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第73話「返して」怖さ:☆☆☆☆☆
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放課後、机に濡れた教科書が置かれていた。「返して」と囁く声が響く。翌日、その教科書の名前欄には、十年前に行方不明になった生徒の名が記されていた。
新任教師として桜ヶ丘中学校に赴任した結城慎也は、二十五歳の熱血漢だった。生徒たちとの距離を縮めようと、放課後も教室に残って個別指導をしたり、部活動の応援に顔を出したりしていた。
赴任して三週間が過ぎた五月の雨の日、慎也は いつものように放課後の教室で翌日の授業準備をしていた。三年B組の担任として、受験を控えた生徒たちの指導に力を入れている。
午後六時を過ぎ、校舎内がすっかり静かになった頃、教室の後ろの方でかすかな音が聞こえた。ペラペラと紙をめくる音だった。
振り返ると、後ろから三番目の席の机の上に、何か濡れた物が置かれているのが見えた。近づいてみると、それは数学の教科書だった。雨に濡れたのか、ページ全体が湿っていて、文字がにじんでいる。
「おかしいな……」
放課後の清掃で机の上は全部片付けたはずだ。それに今日は誰も教科書を忘れていなかった。慎也は教科書を手に取った。重くて冷たい感触がした。
表紙を開いて名前欄を見ると、文字がにじんでいて読めない。しかし何か書かれているのはわかる。
「明日、落とし物として届けておこう」
慎也は教科書を職員室に持って行こうとした。その時、教室の扉の方から小さな声が聞こえた。
「返して……」
慎也は足を止めた。確かに誰かの声だった。子供の声、それも女の子の声だった。
「誰ですか? まだ学校にいるんですか?」
返事はない。しかし再び同じ声が聞こえた。
「返して……返して……」
声は教室の中から聞こえてくる。慎也は教室を見回したが、誰もいない。机や椅子があるだけの、普通の教室だった。
気のせいだろう。古い校舎だから、風の音が声のように聞こえたのかもしれない。慎也はそう自分に言い聞かせて職員室に向かった。
翌朝、慎也は朝のホームルームで落とし物について尋ねた。
「昨日、教室に数学の教科書が忘れてありました。心当たりのある人はいますか?」
生徒たちは顔を見合わせたが、誰も手を上げない。
「濡れて文字がにじんでいるので、名前がよく読めないんです」
慎也は教科書を見せた。すると前の席に座っている女子生徒・由良里奈が顔を青くした。
「先生、それ……」
「どうしたんですか、由良さん?」
「その教科書、私が使ってたのと同じです。でも私のは家にあります」
里奈は自分の鞄から同じ出版社の数学の教科書を取り出した。確かに同じものだ。
「同じ教科書を使っている人は他にもいるでしょう」
「はい、でも……」慎也の見せた教科書を指差して言った。「それ、中身が古くないですか? 今年から教科書が改訂されて、ページの構成が変わったんです」
慎也は改めて教科書を確認した。確かに古い版のようだった。
「古い教科書を誰かが忘れていったということですね」
しかし他の生徒たちも首を振る。誰も心当たりがないらしい。
その日の放課後、慎也は再び教室に残って仕事をしていた。昨日と同じ時間帯、午後六時を過ぎた頃、また同じ声が聞こえてきた。
「返して……返して……」
今度ははっきりと聞こえた。間違いなく教室の中からだ。
「誰ですか! 隠れてないで出てきてください!」
慎也は立ち上がって教室中を探した。机の下、ロッカーの中、カーテンの後ろ。しかし誰もいない。
声はまだ続いている。
「返して……私の教科書……返して……」
慎也はハッとした。昨日拾った教科書のことだろうか。
「もしかして、昨日の教科書のことですか?」
声が止まった。教室が静寂に包まれる。
「あの教科書はあなたのものなんですね? 名前を教えてください」
しばらくして、今度は別の場所から声が聞こえた。慎也の真後ろからだった。
「小野……美織……」
振り返ったが、やはり誰もいない。しかし確かに名前を聞いた。小野美織。
慎也は職員室に戻って、過去の生徒名簿を調べてみた。すると十年前の名簿に「小野美織」の名前を見つけた。当時中学三年生で、この学校の生徒だった。
しかし名簿の端に赤いペンで「行方不明」と書かれていた。
翌日、慎也は同僚の教師に小野美織について尋ねてみた。
「ああ、美織ちゃんね」ベテランの国語教師・田中が重い表情で答えた。「十年前に突然いなくなった子よ。ある日学校に来なくなって、家にもいなかった。警察も捜索したけど、結局見つからなかった」
