彼方の大地で綴る【四章まで完結済み】

しいたけ農場

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第二章 魔法使いの追憶

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 薄暗い室内にカナタの荒い息を吐く声が響く。

 小さな灯りが照らすのは、血塗れの少女。そしてその周囲に折り重なる幾つもの、キメラ達の死体。

 光の剣を携えた少女は、無数に襲いくるキメラの尽くを斬り払い、倒していた。

 そして今、最後の一匹が目の前で崩れ落ちる。

 双頭の獣から光の剣が引き抜かれ、その持ち主であるカナタの意志によって、まるで最初からなかったかのように霧散して消える。

 奇妙な違和感があった。

 果たして自分はこんなに強かっただろうか。

 例えセレスティアルが使えたとしても、カナタは自分の実力を過大評価していない。精々一匹や二匹を倒したところで力尽きると思っていた。だから序盤は温存して時間稼ぎに徹しようとしたが、敵の勢いは予想以上でそれもできなかった。

 だから、仕方なく途中からなるようになるの精神で戦った。

 全力稼働でセレスティアルを展開し続けたにも関わらず、未だカナタは余力を残している。


「……まさか、ボクの未知なる力が覚醒した? ……なんてね」

「いやいや。そうも知れないよ、エトランゼ君。僕の見立てでは君のその力は感情に比例して力を増しているようにも見える。……それほどにまで、僕のことが憎かったということかな?」

「……それが本当かどうかは別として、貴方にはボクと来てもらうよ!」

「はははっ。この期に及んで僕を殺さないのかい? 君は優しいね」


 全身を濡らす血を振り払って、カナタはブルーノ教授に近付いていく。

 途中、足元で蠢く肉片があるがそれを気に止めることもない。

 この男を野放しにしておくわけにはいかない。この研究をやめさせなければ、また多くのエトランゼが犠牲になる。


「いやしかし素晴らしい。君は自らを持って証明してくれたわけだよ。僕の仮説が正しかったことを。……君達エトランゼが、如何に化け物であるかを」


 その言葉には最早、耳は傾けない。

 こんな気持ち悪い時間も彼を捕まえれば全てが終わる。

 そうしたら地上に戻って、きっと無事だったアーデルハイトに謝って、それから。

 ブルーノ教授の冷え込んだ声が、カナタのそんな楽観した思考を打ち消した。


「やはり化け物は化け物で倒すとしよう」


 ブルーノ教授の手の中で、また何か魔法は発動する。

 それまで閉じられていた背後の扉が開き、そこから誰かが靴音を鳴らして入って来る。


「ヨウコさん!? それにシノ君も!」


 どうやらシノは眠っているようで、ヨウコがその身体を抱えるようにしている。

 そうしてヨウコはブルーノ教授とカナタの間辺りまで歩いてくると、身を屈めてシノの身体を横たえた。


「なに、してるの? ヨウコさん、ここは危険だから、シノ君を連れて早く逃げてよ!」

「……これで、全てが終わるんですね。先生」

「ああ、そうだ。これで全てが楽になる。その後のことは僕に任せておいてくれ」


 二人のやり取りの意味が判らない。

 ただヨウコは何かを納得したようで、そして何よりも。

 彼女がシノを見る目が、余りにも冷たくて。

 親が子にするような顔ではないと、カナタにはそう見えた。


「どういうこと? シノ君に何をしたの!?」

「アーデルハイト君の件で話が遮られてしまったからね。まったく、無粋なことだ。判ってるだろう、彼は第二世代のエトランゼだ」


 ブルーノ教授がその先を口にする。

 もう答えは判っていた。それでも、その言葉は余りにも衝撃が強すぎた。


「彼のギフトを目覚めさせて驚いたよ。実に特異で、強力だ。そして何よりもそれは君の光のように自分の意思で発動させるものではなく、身近で条件が揃えば勝手に起動する。つまりは――」


