1話5分でゾッと出来る話。短編ホラー集。短編怖い話は、そこにある

みにぶた🐽

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第74話「嗚咽する時計」怖さ:☆☆☆☆☆

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 古い洋館を相続した神谷雄介は、居間の暖炉の上にある振り子時計が午後三時で止まっていることに気づいた。そこから先に進めば何かが起こる気がしていた。その時間を超えた瞬間、壁の時計が嗚咽するように泣き出した。

 三十八歳のサラリーマンである神谷雄介が、遠縁の大叔父から古い洋館を相続したのは、秋の終わりのことだった。大正時代に建てられたという木造三階建ての洋館は、都心から電車で二時間ほど離れた山間部にあった。

 大叔父とは生前一度も会ったことがなく、なぜ自分が相続人に選ばれたのかもわからない。弁護士によると、大叔父は生涯独身で、直系の親族がいなかったため、家系図を辿って雄介にたどり着いたのだという。

 雄介は会社の有給休暇を取って、洋館の下見に向かった。売却するにしても、まずは建物の状態を確認する必要がある。最寄り駅からバスで三十分、さらに山道を徒歩で十分ほど歩くと、鬱蒼とした森の中に洋館が姿を現した。

 外観は思ったより保存状態が良く、屋根や外壁に大きな損傷は見られない。玄関の鍵は弁護士から受け取った古いブロンズ製で、重厚な扉を開けると、長い間人が住んでいなかった家特有のカビ臭い匂いが鼻を突いた。

 玄関ホールは天井が高く、正面に大きな階段がある。左右には居間と書斎につながる扉があった。雄介はまず一階から見て回ることにした。

 居間に入ると、古いソファと暖炉、そして暖炉の上に置かれた振り子時計が目に入った。アンティークの時計で、真鍮製の重厚な作りをしている。しかし針は午後三時を指したまま止まっていた。

 雄介は時計に近づいて文字盤を見た。「STERLING & SONS LONDON」と刻まれている。英国製の高級時計のようだ。振り子も下がったまま動いていない。

 「まだ動くかもしれないな」

 雄介は時計の裏側を見て、ゼンマイを巻いてみた。カチカチと音がして、巻き上がる感触がある。しかし針は動かない。壊れているのかもしれない。

 他の部屋も見て回った。書斎には古い本が並び、食堂には埃をかぶった食器が残っている。二階には寝室が三つあり、三階は屋根裏部屋になっていた。全体的に古いが、住めないほどではない。

 夕方になって雄介は一階の居間に戻った。外が暗くなってきたので、電気をつけようとスイッチを探したが見つからない。古い家なので、電気が通っていないのかもしれない。

 携帯電話のライトを使って部屋を照らしていると、暖炉の上の時計が気になった。さっき巻いたのに、まだ動いていない。もう一度ゼンマイを巻いてみようかと思ったが、なぜか手を伸ばすのをためらった。

 何かが起こりそうな予感がしたのだ。この時計を動かしてしまうと、午後三時を超えて時を刻み始める。そうなったら、もう後戻りできない何かが起こるような気がする。

 雄介は首を振った。単なる思い込みだろう。古い家にいるから、気分が内向きになっているのだ。

 しかし時計を見つめていると、不思議な感覚に襲われた。この時計は何かを知っている。午後三時に何かが起きたのだ。だから針がそこで止まっているのではないか。

 雄介は書斎に行って、大叔父が残した日記や手紙を探してみた。机の引き出しの中に、古い日記帳が入っていた。最後の日付は三年前の十月十五日。大叔父が亡くなる一週間前だった。

