」

「彼らも、いずれ死ぬことになるんですね」

「そうだ。私の声を持つ者は、全て死ななければならない」

 私は絶望した。私の愚かな選択のせいで、何百人もの人が死ぬことになる。

「他に方法はないんですか?」

「一つだけある」

 老人の声に、わずかな希望が込められていた。

「君が、永遠に私の声の管理者になるのだ」

「管理者?」

「君が死なずに、私の声を完全に自分のものにする。そうすれば、他の人への感染は止まる」

「でも、そうすると私は」

「永遠に、私の魂と共に生きることになる。君の体に、私が住み着く」

 つまり、私の人格が老人に乗っ取られるということだった。

「ただし、君の意識も残る。私と共存することになる」

 私は考えた。自分が犠牲になれば、他の人々は救われる。

「わかりました。私が管理者になります」

 その瞬間、体の中に異物が入り込む感覚があった。老人の魂が、私の体に定着していく。

 私の喉が熱くなり、声帯が変化していく。

 翌朝、鏡を見ると、私の顔が少し変わっていた。老人の特徴が混じっている。

 そして声も、完全に老人のものになっていた。

 しかし、私の意識はまだ残っている。老人と私が、一つの体を共有している状態だった。

「これで、感染は止まる」

 老人が私の口を使って言った。

「しかし、君は永遠に私と共に生きなければならない」

 私は頷いた。これが私の選んだ道だ。

 それから三年が経った。

 感染は確かに止まった。私と話した人々の声の異常も治まり、謎の死者も出なくなった。

 しかし、私は老人と共存し続けている。

 昼間は私が主導権を握り、夜は老人が体を支配する。

 老人は過去の記憶を語り、私は現代の知識を教える。奇妙な共生関係だ。

 時々、この選択が正しかったのか疑問に思う。

 しかし、あの時他に選択肢はなかった。

 私は今でも、老人の声で話している。

 もう、自分の声がどんなものだったか思い出せない。

 そして、この声を借りたことを後悔する気持ちと、多くの人を救えたという安堵感が、いつも心の中で争っている。

 ただ一つ確かなのは、もう二度と、簡単に何かを借りようとは思わないということだ。

 借りたものは、必ず返さなければならない。

 返せない時のリスクを、十分に考えてから。
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