「何か心当たりはあったんですか?」
「特に思い当たることはなかったわ。普通の子だったから。成績は中の上くらいで、友達もいて、部活も頑張ってた。ただ……」
「ただ?」
「最後に学校に来た日、教科書を全部机に置いて帰ったのよ。『もういらない』って言って。私たちは受験で疲れてるのかなと思ったけど、まさかそのまま……」
慎也は背筋が寒くなった。教科書を置いて消えた少女。そして十年後に現れた濡れた教科書。
その日の放課後、慎也は覚悟を決めて美織の教科書を元の机に置いた。昨日声が聞こえた、後ろから三番目の席の机だ。
午後六時を過ぎると、予想通り声が聞こえてきた。
「ありがとう……」
今度は感謝の言葉だった。しかし声は悲しそうで、まだ何か言いたそうだった。
「美織さんですね? 小野美織さん」
「はい……」
「なぜ教科書を返してほしかったんですか?」
「勉強……したいんです……」
「勉強?」
「中学を……卒業したかった……でも……できなくて……」
慎也の胸が締め付けられた。美織は学校を卒業できずに亡くなってしまったのだろう。だから教科書を求めて、この教室に現れたのかもしれない。
「美織さん、何があったんですか? なぜ学校をやめることになったんですか?」
しばらく沈黙があった。そして震える声で答えが返ってきた。
「いじめ……られてました……」
「いじめ?」
「クラスの子たちに……毎日……ひどいことを……言われて……」
美織の声は次第に小さくなっていく。
「教科書も……汚されて……破られて……だから新しいのを……買ってもらったけど……それも……」
「それも?」
「また破られて……もう嫌になって……」
慎也は拳を握りしめた。十年前にいじめの問題があったのか。なぜ教師たちは気づけなかったのだろう。
「先生たちは知っていたんですか?」
「言えませんでした……言ったら……もっとひどくされるから……」
「そうですか……」
美織の苦しみが慎也にも伝わってきた。一人で抱え込んで、最後は学校に来られなくなってしまったのだろう。
「美織さん、いじめていたのは誰ですか?」
「もう……いいんです……」
「でも……」
「もう……時効ですから……」
時効という言葉が妙にリアルだった。美織は大人になってから戻ってきたのかもしれない。
しかし次の瞬間、美織の声が変わった。優しい声から、恨みに満ちた声に。
「でも……許せないんです……」
「え?」
「私をいじめた子たち……今も幸せに生きてるんです……結婚して……子供もいて……」
慎也は不安になってきた。美織の声に憎しみがこもっている。
「だから……復讐したいんです……」
「復讐?」
「いじめっ子たちの子供が……今度はこの学校に来るんです……」
慎也は愕然とした。美織はいじめっ子の子供たちに復讐しようとしているのか。
「それは……よくないことです……」
「なぜですか!? 私は死ぬまで苦しんだんです! なのに彼らは幸せに生きて、子供まで作って!」
美織の声が教室中に響いた。怨念がこもった、恐ろしい声だった。
「子供たちに罪はありません」
「関係ありません! 親の罪は子が背負うんです!」
教室の温度が急に下がった。慎也の息が白くなる。
「美織さん、やめてください」
「もう遅いです……既に始まってるんです……」
「何が?」
「クラスの子たちが……一人ずつ……いなくなってるでしょう?」
慎也はハッとした。そういえば最近、生徒の不登校が増えている。理由もわからず、突然学校に来なくなる生徒が続出していた。
「まさか……あなたが……」
「私は毎晩、彼らの夢に現れます。いじめの記憶を見せるんです。私がされたことを、今度は彼らがされる夢を」
慎也の手が震えた。美織は生徒たちに呪いをかけているのだ。
「やめなさい! 生徒たちに何の関係もない!」
「あります! 血がつながってるんです! いじめっ子の血を引いてるんです!」
教室中の机と椅子が一斉にガタガタと音を立てた。美織の怒りが物理現象となって現れている。
「先生にもわかってもらいます……私の苦しみを……」
その瞬間、慎也の頭に激しい痛みが走った。頭の中に映像が流れ込んでくる。美織がいじめられている光景だった。
教科書を破られる美織。上履きに画鋲を入れられる美織。みんなの前で笑い者にされる美織。そして誰にも助けを求められずに、一人で泣いている美織。
「見えますか……私の記憶が……」
慎也は膝をついた。美織の苦痛が自分の体に流れ込んでくる。
「これが……十年間……続いてるんです……死んだ後も……」
映像は続く。美織が自分の部屋で首を吊る瞬間。発見されて運ばれる救急車。泣き崩れる両親。
「私は……もう……休みたいんです……でも……復讐が……終わるまで……」
慎也は必死に立ち上がった。
「美織さん! 復讐をやめれば休めるんですか?」
「……」
「生徒たちを許してください! 代わりに私が……私が何でもします!」
沈黙が続いた。そして美織の声が小さくなった。
「先生……本当に……何でも?」
「はい」
「じゃあ……先生が……私の代わりに……苦しんで……」
次の瞬間、慎也の体に激痛が走った。内臓が引きちぎられるような痛み。息ができない。手足が痺れる。
これが美織が十年間味わい続けている苦痛なのだろうか。
「美織さん……やめて……」
「嫌です……やっと……代わりが……見つかったんです……」
慎也の意識が朦朧としてきた。このままでは死んでしまう。
しかし突然、苦痛が止んだ。
美織の声が再び聞こえた。今度は泣いているような声だった。
「ごめんなさい……先生は……関係ないのに……」
「美織さん……」
「でも……もう疲れました……誰かを恨むのも……苦しむのも……」
教室に温かい光が差し込んできた。朝日だった。いつの間にか夜が明けていた。
「私……もう行きます……あの世に……」
「美織さん……」
「教科書……ありがとうございました……これで……勉強できます……」
光が強くなり、美織の声が遠ざかっていく。
「先生……生徒たちを……よろしく……お願いします……」
そして静寂が戻った。
慎也は床に倒れていたが、なんとか立ち上がった。机の上を見ると、濡れていた教科書が乾いている。そして名前欄に、美織の名前がはっきりと見えた。
その日から、不登校だった生徒たちが次々と学校に戻ってきた。悪夢が止んだのだという。
慎也は美織の教科書を職員室の金庫に保管した。そしてたまに取り出して、美織のために数学の問題を解いてみる。
きっと美織は今頃、あの世で勉強を続けているのだろう。中学校の卒業証書を手にして、安らかに眠っているに違いない。
しかし慎也の体には、あの夜の後遺症が残っていた。時々、理由もなく激しい痛みに襲われるのだ。美織の苦痛の一部を引き継いでしまったらしい。
それでも慎也は後悔していなかった。生徒たちを救えたのだから。
ただ一つ気になることがある。最近、新しく転校してきた生徒の中に、十年前のいじめっ子と同じ名字の子がいるのだ。
そしてその子の机の上に、時々濡れた教科書が置かれている。
新任教師として桜ヶ丘中学校に赴任した結城慎也は、二十五歳の熱血漢だった。生徒たちとの距離を縮めようと、放課後も教室に残って個別指導をしたり、部活動の応援に顔を出したりしていた。
赴任して三週間が過ぎた五月の雨の日、慎也は いつものように放課後の教室で翌日の授業準備をしていた。三年B組の担任として、受験を控えた生徒たちの指導に力を入れている。
午後六時を過ぎ、校舎内がすっかり静かになった頃、教室の後ろの方でかすかな音が聞こえた。ペラペラと紙をめくる音だった。
振り返ると、後ろから三番目の席の机の上に、何か濡れた物が置かれているのが見えた。近づいてみると、それは数学の教科書だった。雨に濡れたのか、ページ全体が湿っていて、文字がにじんでいる。
「おかしいな……」
放課後の清掃で机の上は全部片付けたはずだ。それに今日は誰も教科書を忘れていなかった。慎也は教科書を手に取った。重くて冷たい感触がした。
表紙を開いて名前欄を見ると、文字がにじんでいて読めない。しかし何か書かれているのはわかる。
「明日、落とし物として届けておこう」
慎也は教科書を職員室に持って行こうとした。その時、教室の扉の方から小さな声が聞こえた。
「返して……」
慎也は足を止めた。確かに誰かの声だった。子供の声、それも女の子の声だった。
「誰ですか? まだ学校にいるんですか?」
返事はない。しかし再び同じ声が聞こえた。
「返して……返して……」
声は教室の中から聞こえてくる。慎也は教室を見回したが、誰もいない。机や椅子があるだけの、普通の教室だった。
気のせいだろう。古い校舎だから、風の音が声のように聞こえたのかもしれない。慎也はそう自分に言い聞かせて職員室に向かった。
翌朝、慎也は朝のホームルームで落とし物について尋ねた。
「昨日、教室に数学の教科書が忘れてありました。心当たりのある人はいますか?」
生徒たちは顔を見合わせたが、誰も手を上げない。
「濡れて文字がにじんでいるので、名前がよく読めないんです」
慎也は教科書を見せた。すると前の席に座っている女子生徒・由良里奈が顔を青くした。
「先生、それ……」
「どうしたんですか、由良さん?」
「その教科書、私が使ってたのと同じです。でも私のは家にあります」
里奈は自分の鞄から同じ出版社の数学の教科書を取り出した。確かに同じものだ。
「同じ教科書を使っている人は他にもいるでしょう」
「はい、でも……」慎也の見せた教科書を指差して言った。「それ、中身が古くないですか? 今年から教科書が改訂されて、ページの構成が変わったんです」
慎也は改めて教科書を確認した。確かに古い版のようだった。
「古い教科書を誰かが忘れていったということですね」
しかし他の生徒たちも首を振る。誰も心当たりがないらしい。
その日の放課後、慎也は再び教室に残って仕事をしていた。昨日と同じ時間帯、午後六時を過ぎた頃、また同じ声が聞こえてきた。
「返して……返して……」
今度ははっきりと聞こえた。間違いなく教室の中からだ。
「誰ですか! 隠れてないで出てきてください!」
慎也は立ち上がって教室中を探した。机の下、ロッカーの中、カーテンの後ろ。しかし誰もいない。
声はまだ続いている。
「返して……私の教科書……返して……」
慎也はハッとした。昨日拾った教科書のことだろうか。
「もしかして、昨日の教科書のことですか?」
声が止まった。教室が静寂に包まれる。
「あの教科書はあなたのものなんですね? 名前を教えてください」
しばらくして、今度は別の場所から声が聞こえた。慎也の真後ろからだった。
「小野……美織……」
振り返ったが、やはり誰もいない。しかし確かに名前を聞いた。小野美織。
慎也は職員室に戻って、過去の生徒名簿を調べてみた。すると十年前の名簿に「小野美織」の名前を見つけた。当時中学三年生で、この学校の生徒だった。
しかし名簿の端に赤いペンで「行方不明」と書かれていた。
翌日、慎也は同僚の教師に小野美織について尋ねてみた。
「ああ、美織ちゃんね」ベテランの国語教師・田中が重い表情で答えた。「十年前に突然いなくなった子よ。ある日学校に来なくなって、家にもいなかった。警察も捜索したけど、結局見つからなかった」
「何か心当たりはあったんですか?」
「特に思い当たることはなかったわ。普通の子だったから。成績は中の上くらいで、友達もいて、部活も頑張ってた。ただ……」
「ただ?」
「最後に学校に来た日、教科書を全部机に置いて帰ったのよ。『もういらない』って言って。私たちは受験で疲れてるのかなと思ったけど、まさかそのまま……」
慎也は背筋が寒くなった。教科書を置いて消えた少女。そして十年後に現れた濡れた教科書。
その日の放課後、慎也は覚悟を決めて美織の教科書を元の机に置いた。昨日声が聞こえた、後ろから三番目の席の机だ。
午後六時を過ぎると、予想通り声が聞こえてきた。
「ありがとう……」
今度は感謝の言葉だった。しかし声は悲しそうで、まだ何か言いたそうだった。
「美織さんですね? 小野美織さん」
「はい……」
「なぜ教科書を返してほしかったんですか?」
「勉強……したいんです……」
「勉強?」
「中学を……卒業したかった……でも……できなくて……」
慎也の胸が締め付けられた。美織は学校を卒業できずに亡くなってしまったのだろう。だから教科書を求めて、この教室に現れたのかもしれない。
「美織さん、何があったんですか? なぜ学校をやめることになったんですか?」
しばらく沈黙があった。そして震える声で答えが返ってきた。
「いじめ……られてました……」
「いじめ?」
「クラスの子たちに……毎日……ひどいことを……言われて……」
美織の声は次第に小さくなっていく。
「教科書も……汚されて……破られて……だから新しいのを……買ってもらったけど……それも……」
「それも?」
「また破られて……もう嫌になって……」
慎也は拳を握りしめた。十年前にいじめの問題があったのか。なぜ教師たちは気づけなかったのだろう。
「先生たちは知っていたんですか?」
「言えませんでした……言ったら……もっとひどくされるから……」
「そうですか……」
美織の苦しみが慎也にも伝わってきた。一人で抱え込んで、最後は学校に来られなくなってしまったのだろう。
「美織さん、いじめていたのは誰ですか?」
「もう……いいんです……」
「でも……」
「もう……時効ですから……」
時効という言葉が妙にリアルだった。美織は大人になってから戻ってきたのかもしれない。
しかし次の瞬間、美織の声が変わった。優しい声から、恨みに満ちた声に。
「でも……許せないんです……」
「え?」
「私をいじめた子たち……今も幸せに生きてるんです……結婚して……子供もいて……」
