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第二章 魔法使いの追憶

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 部屋を追いだされた二人は、その扉の外で手持無沙汰にしていたヨウコを連れて人気のない中庭にやって来ていた。

 アーデルハイトの案内で訪れたのその場所は学内でも外れの方にあり、特に整備もされていない芝生が伸びっぱなしになっている。

 恐らくはエトランゼであるために居心地が悪そうにしているヨウコに気を遣って、アーデルハイトはわざわざこの場所を選んでくれたのだろう。


「それじゃあ、わたしは一度戻るわ。何処かの誰かさんに朝早くに叩き起こされたんだもの。もう一眠りしたいわ」


 カナタが何かを言う前に、不機嫌そうにアーデルハイトはその場から立ち去っていく。


「あの、お友達はよかったんですか?」

「あはは……。ちょっと今日は朝早く起こしちゃったんで、機嫌悪かったみたいです」


 改めてヨウコの顔を見ると苦労しているのか、美人ではあるものの所々皺が刻まれ、くたびれた様子が見える。


「シノ君の足、治るといいですね。生まれつきですか?」

「エトランゼの排斥活動の時に武器を持って追い立てられた人波に潰されて。ちょっと前までは歩くこともできなかったんですよ」


 ヘルフリートが王位についてから、金も力もないエトランゼは途方に暮れるしかなかった。力による迫害を受けて、住む場所を追われていった。

 元々強いギフトを持っていなければまともに生きていくことも難しいエトランゼにとって、それがどれほどの痛みになったのか、想像もできない。


「でも、ブルーノさんが助けてくれました。エトランゼ街を見回って、身体が不自由になってしまった人にずっと手を差し伸べていたらしいです」

「……凄い、ですね」


「本人は研究のために弱者を利用しているだけで、褒められた行為ではないって言っていましたけど、彼のおかげで助かった人もいるし、シノも歩けるようになりました」

 そこで一度、会話が途切れた。

 中庭を囲う建物の各所からは、生徒達の声や教師が授業をする声が途切れ途切れにここまで聞こえてくる。

 その中にあって、カナタとヨウコは間違いなく異邦人だった。魔法を学ぶことはない、ギフトを持ったエトランゼ。


「カナタさんは、強いギフトをお持ちなのですね」

「……はい。全然、自慢できることじゃないですけど」


 そんなものは所詮、人から貰ったものだ。

 全然誇れるものではない。それも、今のブルーノ教授の話を聞いた後ならばなおさら。


「羨ましいです。そのギフトが。わたしのギフトは弱くて、何の役にも立たなくて、苦労ばかりしてきました」


 掛ける言葉もない。その苦労はカナタもよく判るが、今ここでそれを言ったところで決して納得はしてくれないだろう。

 それに、カナタにはギフトはなかったがヨハンがいた。最初に彼と出会えていなかったら、カナタもどうなっていたかは判らない。


「でも、シノ君はお母さんのことを想いやれる、優しい子だと思います」


 そんなものはただの欺瞞で、誤魔化しに過ぎないが。

 それでも、カナタはそう口にするしかなかった。


「右も左も判らない世界で、シノ君を生んで真っ直ぐに育ててあげたことは、ギフトなんかの何倍も凄いと思いますよ」


 それは本心からの言葉だが、きっとヨウコが望むものではない。

 彼女はどうしようもないものを求めているのだから。


「そう、ですね」

「足が治ったら、あの子と一緒に遊んでもいいですか? ボク、もうすぐここを離れちゃいますけど、きっと会いに来ますから」

「ええ、お願いします。きっとあの子も喜びます」


 そう言って、ヨウコは不器用ながらも微笑んでくれた。

 ようやく彼女から笑顔を引きだすことができたと、カナタは小さな満足感を得る。

 シノはきっと足が治り、ヨウコと慎ましやかな暮らしをするだろう。もし機会があればイシュトナルに来てもらうのもいいかも知れない。

 そのためにカナタができることは何でもするつもりだった。こういうのも、何かの縁というやつなのだから。
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