 赤い光がブルーノ教授の手の中に灯る。

 シノの身体が地面から弾むように何度も痙攣し、盛り上がった皮膚を貫くように、その下から黒い甲殻のような身体が全身を覆って行く。


「――理性を失ってしまう、キメラに変えるには最高の逸材だったということだ」


 顔まで覆い尽くしたその姿は、以前にも見たことのあるあの怪物のものだ。


「あああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!」


 両目が見開き、シノが目覚める。

 絶叫のような声が響き、その音波だけで周囲の実験器具が破壊され、また周囲に転がっているキメラの死体達がまるでずるずると引っ張られるようにそこに引き寄せられる。


「な、なに……? なんだよ、これ? なんでおれの身体……こんな風に……!」


 状況が判らず、シノは戸惑いながらも自らに訪れた恐ろしい変化に対して抵抗していた。


「おれ、やだ……! やだよ! 怪物になんてなりたくない……! カナタ姉ちゃんみたいに、みんなを……母さんを護るんだから……!」


 身体は異形になっても、目覚めた心は人間の物だった。

 その声を聞いてブルーノ教授は予想外のことに、目を白黒させている。

 本来ならばキメラと化した時点で理性はなくなり、ブルーノ教授の魔法による命令しか受け付けないはずだった。

 それが何故か、意識を保っている。果たしてそれは彼が第二世代のエトランゼだからか、それとも目の前にいる少女が何か関係しているのか。

 少なくとも今の時点では何一つ判らない。ただこれでブルーノ教授が確信していた勝利が遠ざかったのは紛れもない事実だった。


「……このままじゃ……駄目だよ! ヨウコさん! シノ君に呼びかけてあげて! まだ理性を失う前なら……!」

「カ、ナタ……姉ちゃん……! おれ……!」


 異形と化していく中で、少年の声がカナタを呼ぶ。

 それはまるで自分でなくなることに抗っているようで。

 もしかしたら、まだ言葉でシノが変わってしまうのを止めることができるかも知れないという希望でもあった。


「ヨウコさん!」


 だからカナタは呼びかける。

 シノが最も愛する人である、母へと。

 だが、それは冷静に考えれば簡単に判っていたことだ。

 この状況になって何故、ヨウコはシノを連れてここに来たのか。

 脅されていた?

 騙されていた?

 それにしては彼女の表情に変化がなさ過ぎる。それどころかむしろ、まるで我が子の成長を喜ぶかのような恍惚とした顔で、怪物と化していく我が子を見ていた。


「……ずっと、この時を待っていた」

「あ、母さん……?」

「シノ君! 負けないで! お母さんを護るんでしょ! だったら……!」

「うるさい! 黙ってろ!」


 飛んできた何かが頭にぶつかって、カナタはよろめいて尻餅を付いた。

 それ自体は大したものではない。ヨウコが足元に落ちていた硝子製のビーカーをカナタに向けて投げただけだ。

 出血もしていない程度の痛みでしかないが、カナタは呆然と、立ち上がることができなかった。

 どうして、母であるヨウコが邪魔をするのか。


「か、母さ……!」

「わたしはずっと待ってたの、この時を! わたしの息子が怪物になって、全部壊してくれる時を!」

「何を言って……!」

「あんたには判らないわよね! 強いギフトを持った生意気なクソガキには!」


 あらん限りの憎悪を込めて、ヨウコは叫ぶ。

 それはカナタにぶつけられたが、カナタにだけ向けられたものではない。

 表情は、最早人のものとは思えないほどに歪み切っている。


「強いギフトを持ってないエトランゼがどうなるか知ってる? わたしはその典型みたいな生き方をしてきた。この世界に来て、右も左も判らずに、利用され、食い潰されて、身体を売って生活してきた! そしてできたのがこの子よ! 父親も判らない子。わたしが生きるのを妨げるだけの厄介なお荷物! 何のために生まれてきたのかも判らない疫病神!」


 それは言葉ではない。

 カナタはそう思いたかった。

 ヨウコの口から放たれるのは呪詛だ。この世界に対しての、全ての理不尽に対して降り注げと願われた呪いの言葉。


「この子が生まれてからは大変だったわよぉ……。もう身体を売ることもできない、住む場所も満足に探せない……。地獄のような日々だった。何度殺してやろうかと思ったものか! でもね、でも殺さなくてよかった。彼に会えたから」


 縋るように、甘えるような目で、ヨウコはブルーノ教授を見た。


「彼が息子を変えてくれたの。何の役にも立たなかったのに、今はどう? すっごく強いのよ。強い強いギフトを持っているあんたよりも強いの。そうして、この嫌な世界を全部壊してくれるの。お母さんの代わりにね」