『十月十五日 快晴』

『また例の時間がやってくる。午後三時。あの忌まわしい時間が。時計を止めておいて正解だった。あの時間を刻まなければ、起こらずに済む』

『しかし最近、時計が勝手に動き出そうとする。針が微かに震えているのが見える。もう限界が近いのかもしれない』

『もし私が死んだ後、誰かがこの家を相続することがあれば、絶対に時計を動かしてはいけない。午後三時を超えさせてはならない』

 雄介の背筋に冷たいものが走った。大叔父は何かを恐れていたのだ。午後三時に起こる何かを。

 日記をさらに遡って読んでみた。

『十月一日 雨』

『今日もあの声が聞こえた。午後三時になると、必ず聞こえてくる。妻の泣き声が』

『もう四十年も前のことなのに。あの日から毎日、同じ時間に同じ声が聞こえる。時計を止めれば聞こえなくなるが、止めるのを忘れると……』

 妻? 雄介は驚いた。弁護士は大叔父は生涯独身だと言っていた。

『九月二十日 曇り』

『隣町で時計店を営む田村さんに相談した。この時計には何か霊的なものが取り憑いているのではないかと』

『田村さんは首を振った。「これは普通の時計です。でも長い間、強い感情にさらされ続けると、時計も記憶を持つようになるのです」』

『記憶? 時計が記憶を?』

『「ええ。毎日同じ時間に起こった出来事を、時計は覚えているのです。そしてその時間になると、記憶を再生するのです」』

 雄介は日記を置いた。時計が記憶を持つなど、馬鹿げている。しかし大叔父は本気で信じていたようだ。

 もっと古い日記を探すと、四十年前のものが見つかった。

『昭和五十八年十月十五日 雪』

『美代子が死んだ』

『午後三時、いつものように紅茶を飲んでいた時だった。突然胸を押さえて苦しみ始めた。救急車を呼んだが間に合わなかった』

『心臓発作だった。まだ三十五歳だったのに』

『美代子は最後に「ごめんなさい……ごめんなさい……」と言って泣いていた。何を謝っていたのだろう』

 雄介は愕然とした。大叔父には妻がいたのだ。そして四十年前のこの日、午後三時に亡くなった。

 日記を読み続けると、その後の大叔父の苦悩が綴られていた。

『十月十六日』

『美代子の葬式を終えた。家に戻ると、午後三時に時計が鳴った。その時、美代子の泣き声が聞こえた』

『十月十七日』

『また午後三時に美代子の声が聞こえた。「ごめんなさい……ごめんなさい……」と泣いている。幻聴だろうか』

『十月二十日』

『毎日午後三時になると美代子の声が聞こえる。時計から聞こえてくるようだ』

 大叔父は毎日、妻の亡霊の声を聞き続けていたのだ。そして最終的に時計を止めることで、その声を封じ込めたのだろう。

 雄介は居間に戻った。暖炉の上の時計は相変わらず午後三時を指している。針は微動だにしない。しかし見つめていると、秒針がかすかに震えているような気がする。

 雄介の腕時計を見ると、現在時刻は午後二時五十分だった。あと十分で午後三時になる。

 もしかしたら、この時間に何かが起こるのかもしれない。大叔父の妻・美代子の声が聞こえるのかもしれない。雄介は恐る恐る待つことにした。

 午後二時五十九分。雄介は固唾を呑んで時計を見つめていた。

 そして午後三時ちょうど。

 何も起こらなかった。

 雄介は安堵のため息をついた。やはり大叔父の思い込みだったのだ。古い家に一人でいるから、幻聴が聞こえたのだろう。

 しかしその瞬間、時計の針がカチリと音を立てて動いた。

 雄介は驚いて時計を見た。秒針が動き始めている。さっき巻いたゼンマイがようやく効いてきたのだろうか。

 カチ、カチ、カチ。

 秒針は確実に時を刻んでいる。午後三時一分、二分、三分……

 そして午後三時五分になった時、それは始まった。

 時計の内部から、かすかな音が聞こえてきた。最初は機械音だと思ったが、だんだんはっきりしてくる。

 それは人の泣き声だった。

 女性の、悲しげな嗚咽だった。

「うっ……うっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 雄介は後ずさりした。本当に声が聞こえている。時計から、死んだ妻の声が。

「ごめんなさい……あなたを……一人にして……」

 声ははっきりしてきた。美代子という女性の声だろう。悲しみと謝罪に満ちた声だった。

「私……本当は……病気のこと……隠してたの……」

 雄介は震えながら聞いていた。美代子は夫に病気を隠していたのか。

「心臓が……悪いって……知ってたの……でも……言えなくて……」

「あなたに……心配かけたくなくて……」

 時計の泣き声は続く。四十年間、毎日午後三時に繰り返されてきた告白だった。

「最期まで……嘘をついて……ごめんなさい……」

 雄介は涙が出そうになった。美代子は夫を愛していたからこそ、病気を隠していたのだ。そして死ぬ間際まで謝り続けていた。

 しかし次の瞬間、泣き声が変化した。

 悲しい声から、恨みがましい声に変わったのだ。

「でも……許せない……」

「あの女……」

 雄介は困惑した。あの女?

