68 / 178
第二章 魔法使いの追憶
2‐12
しおりを挟む
ヨハンの部屋へと駆けていくカナタを見送ると、今度は入れ替わるように長い黒髪を揺らしながらエレオノーラがその場に現れた。
彼女は今日も会議に出席するために紺色の地味な、その上で決して王族としての華を失うことはないロングスカートのドレスを身に纏い、その豊かな胸を組んだ腕の上に乗せるようにして、ジトっとした目でヨハンを見ていた。
「エレオノーラ様。どうしましたか?」
「前々から思っていたのだが、ヨハン殿は少しカナタに対して甘いのではないか?」
「……否定はしませんが、特に問題のあることではないでしょう」
柔らかい脇腹を突かれて、これ以上の追及を避けるためにその場を立ち去ろうとすると、エレオノーラも後を付いてくる。
「それはそうなのだが……。そなた、その優しさをもう少し妾へも分け与えるわけにはいかなないか? そうだな、具体的には今日の会議を全て肩代わりしてくれるとか」
「いいわけないでしょう」
「あう」
くるりと回り込むエレオノーラの頭をぽこんと軽く叩く。
ついやってしまったことだが、叩きやすいところにエレオノーラが頭を持って来ているようにしか思えないほどに絶妙な位置にあった。
「ふふっ。王族にこうも簡単に手を上げられるのはこのオルタリアではヨハン殿ぐらいのものだな。妾もまた、それを許す唯一であろう」
「だから何だ……?」とは思っても口には出さない。
二人は廊下を歩きつつ、エレオノーラの希望は全く無視して、今日の会議の最終打ち合わせをしていた。
「なるほど。最終的な目的としてはエトランゼの保護のために、オルタリア南方を譲り受けるという形にすればいいわけだな?」
「はい。結局のところ、ヘルフリート陛下の政策では排斥したエトランゼの具体的な処遇は何一つ決定されていません。それをこちらで保護するという名目ならばおかしくもないかと」
「妾が言うのもなんだが……。それにしては随分と広大な領地ではないか?」
「ついでに未開拓の領地を解放し、更なる国力の増強に努める。それ自体は悪いことではありません。それに場合によっては領地の狭い貴族に分け与えてもいいのです」
「なるほど! それを条件にしてこちらの味方に付く貴族を増やすわけか!」
ヨハンが頷くと、エレオノーラも満足そうにそれに習った。どうやら、自分で答えを出せたのが嬉しいらしい。
そのために必要なことを幾つか話しあうと、急にエレオノーラは声のトーンを変える。
「なぁ、ヨハン殿。先程の話だが、そなたはカナタについてどう思っている?」
「どうもこうも……」
適当に誤魔化そうとして、それを躊躇った。
こちらを見上げているエレオノーラの顔は強張り、ヨハンの答えを聞き逃すまいと待ち構えていた。
「……あいつは、まだ子供です。エレオノーラ様のように信念があるわけでもない、ただやりたいようにやっているだけ。エトランゼとして、それが悪いこととは思えません。俺には」
「……だが、英雄だ」
「小さな英雄でしょう?」
「オル・フェーズに来てからというもの、民や若い貴族達が妾に対して贈り物をしてくれることが増えた。今日も既に何件もの訪問客が訪れている。……それ自体は実にありがたいことだ」
言葉を切って、エレオノーラはその中にある一つの事実を告げる。
「ほんの少し、十あれば一。百あれば十程度の数ではあるが、そこには小さな英雄宛の贈り物も含まれているのだ」
それ自体は嬉しいことだ。カナタがしたことが認められているのなら、ウァラゼルに立ち向かうという勇気を見せた彼女に対しての何よりの報酬となる。
それでも何処か浮かない顔をするエレオノーラの内心を、ヨハンは理解していた。
英雄になる。
英雄にされてしまう。
本人の意思に関わらず。
それが意味するところを、ヨハンはよく知っていた。
その贈り物はお礼であり、人々の善良な心であり、彼女に英雄であり続けてほしいという無辜なる願いだ。
そしてその願いは重なり、英雄は英雄であり続ける。
願いは重圧となって英雄を押し潰す。
やがて英雄は倒れ、人々の記憶からは消えていく。
何処かの誰かがそうであったように。
「……大丈夫でしょう」
それは、ヨハンらしからぬ言葉だった。
頭の中で嫌な靄がかかっているにも関わらず、その原因を探ることもせずにただ闇雲に言葉を発した。
その場しのぎの誤魔化しなどは、今のヨハンの立場では最もやってはならないものだと判っていながら。
それ以上はエレオノーラも何も言わなかった。
何よりも、二人には今日挑まなければならない戦場がある。三度目のヘルフリートとの対峙で彼を言い負かし、ここに来た目的を果たさねばならない。
カナタのことは今しばらく保留でもいいだろう。そうすぐに悪いことが起きるはずもない。
そうして封じ込めた嫌な予感を、ヨハンは後悔することになる。
彼女は今日も会議に出席するために紺色の地味な、その上で決して王族としての華を失うことはないロングスカートのドレスを身に纏い、その豊かな胸を組んだ腕の上に乗せるようにして、ジトっとした目でヨハンを見ていた。
「エレオノーラ様。どうしましたか?」