「母さ……! 何言って……!」


 ヨウコの呪詛が最も染み込み蝕むもの。

 それは紛れもなく、彼女の隣で必死で耐えている実の息子、シノだ。

 母が何を言っているか判らず。いや、判りたくなくてシノはいつものように、判らないことを母に尋ねる。

 一縷の希望を賭けて。

 冗談だったと、これは何かの間違いであると言って欲しくて。

 ――嗚呼、しかし。

 果たして真に残酷なのはいったい何なのだろうかと。

 ヨウコか、ブルーノ教授か、ギフトか、それとも。

 この世界自体がそうなっているのか。

 母が最後に語った言葉は、耳を塞ぎたくなるほどに無情そのもので。


「あんたなんか全く愛してなかった! わたしを金で買った、薄汚いこの世界の男の子供なんて! 精々暴れて、この世界を少しでも壊して、死んでしまえばいいのよ!」


 それが最後の引き金になった。

 もう、シノが人の言葉をしゃべることはない。

 咆哮は甲高い泣き声のように響くが、最早人の声ではなかった。

 異形の肉体は、手当たり次第に集まってきたキメラの死骸を繋ぎ合わせて、また新しい一つの生物として再生する。


『オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオオ!』


 怪物の産声が鳴り響く。

 誰にも祝福されることのない、この世界に放り出された無力な女の怨念に、エトランゼを恐れた男の悪意が生み出した化け物。

 獣の下半身から生える、黒い甲殻に包まれた子供の身体。あらゆる個所から怪物の顔が生えたそれは、目を背けたくなるほどに醜悪だった。


「シノ君!」

「さあ! 全部を壊すのよ、シノ!」


 無数にある口から飛び出すのは、音の衝撃。

 咄嗟にセレスティアルの盾を展開したカナタだったが、それを貫いてなお、カナタの身体を部屋の壁に叩きつけるだけの威力があった。

 そしてその被害はカナタだけではない。

 その一撃で研究所の壁に罅が入り、天井からはぱらぱらとその一部が落ちてくる。

 ブルーノ教授とヨウコの被害も甚大で、ブルーノ教授は入ってきた扉に叩きつけられ、その衝撃で手足がありえない方向に曲がっている。

 ヨウコも状況はさして変わらない。うつ伏せに倒れて顔を上げているが、下半身はもう人の形を成しておらず、潰れた果実のような状態になり、彼女がいる場所を真っ赤に濡らしていた。


「――嗚呼。それでいい。それでいいのよ、シノ。お前がわたしを殺すの。わたしを殺して、この悪い夢から醒めさせて。お母さんの最後のお願い、聞けるわよね?」


 陶酔したようなヨウコの声。

 そこに込められた感情は、当の本人以外はもう理解しようもない。


「ヨ、ヨウコ君……! あまりあれを挑発しては駄目だよ! 僕でさえ制御が……!」


 捻じれた手足を懸命に動かして、ブルーノ教授はどうにかシノのコントロールを行おうとするが、その度に激痛が走るようで、とてもではないが魔法が使えるような精神状態ではない。


「いいのよ、先生。これでいいの。だって教えてくれたでしょう? あの子のギフトはとっても珍しい、生命を食べる力だって」

「……生命を…食べる?」

「ヨウコ君やめろ! 君は失うつもりか! ライフスティールのギフトを持った逸材を、それを元に作られた最高傑作となるべき……!」

「さあ! 殺して! この世界からわたしを解放するのよ、シノ!」


 カナタには、その声は悲鳴に思えた。

 シノは唸り、そして大きく声を上げる。

 本来ある子供の腕とは別に、両肩から生えた二本の野太い剛腕が伸びて、ヨウコとブルーノ教授を掴みあげる。


「く、放せ! 放してくれ! 僕にはまだやるべきことがあるんだ! 僕がやらなければ、ヘルフリート陛下の期待に応えなければならない! そうでなければ誰がこの世界を護るんだ! エトランゼという化け物から! ギフトを持った侵略者から!」


 その声はもう、シノには届かない。

 必死の命乞いも空しく、シノは身体中の口から圧倒的な量の音の衝撃を解き放つ。

 質量を伴うそれは、その手に握られた二人だけでなく、地下研究室の大半を巻き込み、崩壊させた。
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