上 下
71 / 178
第二章 魔法使いの追憶

2‐15

しおりを挟む
 アツキに案内されてオル・フェーズの街の中を進んでいくと、次第に人通りが少なくなってくる地域に差し掛かった。

 その場所が何処であるかカナタには判らないが、アーデルハイトにはどうやら理解できたようで、微妙に顔を顰めている。


「……ここ、エトランゼ街よね?」


 幾つかの路地を曲がった先にあるそこはそれまでの背の高い建物は見えず、木製の長屋のような共用家屋が並び、地面に座り込む者、倒れ込んでいる者、そしてそれらとは対照的に子供同士で楽しく遊んでいる姿もあった。


「エトランゼ街?」

「名前の通りね。税金を支払えない、けど理由があって外に出ていくこともできないエトランゼ達はここで暮らしているわ。それも違法なのだけど、人情によって見逃されているような形で」


 悪臭というほどではないが、家の方からは異臭も漂って来て、アーデルハイトは眉を顰めている。


「隠れるにはここが一番でござる。かくいう小生も仕事を失ってエトランゼ街に放り込まれたところをリーダーによって救われたでござるからね」

「それを裏切るのってどうなの?」


「ふひひっ!」

 隣を歩くアーデルハイトに、カナタは一つ気になったことを尋ねることにした。


「アーデルハイトさんは、やっぱりエトランゼのことあんまり好きじゃない?」

「そんなことはないわ。むしろエトランゼ全般にはどちらかと言えば好意を持っているもの。彼等の持っている技術や知識は、きっとこの国の生活を変えられる……ただ、やっぱりこういう場所はちょっと、ね」

「あー……」


 少しばかり申し訳なさそうに、アーデルハイトはそう答えた。

 その気持ちはカナタにも判る。治安が悪いわけではないだろうが、無気力な人々が横たわるこの街の空気は決してよくはない。

 じろじろと、カナタとアーデルハイトを人々の視線が捉える。

 それは小奇麗な格好をした二人を羨むようであり、なにしにこんなところに来たと敵意を向けるようであり、何よりも救いを求めていた。

 もし、ここにいる全員から助けを求められたらカナタはどうするだろうか?

 エレオノーラならば、全員を救うことができるのだろうか。

 そんな栓無きことを考えていると、急にアツキが立ち止まる。

 目の前にあったのは木製の建物の中で一際目立つ、石造りの二階建ての建造物だった。二階の窓から一瞬誰かがこちらを見たが、すぐに興味を失ったのかすぐに窓際から離れていく。


「ここでござる」

「なんなの、ここは?」

「小生達の事務所でござる。殆ど国の手が入らないエトランゼ街の厄介事を引き受け、金を得ているでござるよ。例えば、エトランゼ同士の揉め事とか、金の貸し借りとかね」


 要は非合法な警察といったところだろうか。カナタはそう納得することにした。


「では征くでござる! 突撃でござる! 敵は本能寺にありでござる!」

「おー! って……流石に正面からはやだよ!」

「ふひっ。流石に冗談でござるよ。小生がカナタちゃんも仲間になったと騙して奥に連れていくから、その間に研究資料を取り戻せばいいでござろう」

「ん、うーん……。それならまぁ」

「そもそもわたしは貴方を信用していないのだけど?」

「えー、じゃあどうするの?」

「別に二人で行く必要もないでしょう? わたしは外で待機して、何かあったら合図を貰えれば貴方を助けに行くわ」

「んー……。でも、一人で大丈夫?」

「問題ないわ。今日は昨日と違って色々と武装を用意して来ているもの。こう見えても、一人で一魔法大隊程度の火力なら賄えるのよ?」


 誇らしげに語り、両腕の広がった袖からは片方から投擲用と思しき短槍、もう片方からは先程アツキの尻に突き刺した枝が何本も出てきてアーデルハイトの手に握られる。


「そのローブの袖とか懐とかにアイテムを入れるのって流行りなの?」


 その姿になんとなく、ヨハンを思い出してカナタはそう尋ねた。


「……そんなことはないと思うけど。そもそもこれ自体が特注品のようなものだし」


 厳密にはヨハンは魔法使いではないし、偶然なのだろうか。

 そういえば、何となくではあるが話しているリズムというか、雰囲気もどことなくヨハンを思い出す。だからこそ多少の無茶な我が儘を言ってしまうのだ。

 それ以上何かを言及することもなく、似たような人もいるものだぁとか、可愛らしい見た目なのにヨハンのような性格になったら残念だなぁとか、そんなどうでもいいことを考えていた。


