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第78話『山の手』怖さ:☆☆☆☆☆
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冬の山道をひとりで歩いていると、背中にひんやりとした手のひらを感じた。
振り返ったが、誰もいない。雪が降り始めた山奥で、俺は完全にひとりだった。
しかし、その冷たい感触は確かにあった。五本の指がはっきりと背中に触れている。大人の手だったが、異様に冷たく、まるで氷のようだった。
俺は山菜採りで山に入っていた。いつもの慣れた山道だったが、雪が思ったより早く降り始めて、急いで下山しようとしていたところだった。
手の感触は消えなかった。むしろ、だんだん強くなっていく。まるで誰かが俺の肩に手を置いて、一緒に歩いているような感覚だった。
俺は歩きながら携帯のカメラで自分の肩を撮影してみた。画面を見ると――そこに白い手が映っていた。
血の気が引いた。しかし、振り返っても誰もいない。カメラにだけ、その手は映っていた。
俺は慌てて山道を駆け下りた。しかし、その手は離れなかった。それどころか、もう一つの手が反対側の肩にも置かれた。
今度は右肩に、やはり冷たい手が。
携帯で撮影すると、両肩に白い手が映っていた。まるで誰かが俺の後ろから肩に手を置いているように。
俺は必死に走った。雪は激しくなり、視界が悪くなっていく。しかし、どんなに走っても、その手は離れなかった。
途中で足を滑らせて転んだ。雪の中で立ち上がろうとすると、今度は腰のあたりに複数の手を感じた。
携帯で確認すると、俺の体に四つ、五つの白い手が張り付いていた。まるで何人もの人間が俺にしがみついているように。
「助けて……」
微かに声が聞こえた。俺の耳元で、複数の声が重なって聞こえる。
「寒い……」
「帰りたい……」
「ひとりにしないで……」
俺は恐怖で声も出なかった。しかし、その声には切実な響きがあった。まるで本当に助けを求めているような。
雪が激しくなる中、俺はようやく山小屋を見つけた。管理人の小野さんがいるはずだった。
小屋に駆け込むと、小野さんが驚いた顔で俺を見た。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「背中に、手が……」
俺は携帯を見せた。しかし画面には、俺の姿しか映っていなかった。白い手は消えていた。
「疲れてるんだろう。温かいものでも飲んで落ち着け」
小野さんはコーヒーを入れてくれた。俺は安堵した。きっと山の寒さで幻覚を見ていたのだろう。
しかし、コーヒーを飲んでいるとき、小野さんが奇妙なことを言った。
「そういえば、この山では昔から『山の手』の話があるんだ」
俺は身を乗り出した。
「山の手?」
「この山で遭難して死んだ人たちの手が、生きている人間にしがみつくって話だ。一度つかまれると、一緒に山で死ぬまで離してくれないって」
俺の背中に、再び冷たい感触が戻ってきた。
「でも、それは迷信だ。気にするな」小野さんは笑った。
しかし、小野さんの肩にも、白い手が見えた。俺にだけ見える手が。
「小野さん、あなたの肩にも……」
小野さんの表情が変わった。笑顔が消えて、悲しそうな顔になった。
「君にも見えるのか。僕にも、ずっと見えているんだ」
小野さんは振り返った。そこには白い手だけでなく、ぼんやりとした人影が見えた。三人、四人の人影が小野さんにしがみついている。
「この山小屋の管理人になって十年。その間に、何人もの遭難者を見つけた。でも、みんな手遅れだった」
小野さんの声が震えていた。
「死んだ人たちは、寂しいんだ。だから生きている人間に触れていたい。でも、触れられた人間は、だんだん体温が奪われていく」
俺は自分の体温が下がっていくのを感じた。さっきまで温かかった体が、芯から冷えてきている。
「最初は背中だけだった。でも、だんだん増えていく。そして最後は……」
小野さんが振り返ると、その体は半分透明になっていた。
「僕も、もう向こう側に行く時間だ」
小野さんの体が薄くなっていく。そして、彼にしがみついていた人影たちも一緒に薄くなっていく。
「君も同じ道を辿ることになる。山の手につかまれた人間は、みんな同じ運命だ」
小野さんと人影たちが完全に消えた時、山小屋は急に寒くなった。まるで暖房が止まったように。
俺は外に出た。雪は止んでいたが、空は真っ暗だった。
携帯で自分を撮影すると、もう十数本の白い手が俺の体に張り付いていた。腕、足、頭、すべてに冷たい手が。
「一緒にいよう……」
「ひとりは寂しい……」
「もう離さない……」
声が俺の頭の中に響く。死んだ人たちの声だった。この山で遭難して死んだ、たくさんの人たちの。
俺の体温はどんどん下がっていく。指先の感覚がなくなってきた。
俺は山道を歩き始めた。もう下山しようとは思わなかった。下山する気力も、体温も残っていない。
代わりに、山の奥へ向かった。みんなが待っている場所へ。
歩きながら、俺も誰かの手を求めるようになった。この寒さの中で、ひとりでいるのは辛すぎる。
俺は山を彷徨う他の人を探し始めた。
生きている人を。
その人の肩に手を置いて、一緒にいてもらうために。
山の寒さを分かち合うために。
俺の手も、今では冷たく白くなっている。
誰かの背中に触れるのを待ちながら、俺は山の中を歩き続けている。
新しい仲間を探しながら。
振り返ったが、誰もいない。雪が降り始めた山奥で、俺は完全にひとりだった。
しかし、その冷たい感触は確かにあった。五本の指がはっきりと背中に触れている。大人の手だったが、異様に冷たく、まるで氷のようだった。
俺は山菜採りで山に入っていた。いつもの慣れた山道だったが、雪が思ったより早く降り始めて、急いで下山しようとしていたところだった。
手の感触は消えなかった。むしろ、だんだん強くなっていく。まるで誰かが俺の肩に手を置いて、一緒に歩いているような感覚だった。
俺は歩きながら携帯のカメラで自分の肩を撮影してみた。画面を見ると――そこに白い手が映っていた。
血の気が引いた。しかし、振り返っても誰もいない。カメラにだけ、その手は映っていた。
俺は慌てて山道を駆け下りた。しかし、その手は離れなかった。それどころか、もう一つの手が反対側の肩にも置かれた。
今度は右肩に、やはり冷たい手が。
携帯で撮影すると、両肩に白い手が映っていた。まるで誰かが俺の後ろから肩に手を置いているように。
俺は必死に走った。雪は激しくなり、視界が悪くなっていく。しかし、どんなに走っても、その手は離れなかった。
途中で足を滑らせて転んだ。雪の中で立ち上がろうとすると、今度は腰のあたりに複数の手を感じた。
携帯で確認すると、俺の体に四つ、五つの白い手が張り付いていた。まるで何人もの人間が俺にしがみついているように。
「助けて……」
微かに声が聞こえた。俺の耳元で、複数の声が重なって聞こえる。
「寒い……」
「帰りたい……」
「ひとりにしないで……」
俺は恐怖で声も出なかった。しかし、その声には切実な響きがあった。まるで本当に助けを求めているような。
雪が激しくなる中、俺はようやく山小屋を見つけた。管理人の小野さんがいるはずだった。
小屋に駆け込むと、小野さんが驚いた顔で俺を見た。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「背中に、手が……」
俺は携帯を見せた。しかし画面には、俺の姿しか映っていなかった。白い手は消えていた。
「疲れてるんだろう。温かいものでも飲んで落ち着け」
小野さんはコーヒーを入れてくれた。俺は安堵した。きっと山の寒さで幻覚を見ていたのだろう。
しかし、コーヒーを飲んでいるとき、小野さんが奇妙なことを言った。
「そういえば、この山では昔から『山の手』の話があるんだ」
俺は身を乗り出した。
「山の手?」
「この山で遭難して死んだ人たちの手が、生きている人間にしがみつくって話だ。一度つかまれると、一緒に山で死ぬまで離してくれないって」
俺の背中に、再び冷たい感触が戻ってきた。
「でも、それは迷信だ。気にするな」小野さんは笑った。
しかし、小野さんの肩にも、白い手が見えた。俺にだけ見える手が。
「小野さん、あなたの肩にも……」
小野さんの表情が変わった。笑顔が消えて、悲しそうな顔になった。
「君にも見えるのか。僕にも、ずっと見えているんだ」
小野さんは振り返った。そこには白い手だけでなく、ぼんやりとした人影が見えた。三人、四人の人影が小野さんにしがみついている。
「この山小屋の管理人になって十年。その間に、何人もの遭難者を見つけた。でも、みんな手遅れだった」
小野さんの声が震えていた。
「死んだ人たちは、寂しいんだ。だから生きている人間に触れていたい。でも、触れられた人間は、だんだん体温が奪われていく」
俺は自分の体温が下がっていくのを感じた。さっきまで温かかった体が、芯から冷えてきている。
「最初は背中だけだった。でも、だんだん増えていく。そして最後は……」
小野さんが振り返ると、その体は半分透明になっていた。
「僕も、もう向こう側に行く時間だ」
小野さんの体が薄くなっていく。そして、彼にしがみついていた人影たちも一緒に薄くなっていく。
「君も同じ道を辿ることになる。山の手につかまれた人間は、みんな同じ運命だ」
小野さんと人影たちが完全に消えた時、山小屋は急に寒くなった。まるで暖房が止まったように。
俺は外に出た。雪は止んでいたが、空は真っ暗だった。
携帯で自分を撮影すると、もう十数本の白い手が俺の体に張り付いていた。腕、足、頭、すべてに冷たい手が。
「一緒にいよう……」
「ひとりは寂しい……」
「もう離さない……」
声が俺の頭の中に響く。死んだ人たちの声だった。この山で遭難して死んだ、たくさんの人たちの。
俺の体温はどんどん下がっていく。指先の感覚がなくなってきた。
俺は山道を歩き始めた。もう下山しようとは思わなかった。下山する気力も、体温も残っていない。
代わりに、山の奥へ向かった。みんなが待っている場所へ。
歩きながら、俺も誰かの手を求めるようになった。この寒さの中で、ひとりでいるのは辛すぎる。
俺は山を彷徨う他の人を探し始めた。
生きている人を。
その人の肩に手を置いて、一緒にいてもらうために。
山の寒さを分かち合うために。
俺の手も、今では冷たく白くなっている。
誰かの背中に触れるのを待ちながら、俺は山の中を歩き続けている。
新しい仲間を探しながら。
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