慎也は不安になってきた。美織の声に憎しみがこもっている。
「だから……復讐したいんです……」
「復讐?」
「いじめっ子たちの子供が……今度はこの学校に来るんです……」
慎也は愕然とした。美織はいじめっ子の子供たちに復讐しようとしているのか。
「それは……よくないことです……」
「なぜですか!? 私は死ぬまで苦しんだんです! なのに彼らは幸せに生きて、子供まで作って!」
美織の声が教室中に響いた。怨念がこもった、恐ろしい声だった。
「子供たちに罪はありません」
「関係ありません! 親の罪は子が背負うんです!」
教室の温度が急に下がった。慎也の息が白くなる。
「美織さん、やめてください」
「もう遅いです……既に始まってるんです……」
「何が?」
「クラスの子たちが……一人ずつ……いなくなってるでしょう?」
慎也はハッとした。そういえば最近、生徒の不登校が増えている。理由もわからず、突然学校に来なくなる生徒が続出していた。
「まさか……あなたが……」
「私は毎晩、彼らの夢に現れます。いじめの記憶を見せるんです。私がされたことを、今度は彼らがされる夢を」
慎也の手が震えた。美織は生徒たちに呪いをかけているのだ。
「やめなさい! 生徒たちに何の関係もない!」
「あります! 血がつながってるんです! いじめっ子の血を引いてるんです!」
教室中の机と椅子が一斉にガタガタと音を立てた。美織の怒りが物理現象となって現れている。
「先生にもわかってもらいます……私の苦しみを……」
その瞬間、慎也の頭に激しい痛みが走った。頭の中に映像が流れ込んでくる。美織がいじめられている光景だった。
教科書を破られる美織。上履きに画鋲を入れられる美織。みんなの前で笑い者にされる美織。そして誰にも助けを求められずに、一人で泣いている美織。
「見えますか……私の記憶が……」
慎也は膝をついた。美織の苦痛が自分の体に流れ込んでくる。
「これが……十年間……続いてるんです……死んだ後も……」
映像は続く。美織が自分の部屋で首を吊る瞬間。発見されて運ばれる救急車。泣き崩れる両親。
「私は……もう……休みたいんです……でも……復讐が……終わるまで……」
慎也は必死に立ち上がった。
「美織さん! 復讐をやめれば休めるんですか?」
「……」
「生徒たちを許してください! 代わりに私が……私が何でもします!」
沈黙が続いた。そして美織の声が小さくなった。
「先生……本当に……何でも?」
「はい」
「じゃあ……先生が……私の代わりに……苦しんで……」
次の瞬間、慎也の体に激痛が走った。内臓が引きちぎられるような痛み。息ができない。手足が痺れる。
これが美織が十年間味わい続けている苦痛なのだろうか。
「美織さん……やめて……」
「嫌です……やっと……代わりが……見つかったんです……」
慎也の意識が朦朧としてきた。このままでは死んでしまう。
しかし突然、苦痛が止んだ。
美織の声が再び聞こえた。今度は泣いているような声だった。
「ごめんなさい……先生は……関係ないのに……」
「美織さん……」
「でも……もう疲れました……誰かを恨むのも……苦しむのも……」
教室に温かい光が差し込んできた。朝日だった。いつの間にか夜が明けていた。
「私……もう行きます……あの世に……」
「美織さん……」
「教科書……ありがとうございました……これで……勉強できます……」
光が強くなり、美織の声が遠ざかっていく。
「先生……生徒たちを……よろしく……お願いします……」
そして静寂が戻った。
慎也は床に倒れていたが、なんとか立ち上がった。机の上を見ると、濡れていた教科書が乾いている。そして名前欄に、美織の名前がはっきりと見えた。
その日から、不登校だった生徒たちが次々と学校に戻ってきた。悪夢が止んだのだという。
慎也は美織の教科書を職員室の金庫に保管した。そしてたまに取り出して、美織のために数学の問題を解いてみる。
きっと美織は今頃、あの世で勉強を続けているのだろう。中学校の卒業証書を手にして、安らかに眠っているに違いない。
しかし慎也の体には、あの夜の後遺症が残っていた。時々、理由もなく激しい痛みに襲われるのだ。美織の苦痛の一部を引き継いでしまったらしい。
それでも慎也は後悔していなかった。生徒たちを救えたのだから。
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そしてその子の机の上に、時々濡れた教科書が置かれている。
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