「でも、どうしてボクを連れて帰ろうとしたのに武器を持って来たの?」

「……それは黙秘するわ」

「ふひひっ、なんだかんだで無茶を言いだしたら手伝うつもりだってござるか? いやぁ、ツンデレですなぁ。よきかなよきかな。あひぃ!」


 再度炎を纏った枝が投げつけられた。


「で、ではでは今度こそ征くでござるよ!」


 その前にと、カナタは肩から掛けていたカバンの中身をごそごそと漁り、二つ何かを取り出した。


 一つ目は瓶に入った薬品。


「これ、なんか魔法力を回復させる薬らしいんだけど……。副作用で戦いが終わると体調が悪くなるって」

「絶妙に使い辛いものを渡されても」

「いいから、一応持っておいてよ。もし怪我したらこっちもあるよ」


 今度は薄紅色の液体が入った小瓶だった。液体というには若干、粘度があるようにも見える。


「エリクシール(未完成品)って書いてある。どんな怪我でもたちどころに治す……多分、だって」

「むしろ未完成品とはいえエリクシールを持っていることが驚きなのだけど。……未だに学院の研究室でも手が届かない代物よ、それ」

「それからそれから。いざとなったらこれで音を出すからね」


 掌ぐらいの大きさの球体は栓を抜いて投げつけると、炸裂することで魔法効果を辺りに撒き散らす。カナタが持っているものは少しばかり他と違って、魔法の代わりにドラゴンの咆哮を響かせるものだった。


「いや、ドラゴンの咆哮って……。そんなもの街中で破壊したら大参事よ」


 ドラゴンの咆哮は音にも関わらず圧を持ち、触れる者の身体と精神を破壊する。


「子供の奴だから大丈夫みたいだよ。大きな音が出るだけっぽいね」

「なんで何から何まで微妙に使い辛そうな物ばっかり持ってるのよ」

「さぁ……。ボクも貰ったものだから何とも……」


「あはは」と笑って、改めてカナタはアツキに向き直った。


「さあ、準備は万端。行こう!」

「あの。もしそのドラゴンの咆哮を至近距離で炸裂させられたら小生の鼓膜はどうなるでござる?」

「大丈夫大丈夫! 使う前には一言いうから!」


 何とも頼りない、信憑性のない言葉を受けて一応は安心したのか、カナタとアツキはその建物の中へと入っていく。

 完全に扉が閉まってから、残されたアーデルハイトはカナタに渡された二つの小瓶を見比べた。

 絶妙なまでに使い辛い、何処かセンスのずれた道具の数々。

 道具を収納できるように改造された手作りのローブ。

 それらの符号は、カナタに取ってそうであったようにアーデルハイトにも一人の人物を思い起こさせていた。

 子供の頃に過ごした、心地よいある日々を。

 しかし、今のアーデルハイトはもう違う。あの時の自分ではない。

 裏切られて、見捨てられた。だからもしその人物が目の前に現れたら、どうするかも判らない。

 或いはそのために磨いてきた力を使って、殺してしまうかも知れない。

 ぐっと短槍を握る手に力が入っていたことに気がついて、アーデルハイトは微笑を浮かべながら力を抜いた。


「そんなわけはない」


 何度も想像して首を横に振ったそれは、今日も同じだ。

 何よりももう、その二人が出会うことはないだろう。

 道を違えたのだから。少なくとも彼は、アーデルハイトと共に進む道を選ばなかった。

 ふと、思考の深みからアーデルハイトは意識を戻す。

 気が付けばカナタに中に入って随分と時間が経っていた。

 ばれるなり、成功するなり、諦めるにしてもそろそろ何らかの反応があってもおかしくはないはずだ。

 せめて入り口の中だけならば様子を確認しても問題ないだろうと、アーデルハイトはその扉に手を掛ける。

 その首筋に冷たいものが押しあてられたのは、それと全く同じタイミングだった。


「よっ。昨日ぶりだね、お嬢さん」


 昨日、屋根の上からアーデルハイト達を狙った男がそこにいた。一切の気配もなく、何処から現れたのか足音を一つ聞こえず。


「爆弾、びっくりしたろ? これで二度目のびっくりだ」

「貴方、何者?」


 何もしていなかったわけではない。

 アーデルハイトは、もし敵が襲撃して来ても大丈夫なように、魔法による自動迎撃を展開していた。

 殆ど目に見えないような小さな宝石を浮かべて、アーデルハイトに敵意があればそれが自動攻撃する仕組みだ。

 男はそれを掻い潜った。ほんの僅かな死角を的確に縫って、アーデルハイトの背後を取っていた。


「今はあの変な人達の雇われさ。元々の職業はまぁ、アサシンってやつだな」


 その響きに、アーデルハイトの背筋に寒いものが走った。

 相手は本物だ。

 本物の、殺しの達人。


「今頃中でも片が付いてるよ。俺の仕事はアンタをエスコートすること」

「どんなおもてなしを?」

「強がんなくていいぞ。声、震えてるの判るし。まぁ、敵地に侵入して間抜けにも捕まるってことは、ろくなことにはならないんじゃねーか?」


 淡々と、男はそう告げた。
しおりを挟む

処理中です...