「あなたと……不倫してた……あの女……」

 雄介の血が凍った。大叔父は妻の死後、不倫をしていたのか?

「私が死んだ……その日に……もう家に来てたの……」

「私の遺体が……まだ温かいのに……」

 声はだんだん憎悪に満ちてきた。

「四十年間……毎日見てたの……あなたたちが……この家で……」

「私の思い出の場所で……」

 雄介は真実を理解した。大叔父は妻の死後すぐに愛人を家に呼んでいたのだ。そして美代子の霊は、毎日それを見続けていた。

「だから……呪ったの……」

「あの女を……」

 時計の声は怒りに震えていた。

「あの女は……一年後に……交通事故で死んだ……私が殺した……」

 雄介は慌てて時計から離れた。美代子の霊は愛人を殺していたのだ。

「そして……あなたも……」

「四十年かけて……少しずつ……命を削ってあげた……」

 大叔父も美代子の霊に殺されていたのか。

「でも……まだ足りない……」

「この家に住む人……みんな……許さない……」

 雄介の顔が青ざめた。美代子の怒りは大叔父だけでなく、この家に住む全ての人に向けられている。

「あなたも……この家の人……」

 時計の針が雄介を向いた。そんなはずはないのに、文字盤が雄介の方を向いているように見える。

「四十年間……溜め込んだ……恨みを……あなたにぶつけてあげる……」

 雄介は走って玄関に向かった。しかし扉が開かない。鍵をかけた覚えはないのに、びくともしない。

「逃がさない……」

 時計の声が家中に響く。

「この家で……死になさい……」

 雄介は二階に逃げた。しかしどの部屋のドアも開かない。窓も開かない。完全に閉じ込められている。

「あと……六時間……」

 美代子の声が追いかけてくる。

「午後九時になったら……あなたの心臓を……止めてあげる……」

 雄介は三階の屋根裏部屋に逃げ込んだ。しかしここも出口はない。小さな窓があるが、高すぎて飛び降りれば確実に死ぬ。

 午後三時十分。まだ六時間近くある。

 雄介は携帯電話を取り出したが、圏外だった。この山奥では電波が届かない。

 屋根裏部屋で、雄介は恐怖に震えながら時間が過ぎるのを待った。下の階から、時計の音が響いてくる。カチ、カチ、カチ。確実に死の時間に近づいている。

 午後六時。美代子の泣き声が聞こえてくる。

 午後七時。今度は笑い声に変わった。

 午後八時。「もうすぐよ……」という囁き声。

 午後八時五十九分。雄介は覚悟を決めた。このまま殺されるか、窓から飛び降りるか。

 しかし午後九時になっても、何も起こらなかった。

 雄介は首をかしげた。美代子は午後九時に殺すと言っていたのに。

 階下に降りてみると、時計は午後三時で止まっていた。まるで最初から動いていなかったかのように。

 雄介は急いで荷物をまとめて家を出た。もう二度とこの家には近づくまい。

 しかし帰りの電車で、雄介は異変に気づいた。胸に違和感があるのだ。動悸が激しく、息苦しい。

 病院で検査を受けると、医師は驚いた表情で言った。

「心臓に異常があります。かなり進行した心疾患です。いつからこの症状が?」

「今日初めてです」

「そんなはずはありません。これほどの症状なら、数年前から自覚症状があったはずです」

 雄介は青ざめた。美代子の呪いが始まっているのだ。

 その後、雄介の心疾患は急速に悪化した。医師たちも原因がわからないと首をひねる。

 そして一年後の十月十五日、午後三時。

 雄介は病室のベッドで最期の時を迎えた。

 病室の壁にかかった時計が、午後三時を告げる音を鳴らした瞬間、雄介の心臓が止まった。

 看護師が駆けつけた時、雄介は涙を流しながら「ごめんなさい……ごめんなさい……」と呟いていた。

 そして壁の時計から、かすかに女性の笑い声が聞こえた気がした。

 雄介の死後、洋館は再び売りに出された。しかし見学に来た人は皆、居間の時計の前で気分が悪くなり、誰も購入しなかった。

 今でも洋館の時計は午後三時で止まっている。そして時々、見物に来た人が、時計の嗚咽を聞いたという噂が絶えない。
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