「前々から思っていたのだが、ヨハン殿は少しカナタに対して甘いのではないか?」
「……否定はしませんが、特に問題のあることではないでしょう」
柔らかい脇腹を突かれて、これ以上の追及を避けるためにその場を立ち去ろうとすると、エレオノーラも後を付いてくる。
「それはそうなのだが……。そなた、その優しさをもう少し妾へも分け与えるわけにはいかなないか? そうだな、具体的には今日の会議を全て肩代わりしてくれるとか」
「いいわけないでしょう」
「あう」
くるりと回り込むエレオノーラの頭をぽこんと軽く叩く。
ついやってしまったことだが、叩きやすいところにエレオノーラが頭を持って来ているようにしか思えないほどに絶妙な位置にあった。
「ふふっ。王族にこうも簡単に手を上げられるのはこのオルタリアではヨハン殿ぐらいのものだな。妾もまた、それを許す唯一であろう」
「だから何だ……?」とは思っても口には出さない。
二人は廊下を歩きつつ、エレオノーラの希望は全く無視して、今日の会議の最終打ち合わせをしていた。
「なるほど。最終的な目的としてはエトランゼの保護のために、オルタリア南方を譲り受けるという形にすればいいわけだな?」
「はい。結局のところ、ヘルフリート陛下の政策では排斥したエトランゼの具体的な処遇は何一つ決定されていません。それをこちらで保護するという名目ならばおかしくもないかと」
「妾が言うのもなんだが……。それにしては随分と広大な領地ではないか?」
「ついでに未開拓の領地を解放し、更なる国力の増強に努める。それ自体は悪いことではありません。それに場合によっては領地の狭い貴族に分け与えてもいいのです」
「なるほど! それを条件にしてこちらの味方に付く貴族を増やすわけか!」
ヨハンが頷くと、エレオノーラも満足そうにそれに習った。どうやら、自分で答えを出せたのが嬉しいらしい。
そのために必要なことを幾つか話しあうと、急にエレオノーラは声のトーンを変える。
「なぁ、ヨハン殿。先程の話だが、そなたはカナタについてどう思っている?」
「どうもこうも……」
適当に誤魔化そうとして、それを躊躇った。
こちらを見上げているエレオノーラの顔は強張り、ヨハンの答えを聞き逃すまいと待ち構えていた。
「……あいつは、まだ子供です。エレオノーラ様のように信念があるわけでもない、ただやりたいようにやっているだけ。エトランゼとして、それが悪いこととは思えません。俺には」
「……だが、英雄だ」
「小さな英雄でしょう?」
「オル・フェーズに来てからというもの、民や若い貴族達が妾に対して贈り物をしてくれることが増えた。今日も既に何件もの訪問客が訪れている。……それ自体は実にありがたいことだ」
言葉を切って、エレオノーラはその中にある一つの事実を告げる。
「ほんの少し、十あれば一。百あれば十程度の数ではあるが、そこには小さな英雄宛の贈り物も含まれているのだ」
それ自体は嬉しいことだ。カナタがしたことが認められているのなら、ウァラゼルに立ち向かうという勇気を見せた彼女に対しての何よりの報酬となる。
それでも何処か浮かない顔をするエレオノーラの内心を、ヨハンは理解していた。
英雄になる。
英雄にされてしまう。
本人の意思に関わらず。
それが意味するところを、ヨハンはよく知っていた。
その贈り物はお礼であり、人々の善良な心であり、彼女に英雄であり続けてほしいという無辜なる願いだ。
そしてその願いは重なり、英雄は英雄であり続ける。
願いは重圧となって英雄を押し潰す。
やがて英雄は倒れ、人々の記憶からは消えていく。
何処かの誰かがそうであったように。
「……大丈夫でしょう」
それは、ヨハンらしからぬ言葉だった。
頭の中で嫌な靄がかかっているにも関わらず、その原因を探ることもせずにただ闇雲に言葉を発した。
その場しのぎの誤魔化しなどは、今のヨハンの立場では最もやってはならないものだと判っていながら。
それ以上はエレオノーラも何も言わなかった。
何よりも、二人には今日挑まなければならない戦場がある。三度目のヘルフリートとの対峙で彼を言い負かし、ここに来た目的を果たさねばならない。
カナタのことは今しばらく保留でもいいだろう。そうすぐに悪いことが起きるはずもない。
そうして封じ込めた嫌な予感を、ヨハンは後悔することになる。
0
あなたにおすすめの小説
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
もしかして寝てる間にざまぁしました?
ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。
内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。
しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。
私、寝てる間に何かしました?
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる